1章 邂逅と……
星々が魅せた空の芸術品は無くなり、深い青と雲に役者は代わっていた。空の景色は180度変わっていたものの、真下のひんやりとした地面は変わっていないようであった。ライナスは仰向けでゆっくりと目を覚ました。
ー死んで……いない? こんなにも早くシルビアが気絶から起きた時の戸惑いを自分が体験することになろうとは思ってもみなかった。
ー……やられたんじゃなかったのか。
ぼやけた目でずっと先にある灰色の入道雲に焦点を合わせた。
ーどうやら生きているようだ。そして時もかなりすぎている。あれは確実に致命傷だったと思ったが……。体がだるい。体力はまだ回復しておらず、あまり動かないようだった。腹部を手で確認した。服に穴が開いていたが、体にはきれいに栓がされたように穴や傷はなかった。
ー傷が……ない?
さらに右腕が切り落とされたことを思い出した。しかし、ライナスは今、確かに傷を利き腕である右腕の触覚で確認した。ないはずの右腕には確かに感覚があった。
ー手もある……。どういうことだ?
しかし、ライナスは無事なはずの左腕が動かないことに気づいた。
ー何かが……乗っている?もう片方の右手でそれが何かを探った。草とは違うさらさらとした感触とそれが球形に沿って生えている。たちまちそれが人間の頭部であることが分かった。
-あいつか!? レイかと思った。心臓がドクンとなり、毛が逆立った。ただ同時にあたった顔の部分は妙に柔らかい。ゆっくりと首を左手元に向けてみると、あおむけに寝ている自分の左腕に腕枕をするように黄金の髪を持った女の子がいることに気が付いた。
「おんな……のこ?」 再度ライナスの心臓がドクンと波打った。異なる意味で。
「まてまてまてまて、おれは何にもしていないぞ。」思わず声が出た。体の中心から生成された血流が勢いよくライナスを巡った。体は思うように動かないのに頭はフル回転で動くのが腹立たしかった。
ーというかこの状況はなんだ。なんで女がおれの横で寝ているんだ。おれはあの時殺されたんじゃなかったのか。なぜ傷がないんだ。
思考のなすがままに、疑問が頭から溢れてきた。心の中でそれらすべてを吐いた後、答えはすべて「わからない」でかたずけられてしまい、むなしくなってやめた。
ーよし!まず落ち着け!俺! ライナスは自分に言い聞かせてから深呼吸をし、今の現状を整理することにした。話は単純で、昨日は仕事の依頼を受け、殺害対象のシルビアを殺した。その際に現れたイレギュラーのレイに不意を突かれ腹に穴をあけ死んだ……と思っていた。しかし自身の生身の体は眠るオブジェに確認を邪魔されている左腕を除いて完全であった。
考えられるのはこの女の子に助けられたということか。しかし、あんな手練れにこの子が敵うようには見えない。となると、あの野郎が去った後にこの子が現れ瀕死の俺を救ったということだろうか。しかしなぜおれの横で寝ているのかは見当もつかない。……まあそれは起きたところで聞いてみるか。
思考をひと段落させて、再度冷静に恩人であろう女の子を見た。不思議な子だった。歳はライナスと同じかやや下くらいだろうか。光が反射したまぶしい黄金色の髪を持つが、シルビアのそれとは違い、ややブロンド色が強いようだ。寝顔は妙に柔らかく、人に癒しを与えるかのようであった。その眠るオブジェがつけた肩掛けや動きやすそうな黒いスカートは泥でやや汚れてはいるが清潔そうであり、気品を持ち合わせていた。
しかし、この状況はどうしたものか。人など来そうにない平原ではあったが、他人がこの状況を目にしないことを願う。この子が起きるか自分の体力がもう少し回復するのを寝ころがりながら待つことにした。
金髪の少女が目を覚ますと、いつもの自分の家のベッドとは違うことに気が付いた。彼女は取り乱すこともなく冷静に自身の頭の中で状況を整理した。そしてすぐに平原で命を救ったライナスの家であろうと推察した。
次にあたりを観察した。木製の家で窓から明かりが良く通るきれいな家であったが、飲み終わった後のコップや着替えで脱いだあとであろう服、それに使用され放置された毛布が床に散らかっており、直接話さずとも助けた男の人相が知れた。窓から見える景色からそこは2階であり、たて並ぶ建物の内の一つというところであった。
上階には誰もいないようで家主を探しに階下へ向かった。途中で水面所を見つけたのですこし借りて顔を洗うことにした。水面所といっても顔の位置にある上部が開いたタンク、そこから生えている蛇口、そして腰の位置あたりに漏斗状の「受け」があるのみである。「受け」の下部から連結された管は建物の壁面につながっておりそこから液体が流れていく仕組みである。少女はタンクの上に手をかざした。そして魔法陣を出し、水を適量流して入れた。
「ひゃっ!」と思わず小さく叫んだ。 蛇口があきっぱなしで水が勢いよく出てきたのである。幸い彼女の服が濡れることもなく、またすべての水が「受け」に吸い込まれてあたりが水浸しにならずに済んだ。しかし、心中には波が立った。蛇口をすこしひねって穏やかな水流にしながら、むうと顔を膨らませて、まだ話していない家主のずぼらさを指摘してやろうと心に決めたのだった。
手で盆を作り、水を満たし勢いよく顔に当てる。爽快な気分が風のように彼女を包んで多少波が収まった。続いてそばにあった窓に映る自身の血色のよい顔を見て体調を確認した。
ーどれくらい眠ってたのかな。体調はもう戻っているようだけど。
顔を洗った時に金色の髪に向かって水が跳ねていた。滴った雫を少し細い目でぼんやりと眺めているところで、少女に気づかずに、黒い短髪の少年が通り過ぎるのを窓の片隅に見つけた。
「ねえ、きみ!」振り返りながら声をかけた。少年が返す眼で少女を見つけた。なにを言おうかと考える暇もなく、口が動いた。
「飲み終わった後のコップはちゃんとしまいなさい。あと服もちゃんと洗ってあるべき場所にしまいなさい。蛇口も使い終わったらちゃんと閉めること。あとは……。」少し間を開けてから再度口を開く。
「暖かいベッドをありがとう。」髪色に負けないくらい輝く笑顔で少女はお礼を言った。