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トムの部屋

「そうして、人魚姫は悲しみのあまり、泡になって消えてしまいました」

そう締めくくる母の声に、アイリは欠伸をもらした。


 枕元での母の声は、何よりも眠気を誘う。様々なおとぎ話を、何度も繰り返し聞いているが、飽きることなく心地よさを感じることができた。


 もう少し幼い時分であれば「悲しくなったら泡になるの?」「人魚姫のお姉さんはどうしたの?」「どうして王子様は気づかなかったの?」と興奮のまま質問ぜめにしていた。ここ最近のアイリは、散々疑問を出し尽くし、大人しく瞼を閉じることが多い。


 しかし、その夜のアイリは久しぶりに、母に尋ねた。


「ねえ、人魚姫は魚と人間の子どもでしょう? もし王子様と結婚したら、その子どもはどんな子だったのかしら」


 思わぬ質問に、母は瞳を丸くさせた。いつもだったら「はいはい、いいからもう寝なさい」と投げやりにシーツを被せるのに、それも忘れているようだ。


「魚の尻尾がもっと短くなるのかしら。それとも、もう人間みたいになっちゃう?」

追って重ねるアイリに、母は「ええと」と言葉を濁した後、

「人魚は人間と魚の子じゃないのよ。もともとそういう生き物なの」と首をふった。


「そうなの?」

「そうなの」

「魚と人間、半分なのに?」

「人魚は人魚よ。魚じゃないわ」

母はそう言いながら、目を伏せた。


「ねえ、じゃあ魚と人間の間に子どもは生まれないの?」

「聞いたことないわねぇ」

「じゃあ、神さまと人間は?」

「……ずぅっと昔に、人間と結婚した神さまはいらしたようよ」

自分の望む答えを聞いたアイリはパッと頰を上気させた。


「じゃあ妖精と人間は?」

「ユニコーンと人間は?」

「吸血鬼と人間は?」

「鶏と人間は?」


ぽんぽんと思いつくままに挙げていくアイリに、ついに母は「もう寝なさい!」と眉を吊り上げた。

 アイリはぴゅっと首をすくめて、シーツを頭まで引き上げる。母ははあと大きなため息をついて、アイリの少しだけ出た頭を撫でた。

「いい? アイリ、そういうお話を外でしてはダメよ。あいの子の話はこの国では嫌がられるの」


 アイリは少しだけ怒りを納めたような母の声に、しばし迷ってから「どうして?」と食い下がった。シーツの中で篭った声は、母にきちんと届いたようで、「どうしてもよ」と念押しされる。


