序章 ゴーストタウン
夜も深まり、闇とぽつぽつと見受けられる街灯があたりを支配していた。そこは50年前に起こった戦争によって既に移住した民族の小さな町であったが、今では手つかずのゴーストタウンと化している。しかし、その夜だけは所々に魔力によって灯された街灯が点在していた。
闇の中で間隔が短く不規則な靴音が響いている。一人の女が駆けていた。いや、逃げていた。きちんと手入れをしていたであろう長い金髪をぼさぼさになびかせ、衣服も裾などいたるところがほつれ、薄汚れている。彼女は暗闇の中で時々後ろを振り返っては、髪と同様金色の大きな目で何かを確認しながら走っていた。
遠くに灯のついていない街灯をみつけ、彼女は走りながら手をかざし魔法で火を灯した。ボッという音とともに街灯の下で道が2手に分かれているのが浮かび上がった。そしてどちらに行くかを思案するように走っていた速度を落とした。
足並みを緩めた時、突然、目の前の石壁が背後からの光を反射した。かと思うと、凄まじい熱風が彼女を背後から襲った。ゴオッという音が耳を掠め、熱で瞼が下がった。うっすらと見えた右側の道の景色に巨大な火球が通る。次の一歩で進もうとしていた道であった。
目の前でまっすぐに続いている石壁の一部が轟音を立てて崩れた。女は息をのんだ。同じく崩れかける自身の足を、力を振り絞って叩き、再度逆方向の残った道へ向けて駆けた。
路地を全力でかけるも、疲弊によりだんだんと足取りが重くなっていった。しばらくしてついに膝に手をつき肩を大きく上下させて息を吐いた。
「はあ……はあ……。あれは……レイ=ハミルトン……?」一瞬ちらりと見えたフードの中の銀髪、なによりここまで強力な炎の魔法を使えるものは少なかったため、そのサイコキラーの名は容易に特定できた。
休んでいる間も懸命に打開策を考えようと静置と休息を欲する脳を叱咤する。しかし息を整える間もなく、背後で再度橙赤色の光が湧く。今度は女は風圧で体が前に倒れた。横を先ほどと同じサイズの火球が過ぎた。数分前にみた光景と同じように横を炎が通り、目の前の壁を壊すものと思ったが、今回は異なっていた。女の左腕にそれが接していた。
「きゃあああっっ、、、ああああああ」叫び声が響いた。幸か不幸か、全身にそれは当たらなかったため一瞬で死ぬことは敵わなかった。片腕を焼かれた。目を剥き出し、患部を凝視しながら、寒くもないのに震えながら痛みに耐える。左腕の中央部が黒く変色しており、その他の部分もグラデーションをつけるかのように真っ赤になっていた。どうやら、完全に焼かれたところよりも、半生半死の肩の部位のほうが痛みが大きいようだ。女は腕を抑え膝をついた。火球の残り一部が後ろの石壁を打ち、轟音とともに崩れていた。
殺人鬼はわざと逃がし、女の行動をうかがっているように思われたが、それもここまであった。女の体は全部とは言わずとも無事だったが、逃避行でもはや心は砕かれていた。
「……ここで……死ぬ……のね。」天を見上げるも先ほど灯した街灯が頼りないともしびで返答するのみであった。
後ろから男の声が聞こえた。
「はははは、運がいいじゃないか。シルビア=キルヴィス。」街灯の中に現れた男はフードから目を光らせながら話しかけた。
「……運がいい?……楽しんでいるだけでしょう……あなたは……。」シルビアと呼ばれた女が体を翻し、か細い声で答える。
「そんなことはないさ。君の生きようとする意志の力さ」
「そう。」
「……その感じだともう終わりかい。もう少し楽しめると思ったんだけどね」やや期待を裏切られたようにフードをかぶった男は落胆した。
「もういいでしょう。 殺しなさいよ。」
「はあ、そういわれるとつまらないな。命を簡単にあきらめてはいけないよ。死を意識したときの命は君が思っているよりも輝くんだ。僕はそう思っている。」
「……」
「常に死を覚悟している人は本当に魅力的だよ。そして僕は今、君の命の輝きをとても楽しみにしているんだ。」
「ゲス野郎。そんなこと、しらないわよ。」唾とともに悪態を吐いた。
「そうか」フードの少年はさらに肩を落としたようであった。
しかしシルビアの頭の中では、膝をついた時と代わってなんとか活路を見出そうとしていた。一時はあきらめた命であったが、この男には大きな油断があることがわかった。娯楽なのか美学なのかわからないが、この甘さをどうにか利用して、生き延びる術は見いだせないか。それがやつの思惑通りだったとしても、とにかく今は考える時間を稼ぐことだった。そうしてややうなだれている青年に声をかける。
「……あなたは……レイ……ハミルトンね?」 おや?という表情を青年は少し浮かべ、目には潤いが戻った。
「その通り、よくわかったね。というよりここまで炎魔法をうてば誰でも気づくか。」
