16.はじめまして、ミニトロールです!【前編】
「ねえ、カイル…。レイドが最近、変なの」
「母上……変、とは?」
「んー。休みの日に出かけたりだとか?女の子の喜ぶものを聞いてきたりだとか?」
俺は母上としばし見つめ合った。
「……単に片想いとか?」
それはそれで不毛な片想いか。――しょっぱいな。
しかし、相手の女の子にとってはあんな不細工に想いを寄せられるとか恐怖でしか無いだろう。頼むから暴走するなよ、弟よ。
神妙な面持ちで母上が頷く。
「私もそう思ってしつこく聞いたのよ。そしたら……『付き合っている子がいる』って」
な、なんだとおおおおお!!??
いや、有り得ない!あの見た目だぞ!?
一度見たら心に根深いトラウマを負ってしまうような、そんな見た目なんだぞ!?
はっ!そうか。
レイド、お前!お前って奴は!!
――ついに妄想で彼女を作り上げてしまったんだな!?
俺は弟の妄想力に戦慄した。
しかも、妄想彼女を現実にいるかのように語ると言う。なにそれ怖い。
俺には顔面凶器なレイドという一つ下の弟がいる。貴族令嬢なら顔だけで意識を刈り取ることができるという、ある意味天才で天災な外見だけど、中身は天使だと俺は思ってる。
そんな天使な弟が狂気に陥ったとの悲報が今まさに齎された。しかし、母親に女の子の好むものを聞いてしまうあたり、やっぱりうちの弟は可愛い。
「妄想ですか…。いつのまにそこまで精神を病んで……」
「私もレイドの妄想だと思って。ちょっと面白そうだったからグイグイ聞いてみたのよ。そうしたら、お相手の子は陽に透かしたアメジストのような髪の色のとても可愛い子なんですって」
「レイド……」
――やばい。キてる。相当キてる。怖い。本当に怖い。これ以上話を聞きたくない。
「お出かけした場所とかも聞きだしたりしていたのだけれど、妄想なのに、結構現実的な所がデート場所として設定されていて、しっかりとお話が作られていたのよ……」
「母上……純情なレイドで遊ばないでください」
しかし、母上はある意味勇者だな。俺は弟の理想を詰め込んだ妄想の恋愛話とか聞いたらむず痒くて死ねる。
母上は、口許を扇子で隠しながら、うふふと目を細めた。しかし、扇子を閉じると思案気に窓の外を眺め、でもね、と零す。
「――この前レイドの服に長い髪の毛がついていたって報告が……」
「!?」
ほ、本当に彼女が実在しているというのか!??
そんな!! バカな!!!
はっ!!! ――そうか。そういう事か。
俺にとっては可愛い弟ではあるが、どう頑張っても一生女性とは関われない人種だ。普通ならば天地がひっくり返っても有り得ない。
「――しかも、薄紫色の、髪の毛だったそうなの」
そう、普通ならば。――しかし、オーウェン伯爵家の領地にはサファイアやアレキサンドライト、エメラルドの産地があり、しかも交易のための大きな港まである。つまり、国内でも十本の指に入る程の金持ちだ。そこに、レイドだ。貴族社会にまったく慣れていない、それどころか災害級の不細工だから当然のように女の子経験なんて全くない、それどころか友達すらいない。カモ。ネギどころか金銀宝石付きのカモ。この上ないくらいのチョロい標的だ。あの醜悪さに耐えられる女狐がいるならば、レイド程いいカモもいないだろう。
「妄想でないとすると、………騙されてる」
「やっぱりそうよね…」
「く……ッ! ロマンス詐欺か!」
もう一度母上と見つめあって固く頷きあう。
「もう私どうしたらいいのか分からなくって…。レイドの目が覚めるまで待つしかないのかしら」
「そんな!!傷つくのはレイドですよ!?」
見慣れた俺でもあまり直視できないくらいの不細工だけれど、可愛い弟を放っておく事なんてできない。
「でも、恋は盲目なの!私の言葉なんて届かないのよ!」
はっ、となって母上の顔を見つめる。こくり、と頷いた。母上はもう忠告しているのだ。そして、レイドは聞く耳を持たなかったのだ。――弟は恋によって自分を見失ってしまったのだ。
恋の病とは恐ろしいな。理性と正気を失ったすごいブサイクとか、完全にヤバい奴じゃないか。
「そうですか…。それなら私がレイド……を狙う女の子に接触します」
何はともあれ、傷は浅い方がいいだろう。
「……?」
「母上は安心してお待ちください」
俺は、初恋に舞い上がっているであろう不細工な弟に想いを馳せた。――俺は幼い頃、レイドが大嫌いだった。ただでさえ醜悪なのに、自分と全く同じ血が流れている分、余計に悍ましく感じて、子供ながらのどこまでも純粋で無邪気な悪意でもって、弟を徹底的に痛めつけた。その頃の俺にとっては家族を煩わせる悍ましい弟を排除する事が正義だとでも思っていたのだ。色々あって中身が天使だと気づくまでは本気で憎くて、純粋な悪意をぶつけまくった。――幼い頃の償いも含めて俺は一生をかけて弟を守ると心に決めている。
待ってろレイド! 俺がお前にたかろうとしているハイエナを追い払ってやるからな!