「もし魚と人間の子がいたとして、その子は人間ではないでしょう。魚でもないでしょう」

「……それはいけないことなの?」


母はアイリの問いにはもう答えなかった。シーツ越しにもう一度だけアイリの頭を撫でて、ランプの灯りを落とした。




 アイリはまるで水面から浮き上がるように意識を取り戻した。これで、4度目。古ぼけた椅子にも、埃っぽい薄暗闇にも随分馴染んだ心地だ。

 アイリは椅子から飛び降りる。そして床で丸くなっているトムを揺り起こした。

 トムはゆるゆると瞼を上げて、身を起こした。ぺたりと絨毯に足を投げ出したまま、「また戻ったね」「うん。戻った」と頷きあう。


「なんで気づかないまま寝ちゃうんだろう」

「いつの間に部屋に戻ってくるんだろう」

二人で首を傾げあう。

「早く帰りたいのに、戻っちゃうのは困るわ」

「魔法のせいかな?」

「魔法?」

トムの思わぬ言葉に、アイリは目を丸くした。トムはうんと頷く。


「僕ね、昔、一度だけこの家を出ようとしたことがあったんだ。でもすぐに連れ戻されて、しばらく足が痛くなっちゃった」

「嫌な魔法ね。悪い魔女でも住んでいるのかしら」

アイリが眉根を寄せると、トムは慌てて謝った。

「変な話をしてごめん。アイリはお母さんのところに帰らなきゃいけないのに……」


 だんだんと俯いていくトムの両手をとって、アイリはぐいと立ち上がった。急にひっぱられ顔を上げたトムに、アイリは笑う。ぱちりと彼の瞳が瞬いた。


「一緒にいてくれるんでしょう。それなら大丈夫! 悪い魔女がいたら、二人でやっつけちゃいましょう。さあ、燭台に火を灯して」





 人魚姫の部屋、エラの部屋、吸血鬼の部屋と、前に開いた部屋をどんどん渡る。エラの部屋には、相変わらず彼女の姿がなかった。


「あれ、そういえばエラから貰ったぬいぐるみ、なくしてしまったわ」

「ぬいぐるみ?」

「鳩のぬいぐるみをもらったの」

そんなことを話しながら、アイリは吸血鬼の部屋から、奥へ続くドアを開いた。




 5つ目の部屋は今までで一番狭く、一番埃っぽい部屋だった。物置部屋のようで、埃をかぶった物がごちゃごちゃと置かれている。部屋へ踏みいると、


 するり、と繋いでいたトムの手がほどけた。


え、と呟いてアイリは背後を振り返る。先ほどまで付いて来ていたはずのトムがいない。まるでエラの部屋に入った時のように、突然、姿が見えなくなってしまった。


 アイリは仰天して、通って来た部屋に駆け戻る。しかし、やはりトムの姿は見当たらない。アイリはしばし呆然としていたが、「トムの嘘つき!」と叫んでから、物置部屋へと足を踏み鳴らした。


 ぐっと涙をこらながら、物置部屋を見て回る。狭いその部屋に、トムがいないことは明らかだった。

 中央に据えられた大きな糸車に、乱雑に捨て置かれている椅子、隅に重ねられた工具箱に木編みのざる、へこんだ金物に折れた箒……とにかく沢山の物があるが、しかし、それらの物陰にトムが隠れている様子はない。

 奥に続くドアは鍵がかかっているのか、やはり開かない。一人で先に出て行ったわけでもないようだ。

 

 ただ、トムが持っていた燭台の灯りと、一体のデッサン人形が小さな丸テーブルにぽつんと乗っていた。小さなテーブルは、入って来たドアの近くにある窓に、沿うように置かれている。アイリは鼻をすすって、テーブルの燭台を手にとった。


「ねえ、あなた。トムがどこに行ったか知らない? 私のお友達なの」

デッサン人形に話しかけるが、返事はなかった。


 アイリは諦めて、もう一度、物置部屋ををぐるりと見渡した。

 一等目立つ、黒の重たい糸車。アイリの家に糸車はないけれど、何度かお話の挿絵で見たとがあったので、その形はよく知っていた。

「糸車が出てくるお話なら覚えているわ。さみしい魔女がお姫様を呪ってしまった、いばら姫のお話ね」

簡単だわ! と喜んだアイリだったが、程なくして肩を落とした。


 いばら姫の話だと思っていたが、糸車以外のものが見つからない。魔女が贈ったとされる金の皿は一枚もなく。人魚姫やエラの部屋のように、お姫様がいるわけでもない。

 いばら姫の最後は、お姫様の目覚めだったはずである。起こす人がいないのに、どうやって物語の最後を教えるというのだろう、アイリは立ち尽くしてしまった。


 じっとしていると、ぶるりと寒さに肩が震える。アイリは燭台を小さなテーブルに置き、その傍らに膝を抱えた。自分の膝にぴったりと胸をつけ、腕をさする。暖炉のあるエラの部屋に戻ろうかと悩んだが、いなくなったトムのことを思い出してしまい、気が進まない。


 アイリは頭上のテーブルに乗ったままであろう人形に、「ねえ、お姫様を見なかった?」と尋ねる。返事はない。


「無視しないでよ」立ち上がって、デッサン人形を睨もうとしたが、テーブルに人形の姿はなかった。

「あれ」と視線を滑らせる。すぐに人形は見つかった。テーブルのすぐ側の、窓の桟にちょこんと腰掛けている。

「ここにいたのね。何か見えるの?」

アイリはギッギッと重たい窓を開けて、館の外を見た。


 ぴゅうと冷たい外気が頬を刺し、アイリの白い頬と鼻を赤くした。冷たい夜の空気を肺いっぱいに吸い込む。埃っぽい部屋ばかりだったので、夜の空気と、眼下に茂る木々の匂い、月の澄んだ明かりが心地よい。


