反射防御ーリフレクション
あのあと、結局金髪の少女は起きななかった。ライナスの体力のほうが先に回復し、自身の身体を動かせるに至った。彼としてはそのまま放置するわけにもいかず、家へと連れて行ったのだった。
少女は実に1日程度眠っていた。その間、なぜこの少女はそこまで眠るのか、なぜライナスを救ったのか、そして記憶のない間に何が起こったのか事実が知りたくて、知識欲と格闘しながら悶々と過ごした。
少女はうっすらとした絹でできているような肌の上に長い睫毛を伏せており、血色の良い赤くて薄い唇を有していた。街で歩いていたら何人かの男は確実に振り返るだろう。
その女性が起きてライナスの眼を見つめている。彼女をみたときの印象はがらりと変わった。整った顔に大きな目、煌めく金色の髪をはためかせている。その可愛らしい容姿とは裏腹に隠し切れないまっすぐな気概のようなものが、温和な表情のなかの眼差しから見て取れ、一筋縄では扱えない印象をライナスに与えた。
「コーヒー飲むか?」
「……ええ、ありがとう。」
ライナスはあれだけこの少女に聞きたかったことをすべて忘れた。何を話していいかわからず、躊躇した後で思いついたのが自身が好きなコーヒーだった。
少女を奥の部屋のテーブルへと促し、椅子へと座らせた。ライナス自身はキッチンへと向かった。
円錐をひっくり返して、底が空いたカップのような形をしたドリッパーを、台形を中心から回転させたような形状をしたガラスのサーバーに乗せ、同じくすっぽりと円錐にはまるフランネル布を被せる。中挽きにした豆をその中に手早くぱっぱっと適量加え、トントンと粉をならす。そして銀でできた口が細くて長いポットからゆっくりとお湯を加えていった。ポコポコと豆と豆の間から湧き出るガス、コトコトとお湯とお湯が当たる心地いい音、それらとともに香ってくる薫りを束の間、ライナスは楽しんだ。いつもより多めにいれたお湯を引き上げ、サーバーから2個のカップに濃い茶色の液体を移してテーブルへと運んだ。
「お待たせ」ゆっくりと上がる湯気とともに香ばしい香りが二人の鼻孔をくすぐった。
「おいしそうね」
「おいしいさ」二人は同時にずずずっとそれを啜った。暖かいぬくもりが口いっぱいに広がった。
「私はマリアよ。」少女が口を開いた。ライナスは機先を制された気がした。啜ったコーヒーの酸味が若干強くなったようだ。
「あなたは?」
「ライナス」純粋無垢な眼に少したじろんで、1テンポ遅れて名を告げた。
「そう、ライナス、体は大丈夫?」
「……普通そのセリフ逆じゃねえか?お前が丸一日グースカ寝てたんだぜ。」
「マリアよ」マリアと名乗った少女が、両手でカップを支えながら少し頬を膨らませて言った。ライナスは頬を掻いた。
「そうかい、マリアさん。んでお前はなんで寝てたんだ?」
「マリアでいいわよ。私のはただの魔力切れ。だからちゃんと目を覚ましたでしょう。」
……魔力切れ?めったになるやつは聞いたことがない。というかライナスは1度も魔力切れなんかになったものを見たことがない。
人や生物が体内に宿す力、「魔力」を使い果たしたら魔力切れが起こり、体が強制的な休息を欲するが、そもそも魔力は大気にあるマナを移動させるのに使うのみだし、マナを自身の魔力に変換もできる。したがって魔力切れがおこる状況は自身の魔力を使い果たし、かつ周囲のマナをも使い果たした時となる。そんな状態になるまで魔法を使ったとでもいうのか?
