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◆2◆

 

「シスター・サラですか? ちょっと変わってますよね」

「ちょっと、なのか?」

「でも悪い人じゃないんですよ? シスターにしては型破りなところがあるというか……さすがに銃を使えるのは知りませんでしたが」


 長官の問いに、メモをとる手を止め、軍属三年目という少尉がほがらかに応じる。

 ここはまだ現場となった教会の中。ジルの指揮の下、野盗らは後続の警備隊に引き渡され、奥の小部屋に隠れていた子どもたちや他のシスターが助け出されている最中である。


 曰く、医術や薬草に詳しく、近隣の医者がこぞって薬を買いにくる。

 曰く、農作物の栽培にも長け、言うとおり農地を整備したら収穫量が倍増した。

 曰く、暴漢を片手で投げ飛ばして取り押さえた件にはじまり、素手で誰かとやりあって負けたところを見たことがない等々。


「オレたちもだいぶ助けてもらってます。もっとも修道会では荒事が厳禁なので、そのたびにマザーに叱られてしまうそうなんですが」


 あの凛とした眼差しの彼女が叱られているという想像に、ジルはひそかに笑みを洩らす。


「だけど、マザーも嫌っているわけではないんです。彼女、天性の人たらしっていうんですか。一見無愛想なのに、話すと無防備すぎるくらい人との垣根が低いんです」

「垣根が低い?」

「ええ。顔に傷があろうと腕や足がなかろうと、獣人の血が混じっていようと同じ態度なんです。気がついたら裏街の連中まで知り合いになっていたようですし。

 シスターですから平等の精神があるにしても、元はイイところのお嬢さんがほとんどですからね。オレたちみたいな平民とは一線を引いているのが普通です。……まあ、彼女がこの国の生まれじゃないからだと言われてしまえば、それまでなんですが」

「おそらく東――ミドルウッド辺りの出身か」

「そこは憶測というヤツですね。仮にも相手は神の僕ですから」


 一般に、修道僧の素性や過去は不問とされる。神の下では人はみな平等であるからだ。それでも推測できないわけではない。

 髪の色こそ隠れているが、黒々とした眉と睫毛、透きとおる白い肌。なにより月光にも似たうすい青の瞳は、金髪茶目の人種が大半を占めるこのウェストフレアではほとんど見られないものだ。


「自然多神教の民が、修道女とはな」

「〝天はみずから助くるものを助く〟――過去は過去、今は今ですよ、長官」


 好奇心を諌めるつもりか、若い部下の言葉に釘とも呼べぬ棘が混じる。

 そこから逃れるように顔を逸らしながらも、ジルの視線は自然と、教会の片隅で子どもたちと話す白いベールのシスターの横顔に止まり、そのまましばらく離れなかった。



 教会に乗り込んだ傭兵くずれたちは、いずれも軽症とは呼べない傷を負っていた。ゴム弾は、名だけ聞くと殺傷力が皆無のように思えるが、発射速度と狙う場所によっては通常の鉛弾とほぼ同等の威力をもたらす。

 シスターはそのことをよく弁えていたらしく、上手く彼らの利き腕や足の急所を狙い、わずか五発で四名の荒くれどもを鎮めていた。天晴れというほかない。


――いい腕だ。


 野盗どもが押し入ってからの反撃ではない。侵入の気配を察し、子どもたちや他のシスターを避難させたうえでライフルを準備。踏み込んでくるタイミングを計って、祭壇上から狙撃したのだ。

 駆けつけたときの状況と残された現場から浮かびあがるのは、冷静なハンターがいたという事実。


――何者だ……?


