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◆4◆

 

 翌日。強盗騒動で開いた穴の修繕を命じられたシスター・サラが教会に向かうと、そこには思いがけない人物がいた。

 蹴り破られた玄関扉を直す数人のボランティアの中に、一際目立つ金髪長身。


「あ……アルベルト長官?」

「これは、シスター・サラ。今日はずいぶんとかわいらしい格好なのだな」


 今のシスターは尼僧姿ではない。作業を行なうときはいつも、白いベールはそのままに、ロザリオも僧衣もない、灰色の膝上ワンピースとエプロンに長靴という服装なのだ。


「あなたこそ、気楽な服装でいらっしゃいますが?」

「今日は非番なのでな。それに大工仕事にはこちらのほうが良い」


 にやりと笑う男は、飾り気のない綿のシャツに厚手のズボンという出で立ちだ。農夫のようだが、長い金の巻き毛を括って背に流した佇まいは、明らかに一線を画している。

 腕をまくって襟元を開けるせいで、鍛えあげられた肉体が垣間見え、他のシスターたちが浮き足立って仕方ない。汗をかいたのか、首すじに貼りつく銀のチェーンがまた色気を誘う。


――……おかしい。昔のジルはもっとかわいらしかったのに。


 記憶との齟齬にシスター・サラが眉を寄せていると、機嫌を損ねたと思ったのか、彼が気遣わしげな視線を向けた。


「シスター?」

「すみません……ちょっと驚いて。警備隊の方々が修繕を手伝ってくださることはあるのですが、まさか長官がお出ましになるとは思いませんでしたから」

「ご迷惑だったかな? この扉を蹴ったのは俺なので、責任をとろうと思ったのだが」


 〝俺〟という言い方に引っかかりを覚えたが、気にしないように努めて首を横に振る。


「いいえ、助かります。その代わり、今日はわたしの指示に従ってくださいますね?」

「いくらでも」


 精悍な顔が笑みほころぶ。

 屈託ない笑い方は変わらないと、じんわりとあたたかい想いを抱きつつ、シスターもまた笑みを返した。



 結論から言うと、ジルは大工仕事も上手かった。

 段取りがよく器用で、顔を出した街の大工も唸るほどの腕前。さらに紳士的な振る舞いと見目麗しい容貌が加われば、先輩シスターだけでなく近隣の住民もみな骨抜きになるのも当然だった。

 そのうえ古い修道院の不具合をあれこれ見つけられて、なぜか週に一度の休日には、部下を伴って改修に訪れるのが恒例になる始末。

 女子修道院では本来、外部の男性との接触は厳格に規制されるものだが、田舎で規制が緩く、地域に開かれた修道院を自負していたことが裏目に出た。さすがのマザーも地方長官相手には分が悪い。


 最初は自分の正体がばれるのではないかと危ぶんでいたシスター・サラも、こうなるともう、悩んでいるのが馬鹿らしくなってしまった。


――なんだ、自分一人が空回りしてただけじゃないか。


 裏庭の片隅に建てた薬草庫で作業後にふるまうハーブティーを調合しながら、どうしようもなくため息が漏れる。

 子どもの頃は二歳上の自分にべったりくっついて、たまに泊まっていくときも「寂しいから」と寄り添って眠るのが常だったというのに。


――彼のためにできることなど、もうないのかもしれないな……。


 人としても男としてもすっかり成長した少年を、遠くから眩しく見つめることしかできそうになかった。それくらいジリオール・アルベルトは完璧で――だから、油断してしまった。


 余人のいないはずの薬草庫に気配を感じ、はっと振り向く。

 薬棚の林立する狭い空間の先。入口に肩をもたれ、微笑をたたえた《金獅子》が立っていた。

 落としそうになったハーブ入りのボウルを両手で持ち直し、軽く目礼する。


「お疲れさまです、閣下。このようなあばら屋に何の御用向きでしょう?」

「二人で話したくて来た」

「それは――」


 シスターらしくたしなめる言葉を発しかけ、気づく。トラップはどうした。裏庭には、特に危険な薬も置いてあるこの倉庫への経路上に、いくつも仕掛けてあったはず。


「トラップならすべて解除済みだ。ああ、正面のセンサーはそのままだが」

「ど、うして」

「あんな危険なトラップを安易にたくさん仕掛けるものではない」

「どれも拘束や捕獲系の危険度の低いものですし、正門へのトラップ誘導も」

「甘いな。現に、俺がこうしてここに来ているのに」


 濃い琥珀の双眸を眇め、ゆっくりと歩み寄る彼に、シスターが後ずさる。


「甘すぎるぞ、シスター。これまで秘密を守りきれたからといって、ライフルを振り回したり、癖のあるトラップを仕掛けたり、東国の薬草を育てたり――まるで見つけてくれと言わんばかりだ。そうだろう? ……ジャック」


