6.オークロードと美幼女
黒騎士団は閉鎖的だ。
別に俺らが拒んでいるわけではない。外部から来る奴らがあまりの醜悪さに眉を顰めて必要最低限しか近寄らないだけだ。打ち合わせや備品の配達など外部から来た奴等に「ああはなりたくないな」とせせら嗤われているのも知っている。
そんな黒騎士団に1月程前から出入りする変わったヤツが現れた。しかも、小さな子供で……女ときた。
どうやらその変人はレイドを気に入って来たようだった。
最初にテオに抱っこされて現れたときは幻覚かと思った。あんな醜悪な男に抱き上げられて泣かない女子供がいるなんて想像もしていなかったし、ましてや俺を視界に入れても飄々としていたから。
幼いながらも優秀な治癒師だった少女は恐らくスペシャリストとして鉄の心で対応したのかと思って感心したものだ。
だがそのちまっこいのは翌日も翌々日も騎士団に現れた。
――俺は若い頃から女達から忌み嫌われていた。戦いの後、娼館に行こうものなら泣かれ、吐かれ、最終的に気を失われる。プロでさえそうならば素人に至っては推して知るべし、といったところだ。何度か娼館に行ったが、嫌がる女や気を失った女に何かするような趣味もないので女に触れたことは無かった。
子供に関してもそうだ。俺はまるで子供を喰う化け物か何かだと思われているのか、街を歩けば子供を隠され、たまに遭遇すればギャン泣きされ、目が会えば失禁され、子供というものをきちんと見たことが無かった。
レイドが12歳で騎士団に入って来たとき面白い奴だと思った。大の男ですら初対面で俺の顔を正面から見れる者は少ない。そんな俺の目しっかりと見てきたガキは初めてだった。……まあ、俺と同じくらいの不細工だったから自分の顔で慣れていたのかもしれないが。
レイドの将来を考えると俺と同じような道を辿りそうで同情した。騎士団で日々を共に過ごすうちに才能もあり素直なレイドの事は、もし息子がいたらこんな感じかもしれねぇなと思うようになっていた。
だから紫のちまい奴がレイドを傷つけるようならそっと遠ざけてやろうと考えて、柄にもなく素行調査なんてしたんだが……白だった。
ここまで白だと何故ノアがレイドを相手にするのか皆目見当もつかない。レイドは真っ直ぐな奴だが、なんといっても一度見たら忘れないくらいの不細工だ。身分や経済力や実力といったプラス要素が何の意味も持たないくらいの不細工だ。それが可愛くて性格のいい女の子から好かれる?あり得ないだろ。
そんな風に疑問に思いながらもちまっこいノアを怯えさせないように、なるべくノアの視界に入らないように過ごしていた。
それが今日壊れた。
テオに呼ばれて振り返ると目の前にノアが居た。すぐに飛び退いたからいいものの、ノアからしたらトラウマものの恐怖だろう。
「てめっ……テオ!!」
「ふっ……くくっ……あ、やばい…ごめっ……」
テオがノアを抱き上げたまま、ひたすら肩を震わせて笑う。
こいつは人畜無害な不細工を装って、背後から笑いながら刺してくるタイプだ。だが今回は何が目的か全く分からない。ノアへの嫌がらせか?
ノアの事は気に入ってるように見えていたが、どういうことだ?
テオだけを睨むけれど視界の端にバッチリ紫色のちまっこいノアも映っている。
「だんちょ、わたしのこと……きらい?」
――は?
久しぶりに思考が空転した。待て。意味がわからない。助けてくれ。
ノアが嫌うことがあっても、俺が嫌いになる事なんて無いだろうに。
潤んだ紫紺の瞳で小首をかしげる天使。舌足らずな話し方が庇護欲を誘う。――こちとら女も子供も接したことがない……クリティカルヒットだ。
くっそ可愛い。
あわてて顔を逸らした。
「嫌いじゃねえよ……」
やばい。くっそ可愛い。初めてちゃんと見た。なんだこれ?綺麗な顔立ちなのは知っていたけどここまでとは。本物の天使じゃねーか。……っつーか顔が熱い。
混乱している間にテオがまた近づいてきやがった。
「テオ!! いい加減にしろ!!」
テオを睨みながらサッと距離を取る。テオは通常の微笑みの顔よりも少しだけ笑みを深くして全く俺の言う事を聞く気配がない。オイ、お前ノアが居なくなったら覚えておけよ?
それにしても……なんだ? 何故ノアまで笑顔なんだ? 可愛い。くっそ可愛い。
「だんちょ、どうしてにげるの?逃げちゃ、ヤ……」
今にも泣きだしそうな顔をする天使。
ヤメろ。ヤメろ。泣くな。
ピタッと体が止まる。
待て、なんて言った? 逃げちゃ、ヤ?
殺 す 気 か !
死ぬ。悶え死ぬ。なんだその可愛い発言。もうやめてくれ。可愛い過ぎて自分の中の何かが壊れそうだ。
どういうことだ!? 何故俺なんかに寄って来たがる!! やめてくれ。頼むから!
テオが楽しそうに、それはそれは本当に楽しそうに(後で殺す)俺に近づいてくるけど、動けない。ノアにあんな可愛い事言われて動けるわけがない。
心臓が高鳴って―― 一瞬で冷え切った。
俺は、多分ノアに拒絶されたら死にたくなる。
ずっと昔に諦めて、それでも何処かで諦めきれずに生きてきた。
俺を受け入れてくれる存在を。
ノアなら……レイドもテオも受け入れたノアならもしかしたら……と心がどうしても期待してしまう。でも、もしノアが無理だったら?
