◆3◆
都市警備隊の事情聴取から解放されたシスター・サラを待っていたのは、聖マルガレータ修道院の院長であるマザー・カタリーナの呼び出しだった。
――ああ……これでまた誓願が遠のいてしまう。
先輩や同輩シスターの同情の眼差しを浴びつつ、音をたてないように僧衣の裾をさばいてマザーの部屋に向かう。扉の前に立つと、ノックをする間もなく許可の声が響いた。
「失礼しま……す」
挨拶が変に途切れたのは、マザーの前のデスクに山と積み上げられた、黒光りの物たちが目に入ったからだ。壁際には、それを運んできたと思しき台車が一台。
たらり、とベールのこめかみに汗が滲む。
「マ、マザー」
「言い訳は聞きません。貴女は何のために修道会に入ったのですか、シスター・サラ」
「申し訳ありません」
素直に頭を下げる。重傷を負い、心身ともにぼろぼろだった自分を救ったのは、他でもないこの修道院とマザーだ。目標を失っていた自分に、再び生きる意味を与えてくれた。
「マザー、わたしは修道女として神に生涯を捧げたいと思っています」
返そうにも返しきれない恩義があるのは、マザーだけではない。この国に――この国を護る〝神〟にも、一生を捧げても構わないと決意できるほど救われてきていた。
「それは負い目ではなく?」
「はい。このたびは言葉による説得を試みず、武器を用いたことは反省いたします。それでも、修道女として生きていくというわたしの意志はお疑いにならないでください」
「私は……案じているのです、貴女自身を。貴女が以前のようにならないかと」
確かに、ここへ来た当初は酷かった。ところどころ記憶が抜け落ちているが、医者によれば、まるで〝飢え死にしそうなのに牙をむく野性の山猫〟だったそうだ。
今では性格だけでなく顔も体形も丸みを帯び、鋭かった目つきもすっかりシスターの笑みに馴染んで、我ながら別人だ。首から下げたロザリオに触れ、微笑む。
「大丈夫です、マザー。この四年でわたしも強くなりました。以前の道には戻りません」
「それでは……これらは廃棄してもかまいませんね?」
にこりと銃器の山に視線を向けられ、シスター・サラは、うっと言葉を詰めた。
「で、ですがマザー。万が一のことを考えますと」
「われわれの武器は信仰です。修道女が神の愛を信じられなくてどうしますか」
「しかし現実的に見て、武力で意志を通そうと考える輩は多く」
「そのために都市警備隊がいるのです。彼らに任せればよろしい」
ぴしりと撥ねつけ、マザーが肘をついた両手を胸の前で組む。異論は認めませんという姿勢だ。
最後の抵抗を試みようと、シスターはそっと指先で山の頂上を差す。
「あ、あの。その〝ルベルM1886〟は、単なる小銃というだけでなく歴史的価値も――」
「くどい」
一言の下に切り捨てられ、シスターの両肩ががっくりと下がった。
聖女というより、もはや魔女めいた威厳でマザーが宣言する。
「シスター・サラ。これは貴女が責任をもってすべて処分なさい。修道院に武器は不要です。いいですね?」
はいと答えつつ、シスターは別のことを考えていた。
実は、この辺りは治安がよろしくないので、銃の装備だけでなく修道院周辺に侵入者避けの罠をいくつも仕掛けているのだ。一般人が利用する正面玄関は、来訪を報せる感知器しか設置していないが――そのせいで今回強盗に気づいたのだが――農園のある裏庭は、下手をすると腕や足が飛ぶ威力である。
叔父と兄から教わったワイヤー仕立てのトラップは、独自に改良を重ねた自信作なのだ。
――あれも外さなきゃだめかなあ。でも、そうするとさすがにちょっと不安なんだけど。
長く戦場で過ごしてきたせいか、住居の防衛には敏感になってしまう。こういうところが、まだ過去を完全に吹っ切れていないのかもしれない。
――とりあえず、マザーにばれないよう銃は地下倉庫に隠して……トラップも、もうちょっと軽いやつに作り直すか。
殊勝な顔をしたまま、ぐるぐる考えていたら、再び目の前から声がかかった。
「シスター・サラ。神はすべてをご覧になられておりますよ?」
「……はい」
不承不承に頷いて、机の上の武器の山を台車に乗せて運び出す。
仕方ない、修道女に銃はふさわしくない。なにより――ジャック・ブラックバードは、もうこの世にいないのだから。
*
あのとき、野盗に続いて金髪長身の軍人が姿を現わした瞬間、心臓が止まるかと思った。
新しい長官があの《金獅子》だと噂には聞いていたが、まさか救国の英雄が本当にこんな辺境に赴任するなんて、夢にも思っていなかったのだ。
――こんなところで再会なんて、ね……。
思いがけない邂逅にもほどがある。ただし、気がついたのは自分だけだったが。
片手で胸元を押さえる。普段は僧服で隠れているが、そこには子どもの頃に貰った小さな星十字のペンダントが下がっていた。今では宝物――どころか、これが命を救ってくれたのだと、シスター・サラことジャックは信じている。
左肩を撃たれ、二十メートルもの崖からレヌス川の流れに落ちて意識を失ったジャックは、隣国ウェストフレアの猟師に拾われた。
明らかな異国人で怪我をしていた自分は、そのまま放置されても文句の言えない立場だったが、星十字を身につけていたことで聖マルガレータ修道院に運んでもらえたのだと、後で聞いた。
――ジルには助けられてばかりだ。
出会った頃は、体が弱く箱入りお坊ちゃまだったジルに自分がいろいろと教える立場だったが、そのときもずいぶん触発されたものだ。
役割を失ったとはいえ、特殊な一族の継承者として勉強と訓練の毎日だったから、その知識や技術に純粋に感心したり、愉しみを分かち合ってくれる存在は希少だった。
それは逢えなくなってからも同様で、離れた地で軍人の卵として奮闘する彼の存在は、芯から心の支えだった。ワタリガラスを介して交わされたたくさんの手紙は、ほんの数行のやりとりだったけれど、革命に身を投じて逃げ続ける日々の合間も手放すことはなかった――それも今では取りに行くことができないが。
国も身分も、重なるところは何ひとつない。でも、だからこそお互いの足りない部分を補うように惹かれあったのかもしれない。
中性的な容貌の自分を、ジルが男だと勘違いしていることは知っていた。それでも、お互いの間にただようものの心地よさに、ついに最後まで打ち明けることはできなかった。
――これも神さまのお導きなんだろうか。
革命を成功させるために作り出された〝ジャック・ブラックバード〟という虚像は、いずれ表舞台から姿を消す予定だった。
そうなれば必然、ジルとの絆も切れる。そう覚悟してきたはずなのに。
――神さまからのご褒美だと思おう。逢いたかった人に、陰ながらでも逢えたんだから。
僧服の上から、ぎゅっと十字架を握る。
彼の指に、かつての銀の指輪はなかった。思い返せば、五年前に一度だけ再会したときも、彼は約束の指輪を懐に入れていて、指に嵌めている様子はなかった。
当然だ。あんな子どもじみた約束をいつまでも引きずるのは、日陰の道しか歩めない自分くらいなものだ。
治ったはずの左肩が、じくりと疼く。封印したはずの想いが大波のように押し寄せ、ジャックは息をつめて固く目を閉じた。
――ここでなら彼を見守れる。声が聞ける。少しでも……彼を助けられるかもしれない。
その考えに一縷の救いを見出そうとするように、神ではない何かに、彼女は祈った。




