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11.お父さん

シリアスなので苦手な方は飛ばしてください。

「ねえ、見てフィン、貴方に似てとても綺麗な子よ」

「リアに似て凄く可愛い子だね」

「おぎゃああ。ばぶ――(うわあああ。バカップルだあー)」

「名前は何にする?」

「女の子だったらずっと付けたい名前があったんだ」

「なあに?」

「ノア」

「ふふっ。私と似てない?」

「リアに似た子になってほしくて」

「――(うん、いいね! ノア! 可愛い)」

『あ、笑った』

「すごく可愛い。どうしよう。大きくなったら変態な貴族に狙われちゃいそう」

「僕らでしっかり守らないとね」

「おぎゃあああ!(親ばかーん!)」


 そんなラブラブでバカップルで親バカな2人の事を私はすぐ大好きになった。

 ちょっとヤンデレ入った天然なお父さんと日向みたいに明るいお母さんのやり取りは微笑ましいし、無償の愛ってやつをたくさんもらった。


 だから、お母さんが亡くなったときは本当に悲しかったし、元気のなくなったお父さんを見るのはすごく辛かった。



 ♢     ♦



 お母さんが亡くなって、しばらくは様子を見ていた。悲しい。辛い。それが分かるから。人は強くない。沈むこともあるよねって。

 けど、一月が経っても二月が経っても()は変わらなかった。最初はお酒に溺れる父に対して私も必死だった。それとなくタイミングをみては何度も何度も注意した。


 そんな簡単に見捨てられるわけない、だって沢山の愛情をもらったから。

 そんな簡単に諦められるわけない、だって大好きだったから。


(お父さん、体に悪いよ?)

(お父さん、お母さんの代わりにはなれないけど私がいるよ?)

(お母さんはきっと今のお父さんを望んでいないよ?)

(お父さん、前を向こう?)


 ――言葉は通じるのに伝わらない。


(ノア、お金は?)

(お父さん、もうやめて。もう渡さない)

(じゃあ死ぬ。もう死ぬ。今すぐ死ぬ。ノアなら分かるだろ?辛いんだ。死にたいんだ)

(お父さん――) 


 こんなにも近くにいるのに、届かない、響かない、分かり合えない。




(いつか、ノアちゃんのお父さんも分かってくれるよ)

(大丈夫、話せばいつかきっと分かる)


 多くの人がそうやって気遣わし気に、優し気に、訳知り顔で私に(うそぶ)いた。


 何度も何度もお願いした、でもどんなに話しても泣いても父は変わってくれなかった。だから「話せばいつかお父さんも分かってくれるよ」と、そう優しく言われるたびに、胸が痛んだ。お前がふがいないのだと、話し足りないのだと、努力が足りないのだと責められている気さえした。


 結局どこまでいっても私たちは家族ですら他人で。


 そのうちに「話せばわかる」とそう簡単に言う人間は、最終的には自分の意見が貫き通せるという傲慢な考えを持っているんだ、と思うようにすらなっていた。


 何度も話した、叱った、泣いた、縋った、懇願した。


 言葉も、手も、払いのけられ、全て拒絶された。



 私は周りの人には幸せになってもらいたい。大好きな人なら尚更幸せになってもらいたい。だから父を幸せにできない自分が悔しくて不甲斐なかった。でも、それ以上にどんなに話しても通じない事が寂しくて、心が痛かった。


 だから1年もした頃、私は諦めてしまった。「そんなこともある」「しかたない」「そういう人だから」と。そう思うことで自分を守った。そうやって守らないと、私も悲しみに崩れ落ちてしまいそうだったから。


(嬢ちゃんのお父さんなのか……?)

(そうですよ?)

(その……お父さん……重荷じゃないか?)

(まあ、そうですね!)