怖気がでて、情け無い事に俺は片手で顔を覆った。
泣き声は聞こえない。
チラッと確認しようと思ったらジッとこちらを見つめているノアがいた。
見られてる!
羞恥心で顔が熱くなる。ヤメろ、おっさんの照れてる絵面とか本当に無理だから戻れ顔!
「テオ、止めろ……っ。 ノアが泣く……!」
何を思ったのかノアが俺の頬に手を伸ばした。
肩が跳ねたのは仕方がないと思う。
知らない。俺は知らない。殴られる以外で自分に伸ばされる手なんて。
温もりが頬から伝わる。
「どうして? 泣いてませんよ?」
天使が俺に笑いかけた。
頬にある温もりが動いたことで意識が戻った。
自分の頬を見ると白いボンヤリしたものが見えて、それを伝っていくと神から愛されたような見た目をした少女がいる。
「あったかい……やわらかい……手……?」
「やっと、目が会いましたね」
そう言って嬉しそうに目を細めて笑う。
は?
は?
「ノアは俺の顔を見ても平気なのか……?」
「もちろんです」
「……っ、無理しなくていい。お前が優しいやつなのは知ってる。だから無理に顔を見たりしなくていい」
随分と昔に諦めたものを目の前にぶら下げられて、みっともなく縋りたくなる。
やめてくれ。弱くなる。
「無理なんてしていません。私は団長の目が好きです。団長と目が合わないと嫌われているのか不安になります」
期待で心が震える。だめだ。だめなんだ。
「それは悪かったな。だけど、顔は見ていて気分がいいものじゃないだろう? あえて見なくていい。俺はそれで慣れてるからな。適切な距離、ってやつだ」
「テオさん下ろしてください……」
「ん? はい」
ノアはテオの腕から降り立つと、ぽてぽてと歩いて来て俺のすぐ近くに立って手をそっと握った。
「えへへ、手、おっきい……」
そう言って嬉しそうに笑う。
「ノ、ア?」
「私は団長の顔が好きです。だから見ますし、無理なんてしてませんから!」
温かく柔らかいちまちました手が俺の手を持ち上げてノアの小さな頭の上に置いた。
「なでなでして……?」
「……は?」
幻聴か? だとしたら末期だな。犯罪者一歩手前だ。
「だんちょーのこと好きだから、ノアなでなでしてほしいっ!」
「は?」
いやいやいやいや、ちょっと待て。
これはダメだ。
俺の妄想にしても可愛すぎる。
心臓がバクバクとなる。こんな風になるのは子供の頃、崖から谷に落ちた時以来だ。
ノアがじぃっと綺麗な瞳を期待に満ちませて俺を見上げてくる。クソ可愛い。
待て。俺の妄想じゃないのか?
本当にノアが言ったのか?
試しに数センチ単位で手を動かした。
サラサラとした感触にびっくりしてすぐに手を離してしまった。
失ってしまった温もりへの喪失感が押し寄せ、堪らずもう一度ノアの頭に乗せてみた。嫌がったらすぐに手を離そう。それまでは……。
それにしても子供というのはこんなにも頼りない造りなのか? こんな細い首では俺の手を置くだけで壊れてしまいそうだ。胸の内がそわそわとする。
「ノアは、そんな細い首で生きていけるのか?」
「えっ……?」
ノアがキョトンと見上げる。可愛い。
「手も小さいし、肩も小さい。食べてるのか?」
どうやってこの華奢な身体で生きている?どこもかしこも脆そうだ。
「えと……とりあえず食べてますよ?」
「俺が触ったら壊れそうだ……」
サラサラの髪も柔らかな体も全て壊れそうで怖い。
「子供はだいたいこんなものですよ?」
とテオが呆れ顔で答える。
そうなのか?
「だんちょー、もう一回撫でてください」
こいつは分かっているのだろうか?飢えた獣に自ら体を差し出すようなマネをしているという事が。一度与えられてしまえば、味をしめてしまうというのに。
「だんちょ、おねがい」
――なんでそんなに慈愛に満ちた顔したんだよ。ガキのくせに。
はあ……と深いため息を吐く。
結論、天使だから仕方ない。
「痛かったり、嫌だったりしたら言えよ?」
撫でる。壊さないように。脆そうで温かい愛しい存在を壊さないように。ノアは嫌がらずにただ大人しく受け入れる。猫みたいに目を細めて気持ち良さそうに穏やかに受け入れる。
「えへへへ」
ノアが花が綻んだように愛らしく笑う。
ずっと欲しかった。
温もりが欲しかった。
突然差し出されたそれに年甲斐もなく泣きたくなる。
「だんちょ、おかわりください」
言葉と態度で、逃げなくていいと言ってくれる。
「……お前は変わってるな」
こんな事があっていいのだろうか?
今なら神に祈ってもいい気さえする。
ノア。
胸のうちが温かくてもどかしい。
「レイドの事もそうだけど。……もしお前がいたら……」
言いかけた言葉を飲む。
――もしお前がいたら、子供の頃の俺は幸せだっただろうな。
こんな小さな少女に縋って、もしもの話をして……ダセェ。
「糞……っ」
与えられてどこまで弱くなったんだ俺。
1つ息を吐いて自分を律する。
最後に1度ノアの頭を撫でた。
「もう避けねーよ。じゃあな」
……受け入れてくれてありがとな。