003.誕生
ゴソッ ゴソゴソッ
蒼佑の前で卵が動いている。
入り始めたヒビが大きくなっていく。
引っ越して早々にこんな事が起こるなんて予想だにしていなかったが、地元の友だちもいない蒼佑にとってはクラスで話す貴重な話題になる!と、少しウキウキし始めていた。
なんなら、クラスの誰かが引き取ってくれるかもしれないと、安直なことを考えていた。
「そうだ!録画しとかなきゃ!」
東京に来る前に買ってもらったスマホでは早速SNS投稿を始めていたのだが、いいね!もフォロワー数も簡単に伸びることはなく、毎日どうでもいい自炊料理の投稿を続けていた。
今回の映像は話題になるかも!とほくそ笑んで、自室からスマホを持ってくることにした。
キッチンに戻ると、卵のヒビは大きさを増していた。
「危ない。危ない。感動のシーンを撮り逃がすところだったな。」
蒼佑はスマホのカメラアプリを起動すると、今にもヒヨコが出てきそうな卵の様子を録画し始めた。
殻に入ったヒビの隙間から毛のようなものが時折見え隠れしている。
「頑張れ!もう少しだぞ!」
蒼佑は夢中になって卵を応援していた。
その時だった。
「ん?」
スマホの画面越しに卵を見ていたが違和感を感じた。
ヒビの隙間からチラチラと中のヒヨコが見えるのだが、黄色というよりは肌色に見える。
確か生まれたばかりの雛は羽毛もショボショボで見方によっては肌色よりだったかな?
パキッ!
「んんっ!?」
とうとう体の一部が殻の隙間から出てきたが、さっきまで時折はみ出してきていた羽毛が明らかに生えていないない。
形状的にクチバシや足先ではないだろうが、まだどこの部分かは分からなかった。
蒼佑は怪訝な表情になりながらも、スマホのカメラを回し続けていた。
スマホを向けてから既に30分近くが経過していた。
登校時間を考えるとそろそろ朝の支度に取り掛からなければならない。
いつもは朝食も自炊しているが、今日は朝からこんなイベントがあったのだから途中のコンビニでなにか買って行くことに決めた。
とりあえず生まれたヒヨコを入れておくのは引っ越しの時に使ったダンボールでもいいのかな?なんてことを考えながら、ヒヨコが孵るのを待っていた。
バリッ!
先程の羽毛のない体の一部がはみ出している部分が大きく割れたかと思うと、卵の殻が上下に綺麗に分かれていた。
ようやくヒヨコが見れるぞとスマホの画面を覗き込むと、そこにはこれまで薄々感じていたのとは異なる明らかな違和感があった。
体の一部だっと思っていたのはどう見ても人間の肘の部分で、いまは腕を伸ばして上に分かれた卵の殻を押さえている。
その手は明らかに人間のそれと同じ形をしている。
ただ違うのはどう見ても小人のように小さすぎることだ。
スマホ越しに見ていた蒼佑だったが、理解でない事態が画面に映し出されていることに困惑していた。
その時にはもうSNSでバズることよりも、事実を確かめたい一心にかられていた。
蒼佑は録画しながらもゆっくりとスマホを持つ手をおろしていった。
すぐにでも肉眼で見たいにも関わらず、それに反して実物を見るのが怖くなってきていたのだった。
そっとスマホを置くと、もう一度卵をよく見てみることにした。
ヒヨコであってほしいと思っていたが、どう見ても人間の小さな手のような形をしていることは間違いないようだ。
蒼佑はよく見るために恐る恐る顔を近づけて、手と思われる部分ををまじまじと観察しようとした。
その時!
ペタっ!
反対側からも同じように手のような部分が現れて卵を押さえたのだった。
ビクッ!
顔を近づけていたせいもあるか、蒼佑は声を上げそうになるほど驚いたが、ギリギリのところで踏み留まった。
右手で口をおさているが息は少し上がっている。
試合直前よりもバクバクと鳴り響いている心臓の音は、卵の中身にバレるのではないかというぐらい、自分の中では大きなものとなっていた。
卵の中身は上の殻を外そうと拙い手の動きでウネウネと動いている。
バランスが悪いのか体がフラフラしていてすぐにでも倒れてしまいそうだが、下の殻がパックに固定されているので持ちこたえていた。
ペイっ!