「そうね。」シルビアは相手にわからぬように、慎重に、さりげなく周囲を見た。
「有名にはなるものではないね。いろいろとやりずらくなる。」フードをとり、辺りの炎を反射した煌めく銀髪が露わになった。端正な顔を動かして、嬉々として楽しそうに話すも、目じりは下がっていない。
「やっぱりあなただったのね。それでどうして私を狙うのかしら?」
「どうしてと言われてもねえ。それは君もわかっているんじゃないのかい?」
「知らないわよ。」視線だけで辺りを見渡すも壊された石壁の破片や小石しか入ってこない。壊れた瓦礫の破片がシルビアの背後から足元に転がっていく。
「……そうだね1つはさっきも言ったように、人の……命の輝きを見たいこと」
「そう……」シルビアは蔑むような眼でレイを刺す。そしてレイから見えない位置で破片をつかんだ。
「もう一つは……」
「そう、ねっ!」レイが何かを言いかける前に、瓦礫をすばやく投げた。投げた瞬間は女の膂力のみで作られたか弱いものであったが、女はすかさず手をかざし、石の軌跡上に魔法陣を作った。陣の中心を通った時、スピードが一気に上がり、石は弾丸と化した。迫りくる敵意に対し、レイはむしろ満面の笑みを浮かべた。
「そう、それだよ。見せてくれ。僕に!」高揚した顔で彼も腕を振り、炎で一筋の弧を描いた。
炎により石は弾かれたが、シルビアの反撃はまだ終わっていなかった。膝をついていた位置から動き、周囲の瓦礫に向け、再度手をかざす。一瞬にしてレイを中心に無数の陣のイルミネーションが囲んだ。
「くらいなさい!」
1テンポ遅れてそれらは、一斉に彼と逆方向に動いた。陣の中を通った瓦礫が一斉に加速しレイの元へと向かった。
四方から迫る石の弾丸からレイに逃げ道はなかった。しかし、彼は臆する風でもなく地に手を付けると、轟音とともに彼の周りで6つの炎の柱が上がった。それはレイの周りを高速で回転し、炎は柱ではなく、間に空洞を持った大きな円筒となった。炎の壁は接近する無数の瓦礫をその数だけバチっという音を連続で鳴らして、一つ残らず弾き返した。弾かれたものは急激に熱せられた大気が作った上昇気流に乗り上空に浮かんだ後、花火の花弁が垂れるように周囲に四散した。
熱せられた小石は仄かに赤みを帯びて、小さい隕石が降ってくるようにシルビアを襲った。とっさに目の前に魔法の防壁を張ったが、何個かは彼女の無事なほうの肩や足を上から掠めた。
思わぬ反撃に対応している間に、レイの周りの炎の回転が弱まり、再び柱の形状が見えてきていた。中で柱の間隙からレイが自分に向けて手をかざしているのをシルビアの眼が捕らえた。
「まずいっ!」すかさずシルビアは第二派の瓦礫を掴み放った。しかし……レイから放たれた火球が瓦礫もろともつつみ、そのままバリアを解いた無防備なシルビアの両脚を直撃した。
「があっっ」と彼女は声をあげ、頭から地に落ちた。左腕に加え、両脚が焼却された。焦げたにおいが風と混じって彼女の鼻孔をつつく。二度目の火球の直撃により、もはや悲鳴さえ上げられなくなった。痛みに耐えきれず死ぬのが楽だとも思った。
ざっという足音とともに銀髪の少年がゆっくりと近づいてきた。
「遠隔移動魔法と加速魔法か、よかったよ。」採点するかの如くシルビアの魔法を評するが、悶絶しているシルビアは答えられなかった。
「もはや声もなし……か」またしてもすこし残念そうな顔をした後、微笑んだ。
「君の輝きはこの程度だったか。でもありがとう。少し楽しめたよ」レイはひれ伏すシルビアに手を向けると、あたりの空気が集まっていくように渦を巻きだした。
「じゃあ、これで終わりにしよう。」と告げた瞬間。上。上空、暗闇に5メートルはあろうかという巨大な魔法陣が天を覆った。対峙していた二人も天を仰いだ。続いて中から巨大な何かが姿を現したようであった。とっさにレイが腕を引くと、目の前にものすごい風が巻き起った。そして巨大な地響きとともに彼の前に何かが落ちた。否、降りた。舞い上がった砂ぼこりの中から二翼の翼が生え、それが一振りすることで塵を一瞬にして吹き飛ばした。煙が晴れ、耳をつんざく咆哮とともに龍が姿を現した。
赤く鋭い眼光を走らせ、巻き角が敵と認識した銀髪の少年へ向けている。口や鼻からはよだれなどの液体が光っており醜快だが、対してその体表は眼を奪われるほどに美しく、炎が漆黒の鱗を反射した光沢は神秘的ですらある。黒龍、その傍らから声が聞こえてきた。
「よう。なに勝手に始めちゃってくれてるかな。」黒龍に片手をつきながら龍の深い黒に勝るとも劣らない髪色の青年がレイに話しかける。肩には耳と尾が長く伸びた獣を乗せている。しかしその青年が話しかけた相手の姿はすでに前になかった。