「さっきまで寒くて暗くて嫌だったけど、案外、悪くないものね。こんなに木の匂いが強いのは、きっと冬の澄んだ夜だから」

アイリは窓にもたれ掛かり、ほうっと息をつく。


「それにしても、この部屋はいばら姫じゃないのかしら。窓の外に、いばらが一本もないもの。あるのは背の高い森の木ばかり。ねえ、あなたはどう思う?」

人形の返事はない。アイリは頬を膨らませた。


「ねえ、一度くらい返事をしてくれてもいいじゃない。あなたの名前は何ていうの?」

 人形の返事はない。

「意地悪な人形ね。クラスのエイミー・ダダはあなたと同じ人形で、ちょっと引っ込み思案だけど、ちゃんと返事くらいはできる子よ」

人形の返事はない。「むぅ」と呻き、アイリは身を起こした。そして人差し指を人形の眼前に突きつけて「いいわ。あなたがその気なら」と唇の端を引き上げる。


「あなたの名前を当ててあげる! あなたの名前はビルね?」

「違うの? それならサムル?」

「わかった! ニコデマスね?」


人形の返事はない。アイリは「うーん」と指を顎に当て、くるりと部屋を背後を振り返る。

(彼の名前のヒントがないかしら)

そうして目に入るのは、大きな黒い糸車。


 アイリはクスクスと笑い出した。

「やだわ。私ったら。糸車の出てくるお話は、いばら姫だけじゃないのに、どうして忘れていたのかしら!」

笑いの止まらない唇を両手で抑えて、再び窓に腰掛けるデッサン人形に向き直る。


(私、このお話の小鬼が大好きなの! お姫様と名当て遊びをする大まぬけな小鬼さん。歌うような可笑しな名前の小鬼さん)


 アイリはもう一度、彼を指差し、歌うようにこう言った。

「なんと、なんと! 名前はなんと。あなたの名前は

ーートム・ティット・トット!」


窓に寄りかかるデッサン人形の首を、アイリはがしりと掴む。


「さぁ、名前を当てられた小鬼は、窓から消えて?」

アイリはテーブルに足をかけ、窓の桟に身を乗り上げる。

 そうして掴んだ人形を思いっきり突き飛ばし、窓の外へと落とした。人形は、ドシッとその体を地面に沈めた。


 アイリは重たい窓を、ギッギッと鳴らして閉める。そして窓の外には目もくれず、奥のドアを開いて、部屋を後にした。




 部屋を出ると、そこはそう長くもない廊下だった。1階に降りる階段が伸びていて、その階段に沿って、壁にはいくつかの額ぶちが並んでいる。階段の下はエントランスホールになっていて、出口であろう大きな扉が立っていた。


 階下から、うっすらと明かりが漏れていたので、アイリは忍び足で階段を降りる。手すりをつたうと、積もった埃が手のひらにこびり付いた。


 恐る恐る、一階の明かりがついた部屋を、ドアの隙間から覗いてみる。

 そこは厨房と食堂が一つになった大部屋のようだっだ。誰かが作業をしていたのだろう、部屋には湯気がこもっていて、数センチあいたドアから、暖かい空気が漏れている。けれど、人の気配は感じられなかった。


 アイリはその部屋に入るのはやめ、玄関の大きな扉に手をかけた。扉は少し重くて、一人で開けるには難儀したが、外へ出ることができた。

 屋敷の主人に挨拶もせず、はぐれてしまったままのトムに、最後の別れを告げることもできていない。アイリはしばし迷ったが、

「ばいばい」

と小さくつぶやいて、森の中へと駆け出した。


 もうすっかり夜は更けていて、月夜の森は、ベッドで越える夜より一層暗い。


(早くお母さまのところに帰らなきゃ)

アイリの頭にはそれしかなかった。知らぬ森の道を、迷いなくひた走る。


 輝く石ころのしるべは一つもないけれど、アイリの足が止まることはなかった。




 後にした洋館に、トムと出会った洋館に、彼女が戻ることは恐らく二度とないだろう。

 その洋館の扉の外には一本の看板が立っている。急いで出たアイリはそれには気づかず、また気づいたとしても看板の文字を読む術はない。

 その看板には、アイリの習ったことのない言語ーー例えば魚人語、例えば魔術語、例えば吸血鬼語、例えばエルフ語ーー他にも様々な言葉でこう記されている。


『半妖捨て場の洋館』と。





「トム・ティット・トット」


Bad end

……Continue?


次で最終話です。

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