メディアについて思う事。
皆さんは『マスゴミ』と言う言葉を見たり聞いたりした事はあるだろうか?
マスメディアを中心とした『マスコミ』と『ゴミ』の混交語であり、マスコミを批判する時に使用される事の多いネットスラングである。
コレを読んでいる人の中にそう言った仕事に就いている人もいるかもしれない。それについては申し訳ないと思うが、一般人である僕にはこう思われているんだと解釈して頂けるとありがたい。
マスゴミと聞くと、偏見報道や虚偽の報道をイメージする人もいるだろう。虚偽かどうかは僕らに分かりようがないので置いておくとして、偏見は確かにあると思う。
芸能人のスキャンダルが最たる例だろう。事件が起きなければこんな事しか報道してないイメージがある。
前回の眞子さん、小室圭さんの結婚と同様、他人が誰と付き合おうが興味は全く無いのだが、とにかくそう言ったニュースが多いと思う。
ゲス不倫だのアパ不倫だの多目的トイレだの…それを知って僕らの生活の何が豊かになるのだろうか?あまりに興味が無いためわざわざ調べすらしないが、パッと思いつくだけでも挙げられる程には報じられている。
まぁ報じる側も仕事だ。それをしなければお金を貰えないのだから仕方ないような気もする。
僕が思う真のマスゴミとは『記者』だ。特にスクープを取り扱うような低俗な雑誌の記者を僕は個人的にかなり軽蔑している。
昼も夜もなくターゲットにストーキングし、あることない事書いたり、1の出来事を10にも100にも尾ヒレを付けて記事にする。悪質にも程があるだろう。
YouTubeでの活動もしているとある芸人が、自分に付きまとっている記者に対してカメラを向けた所、やめてくださいと言ったそうだ。
平気で芸能人やタレントにはカメラを向け、迷惑も考えず凸しているのに、自身が向けられた途端コレだ。もうどうしようも無い。
言葉は時に凶器になり得るモノだ。低俗雑誌を通して、民衆にその凶器を持たせた時、その攻撃力はとてつもない物に変わる。その自覚を持って記事を書いているのだろうか。
雑誌の名前を取って○○砲と言われるスクープ記事。そんな軽い物で人の人生が大きく変わる可能性だってあるのだ。張り込み、ストーキング、盗撮紛いの写真、人を何としても陥れようと尾ヒレを付けた記事……僕は犯罪にしてもいいと思う。自分がやられたら絶対に文句を言うクセに人には平気で行うその腐った精神がどうしても気に入らない。
言葉がどんどん荒くなってしまうことを許してほしい。ただ、そんなくだらない記事で精神を病み、心を蝕まれた人だって多くいる。
近頃のSNSで言う『晒し上げ』『袋叩き』と同じだ。1人で抵抗出来ないのをいい事に、大多数でバッシングする。
そう言ったSNSの使い方はやめようと報道されている。それなのにどうして低俗雑誌の記者は許されるのか?
スクープが無くなればテレビで報道することも無くなる。つまりマッチポンプなのだろう。そうじゃないのであれば、悪質な記事を書く人についてしっかり報道してほしいモノだ。よく言った!と賞賛の声が多く挙がるはずだ。
もういっその事、『テレビの仕事』そのものが無くなればいいとすら思ってしまう。報道の場があるからこそ虚偽だろうと偏見だろうと大衆が見れてしまうのだから。
『テレビで報道してるんだから間違いない』と信じてる人だって多くいると思う。SNSを使用しないような年齢層には特に。そういう人達がSNSの代わりに雑誌やニュースで情報収集をし、見たものを鵜呑みにしてしまう。
だからこそ無くなればいい。他人に触れてほしくないパーソナルスペースに無理矢理侵入して、土足で踏み荒らすような仕事なんて誰も求めてはいない。
天気や自然災害のような人の役に立つ情報や、見ていて微笑ましくなるような明るいニュースをメインで取り扱って欲しいモノだ。バッシングして利益を得ようなんて、詐欺と対して変わらない。人を傷付けてお金を稼いでいるのだから。
そもそもの話だが、他人をバッシングする記事の何が面白いのだろうか。
僕が気になるのはやはり不倫について。芸能人が不倫した。何故世間の許しが無いと仕事が出来ないのだろうか。何故会見を開き、世間に向けて謝罪をしないといけないのか。スポンサーの絡みなのだろうか?それなら活躍の場をYouTube変えればバッシングされないのかと言えばそうでもないだろう。僕からしたら疑問だらけだ。
された側が会見をするのはまだ分かる。『こんな事をされて怒りでいっぱいです』と世間に訴えられる機会になるからだ。同情を買い、好感度を上げられもするだろう。それはそれで上手い世の渡り方だと思う。
しかしそうではない。した側が謝り、された側は何事も無かったかのように普段通りの仕事をこなしている。
所謂『世間様』は謝罪を聞いて何をどうしたいのだろうか。教えて頂きたいモノだ。街行くド素人が、やれ謝罪が遅いだの、服装が軽いだの、言葉に反省の色が見られないだの、謝罪会見について偉そうに意見を述べる。
ただただバッシングしたいだけにしか思えない。実際その通りなのだろうが。謝ろうがそうじゃなかろうが責めれる角度から責めるだけ。そんな奴らに頭を下げて何の意味があるのだろう。
やった事は確かにダメな事だし、『不倫してやったぜ』と威張れるモノではない。しかし、それを全く関係の無い大衆に報じて何を得たいのだろうか。
コイツ、悪い奴だから皆で懲らしめてやろうぜ!などと言った間違った正義を翳しているつもりなのだろうか?
懲らしめるなんて、そんなのは当事者にやらせればいい。一番傷付いたのはされた側なのだから。その人が納得できるまで責めればいいし、周りがとやかく言う必要は無い。
報じられなければ仕事に復帰している人も多いだろう。未だに自粛をしていたり、以前の仕事には戻れていなかったりする人もいるかもしれない。そしてその報道を見た事で幸せを掴んだ人なんて誰もいないだろう。
つまり意味の無い報道なのだ。悪いヤツを叩きたいだけのエゴを発信したいならYouTubeにでも投稿すればいい。
よくもまぁそこまで他人に興味を持てるモノだ。自分の人生と交わらない人が浮気してようが不倫してようが、何をしてようがどうでもいいのだが。
僕なんかがこう言った所で世の中の誹謗中傷が減る訳では無いし、僕はあくまでも個人的な意見を書いたに過ぎない。
ただ、人を陥れ、役に立つどころか不幸にするような意味の無い仕事なんか無くなれば良いと思う。火のないところに煙は立たないと言うが、誹謗中傷は煙なのだ。誹謗中傷だけが悪く扱われるが、そもそも火を付けたのは誰なのか…そこを履き違えないで貰いたい。
折角テレビや、ネットがあるのだから幸せを広げていってほしい。