日常の崩壊
七月の半ば、汗ばむ季節。
青く澄み渡った空の下、自宅のマンションに続く道を友達の宇館朝陽と歩いていた。
通う学校の定期テストの日だったので、その話をだらだらとしている。
「テストやばかった」
「またまたぁ舞依はいつも頭いいじゃん」
「いや、今回はマジでやばい」
上からジリジリと照る日差しから逃げるようにマンションに入る。
くだらない会話をしながらエレベーターを待っていると、入り口から人が入ってきた。
黒の上着でフードをかぶり、何やら大きな荷物を持っている人だった。服の生地の感じ的に、絶対に夏服ではないことはわかる。明らかに季節外れだ。
朝陽も怪訝そうな表情でその人を見ている。
エレベーターに乗り込むと、一緒にその人も乗ってきたので、2人でボタンの前に寄る。
私は最上階の十階、朝陽は六階、その人は何も押さずただ隅に立っていた。
「じゃあね舞依。また明日」
「うん、またね」
六階に着くと朝陽はいつもの可愛い笑顔で降りていった。
見知らぬ人と二人きりのエレベーター内は、なんか変な空気で満たされている。手持ち無沙汰だったのでエレベーターの上の方の階数の表示を見つめ続けた。
チンッ
音と共に扉が開きエレベーターから出ると、その人も私の後ろをついて来た。
何故ついてくるのか分からず少し不安を抱く。
最上階の一番奥、自分の部屋の前で立ち止まる。だんだんと近づいてくる足音と比例するように自分の心臓の音がドクドクと聞こえてくる。
だが、その人は私の後ろをあっさり通り過ぎ、屋上へと続く非常階段を、重たそうな荷物を抱えながら登っていった。
「屋上。何するんだろう」
謎の不安から解放され、力を入れていた肩を下ろし、いつものようにドアを開ける。
「ただいま」
誰も答えてはくれないけれど、一応昔からの癖のようなもので言ってしまう。
母は私が小学二年生の頃交通事故で死んだ。
父は私が五歳の頃に母と離婚したらしく、それから一度もあっていない。お葬式で会えると思っていたが、とんだ薄情者だったらしい。
昼休みにクラスのみんなで校庭で遊んでいた時、担任の先生がすごく焦りながら私を呼びに来た。特に理由は伝えられないまま帰りの準備をさせられて、玄関で待っていた真っ黒いスーツを着た叔父さんに車に乗せられた。
「叔父ちゃん!どうしたの?どこに行くの?」
「舞依ちゃん、落ち着いてな」
何を聞いても「落ち着いて」と言う叔父さんを見て、私はどうすることもできなかった。
お葬式会場では何人もの人が涙を流し、母の死を悲しんでいた。母の死を理解はしていたが、なぜか涙は出てこなかった。その様子を見た親戚の人たちは不謹慎だとか思っていたのだろうか。まぁ今となってはどうでもいい事だが。
今は叔父さんとは離れて一人暮らし。
自分で料理や洗濯などの家事や、お金のやりくりなど一通り出来るのでそこらへんは困らないが、家以外の学校での人間関係などが少し苦手。
「ごちそうさま」
いつも通りご飯も食べ終わり、後はお風呂に入り寝るだけだ。
「んー…気持ちいい」
お風呂に入ってる時が私にとっての一番の幸せの時間だ。
湯船に浸かりながら天井を見上げる。湯船から出る湯気で真っ白になる。
「そろそろ上がろうかな」
立ち上がると視界が端からだんだん暗くなり、頭がギューッと締め付けられるような痛みが走る。
身体が傾き、倒れそうになるのを咄嗟に壁に手をつき、倒れるのを防ぐ。
「…浸かりすぎたか?出るか」
しぶしぶ浴室から出て着替える。
ドライヤーで軽く乾かした後、部屋に戻りベットに思いっきり飛び込んだ。
「はぁー、疲っれたー!」
ふぅと一息つくと、鞄の中のスマホが鳴った。
取ってみると、朝陽からだった。
『あのさ、帰った時のあの人大丈夫だった?』
「大丈夫だったよ。よく分かんないけど、屋上に行ったみたいだよ」
『え?屋上?何するんだろ、それにしてもあの大荷物なんなんだろうね』
「さあ?」
『もしかして、ベランダからみなの部屋に入ってくるかもよぉ?』
笑えないぞと少し真顔になる。
少し怖くなってカーテンを開けてベランダに出てみる。見えるのはいつもの風景と変わりなく、特に不自然なものは何もなかった。
『誰かいた?』
「いないよ、ちょっとマジでやめてよ」
『ごめんごめん、じゃそろそろ寝るね。おやすみ』
「うん、おやすみ」
スマホを枕元に置いて布団を引っ張る。
「屋上からか…」
一瞬窓の方を見たが、すぐに布団を頭までかぶって寝ることにした。
ジリリリリリリリ!!!!
