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好色の報い  作者:
2/3

中編

 ──ばさばさっ、と。

 フォルテス邸のディーンハルトの自室で、調査資料を熟読していた部屋の主の手から、見事なほど盛大に紙束が取り落とされる。


 それを予想していたのだろう。資料を持参した執事は眉ひとつ動かさず、いつも通り冷静に主家の嫡男の側へ行き、膝をついて書類を集め始めた。


 彼の耳に、うめくようなディーンハルトの声が届く。


「馬鹿、な……母上が、隣国の王の寵姫で……マルティナ様の、実の母君だと……!? まさか本当に、そんなことが……!」

「流石はアレイナ様でございますね。殿方を誑かす手腕と美貌は、未だに健在のご様子だそうで」


 かつて若かりし公爵の従者として、王立学園に通っていた頃の記憶が、執事の脳裏に蘇る。


 かの悪女──当時は男爵令嬢だったアレイナに、高位貴族の御曹司たちは軒並み虜にされていた。例外は王弟や現バーヘイゲン侯爵くらいのもので、幸い現王は既に卒業済みだったため、王室が彼女の毒に直接あてられることはなく終わったが。


 その中でアレイナを勝ち取ったのが現フォルテス公爵だったものの、彼女は公爵夫人となってからも数々の浮き名を流し、結婚後一年で身ごもった双子の父親が誰なのか、紳士クラブでは一部で賭けの対象にまでなっていたという。幸いにして生まれた双子はどちらも、実に分かりやすく公爵に生き写しだったので、安心して公爵家の後継として育てられることになった。

 とは言えそんな疑惑が持ち上がる女性など、そのまま筆頭貴族の夫人にしておけるはずもない。双子が生まれる直前の辺りから、隣国の現王──当時王太子だった彼は公爵と同い年で、学園には留学生として同時期に在籍しており、やはりアレイナの取り巻きとなっていた──との熱烈な手紙のやりとりが発覚していたこともあり、出産後に体が回復した時点で、アレイナは離縁を言い渡された。

 恐らくは現王を頼り、そのまま隣国へ渡るのだろうと誰もが予想していたが、実際にその通りになったようだ。

 流石に隣国の王も、既婚者であるばかりか、とうに貴族の地位を追われた女性を妃として遇することは控えたらしく、彼女は十八年間ずっと変わらずに、単なる寵姫、愛人の一人として扱われている。もっとも、その寵愛の深さも依然として変わっていないらしいが。


 ちなみに元夫フォルテス公爵もまた、彼女との離縁以来ずっと独り身を通しており、それが変化する様子は未だにない。これには執事と筆頭とする使用人たちや、ランベルトも密かに案じているところである。


「以前より、何があろうとも絶対に生き延びそうなほどの分厚い面の皮と生命力と、ひときわ幸せな思考回路をお持ちの御方でしたが、相変わらずお元気なようで何よりでございます」

「──ふざけるな! マルティナ様が我々の──私の異父妹だなどと。これが事実ならばどういうことになるか──()()()()()()()()()()()()()()、この苦悩がお前に分かるのか!?」


 完全な八つ当たりで苛立ちをぶつけるものの、青二才の癇癪程度で動じる執事ではない。

 至極冷静に立ち上がり、紛うことなき事実をただ指摘する。


「つまり、正真正銘血の繋がった、父親違いの妹君と、深い関係をお持ちになってしまったということでしょう。……お忘れですか? 公爵様が、『仮にそなたたちのどちらかが、マルティナ殿下と心から想い合うことになろうとも、絶対に婚約などを認めるわけにはいかぬ』と、何度も仰っていらしたことを」

「っ──!! ならば何故、父上もお前も、このことを明かしてくれなかった!? そうしてくれれば、私は──!」

「確かに、そうすべきではありました。しかし、アレイナ様の名は、当家ではほぼ禁句扱いとなっておりましたでしょう。取り分け、確かにあの方の血を引かれるお二人──ディーンハルト様とランベルト様にとっては」


 離縁から十八年が経った今でも、アレイナのことは「あの尻軽の公爵夫人」と、口さがない者たちの話題になるほどなのだ。まだ記憶も新しい頃、物心つく年齢になった双子が耳にした心なくも的確な母親評は、どれほど彼らの重荷となったことか──執事としても、思い出すだけで忌々しく痛々しい。