 やけに心に引っかかる。

 あの銃の腕前と判断力――そしてなにより、月光のごとく薄い青の瞳が、ジルの胸底にこびりついてやまない面影を想起させる。

 が、彼女はあまりにも違っていた。


――違いすぎている。


 あの凍えるような眼差しをした、血塗られた戦神。隣国で多くの民衆を救い、導きながらも、やさしすぎるゆえに孤高をつらぬいた親友。


「……ジャック」


 四年前から生死不明となった友の名を口にした途端、首から下げた細い鎖が、わずかに重みを増した気がした。



 本来異民族である東方諸国への牽制として置かれたこの城砦は、国境の城壁から中枢の城までが一個の巨大な要塞として構成される。

 機能を優先させた造りは長官の居室も同様で、ジルは、物見窓のごとく小さな空間から城壁の先に青くかすむ山並みを眺めた。それは幼い頃に眺めた景色とよく似て、一番輝いていた無垢な日々をありありと思い起こさせた。

 峻厳で知られる山脈の谷間には、国境となるレヌス川が滔々と流れている。

 ジルの求めて止まない親友は、革命の成功を目前にした四年前、亡命していた王を迎えに行く途上で反乱分子に急襲されて落水したという。以来、行方は杳として知れない。


「失礼します」


 ノックをして訪れた副官が、窓辺に立つ長官を見て動きを止める。ふり向いてうながせば、今日の事件の詳細をまとめた書類を差し出し、よどみない口調で報告した。


「――以上が聞き取りした内容です。シスター・サラの話したことと他のシスターや子どもたちの話に矛盾はありません。問題はないと思われますが」

「銃の出所は?」

「奉仕先の病院で、持ち合わせのない傭兵たちが治療代として置いていったそうです。北との和平条約が確立されて以降、一夜漬けの傭兵は全員農民に逆戻り。当然といえば当然でしょうが」

「二十五丁は多いぞ」

「聖マルガレータは女子修道会なので、沢山あるほうが心強いからとのことです。確認したところ、どれも使用可能な状態でした。弾数は少なめでしたが」


 事務的に告げ、副官は、年齢のそう違わない若き長官をそっと窺った。


 北の大国ノースレインとの七年におよぶ戦いで、《救国の守護神》や《金獅子》と異名をとった英雄は、なぜか王都の要職も生家の伯爵領も捨て、この辺境の地を望んだという。

 戦後も数年間、北国の残党を根絶やしにする勢いで南北の国境を駆け回っていたと聞く。よほどの戦好きかと思えば、赴任直後から馬を駆って遠出をするばかりで、城砦そのものにほとんど興味を示さなかった。

 それなのに今度は異国出のシスターに目をつけるとは――いったい何を考えているのか。皆目見当もつかない。


 感情の窺えぬ表情で書類に目を通す《金獅子》が、ふいに質問を発した。


「少佐。君は《月の民》を知っているか?」


 見当どころか想像すらしていなかった名前に副官は驚き、思わず疑問で返す。


「ミドルウッドの魔法使い一族のことですか?」

「そうだ。まあ〝魔法〟を使うのではないがな。医術や薬草の知識に長け、毒に耐性があり、身体能力が高く、変装術に優れ、独特な暗器や罠を用いて諜報活動や暗殺も行なうというだけの一般人だ」

「……それはもう充分、一般という枠を超えていると思いますが」

「そうとも言う」

「彼らは以前ミドルウッド王家が追放された際、解体され離散したと聞いております」


 《月の民》は、いわゆる王家に仕える〝影〟の一族とされる。その存在は謎に包まれ、ミドルウッドが王家を国外に追放しなければ、世に知られることもなかったはずだ。


「国王復位の際に再集されたという話は聞きませんが」

「解体はされたが、もとが血縁からなる一族だからな。目立たぬように寄り添って、小さな村で生き延びている。もちろん名乗りはしないが」

「ご存知なので……?」

「私の友人がそうだ」


 ジルは片手で自分の襟元を開け、小さな鎖をひっぱり出した。その先にぶら下がるものに、副官が目を見開く。


「まさか《月の民》の印章……? これを一体どこで?」

「ジャック・ブラックバードという名に聞き覚えは?」


 冷徹で知られる副官の面に、驚愕と嫌悪が入り混じり、すぐに得心の表情で首肯した。


「ジャック・ザ・ブラッド(血まみれジャック)――ミドルウッドの流血の革命児は、《月の民》だったんですね。それにしてもご友人とは」


 貴族院議会がミドルウッド王家を廃して擁立した、かの国の総裁政府は、当初から腐りきっていた。それを粛清して真の民主国家を設立するために蜂起された市民革命で、その闇の部分を一手に担ったのがジャック・ブラックバードだ。