ライナスのその納得できていない訝し気な目を察したのか、マリアは自分から述べた。
「私の魔法のせいよ。ちょっと特殊でね、私の防御魔法は内と外を完全に遮断してしまうの。」言いながら手を一振りさせて、なぞった空気に小さな壁のようなものを作った。透明ではあるが屈折率が空気と若干異なり、その違和感からそこに「壁」を認識できる。それをコンコンと叩きながら話をつづけた。
「これを掛けながら君を回復したの。となると、マナの隔離状況下で回復することになるから……。あとはわかるでしょ?それほどしなきゃ君は死んでしまっていたからね。」
「そうかい……ってそんな魔法聞いたことないぞ。」
「だから言ったじゃない、ちょっと特殊だって」
ーそりゃあそうだが……そんな魔法あるのか。と思うと同時に
ー世の中の魔法にもまだまだ可能性が残ってるってことか。とも考えた。
「まあいったんそれでいい。あとはほかにもいろいろ……」
ライナスはマリアがやや目を細くして自分を見つめているのに気づいて言葉を切った。
「その前に言うことがあるでしょう?あなたを回復してあげたのよ、おなかの傷に腕まで。お礼は?お、れ、い。」
マリアが口をすぼめて言うのに対しライナスは少し目を丸くした。お礼を強要されることは今までなかったから、若干腑に落ちなかった。しかし素直にその返事に従うことにした。
「そうだったな。ありがとうな。」
「よろしい」マリアは吸い込まれそうな笑みを浮かべた。
「んで、やっぱりお前が俺を助けたのか。」ライナスは話を戻した。
「そうよ。」
「なんで?」
「なんでってなんで?」純粋な眼から純粋な疑問を返されてたじろんだ。
「……そりゃあ見ず知らずのやつを命はって助ける奴なんていないだろ」
「それはそうだけど……。見ず知らずの人が襲われていたら、助けない人もあんまりいないと思うの。それに、今の世の中で人の命を軽く扱うような人は大嫌いなの」微妙に眼差しが鋭くなった。
「……それだけ?」
「それだけ」
今日日みない正義漢の持ち主だな。俺の職業を知ったらどう思うか。
しかしその正義感に助けられたのも事実であった。ライナスは彼女の死ぬかもしれないのに助けてくれた義の心に心から感謝した。
「わかったよ。だけど一つ聞いていいか?」
「ん?」
「あいつは尋常じゃない魔法の使い手だった。その、なんていうか君のそのよくわからん防御魔法くらいで防げるとは思えないんだが、他にも強い魔法かなにかを持っているのか。」
「……心外ね。これでもこの防御魔法には自信があるんだから」目じりをあげながら、腕をぐっとこちらに見せるようにして曲げてL字をつくった。ライナスは目を瞬いた。
「……申し訳ないが全くそんな風には見えないんだが……」
「むっ、そんなにいうなら私にグーでパンチしてみなさい。」
「え?」
「いいから早く!」
わけもわからずライナスはマリアのほうへ向けてこぶしを放った。
それは本当に軽く腕を振っただけだった。相手が掌を出せばパスっという音とともに受け止めるレベル。手の甲はゴンという音とともに確かに魔法の盾に当たったようだった。
「反射防御」マリアがつぶやいた。
「おおっ!?」当たったあとがただの壁とは違う予想外の動きをした。はたから見ると放った拳が逆再生したかのように、肩を支点にぐんと肘がライナスの後方へと向かった。同じ力で跳ね返されたかのようであった。そしてそのあと遅れて中手骨に痛みが襲ってきた。
「いってえ」
ライナスは赤くなった右のこぶしを左手で抑えてうずくまった。
「わかったでしょ。受けた力を2倍にして跳ね返すの。止めるだけなら等倍だけど跳ね返すから2倍ね。これを境に完全に隔離されるけど、敵の攻撃も完全に防げるの。なんならもっと強くパンチしてもいいわよ」不敵な笑みを浮かべながら少女がからかった。
「わかった、わかったけど、そんなのってありか。使いようによっては無敵じゃねえか」
「ふふふふふ」マリアはやや尊大に微笑んだ。ライナスはしばらく赤くなった手を振っていた。
「……でもこんな魔法どこで教わったんだよ」
「んー、教わっていないの。生まれつき使えたらしいから」
「……そうかい」ライナスは少しため息をついて答えた。
とりあえず1つ目の疑問は、この防御魔法でなんとかレイを撃退したということでライナスは落ち着いた。