「それでもきちんとお耳に入れるべきではありましたが、改めて一つ確認を。──マルティナ殿下とディーンハルト様が友人以上に親しくしていらっしゃるようだと、公爵様のお耳に届いたのが、殿下との婚約を禁じられた数日前のことです。その時点で殿下とは、間違いなく、一切、体を重ねておられない清い仲であられたと、ディーンハルト様は断言することができますか?」

「そ……れ、は……!」


 まともな返答さえもできないディーンハルトへ、執事は深く嘆息してみせる。


「それが不可能ならば、どの時点で事実を明かそうと、最早結果は変わりません。……わたくしは別に、お遊びを完全にやめろなどとは、以前も申しておりませんでしたでしょう。公爵様も同じです。ただくれぐれも未婚の令嬢には相応の対応をなさるように、遊ぶのならお立場を(わきま)えて、真っ当な経営をしている娼館を選んで通う程度にしてくだされば構わないのだと、わたくしは実際に進言もいたしましたよ。それはもう何度も、お互いに嫌気がさす程度には。……まあ、今回のケースは、些か貞操観念に難のあるマルティナ殿下にも責任はおありでしょうが」


 一体どなたに似たのやら──という副音声が、ディーンハルトにはあまりにも痛烈に響いた。


 瓜二つの弟との違いを作るため、長く伸ばした艶やかなブロンドを、ぐしゃりと乱して頭を抱える。


「──私は。これから一体、どうすればいい……?」

「さて……少なくとも噂では、『ディーンハルト様が一方的にマルティナ殿下へ想いを寄せておられる』だけだとのことですし、ランベルト様も殿下を常に撥ね付けておられたようですし。世間的には、殿下はフォルテス家ご子息のどちらとも深い関係にはならずに終わったと見なされましょう。殿下の動向次第ですが、ご帰国が早期であればあるほど、噂の風化も早まることと存じます。幸い、隣国の、側妃ですらない寵姫の素性など、我が国で詳細を知る者は上層部の一部くらいのものでしょうから。……ただ、マルティナ殿下のご心境の方は如何なものかと」

「そう、だな。……ところで、ランベルトはとうに事実を知っていたようだが、父上やお前が明かしたのでないのなら何故だ?」

「ほぼ間違いなく、バーヘイゲン家よりお話があったのではと。二十年前、アレイナ様による被害が最も大きかったのがエリスレア様のお母上、バーヘイゲン侯爵夫人でいらっしゃいますので。ランベルト様から兄上様にお伝えしなかった理由は、仮に兄上様と殿下の間で恋心が燃え盛ろうとも、隣国王女というマルティナ殿下のお立場ゆえ、ディーンハルト様もいつものように一足飛びに関係を深めることはなさらないだろうとのご判断だったかと愚考いたします」

「なるほど。確かに……」


 弟の冷静かつ理性的な性格を考えれば妥当な推測と言える。実際にディーンハルトがそのように行動を控えていれば、これほどの後悔と自己嫌悪に苛まれずに済んだはずだ。


 ──納得してうなずいてからの、しばしの沈黙の後に。

 ディーンハルトは、絞り出すように切実な言葉を紡いだ。


「…………せめて。異父妹が隣国にいるということくらいは、最初から私にも教えておいてほしかった」

「……ええ、その通りでございますね。大変申し訳ございません」


 深々と頭を下げる執事に、ディーンハルトは「今更だ」と、酷く自嘲した笑みを浮かべた。




 恋した相手である下の異父兄から、血の繋がりを明かされたマルティナは、翌日早々に母の祖国を出て、自らの生国(しょうこく)の中心部へと馬車を急がせた。


 ──母の口から、絶対に真実を聞かなければ。


 その一心で、王宮へと続く道をひたすらに見つめる。全身をじわじわと苛む、言い様のない不快感に耐えながら。


 そうして、マルティナの乗る馬車は異例の速さで、入国した翌日の夜には王宮にたどり着いた。普通ならば、如何に道路が整備されているとは言え、国境から王都までは馬車でも二日半ほどの時間を要する。およそ丸一日分を短縮した、王女の旅路でなくともかなりの強行軍だったと言えた。


 疲れ果てた御者と馬たちに礼を言い、食事と寝床を彼らに提供するよう使用人たちに命じてから、マルティナは母アレイナの住まいである離れへと急ぐ。

 一般に王の妃や愛人は、身分に関係なく後宮内の部屋──無論、広さや設備には身分等で差が出る──で暮らすものだが、取り分け寵愛の深いアレイナは特別に、王宮の離れの一軒家を与えられていた。