 名の通り黒一色のローブに身をつつんだ彼は、味方はどこまでも保護するが敵に容赦がなく、貴族院の要であった公爵の領地に乗り込み、見せしめとして領民二百余名を惨殺したという。その残虐さは広く風聞され、非難を集める一方で貴族院の力を確実に削ぎ、優勢は一気に革命軍側へと傾いたのだ。

 革命を成功に導いたにもかかわらず、賞賛と非難の両方を浴びる男。

 自国の英雄が、おいそれと〝友人〟などと口にすべき相手ではない。


「あまり公言なさらないほうがよろしいのでは?」

「陛下もご承知のことだ。この四年間、俺は……友の行方を捜すためだけに生きてきた」


 迷いのない言葉。副官は一瞬反論を失った。


「まさか、こちらにいらしたのは……?」

「長官の席が空いてよかった。ここなら国境をうろついても文句を言われないからな」


 着任の理由に副官は魂が飛んだような顔になったが、ジルとしては何も恥ずべきところはない。

 十六で初陣を飾ったのも、戦場で英雄と評されたのも、全て一人の友を想ってのことだ。


 大国同士が危うい均衡を保つ中、狭間の小国ミドルウッドで起きた貴族院議会の反乱は、それを破る大きな一石だった。陰で何者かが糸を引いていたのは明らかで、野心的なノースレイン王がミドルウッドを足掛かりに自国に侵攻を開始したのは、幼年学校に通いはじめた翌年だった。

 思い出の地は戦火に焼かれ、入ってくるのは不穏な噂ばかり。だが、いち早く革命に身を投じた友からの手紙が、心を奮い立たせた。


 士官学校を一足飛びに卒業し、戦場に立てる年齢に達した途端、溜め込んでいたものを爆発させる勢いで戦場を駆け巡った。まだ幼稚で、逢えない友に我が名を届かせたかったこともある。若輩者の突飛な策に、耳を貸してくれる上官に恵まれたのも幸運だった。


『ジル。情報は武器だよ。だけど諸刃の剣だ。常に疑い、事実だけを追うんだ。そうすれば――真実はおのずと見えてくる』


 友のおかげで、情報に対する感度が他の者より高かったのは、確かに大きな武器といえた。

 ひそかに文をやりとりし、時には戦場ですれ違いながら革命軍の動きを知り、北国の意図を読み、周辺国の挙動を監視した。作戦はすべてが成功したわけではなかったが、失敗したときの被害を最小限にとどめるよう努めた。

 こうしてウェストフレアの《守護神》の名は世に轟き、北国の注意を惹きつけるように派手な戦を仕掛け続けた――隣国から革命成功の声を聞くまで。

 だから、すべてが終わった今、求めるのはただ一人の友だけでよかった。

 ――それなのに。


「あなたのご友人を捜すために、同胞と思われるシスターを利用するおつもりですか」

「彼女は《月の民》だ。間違いない。ただちょっと……雰囲気が違うのだが」

「《月の民》だろうと、彼女は修練中のシスターです。神の道に入られようという方を世俗の雑事で煩わせるなど、神への冒涜ともとられかねませんよ?」

「少佐」


 信仰のままに批判した副官は、呼びかけられ、はっと蒼ざめた。

 呼ぶ声に怒りの色はない。当の女性の短い経歴が書かれたページに目を落としていた長官は、むしろ不思議な微笑を湛えて彼を見た。


「私をそんな愚かな男だと思うか? 《守護神》だの《金獅子》だのという呼び名は、ただの飾りだとでも?」


 副官は反射的に目を伏せた。ジリオール・アルベルトという男は、長身の荒々しい容貌とは裏腹に、将軍の傍らで奇襲と包囲戦をめぐらす知略家として知られていた。


「信仰? 畏怖? そんなものはどうだっていい。私は――」


 琥珀の瞳に宿るのは、獲物を狩る王者の意志。


「俺は、この世で真実欲しいものを手に入れる。そのために手段を選ぶつもりなどない」



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