レイドの相手はすぐに判明した。御者の男がよく知っていたからだ。
「カイル様と奥様の思い過ごしだと思いますよ?私にも挨拶してくれる天使みたいな子ですから」
何の責任も持たない軽い言葉を返してきた御者にイラッとした。
奇しくも、レイドを誑かしてる女も天使とか言われているらしい。まがい物め。化けの皮を剥がしてやる。俺はそう息巻いて、女狐に会いに行った。
小さな女狐はレイドに送り迎えまでさせているらしい。ビッチめ。
自分で言うのもなんだが、俺は非常に恵まれた容姿をしている。社交界では赤薔薇の君だとか紅蓮の宝石だとか勝手な呼び名で呼ばれて、異性から異常にモテてきた。だから、いかにも貴族の服を着てちょっと優しく話しかければ女狐はすぐにボロを出すだろうと思っていた。
酷く人好きのする笑みで話しかけてみる。
「こんばんは」
藤色の髪をした少女がくるりと振り返る。貴族の中でも滅多にいないような美少女――はい有罪。こんなん、微笑まれただけでうちのレイドなんて落ちてしまうだろ。イチコロだ。
少女は、目をぱちぱちと瞬かせると、ごく自然に挨拶を返してきた。
「こんばんは!」
――あれ?
どうせ、俺に話しかけられれば目の色を変えてくるだろうと思っていたのに、返ってきた反応は全く違うものだった。
なんだ…? なんでこんなその他大勢に接するみたいな反応なんだ? 女の子なんてみんな俺を見て頬を染めて見惚れるか、媚びるような目を向けてくるかなのに、紫の少女はなんていうか……無味無臭の目だ。男同士だって尊敬や嫉妬の混ざった目を向けてくるし、みんな眩しいものを見る目を向けて来るというのに、この子は……正の感情も負の感情も宿さない純真な目を向けてくる。そんな、赤子のような無垢な瞳に俺はたじろいだ。
「どうかされました…?治癒ならお金のない人限定なので、ちゃんと協会を通してくださいね」
ニッコリと微笑まれてるのに、そこには相変わらずなんの媚も含まれていない。在るのは穏やかな親愛の類の感情だけだ。
「あ、ああ。すまない、人違いをしたようだ」
レイドを誑かすような女なら俺を見て目の色を変えない筈がない。淡い紫色の髪をしていると聞いたからてっきりこの子かと早とちりしてしまった。純真な少女に向かって少なからず敵意を向けてしまったことに、バツが悪くなって急いで去ろうと思った時、少女がキョトン、と俺を――俺の赤い髪の毛を見て嬉しそうに微笑んだ。
「ステキな髪の色ですね!」
いっそ無関心とも捉えられるような態度から一変した花の咲いたような可憐な笑顔と賛辞に胸がキュンと高鳴った。湖に小石を投げ込んだかのように心に波紋が広がって、その小石が心の奥深くに沈んでいく。
もっと気の利いた褒め言葉なんて毎日挨拶のように聞いてるのに、不思議とすごく嬉しかった。
こんな媚を売らない無垢な少女が弟を誑かす女狐なわけがないと、その後は取り留めもない話を少ししてそのまま家に帰った。
――早く本当の敵を見つけ出さなくちゃな。
だけど、少女の最後の笑顔が忘れらなくて、それからも何となく紫の少女に会いに行ってしまっていた。媚を全く含まない純粋な眼差しも家族と話すかのように寛いで話してくれる様もすごく居心地がよかった。笑い上戸なのか、よく鈴を転がしたようにたくさん笑ってくれ、その笑顔を見るたびに胸の内に甘くもどかしい感情が生まれていった。会えないとそわそわしてまた会いに行ってしまう。
通ううちに、薄紫の髪の色が夕焼けで綺麗なピンク色に染まったり、もう少し日が沈むと青みがかった薄紫に変わったりすることに気が付いた。その全てに見惚れてしまって、ずっと見ていたくなってしまう。それで、一緒に過ごす時間が増えると、紫の少女が困った人を無償で治癒してあげる心まで綺麗な天使のような子だと知った。
「私、彼氏がいますので……あまり他の男性を頼るわけには…」
それを聞いたとき胸が締め付けられるように痛んだ。
紫は、古来から東西を問わずどこの国でも最高位の色とされてきた。そんな高貴な色の濃淡の輝きを完璧に収める少女に恋心を抱いていてしまっていたことに、その時になってようやく気がついた。
*
私は仕事が終わって家までレイド様に送ってもらった後、いつも夕飯の買い出しに出かける。そんな私はある日、急に後ろから声をかけられた。
「こんばんは」
朗らかな声に振り返ると、衝撃に心臓が止まった。
「!!?」
叫ばなかったのではなく、衝撃で声が出なかったのだ。
ええーーーっ!!!!!??