 身分や立場こそ頼りないものの、国王のアレイナへの寵愛は未だに衰えることはなく、彼女とのただ一人の子であるマルティナもまた、国王の掌中の珠として可愛がられていた。その分、異母兄弟からは敬遠されるばかりで、家族らしい交流は一度もないのだが。

 けれど、肝心の母からの愛情はどうだっただろう──今更ながらの考えを抱きつつ、母の寝室の扉をノックした。

 今宵の国王は後宮で過ごすと聞いているので、母はここに一人でいるはず。母の多情ぶりをよく知る国王は、この離れへ続く通路には厳重な警備をつけ、彼とマルティナ以外は一人では通さないよう厳命しているのだ。


「失礼します、お母様。マルティナ、ただ今かの国より帰国いたしましたわ」

「あら、マルティナ。一体どうしたの? 私の可愛い娘の顔が見れるだなんて、一日の終わりにとても素敵なサプライズね」


 不惑に手が届く年齢だとは到底思えない、愛らしく無邪気な笑みと仕草で迎えてくれた母に、不覚にも一瞬だけ見とれてしまった。


「でも、ごめんなさいね。お父様は今夜、正妃様たちのご機嫌をとるために後宮にいらしているのよ。『代わりにもならないが』と、お詫びに美味しい果物をたくさんいただいたけれど。家族水入らず、三人で過ごせなくて残念だわ」


 見れば確かに、アレイナの傍らにある大きな皿には、色とりどりの新鮮な果実と果物ナイフが置かれている。


 一般に父王の『家族』とは、正式に婚儀を結んだ妃たちとその子供たちのことであり、王女として認知されているマルティナはまだしも、あくまでも愛人に過ぎないアレイナは明らかに範囲外なので、「家族水入らず」という表現はおかしいのだが、アレイナのどこかずれた言動は今更なのでマルティナも気にしない。第一、母の物言いに逐一突っ込みを入れていては、それだけで一日が潰れてしまいかねない。


「いえ、お父様には明日の朝にご挨拶に伺いますから。わたくしは取り急ぎ、お母様に用がありますの」

「まあ、なあに? 急に改まって」

「──お母様は、フォルテス公爵家の双子のご子息をご存知ですわね?」


 ──ただただふわりと、夢見る少女のように微笑んでいたアレイナの美貌が。

 その問いかけを理解した瞬間、見事なまでの真顔に変貌した。




 フォルテス家の双子──それは、アレイナにとっては、不幸と悲しみの象徴と言えるものだった。


 男爵家の一人娘として生まれたアレイナは、幼い頃からそれはもう可憐で愛らしく、家族のみならず周囲のあらゆる人間に愛されていた。

 彼女を愛する者たちは、アレイナの頼みなら何でも聞いてくれた。特に男の子たちは、長ずるに従い美しさを増していくアレイナの気を引こうと、あれやこれやと褒め称える言葉や可愛らしいプレゼントなどを我先にと与えてくれるようになった。


 ──そうか。私は可愛いから、男の子たちは私が大好きになって、優しくしてくれるのね。


 そんな風にアレイナが考えるようになったのが、十歳頃のこと。

 勿論、いわゆる「好きな娘いじめ」のようなものを仕掛けてくる少年たちもいれば、男の子たちを侍らせてお姫様のように振る舞うアレイナに突っかかってくる女の子たちもいたが、そういう子たちは嫌がったアレイナが涙の一つもにじませれば、取り巻きの少年たちが率先して遠ざけてくれる。

 怖いものや嫌なものを排除してくれた男の子には、アレイナはせめてものお礼にと、頬にキスをしてあげるようになった。そうすると彼らはとても喜んでくれて、より一層アレイナのために頑張ってくれるのだ。

 そんな少女時代を当たり前のように過ごしたせいで、彼女の価値観は自然と偏ったものとなっていった。特に男性については、可愛い自分のためならば、どんなことでも喜んで実行してくれるのだと──この世の男性は全て、自分の望むままに動くべき存在なのだと、一人の少女が抱くにはあまりにも傲慢すぎる確信が完全に根付いてしまった頃には、アレイナは十五歳になっており、王立学園への入学が間近に迫っていた。