けたたましい目覚ましの音で飛び起きる。
時間を確認すると、朝陽との待ち合わせている時間の五分前。急いで身支度を整えて家を出る。
エレベーターを待つ時間でさえ長く感じる。
「急いでる時に限ってこうなるんだよね」
やっときたと思って急いで乗り込み、一階のボタンを連打した。
いつもの待ち合わせ場所にいくと、朝陽は文庫本を楽しそうに開いていた。私に気づくとそれを静かに閉じる。
「おはよ、珍しいね舞依の方が後に来るなんて」
「遅れてごめん」
「いいよいいよー」
朝陽はひらひらと手を振り、ベンチに置いていた鞄を肩にかけ直し歩き出した。
置いていかれないようにその横を歩く。
マンションを出て学校に向かい歩き出す。
「あとさ、途中コンビニ寄っていい?朝食べてないから」
「あー全然いいよ」
朝陽とは中学からの友達だ。
一人暮らしを始めた頃の不安の中、朝陽の方から話しかけてきてくれて、それがきっかけで仲良くなったのだ。
学校での朝陽はあまり積極的というわけではないが、周りにはいつも人が集まる。
それに対して私は、全くクラスに馴染めていなく、友達も朝陽しかいないと言ってもいいくらいボッチなのだ。
「コンビニのおにぎりって時々食べると美味しいんだよね」
「だよねー」
コンビニで買ったおにぎりを頬張りながら歩く。ご飯が横から溢れそうになったりしたが、綺麗に食べれた。
「朝陽ってさ、そんな感じなのに文学少女だよね」
「そんな感じって、どういうこと?」
朝陽はどちらかと言うと文系というよりか、アクティブな運動部系だ。外部でバリバリ頑張ってます!って言う見た目のくせに、休み時間は図書室に入り浸っている。運動神経の無駄。少し分けて欲しいくらいだ。
「いや、なんでもない」
「そう…あ!そういえば最近いたずらみたいなのながあったんだよね」
「いたずら?」
聞くと、家の扉についているポストに写真が入っていたそう。
「なんかさサイコロ?みたいなのが写っててさ、気持ち悪くて捨てたんだけどね」
ふーんと興味薄な私の反応を見て話す気が失せたのか、諦めたように前を向き直した。
学校に続く坂に着くと、
「朝陽!」
突然朝陽を呼ぶ声が聞こえた。
声の方を見ると、多分同じクラスの人が朝陽に向かって手を振っていた。あいにく名前は覚えていない。
「あ!おはよう!」
朝陽も手を振り返す。その人に向かって少し走ると、立ち止まり私の方を振り返った。
「舞依もおいでよ」
「いや、私はいいよ。早くいきな」
ちょっと考えたあと、大きく頷いて坂を走って上って行った。
私はなるべく近づきたくないのだ、あんな、スクールカースト上位の人になんて。
もともとあまり目立つことが苦手なので、いくら朝陽の誘いでも断ってしまう。
授業が始まり、長々と話を聞いていたら、嫌な予感が頭をよぎった。
それは、昨日の人が屋上に持って行った大きな荷物が何かやばいものなのではないか、という事。
いや、まさかねぇ
昨日の朝陽との話では、何かの道具だと思っていたけど、自分の身長と同じくらいの道具を持ち運ぶってなかなか目立つような。
「あー馳田さん?」
「は、はい?!」
先生が呼んでたことに全く気づかなかった。
教室の中にいる人全員に見られていた。そんな中黒板の前に向かう。
人並みには勉強ができる方だと自負している。
黒板に書かれている問題をじっくりと読み、手前にあったチョークを取り黒板に書き込む。
隣に立っていた先生から「正解っ」という声を聞いてから席に戻った。内心でドヤ顔を決めながら。
「やるじゃん」
「まあね」
後ろの席の朝陽からお褒めの言葉が。
「では次の問題を…あ、もう時間か」
時計は授業終了の時間を指していた。
先生がチョークを置いて、教科書を閉じ、日直の号令がかかる。