ちょーーすっごいブサイク!!!心臓止まった!!
ちょ、なにこれ!? なにこれーーー!!?
すっごいブサイクが爽やか(笑)に笑ってる!!
なにこれーーー!!?
類い稀に見る不細工に心臓がすごくどきどきしている。
心臓に悪いので、トロールには『俺の後ろに立つな』と思わず言いたくなる。
しかし、トロールを両親にもち、自身も同種のトロールである私には幸いにもトロール耐性があった。よって、すぐに復活した。
「こんばんは!」
挨拶を返すと赤いトロールはきょとん、と固まった。え?君が話しかけて来たんだよね?
突然のトロールの出現でびっくりしたけれど、似たようなトロール同士なにか通じる物を私は感じ始めた。
話しかけてきたトロールが固まっている間に、それとなーく持ち物を見る。
【値踏み】を発動。貴族の中でも良いところの坊ちゃんだと判断。よって対応をフェーズ2に移行し無償で治癒するのはお金のない人だけだと一応釘をさす。たまにいるんだよね、便利屋扱いしてくる人。
「どうかされました…?治癒ならお金のない人限定なので、ちゃんと協会を通してくださいね」
まるで幼少時代の地元の友人と話すかのようにナチュラルに話せる。すごい安定感。
あー、やっぱ騎士団のみんなはイケメンだから少し気を張ってたのかなあー。
「あ、ああ。すまない、人違いをしたようだ」
あら、よく見たらこのトロールはレイド様の髪とよく似た毛並みをしているわ!と、思わず髪の色を褒めて別れた。たっしゃに暮らせよ!
それからも夕飯の買い出しに出かけると、ちょくちょく紅蓮の髪をしたはぐれトロールに遭遇した。類似のトロールに出くわすと、ホームに帰ったかのような安心感があってついつい会話を弾ませてしまっていた。
この超すごい不細工は、気怠げに壁に凭れ掛かっていたり(笑)、前髪をかきあげたり(笑)、小首を傾げながら微笑んだり(笑)、流し目(笑)をする等、仕草や発言がとてもイケメンで、その度に私はいつもくすくす笑ってしまっていた。
「重たくないか?持とう」
「えっ、大丈夫ですよ」
「レディーに重たい物を持たせるわけにはいかない」
紅蓮の髪をしたトロールはとても紳士な少年だった。周りの女性たちから強烈な秋波を送られているところから察するにとんでもない美少年なんだろう。じーっと少年を観察すると、ばっちりと目が合って、頬を染めながら優しく微笑まれた。
――どうしよ。つい相手がトロールだから「ゆかいなお友達」だと思ってしまっていたけど、これ、フラグ…だよね? お、おお落ち着け、私!トロールが勘違いしたらイタイ子じゃ済まない!名誉毀損ものだ。重罪である。でもさ、――最近頻繁に会う。訳もなく優しくしてくれる。そして頬が染まる。アタシ天使みたいな美少女(笑)。
「私、彼氏がいますので……あまり他の男性を頼るわけには…」
ぬおお、まさか自分がこんな「ただし美少女に限る」的なセリフを言う日が来るとは。言ってるのが自分だと思うと土下座したい衝動に駆られる。く…ッ!
でも、フラグはキッチリへし折る!私はレイド様を悲しませるような事はしないんだから!キリッ。
「そ、そうか。でも、荷物だけは持つよ」
「ありがとうございます」
ごめんよお。もし私の勘違いで言ってしまっていたら切腹ものだよね、と思いながらトロールと並んで歩いた。赤トロールはなんだか動揺していて、申し訳なさが倍増した。
*
犯人探しも疲れて、結局母上と一緒にレイドに家に連れてくるようにお願いした。
「どんな女の子なのかしらね」
「――本当に相思相愛だとしたら、その場合はどんな人が来るのでしょう……」
「本人曰く、『すごく可愛い』らしいけれど……」
「恋は盲目、ですからね」
「――レイドにとっては可愛いのよ、きっと」
「レイドか、もしかしたらそれ以上か…」
「やめてぇ…っ!! 怖いから…っ!」
「女狐か、化け物か――究極の二択ですね。 相思相愛のときは何が来ても堪えましょう」
「レイドで見慣れているとはいえ、別パターンだと自信がないわ。気絶しないようにしなきゃ……」
母上は戦地に臨むかのように蒼白な顔をして神経を強張らせていた。
もし、仮に、億が一、両想いなのだとしたら―――それはレイドにとって得難い女性だ。どんな化け物が居ても、俺は耐えてみせる。目が2つ、口が1つ付いていればそれでいいじゃないか。充分だ。
そんな一種異様な覚悟をもって、俺たちは応接室の扉を開ける。
――鮮やかな赤色と薄紫色が目に飛び込んできた。
『えっ』
レイド以外の三人が同時に声を漏らした。