 私は努めて明るく笑顔で振る舞った。

 笑顔で武装して、情けない自分の弱さを隠し続けて、ポジティブにポジティブに考えるようにした。


 世の中にはどうしようもないこともあるから、前を向かなきゃって。そうやって割り切って生きる、それが私の前世で学んだ拙い処世術だった。いつだって明るくポジティブに!そして、いつか時が解決してくれる事を祈って。

 いつか父が立ち直るその日まで、私はできる範囲で父を支えていこうと思っていた。





「ノア……飲みに行ってくる……」


「もーっ、お店の人に迷惑かけちゃだめだからね?」


 レイド様の前であまり身内の恥ずかしい姿を見せたくなくて。なるべく早く、できるだけ可哀想な子に見えないように、この瞬間を終わらせたくて、私はすぐにお金を取り出して渡そうとした。でも、その手はレイド様によってそっと押しとどめられた。思わず見上げると、優しい顔をしたレイド様がいた。


「初めまして、友人のレイド・オーウェンです」


 父がレイド様を見るとギョッとして幻覚か確認するかのように目を擦った。現実だと分かると「ひゅっ」と息を飲み、顔がみるみる青くなっていく。


「……気持ち悪っ……」


 私はスッと目を細めた。


「お父さん、ふざけないで」


「ふざけてるのはノアだ。僕に対するいやがらせ?」


「そんなことあるわけないでしょ?」


 父がレイド様を避けて私の方へ来ようとする。


「――おじさん、辛いのはわかりますが、ノアを頼るのはもうやめませんか?」


「は? 突然何? 正義のヒーローにでもなったつもり?」


 父がくすくすと笑う。


「お父さん!」


「わかる? 分かるわけないでしょ? 君みたいな子供に。……君の一番大切な人を殺してあげようか?――関係のない人間が偉そうな口を叩くなよ」


「やめ「それで救われるんですか?」


 レイド様もやめて!と言おうと思って、言葉を飲んだ。


「――っ」


 レイド様の瞳の静かな強さに圧倒された。

 研ぎ澄まされた剣のように鋭いのに温かな意志の宿った純粋で綺麗な目だった。


「救われませんよね? それに大切な人を亡くしたのはノアも一緒ですよね? もっと言えば、世の中には同じように大切な人を亡くした人が沢山いますよね?」


 毅然とした横顔とレイド様のよく透る涼やかな声に胸が震えた。


 ――言って聴いてくれるなら苦労はしない。


 だけど、思わず縋りたくなってしまった。

 レイド様の横顔が凛としていて頼もしかったから。

 その声の響きがどこまでも温かかったから。


 思わず縋って託したくなってしまった。



「――そいつらとは重みが違う。誰も僕の気持ちなんて分からない。幸せだった分辛い。思い出がある分辛い。愛していた分辛い。君になにがわかる?」


「ただ、ただ、悲しくて勝手に涙が出る。そういう事はあります。悲しむことは葬いであるとも思う。誰もおじさんの気持ちが分からない――そう言われてしまえば、そうかもしれません。全く同じ経験を経るなんてできないですから」


「――」


「――でも、大人も子供も等しく悲しくて辛い。自分だけが特別辛いなんて事はないはずです。ノアだって辛かったはず」


 レイド様の瞳は湖面を映したように澄み切っていた。


「思い出の量が違う! 心臓が壊れてしまうほど好きだった。出会ってからの幸せで大切な思い出の全てが悲しみに変わるんだ。君になにがわかる……っ!!」


 いつでもそうだった。お前に分かるわけがない、分かるはずがない、と梯子を外される。その上で分らないことを責められる。


「おじさんが奥さんの事をすごく愛してた事はわかりました。けど、辛くて悲しいのはおじさんだけじゃないですよ。もし目の前に子供を亡くした親が現れて、私の方が辛いって言われても比べられないですよね? みんな誰しも辛い」


「――誰しも?」


 父の瞳が怒りに燃える。


「生きていくのが辛くない人間なんていない。いるなら見てみたいですよ」


 瞳には真摯な輝きだけがあり、声はどこまでも温かかった。


「うるさい…っ! お前みたいに……お前みたいに恵まれた貴族になにがわかる!!」


 一瞬、レイド様の瞳に波紋が広がった。でもレイド様は一度瞬きしただけで、再び湖面を映したような眼差しに戻した。


「恵まれてる……か。確かにそうかもしれませんね。でも、言わせてもらえれば――おじさんみたいな恵まれた容姿の人になにが分かりますか?」


 レイド様は心の奥底を覗くような純真な瞳で訥々と父に問いかける。


「気持ちが悪い見た目だから会うほとんどの人から蔑まれる気持ちは? 初めて会った人間から石を投げられる気持ちは? 自分の見た目のせいで親まで馬鹿にされる気持ちは? 見た目のせいで――他の兄弟が当たり前のように享受する全ての事を隣からただ羨ましく見続ける……そんな辛さがわかるか?」