「起立、礼、ありがとうございました」
その後の授業も同じような感じ。
こんな感じで学校が終わる。
私も朝陽も部活などには入っていないので、放課後はすぐに家に帰ることができる。
授業という鎖で椅子と机に縛り付けられてので、学校が終わると本当に解放された気持ちになる。
「…」
「…」
もうそろそろマンションに着くのだが、いつもと違い、朝陽が学校から全く喋らない。
いつもなら、今日の授業の事やクラスメイトとの会話で面白かった話などを楽しそうに話しているはずなのだが。
やりきれなくなり私の方から声をかける。
「ねぇ朝陽?どうしたの?」
「え?ああ、ちょっと考え事っていうか。言わなきゃいけないなと思って」
なにやら思い詰めるような、そんな表情で俯く。
ひとりぼっちだった私を救ってくれた親友が困ってるのなら、私が助けなくちゃ。
だが、私は普通の話の聞き方は知らない。だって友達が少ないため経験がないからだ。
だから、無理やり俯き続ける朝陽の前に立つ。
「舞依?」
「言わなきゃいけないって?」
「いや、どうした?いきなり、大丈夫?」
私の肩を掴んで顔を覗き込むように首を傾ける。そんな朝陽の手を取る。
「それはこっちのセリフだよ。歩いてる間ずっと無言だし、何か言いたいことあるの?」
私が声を荒げると、驚いたようで少し仰け反る。
そのあと息をふぅーと吐いた。
「ここだとあれだから、ちょっと戻ったところの公園、行こうか」
今来た道を、私の手を取って戻っていく。
ありきたりな表現かもしれないけど、その背中は寂しそうな感じがした。
公園にあるブランコに二人並んで座る。
「それで?言いたいことって?」
ブランコに座ったまま朝陽の方を見る。
「私ね…」
朝陽はいつもとは違う、少し泣きそうな声で話し出した。
「引っ越すんだ。明後日」
突然のことに驚きすぎて言葉が出てこない。
「だから舞依にお別れを言おうと思ったんだけど、言うタイミングがわからなくて」
朝陽はブランコから立ち上がる。
「おかしいよね、いつもならなんでも話せるのにこういう時は喋れないなんて」
笑顔で話しているのだが、声はだんだんと震えてくる。
「どうしてだろうね?変だよね?私舞依と離れたくない」
私は耐えられずに朝陽に駆け寄った。
「そうだったんだ。話してくれてありがとう」
「え?」
朝陽は私が言った言葉に驚いているようだ。
そんな朝陽に笑顔を見せる。
「朝陽が引っ越すのは悲しいけど、携帯とかで連絡できるし、いつかは会えるじゃん」
朝陽のためにも自分は泣いてはダメだと思い、優しく手を取る。余計に考えさせまいと笑顔を作るが、私の意思とは反して、涙は止まらなかった。
「だからさそんなに泣かないでよ」
泣いている顔は嫌いだ。
全てを涙で流される感じがする。
「舞依…ありがとう」
夕日に照らされた公園には二人の声が響いていた。
すっかり夜まで話してしまい、二人で公園を出る頃には真っ暗になっていた。マンションは近くにあるのでそんなに心配はしなかったが、夜道はやっぱり怖かった。
エレベーターに乗ろうとしたら、昨日の黒ずくめの人がエレベーターを待っていた。今日はあのでっかい荷物は持っていなくて、ポケットに両手を突っ込んで立っていた。
エレベーターが降りてきて扉が開くが、黒ずくめの人は後ろも見ずに無言で道を開けた。先に行けという意味と受け取り、二人で先に乗って扉を閉めた。
「何あの人、やっぱり怪しい人かもしれないよね」
朝陽はめっちゃ疑ってた。
「何もしてないから別にいいと思うけどな」
チンっと音がなり六階についた。
「じゃあね舞依」
「うんじゃあね」
朝陽は「また明日」とは言わなかった。
その後はいつも通り部屋に入り、いつものルーティンを済まして寝た。
ピロロン!
