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序章 酒場

 木製のドアに手をかけたあたりから、中の騒がしさが漏れてきていた。


 ギギギィという皿をひっかいたような高くて背筋をなぞる音に苦しみながら戸を開ける。室内は狭くて薄暗いが、低くて豪快な笑い声が飛び交っていた。


 見渡すとそれは混沌と呼ぶのが適当で、並ぶ体躯は千差万別、顔は多種多様であった。ジョッキを傾けあっているリザードマンの集団、黙々とカウンターで酒を飲んでいる魚人などが各々好きなようにひしめいていた。乱雑に配置された形とりどりの鎖が「酒」という結び目で繋がっているようであった。


 ライナスも黒い髪と黒いコートを靡かせて混沌へと混ざった。


 肩に猫のような体と尾を持ち、ウサギのような大きな耳を有した獣”カーバンクル”をつれていたが、特有の揚げものの油のにおいを嗅いでか、コートの中にもぐりこんだようだった。


 ライナスはオークの男の椅子から零れ落ちている贅肉と、魚人族の男の太くて長い尾の間を掻き分けて進んだ。佩いた剣が何度か突っかかりながらも、奥にある色褪せた木のカウンターの隅に座れた。


 今はいつものマスターがいないようであった。代わりにこの酒場に相応しいといってよい、上半身をはだけた筋肉質のヒューマンの男店員が、ライナス同様客を掻き分けて声をかけてきた。


「注文はぁ?」

見た目通り、大きな声でライナスに話しかけた。


「‥‥‥コーヒーを1つ」 

「コーヒィ?」

 その店員は訝しげに、そして語気を荒げて注文を繰り返した。


「ああ、たのむよ」 

 答えると、酒の注文でなかったため、不機嫌になったのか、「ちっ」という舌打ちの後に

「はいよぉ、コーヒー一丁ぅ。」と店内奥に向けて叫んだ。


その男は、さらにリザードマンの集団のほうから聞こえた、

「さけー!」という言葉に対しては、

「はいよぉ、同じのでいくぜぇ」とこちらは顔の筋肉を惜しみなく使った笑顔で返した。


 店員の男はカウンターの中に入るでもなく、ライナスの前のテーブルの上に無数に掛けられているグラスをとるわけでもなく、カウンターの向こうの上部にある蛇口のついた樽に向けて手をかざした。


 太い指の先がぽうっと光ったかと思うと、小さな魔法陣が空に描かれた。蛇口にも同じ陣が見えたかと思うと、そこから金色の液体が捻りだされ、ふよふよとまるでスライムのように宙に漂った。


 男はその手で弧を描くようにリザードマンの集団の上へと向ける。スライムのような酒も誘導されて動く。


 彼らもそれに呼応したのか皆空のジョッキを持つ腕を斜め上に突き出すと、ガラスがギンと小気味いい音を鳴らした。


「いくぜぇ」男がいうと、魔法陣は光を無くし、酒もすぐさま重力を思い出したようだった。


 スライムに見えたそれはただの液体と化して一斉にびちゃびちゃと音をたてながらジョッキに落ちた。5個あったものが一瞬にして満杯になり、いくらかはこぼれて地に落ちた。


「ガハハハハハハ」と裂けた口から繰り出される笑いがテーブルで続いて共鳴した。


 すこし待っているとカウンターの奥から別の男がやってきた。彼がこのバーのマスターである。


 薄汚れたオーバーオールを着ており、赤みかがったもじゃもじゃの茶髪と髭がつながっている。体躯は小柄である。標準的なヒューマンの体型に合わせて設計されているバーカウンターの内側には、こぼれた酒などでかなり汚れた木の台が置かれており、彼はこれで背丈を嵩増ししている。


 魔法が嫌いなので、 そこに立ちながら手でドリンクを作り、極力魔法は使わない。


 注文を受け、背面に無数に置いてある酒瓶を取りに行くたびに、小汚い台とブーツがトントンと当たる足音を鳴らすので、ライナスはマスターもよくバーテンダーなんかやるもんだなと思った。


 ぼんやりとそれを眺めているとそのマスターがやって来る。音が近づいてきて、ドンという音ともに目の前にアイアンでできた無骨なマグカップを置かれた。中に入った黒い香ばしい薫りの液体はやや溢れ、小ぶりな親指に掛かったようだったが、このマスターは気にしない。


「今日はこいつだよ」

 続いてマスターが低くぶっきらぼうな声で一枚の紙を一緒に渡した。


 ライナスはいそいそとその紙を覗くと、そこには罪に属される単語が何個かと、名前と、人相の説明、そして50000という数字が書いてあった。ライナスは数値をチラリと見た後、その小ささにため息をついた。そんなライナスを見る由もなく、マスターは言った。


「殺人、窃盗、放火、叛乱、と八面六臂だ。」

「ああ」

「ご健勝なこって、ほかにもいろいろやってるんだろうな」

「……あぁ、そうかい」

出てきたマグカップをぼんやりと見つめて、コーヒーをゆっくりと啜った。


「興味ねえかい?」

 紙面に向いていた目がぎょろりとライナスに向いた。


「興味ないねえ。」

 答えてからまたずずずとコーヒーを啜る。


「他に高いのは無いのかよ、ロー爺。」

「ああっ!?無茶言うな。今どき犯罪を犯す奴なんて少ないのはわかってんだろ。ライナス」


 ロー爺と呼ばれたマスターはローダルク=クルダンというが、巷では短気のドワーフ ロー爺で通っている。その怒れるマスターが背丈に似合わぬ大きな声でライナスに叫んだため、あたりは騒然となった。


 客の何人かがこちらを睨んだ。ローダルクがすぐにそちらを睨み返すとまたじわじわと喧噪が戻っていった。


「ただ……」

 視線をライナスに戻して低い声で言った。


「ただ?」

「お前さんはこれ気に入ると思ったがな」

「きにいる?」

 ライナスがやや前傾姿勢になったのを見て、ローダルクは蓄えた口髭の中でにんまりと口角をあげた。


「もったいぶるなよ。早く教えてくれ。」

「ああ、どうやらな、こいつどこかの「召喚器」を盗んだらしい。」


 ライナスは「召喚器」の単語を耳にして、思わず膝でテーブルを叩いた。マグカップのコーヒーに波が立った。


「本当か。」

「うわさ……だ。だがその筋から俺に情報が入ってきたんだ、可能性は高いぜ。」

「そうか……。」


 そうぽつりと言った後、店内の喧噪がライナスの耳には入らなくなった。ローダルクも店の奥に去っていったようだ。


 いつの間にかコートからカーバンクルが出てきてライナスの頬を帰りたそうに鼻でつついていたが、ライナスはそれにも気づかなかった。手を組んでしばらく考えた後、半分以上残った冷めたコーヒーの代金を置いて店を出ていった。手に握りしめた紙に力が入った。


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