 レイド様の事を見る周りの冷たい冷たい目。

 蔑み、疎み、嘲り、忌む、嫌う、厭う、嫌悪、忌避、拒絶、愚弄、敵視、差別、侮蔑、不快、嫌忌、侮辱、無視、反感、不信感、厭悪、嫌厭、厭忌そんな負の感情の籠った白く冷たい目は幼い少年の心をどれほど傷つけてきたのだろう。


 レイド様は胸のあたりで服をぐしゃりと握りしめた。


「飢えて死にそうな人がいる。戦争で焼け出された人がいる。虐められた人がいる。騙されてお金を取られた人がいる。愛した人に先立たれた人がいる。誰が一番辛い? 悲しい? そんな……誰がどれだけ辛い思いをしたかなんて話は無意味なことなんだ。誰が一番不幸とか辛いとか悲しいとかないんだよ。みんなそれぞれに辛いんだ。言わないだけで誰もが傷を負って生きている」


 レイド様は一度だけ静かに目を閉じると、ゆっくりと目を見開き、真っ直ぐに鋭い眼差しで父を見据えた。


「――投げ出すなよ」


 一瞬、風が吹いたように感じた。


 静謐な瞳には怯え竦ませるような負の感情は無い。代わりにその瞳には苛烈なまでの覚悟の光が湛えられていた。


「生きている限り、人生を投げ出すなよ。自分の全てと言えるくらい愛した人を亡くしたとしても、家や財産の全てを無くして明日からどう生きていけばいいのかも分からなくなったとしても、自分を必要としてくれる人なんて誰一人いないくてなんで生きてるのか分かんないような気持ちになったとしても、そこで終わりなんかじゃない。そこで終わらせていいはずがない。終わらせちゃダメなんだ!」


 この世界は、レイド様にとっては残酷で(むご)い世界で――そんな中を生きてきた彼から向けられた言葉の強さと重さに呑まれて、言葉を発することができない。


 私はレイド様と一緒に帰るようになって知った。それは、人の冷ややかな表情というものがどれほど心を傷つけるのかということ。

 自分が周りと違う、仲間外れの存在なのだと明確に線引して突き放す冷たい目。お前は人生の落伍者なのだと、存在するだけで不快になるのだと、侮辱され、拒絶され、嘲笑される。

 悲しかった。胸が張り裂けそうになった。他者から拒絶される孤独、みじめさ、悔しさ、悲しさ、そんなものに心底から染め上げられたような気になる。自分は駄目なんだと、そんな風に悲しい気持ちのドン底に落ちてしまいそうになる。事実、自分に向けられていたら、きっと生きる意味さえわからなくなって死にたくなっていたと思う。


「生きていくのが辛くない人間なんて、いない。生きていれば辛いことも、悲しいことも、恥をかくことも、絶望することもある。――だけど、諦めんなよ、投げ出すなよ、動けよ、戦えよ!明日どうなるかなんて分からない。だけど、がむしゃらに動いてたらいつか何処かに必ず辿り着く――、そうやって信じて生きてくんだよ!!」


 今、本当の意味でやっと分かった。目の前の男の子は沢山の辛い思いをして、正面から向き合って生きてきたのだと。白い目を向けられても、絶望や嫉妬や疎外感に心の底から染め上げられたような気になって、自分はダメなんだと、悲しみ、苦しんだとしても。――只ひたむきに前をみて戦ってきたのだと。


 私はただ、レイド様の横顔を見つめた。

 犯しがたいぐらい凛としたその横顔をただ見つめた。


「うるさい…っ!放っておいてくれ!!」


 そう叫んだ父の目はゆらゆら揺れていた。ずっと生気のない目をしていたのに、少年の真直ぐな瞳に射抜かれて、ぶたれた犬みたいに怯えた顔をしている。



「――放っておけないよ。俺はノアに笑っていて欲しいんだ」


 

「――」

  


「なあ、おじさん。長く悲しみに浸っていれば偉いのか? それが愛の深さなのか? それがおじさんの愛の示し方なのか?」



「――」

  


「そうじゃないだろ?」


 ――立て、と少年が激励する。


「不幸なのも辛いのも悲しいのも下を見れば際限(きり)が無い」


 負けるな、前を向け、立て、立て、立ちあがれ、と静かに少年が訴える。

 