突然の音にゆっくりと目を開く。
何かと思いスマホを取ると、朝陽からのメッセージだった。
「こんな夜中になんだろう」
内容は『来て』と一言だけ。
その一言がなぜか引っかかり、部屋着のまま携帯だけを持って外に出た。
六階の朝陽の部屋のインターホンを押す。
ピンポーン……ピンポーン…ピンポーン
何度鳴らしても誰も出ない。仕方ないので朝陽に電話をかけるも出なかった。
さすがにおかしいと思い、ドアノブを掴むと軽くて、簡単に扉が開いた。
「お邪魔します。朝陽?」
玄関に恐る恐る入って、最初に感じたのは異臭。
それが異常に怖くなり部屋を出ようと思ったが、朝陽がやばいことに巻き込まれていると思いゆっくりと部屋に上がった。
「ねぇ朝陽いるの?」
リビングに続くドアを開けると、目の前には、スマホを持った手をぶらんと下ろしたまま椅子に座っている朝陽がいた。
「なんだ、ねぇ朝…陽」
肩に手を起き、顔を覗き込むも、朝陽の目にはもう何も映っていなかった。
ゴトっと朝陽の手からスマホが床に落ち、その画面には私とのトーク画面が写っていた。
「嘘…」
部屋を見回してみると、その奥のソファーに長い棒のようなもので縫い付けられている朝陽の両親の遺体が見えた。
あたり一帯に血が飛び散っていて、周りの家具や床は血飛沫で赤く濡れ、月明かりを反射しテカテカと光っていた。
私は耐えられなくなり、悲鳴をあげて廊下に出る。
それに気づいた隣に住んでいる夫婦が出てきた。
「あの、何かあったんですか?」
「あ、朝陽が…朝陽…が、死んでて」
その人は私の怯えようで、警察に急いで連絡してくれた。
数分したらパトカーのサイレンの音が聞こえてきて、三人警官が走ってきた。
「大丈夫ですか?」
ショックで何も喋れない私の代わりにお隣さんが説明をしてくれた。
「この子がこの部屋の宇館さんが死んでいるというので」
警官は何やら連絡を取ってから部屋に入った。
私はそこから、漏れ出る異臭とさっき見た朝陽の姿を思い出し、吐き気が止まらなくなり、震えながらしがみついてる事しかできなかった。
少ししたらまた警官が数人やってきたようで、サイレンの音が増えた。
「第一発見者は」
「この子です」
一人の刑事が私の前にしゃがみこんで名刺を渡してきた。
「誰か見ましたか?」
「い、いや、朝陽からメッセージがきたので」
それを見せて欲しいと言われたので、スマホの画面を見せる。不思議そうに見てから、これを預からせて欲しいと言った。
言われるがままスマホを渡す。
「今日のところは帰ったほうがいい」
その刑事さんに部屋まで送られ、虚ろな足取りでベッドに倒れこんだ。
目覚めた時間はいつもの時間。
こんな時までいつもの習慣が抜けていないことに少し驚いた。何をしていいかもわからず習慣に従い、学校に行く支度を始めた。
あんなことがあったのに学校と思われるかもしれないけど、身体はいつも通りに動いていた。
「行ってきます」
エレベーターに乗り込む。上の数字が順番に光り、六で止まる。誰かが乗ってくるようだ。
朝陽かと淡い期待を抱いてみるも、入ってきたのはスーツの二人組の男女。どうやら朝陽の件で来ていた警察関係者らしい。
「ねえ、こっちでやられるなんてね」
女の人の問いかけに対して、何も喋らず、一回頷く男の人。
不思議な人だなと思っていると一階についたみたいで扉がひらき、二人は入り口にある自動販売機に向かった。
私はというと、マンションの入り口の横、朝陽と毎日待ち合わせをしていた場所に立つ。