 ボウルが音を立てて手から滑り落ちた。即座に身をひるがえして逃げようとするシスターの腕を、《金獅子》の右手が捕らえる。


「この四年間、捜しつづけた相手を俺が逃がすと思うか?」


 もう片方の手が伸び、ざらついた太い指が喉元にかかる。

 シスターが思わず身をすくめて目を閉じれば、軽い金属音が耳元で鳴った。うすい青の眼を見開くと、男の指先に、ワンピースの下に隠れていた金の十字架がぶら下がっていた。


「良かった。やはりこれは、おまえを護ってくれたようだ」


 琥珀色の眼が満足げに細められる。


「その襟の隙間から鎖が見えても、正直確信はなかった。だが、おまえは少しでも油断を見せると逃げるからな。早めに手を打つことにした。もう……どこへも行くな」


 完敗だ。シスター・サラ、否、ジャックの体から力が抜ける。我慢していた雫が服に落ちた。


「……ジル。ごめんなさい」

「なんの謝罪だ? この国にいながら、俺に居場所を隠していたことか?」

「ジル。ジャックは死んだ。もう生き返らないんだ……すまない」


――だからもう、親友ではいられない。いてはいけない。


 悲痛な想いで吐き出した言葉を、だが相手の男は、おだやかな微笑で受け止めた。


「そういうことか。……ジャック、これを見ろ」


 ペンダントから手を離し、それでも彼女の腕はそのままに、彼は片手でおのれの襟元から銀の鎖を引っ張り出す。

 その先にぶらさがるのは、蒼い石の嵌まった銀の指輪。


「もってた、の……?」

「当たり前だろう。指が太くなって入らなくなったから、鎖をつけたんだ。そのときに気づいた――この指輪は女物だと。おまえは言わなかったが、《月の民》は女系なのだな? 魔法使いの一族と言われているが、本来は〝魔女〟なのだろう? 違うか?」


 ジャックは無言で頷いた。止まらなくなった涙が頬を伝い落ちる。

 ジルの指先が、今度は本当にやさしくそれを拭った。


「ジル。ほんとにずっと、捜してくれてたの?」

「当然だ。それとも俺は、おまえにとって待たせる価値もない男か?」

「そういうわけじゃない、けど」


 いつの間にか掴まれていた腕の拘束は緩まり、かつてのように指先がからまる。もはや、どちらがどちらの体温か分からぬ至近で、シスターの指先が胸の星十字に触れた。


「僕――わたし、ずっと祈ってた。ジルが無事に戦場から戻りますように。元気で幸せに暮らせますように――いつか、少しでも会えますようにって。だからわたしがこの国に来れたのも、この十字架のおかげだよ。ありがとう、ジル」

「まさかこんなところにいるとはな。まったく、どれほど探し回ったか」


 詰る声は甘やかで、だがかすかな震えを帯びていた。


「ごめんなさい。だけど〝ジャック〟は、もう完全に過去にしてしまいたかったから」

「ミドルウッドに連絡は?」

「……しばらく黙っててくれると助かる」


 以前出会った彼女の保護者たちを思い浮かべ、《金獅子》が渋面を作る。


「あまり長くは隠せないぞ? 下手をしたら国際問題だ」

「……うん、ごめん。分かってる」

「なにも〝彼〟を葬るのに、シスターである必要はないと思うが?」

「この国と神さまには、返しきれない恩があるから。二百十八人分の命の感謝を、血で汚れたわたし一人の身で贖えるとは思わないけど、それでも少しでも返していきたいんだ」


 二百十八人。その人数が、ジャック・ザ・ブラッドによって惨殺された、ある村の領民の数であることを気づくものは少ない。

 そしてその血塗られた事実が、領主であった公爵が革命軍に寝返ろうとしたために貴族院側に村ごと人質にされ、領民全員を一夜のうちに国外亡命させたという前人未到の大芝居だったこともまた、計画した彼ら二人とウェストフレア国王、革命軍の中心人物だった現ミドルウッド首相と――神以外に知るものはいない。

 これから両国の行末がずっと平穏であるならば、ゆっくりと人の口から、その真実は語られていくはずだ。

 太い指先が涙の乾いた頬を辿り、存在を確かめるように大きな手のひらで包む。


「おまえの決心は分かった。だが俺にも手伝わせてくれ。傍にいさせてほしい」

「……わたしも傍にいたいよ、ジル。君が構わなければ……君の傍で、役に立ちたいんだ」


 囁きで返された言葉は、深い誓いの響きに満ちていて。

 言葉よりも強い気持ちをぶつけるように、ジルは求めていた人を腕の中に抱きしめた。



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