突如、卵の中身が両手を使って上の殻を前に投げ捨てた。
その瞬間、卵の中身の全貌が明らかとなったのだが、あまりのことに蒼佑は左手も添えて両手で口を抑えていた。
パックにはまだ下の殻が残っているが、その殻の中に小さな赤ん坊がこちらに背を向けて座っていたのだ。
いや、赤ん坊と言うにはあまりにもサイズがおかしい。
蒼佑の頭の中は完全にバグっていた...。
(LLサイズの卵から赤ん坊が出てきた。)
(えっ、いやこの際LLサイズとかどうでもいいでしょ。)
(えっ!えっ!スーパーの卵から人って生まれるのか?)
(いや、いや...。そんな訳ないでしょ...。)
(それより、そもそもコイツは人なのか?)
(だって、鶏の卵から人っておかしいでしょ?)
(でもLLサイズだったけど...。)
(って、サイズとかそういう問題ではないでしょ?)
(えっ!なに?分からない…。)
蒼佑は声も出さずに心のなかで独り言を暴走させていた。
さっきは誰もいない部屋で大声を出したのに、卵から生まれた小さい人を前にしてパニックで声を出せないでいた。
普段は意識もしていない時計の針の音がやけに大きく聞こえる。
部屋全体が緊張感に包まれていた。
「(ゴクり)」
蒼佑は自分が唾を飲み込む音でビクリとした。
と、その次の瞬間!
「ほぎゃ〜!!」
静寂を切り裂く大きな泣き声が部屋中に響き渡った。
その体のサイズとは異なり、しっかりと人間の赤ん坊のようなボリュームで泣き始めたのだ。
あまりのことに金縛り状態が解けて、蒼佑は慌ててその赤ん坊に声をかけてしまった。
「えっ!えっ!キミどないしたの?どこから来たん?」
(しまった!声をかけてしまった!)
(それに訳わからんことを聞いてしまった。)
(いや、どこからって、そりゃ卵やろ...。)
(そもそも、喋れるんか?)
声をかけた瞬間に後悔が頭の中を駆け巡り、冷静になれていない自分を落ち着かせようと焦っていた。
どうしようか途方に暮れようとした瞬間、そんな意味のわからない質問の声に反応して泣き声が止んだ。
一瞬だが蒼佑はホッとした。
あのまま大声で泣き続けたら防音がしっかりしているとはいえ近隣から怪しまれそうだし、高校生の一人暮らしの部屋に赤ん坊がいるってことになるとまずかろうと思った。
そもそも手のひらサイズの赤ん坊ということがおかしすぎるのに、蒼佑はパニックに陥っていたので世間体の方を気にしてしまっていた。
蒼佑は背中に嫌な汗をかいていた。
ホッとしたのもほんのコンマ数秒のことだった。
さっきまで背を向けていた赤ん坊がこちらを振り返ったのだった。
「か、可愛い...。」
最初に出てきた言葉に自分自身で驚いたが、我に返ってよく見てもやはりその感想は間違いではなかった。
金色の髪の毛はすでに生え揃っており、殻のヒビから時折見えていたのは髪の毛の部分だったのであろうことが想像できた。
既にしっかりと首も座っているようだ。
詳しくは知らなかったが、生まれてすぐの赤ん坊はしばらく首が座っておらず、まずは座ることさえもできないということぐらいの知識は蒼佑の頭にあった。
だが、目の前の赤ん坊はふてぶてしくも殻の中にしっかりと座り、こちらに顔を向けているのである。
顔の割に瞳も大きく、その色はおそらく青いであろうと思われた。
SNSで流れてくる画像で見かける天使のような赤ん坊だった。
そう、だから「可愛い」という感想は間違っていないし、決しておかしいものでもなかった。
ただ一つ、LLサイズの卵から生まれた手のひらサイズの赤ん坊だということを除いては...。
「だ〜♪」
その小さい赤ん坊は、蒼佑と目を合わせた瞬間、ニコリと笑っていた。