なぜ自分がここで朝陽を待っているのかわからなかったが、なんとなく察しはつく。朝陽がいなくなったのを信じたくないんだ。
待ち合わせの時間を五分過ぎたあたりから、諦めがにじみ出てきた。
「何やってんだろ、朝陽は来ないじゃん」
自分のせいだが、朝から嫌な気持ちになった。
マンションを出ると、沢山の人に一気に囲まれてしまった。目の前には沢山の大きなカメラやボイスレコーダー。
どうやら記者さん達らしい。
「このマンションで起きた事件、ご存知ですか?」
「現場の様子は?」
その質問で部屋の様子を思い出してしまい、口を手で押さえる。そんな私の姿をカメラは容赦なく写し続けた。
もうやめてと思った時、後ろから声が飛んできた。
「すみませーん!あまり近寄らないでくださーい!」
後ろを向くと、さっきエレベーターで一緒に降りてきた二人が、私を囲んでる人たちを抑えるように手を広げて私の前に立つ。
「警察の方ですか?」とかいう質問に全く耳を貸さずに止め続ける二人を見て、かっこいいと思ってしまった。
その女性は私のことを立たせ、耳元で小さな声でささやいた。
「行きなさい」
歩き出すと、後ろでガシャンという音が聞こえた。
何かと思い振り向くと、さっきの男の人が片手だけでカメラのレンズを握りつぶし使えなくしていた。
「ちょっと!器物損壊じゃない?!」
報道陣の人達が口々に叫ぶも、その後も私の目の前にあったカメラを壊していった。そして、ボイスレコーダもぶんどって、まるで木の棒を折るかのようにバキバキと壊していく。
動揺してる記者達の間をすり抜け、学校へ向かう道を全力疾走で駆け抜ける。数名が気付いて追いかけてきたようだが、諦めたらしい。
現役女子高生をなめるなよ。こちとら、毎日毎日あの坂のぼってんだよ、時には猛ダッシュで。
学校に着いて教室に入った瞬間、さっきほどではないがクラスメイト達に囲まれる。少しも話したこともない人達も私の元に走ってきた。
「ねえ、馳田さんが住んでるマンションで殺人事件って本当なの?」
「あ、えと」
どうやら被害者が朝陽とは知らないらしい。
「うん」
「そうなんだ。あれ?朝陽とは一緒じゃないの?」
質問には答えず、教室を逃げるように出て保健室に向かった。
「失礼します」
入ると誰もいなかった。
まあまだ登校時間だから先生もいないのだろうと思い、一番手前のベットに横になる。
朝陽を思い出すと涙が止まらなかった。
「おーい、馳田ー」
いつのまにか眠ってしまっていたらしく、保健室の先生がベットの横に立って、不思議そうな顔で覗き込んでいた。
「すいません勝手にベット使って」
「いやいいよ。あんなことがあったんだもんな、自分が住んでるところで殺人なんて、気が気じゃないよね」
先生も知ってるなんて、ずいぶん出回るのが早いな。先生はコーヒーを飲みながら、パソコンに向かい始めた。
「寝てもいいから、ゆっくり休んで」
私は心の中でお礼を言い、横になって布団を頭からかぶった。目をつむって朝陽を思い出していたら、恐ろしい考えが頭に浮かんだ。
勢いよく起き上がる。
「ん?!どうした?」
「先生」
私の声は震えていた。
「そんなに震えて大丈夫か?」
言われて自分の体や手を見ると、ブルブルと震えていた。
「もし辛かったら病院に…」
「早退させてください」
「え、ああそれは構わないが」
その言葉を聞いて、鞄を掴んで保健室を飛び出す。
廊下を全力疾走して、玄関に向かう。途中、担任の先生に会って声をかけられたが、ガン無視して走ってきた。
壊しそうな勢いで下駄箱の扉を開け、靴を取り出し、中ばきをしまわず家まで走った。