 学園でも、アレイナは数々の少年たちを、その美貌と素直な性格で次々に虜にしていく。

 彼らは身分も高ければ裕福な者も多く、特に上級生となれば、男爵令嬢である彼女には見たこともないほど高価で美しい物もプレゼントしてくれる。そのお礼として、キスどころかそれ以上を求められることが増え、行きつくところまで行ってしまうことも珍しくはなくなった。アレイナの性への興味は人並みよりも大きかったし、対して貞操観念は、貴族令嬢としては如何なものかと思う程度には低かったので、そういった行為にも最初から抵抗はほとんどなかったのだ。


 そんな令嬢にあるまじき関係が増えていく一方で、アレイナには不思議で仕方ないことが起きていた。

 校内のほとんどの男性が女神のようにアレイナを崇めるのに、頑なにそうしてはくれない者たちがいるのだ。

 その中でも特に見目がよく、身分も高い三人──第二王子アロイスと、筆頭貴族フォルテス公爵家の嫡男ニコル、アロイスの再従兄弟(はとこ)であるバーヘイゲン侯爵家嫡男セバスティアンが、アレイナのお気に入りだった。

 特にセバスティアンは、一見冷たくそっけないが、動物や目下の者にはとても優しいところがとてつもなくアレイナの好みで、闇を具現化したかのようなクールで神秘的な容姿も手伝い、どの男子生徒よりも彼女の興味を引いていた。当人にとっては迷惑極まりなかったが。

 彼ら三人は親友と言えるほど仲が良いから、一人をアレイナの虜にしてしまえば、残る二人も皆のように、彼女の側に居てくれるようになるかもしれない。そんな思いから目をつけたのがニコルだった。三人の中では一番、手強くはないように思えたから。

 ニコルを相手に、いつものようにか弱い様子を見せつけて頼りきり、何かとスキンシップを図ってみるが、なかなか陥落する気配を見せてくれない。ある時には、「僕には婚約者がいるから」ときっぱり牽制されてしまった。


 ──腹が立った。確かに彼の婚約者の侯爵令嬢は品のある美人だけれど、性格は落ち着きすぎていて何の面白味も感じられないし、何よりニコルを尊重こそしているが、愛する人として心から慕っているようにはとても見えない。如何に家同士の関係が絡むからといって、そんな女を婚約者にしておくのは、ニコル個人の為になるとは到底思えなかった。

 そんな風に考える時点で、ニコルに情が移っていたのだろう。気がつけばアレイナは、彼のために婚約者を排除するべく動くようになっていた。今の実質的な夫である、当時の隣国王太子の助けもあり、アロイス王子やセバスティアンに邪魔されることなく目的は完遂できた。

 ニコルの婚約破棄成立後、彼の元婚約者は新たにセバスティアン(お気に入り)と婚約を結んだが、それを驚くほどにすんなりと受け入れることができたのは、やはりニコルを愛するようになっていたからだろう。


 もっとも、そんな心境に至っても、アレイナは取り巻きの一部との深い関係は相変わらず続けていた。彼女にとってはそれとこれとは何ら関連はなく、大事な友人と過ごせるとても素敵なひとときをゼロにしようなどとは、考慮の余地もなければ選択肢にも上がらなかった。結婚後のニコルは、新婚期間にあるまじき多忙な毎日を過ごしていて、アレイナにとても寂しい思いをさせていたせいもある。

 多忙の理由は、バーヘイゲン家のみならず、()()()王家との関係も悪化してしまったからという話だったけれど、だからと言って新妻を放っておくのは、アレイナにとっては酷すぎる怠慢に思えた。

 ともあれ、その()()()()を結婚後もしっかり継続していたことが、出産後の離縁に直結するのだが。


 しかしアレイナは、公爵に離縁された理由は、自分が早々と男の子を産んでしまったせいだと思っていた。あんなに早く跡継ぎを産まなければ、彼らが女の子だったなら、ニコルはアレイナが男の子を産むまで妻のままで居させてくれたはずだと、今でも心から信じている。

 取り巻きたちのことですっかり世間がうるさくなったから、夫人としての最大の役割をあっさりと終えてしまったアレイナを、ニコルは泣く泣く手放さざるを得なかったのだと。だってニコルは間違いなく、アレイナを愛していてくれたのだから。


 自分は周囲の者たちに愛されるのが当然という意識で、三十八年の人生を送ってきたアレイナは今、目の前で涙を流しながら自分を詰る娘の姿に、ただひたすら困惑していた。



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