「甘えるな!」


 悲しみに蹲るな、人生を諦めるな、幸せを投げ出すな、と私ですら諦めた一人の男に叫ぶ。


 最初に感じだ瞳の鋭さのなかにある温かな意志は――きっと同類を見る目だったんだ。


 彼も最初から強かったわけじゃない。絶望して、諦めて、膝を抱えて蹲って、泣いて、泣いて、泣いて―――、だから「わかるよ」と「でも違うだろ」と。そう見つめていたんだ。


「俺達は皆ドブの底みたいな世界で生きてる。誰しも辛いことも嬉しいこともある。ちゃんと皆同じだけ辛い。折れそうな時もある。死にたくなることもある。だからこそ」


「――」


「だからこそ、人が幸せなのはその人の心の有り様がそうさせているんだ。死にたくなるようなことがあっても、そこで上を向くから人は幸せになれるんだ!」


 人生を諦めるな、悲しみに蹲るな、絶望に負けるな、立て、立ち上がれ、と声高に叫ぶ。少年の声は最初からどこまでも温かかった。――それは批判ではなく、応援だったから。


「あんたはずっと不幸なのが自分だけって思って、ただノアから与えられる愛を待ってる!」


 少年が全身全霊をもって父の在り方を否定する。


 幸せになれ、と。

 前を向け、と。

 蹲るな、と声高に叫ぶ。


「ふざけんなよ。いいかげんにしろよ。外に目をむけろよ!」


 ――俺達は皆ドブの底みたいな世界で生きていている、でも、上を向けと、立ち上がれと、悲しみに負けるな、と応援する。ドブその底でも、見上げた先には星空がある。


「なあ、幸せがちゃんとあるだろ? ちゃんとノアがいるだろ?――無視すんなよ。そういういろんなの無視して不幸に浸ってるなよ。不幸にどっぷり浸かって、悲劇の主人公ぶって、自分で自分を憐れむなら一人でしろよ!ノアを、娘を、巻き込むなよ!」


 少年が心の奥底まで見透かすような静かな瞳で見据える。


 父の心の中に巣食う弱さを。

 奥底に根付いた弱気を。

 決して、紛らわすことを認めなかった。

 

「奥さんを悼むフリをして自分を慰めるのはもうやめろ!!!」


 視界が滲んで、瞬きをすると温かいものが頬を伝った。胸の奥が熱い。熱くて熱くて仕方がない。


 レイド様が一度瞼を閉じた。

 再び開いた瞳は誤魔化す事を決して許さない射抜くような強さを持った目だった。


「――なあ、本当はまずいって思ってるんだろ?変わらなきゃって気づいてるんだろ?」


「黙れ!!黙れよ!!!」


「なんで1人で悲しみに浸ってるんだよ。悲しいことが偉いのか?人よりも深く長くずっと悲しんでいれば偉いのか?それが愛の示し方なのか?そんなことを貴方の奥さんが望んでるのか?」


「黙れって言ってるだろ!!!」


 父が蹲り耳を抑える。

 嫌々と小さな子供が気に食わない現実を拒否するかのように首をふった。


「黙るのはお父さんの方だよ!!」


 激情が沸き起こる。怒りなのか悲しみなのか自分に対してなのか父に対してなのか自分でも訳の分からない激情だ。胸の底が熱い、喉が熱い、炎のように自分の内側から燃え広がるような灼熱の赤い感情だった。


「レイド様の…言う通りだよ…っ!」


 少年の熱が胸を震わす。諦めるな、見捨てるな、まだやれる、と私を奮い立たせる。


「お母さんがそんなの望んでたわけないじゃん…っ!お母さんがベッドの中でも笑ってたのは……私たちに笑っていて欲しかったから。1分でも1秒でも笑っていて欲しかったからなんだよ!!」


 今なら分かる。記憶の中のお母さんはいつだって笑顔だった。

 泣き言なんて言わなかった。でも、痛かったはず。苦しかったはず。悔しかったはず。私達を置いていくのが凄く悲しくて寂しかったはず。


「『辛くても傷つけられても笑い飛ばしなさい』ってそうやってお母さん言ってくれてたじゃない…っ!」


 ボロボロと涙が溢れ嗚咽が零れる。


 ――妻を亡くして駄目になっている男だと思えば可愛いものがあります。


 私は物分かりがいいふりをしていた。それはただ他人に期待しないというだけの事だった。

 期待をしなければ裏切られることも、傷つくことも無いから。

 怒りも悲しみも無い、そうやって逃げていた。痛みから逃げていた。


 ――適切な距離ってやつだ。


 私も同じように人と距離を置いていた。「お父さん」を心の中で「父」と呼び、距離をおいた。

 「お父さん」って呼ぶと期待してしまうから。

 もう一度笑いあえる日が来ると、分かり合える日が来ると期待してしまうから。

 分かり合えなければ悲しい。親しい人なら(なお)一層悲しい。伸ばした手を払いのけられれば心が痛い。何度も何度も説得を試みて……でもダメで――いつしか自分に理由をつけて「そんなものだよ」と訳知り顔で言って、手を伸ばすことを諦めていた。 


 見限るな、見捨てるな、諦めるな、と少年が背中を押す。


「お母さんはずっとずっとそれを体現しててくれたんだよっ!!?」


「ノ、ア…」


 ()()()()が目を見開く。


「――笑え!!」


 吠えた。みっともなく泣き散らしながら、カッコいい男の子の前で醜態を晒す。でも、なりふりなんて構っていられなかった。

 レイド様が高潔な生き方を示してくれた。

 お母さんが優しい生き方をずっと示してくれていた。2人の生き方が本当に尊いと思うから。だから――


「――笑いなさい!!」


 ボロボロと泣きながら吠える。

 私にはレイド様みたいにかっこよく言える言葉もない。物語の王女様みたいに高潔な精神もない。転生ものの主人公みたいに賢い頭もない。人と本気でぶつかり合うことすら怖いただのちっぽけな人間だ。平均点以下の人間なんだ。レイド様の前でこんな姿を曝して恥ずかしい。きっとドン引きだ。けど、これは今まで逃げてきたツケだ。


「――笑いなさい!!いつまでウジウジしているつもり?そうやって過ごしていることがお母さんの生き方を否定しているって何で分からないの!?」


 天使なんかじゃない。可愛らしい性格なんかじゃない。懐が大きいわけじゃない。達観したフリをした口下手でちっちゃな人間だ。私にはこんな言い方しかできない。


「笑ってよ!!――お願いだから、もう1度笑ってよ!!!お父さん!!!これ以上、お母さんを否定する生き方をしたら許さないんだから!!」


 届いて欲しい、響いて欲しい、この想いが。お父さんに。


 レイド様が好きだった。体も力も圧倒的に強い相手に毎日毎日ボコボコにされても果敢に向かっていく少年が私には眩しかった。自分には真似できなかったから。そうなれたらいいと思う、そうなりたいと思う、でも自分は矮小で無知で無能で弱虫で諦めグセのついた人間で―――でも、もう諦めたくない。切り離したくない。お父さんを見捨てたくない。そんな人間になりたくない。


 お父さんに手を伸ばす。

 呆然としたまま私を見ていた。


 口下手な私にはこれ以上何も言えない。言葉を紡げられなくて、想いを形にできなくて、そんな私にはこれしか方法が浮かばなかった。


 だから――子どもみたいになってたお父さんの頭を抱きしめた。


「お願いだから……笑ってよ……っ」


 お父さんは温かかった。

 温かい。熱だ。生きている熱だ。


「ぅぐっ……うっ……」 


 それがなんだか嬉しくて。

 みっともなく、あられもなく、声を上げて泣いた。

 少しすると腕の中からも小さく啜り泣く声がした。




 泣きすぎて頭がぼんやりしてきた頃、腕の中でお父さんが顔を上げた。

 涙に濡れた金色の瞳と目があった。

 その瞳には確かな光があった。


「―――――酷い顔だな」


 私を見上げてぽつりと言ったお父さんの顔はくしゃくしゃの顔だった。


「―――――お父さんだけには言われたくないし」


 今にもまた泣き始めてしまいそうなくしゃくしゃの顔のくせに口許が歪んでいた。


『――――ふっ』


 二人で随分と下手くそな顔で笑いあう。

 私は泣きながら、お父さんはくしゃくしゃな顔のまま、しばらく笑いあった。


「ノア……」 


 背中におずおずと手が回る。私も強くギュッと抱きしめ返した。

 伝わる熱がある。温かい、生きている熱。


「――――ごめん」


「――――いいよ、家族だもん」

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