表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
4/6

吸血鬼の部屋


 星屑を集めたような銀の髪。瞳は夜の湖の色。

 夜の色を持つ彼の美しさは、けれど暗闇では映えない。早く朝がきて、彼の瞳や髪の色に白々した陽光が当たればいいと思いながらベッドにもぐるのが、アイリの常だった。


「ねえ、眠れない。絵本を読んで。お願いよ」


 珍しく枕を並べることがあった時、アイリは決まってわがままを言った。灯りの落とした寝室で、二人は声を潜めて囁きあう。

「早く眠らなきゃ。眠らないと、悪い鬼が来て子どもをさらってしまうんだって」

「いやよ。まだ眠くない。遊び足りないの。ミーティも遊びたいって」

胸に抱いたぬいぐるみの腕を振ってアイリが乞うが、彼はそれをぐいとシーツの中に押しこめてしまった。

「ダメだよ。早く寝て。明日も森に行くって言ってたじゃないか」


でも眠れないと駄々をこねるアイリに、彼はぎゅうっと彼女のやわい手を握る。

「手を温めたら眠れるよ」

「嘘。眠れない」

「嘘じゃないよ。ほら、目を閉じてみて」


「そうしたら、明日も一緒に遊んでくれる?」

「いいよ。明日も遊んであげる」


絶対よ、絶対よと何度も念を押し、アイリはようやく目を閉じた。


 アイリが今よりもっと幼かった頃。父が家からいなくなる前だったか、後だったか。

 とても仲の良かった彼は、手を繋いで眠ったその夜を最後にいなくなってしまった。何度、彼の行方を母に尋ねても首を横に振るばかり。


 二度と彼は遊んでくれないのだ。アイリがそう理解したのは、自分の父親の顔も髪の色も、すっかり忘れてしまった頃だった。






 アイリはまるで水面から浮き上がるように意識を取り戻した。そして、眼前で不安げに見つめるトムの首を捕らえるようにしがみついた。「わ、わ」とトムは慌てて手をあげて、持っていた燭台をアイリから遠ざける


「トムのばか! どこに隠れていたの? 急にいなくなるなんて」

トムの丸い額にぐいぐいと頬をこすりつけ、アイリは力一杯、抱き付く。

「こんなに暗い知らないお屋敷に、一人残してどこかに行くなんて意地悪だわ!」

信じられない! と非難を続けるアイリに、トムは困惑しながらも「ごめんね」と謝った。とんとんと空いた手でアイリの背を叩き、なだめる。


 アイリは湿った声で「昔の夢を見たわ」とつぶやいた。

「小さい頃ね、お父さまと森に行った夢。その次は仲の良かったお友達がいなくなってしまった夢」

「友達?」

「そうよ。昔ね、トムのような色の髪と目のお兄さんとよく遊んでいたの。一緒に本を読んだり、木登りを教えてもらったり。同じベッドで眠ったこともあったのよ」

とても仲のいいお兄さんだったの、とアイリは続ける。

「それなのに、その人は急にいなくなってしまったの。遊んでくれる約束もしてたのに」


 恨みがましくじっとりとした目をするアイリに、トムは唇をもごもごと動かした。まるで奥歯に何かが挟まったような表情だ。

 トムはアイリの手を握り「一緒にいるよ」とその手を引く。

「約束するよ。大丈夫だよ。ね、早くここを出て、アイリはお家に帰らなきゃ」

ドアへと誘うトムに、アイリは一度大きく鼻をすすって涙を払う。そうしてようやく笑顔を見せて「私が先に行くわ。もう大丈夫」とトムの小さな頭を撫でてやった。



 二人で並んで屋敷を進む。人魚姫の部屋では、すでに人形の焼ける変な匂いはなくなっていた。

 

 ドアをもう一枚くぐって、エラの部屋。暖炉の前のロッキングチェアには眠っていたはずのエラの姿は見えず、そこには青い眼におさげの小さな西洋人形が、ポツンと乗っているだけだった。

「エラ?」とアイリは声をあげる。見渡しても部屋に人の影はない。アイリが首を傾げていると、トムがどうしたのと袖を引く。

「この部屋にエラっていうお姉さんがいたのよ。どこに行ったんだろう」

眠そうだったからベッドルームに行ったのかしら。そう言いながら先へ進むアイリ。トムはじぃっとロッキングチェアに座る人形を見つめながら、手を引かれるままに足を進めた。




 アイリが次の部屋のドアを開けると、流れ込む冷気に二人の身が縮こまった。踏み入った足を一歩引き戻して、お互いの体をくっつける。はあ、っと息を送ると、白く濁って部屋の中に流れていく。

「寒い。寒いわ」

トムも首を竦めるように頷いた。


 その部屋には暖炉がついていない。奥にある出窓が開かれ、ゆらゆらと厚手のカーテンを揺らし、外気が流れ込んでいる。出窓のそばには大きなベッドが一台。蔦の模様をあしらったベッドサイドランプだけが唯一の光源で、白いシーツをぼんやりと浮き上がらせている。冷えて赤くなった二人の鼻に、黴の臭いがついた。


 寝室の暗く湿った空気に、アイリは心細くなってしまった。「エラなの?」とベッドに呼びかける声もか細く、トムに聞こえるかどうかの微かなものだ。

 二人は恐る恐るすり足でベッドに近づき、覗き込む。アイリは「きゃあっ」と細い悲鳴をあげ、目を背けた。


 ベッドに眠っていたのは見知らぬひとりの男だった。

 アイリに負けぬほど白い肌に、まっすぐの高い鼻。ランプの淡い灯りにも関わらず、くっきりとした影を落とすほど、眼窩のくぼみは深い。血のように赤い唇からは、鋭い八重歯がはみ出ている。男の枕元にはどうしてか9本の白百合が横たわっていた。

「だ、誰?」「知らない……」こそこそと囁き合う。どちらともなく頷き合って、もう一度、男の顔を見た。男は間近の二人に、ピクリとも反応しない。


「この人、生きてる?」

「わからない。でも死人みたいな蒼い顔」

「でも、死んだら臭いでわかるはずよ。村で家畜が死んだ時には不思議な臭いがするの」

「でも石みたいに動かない」


 あまりにも反応がないものだから、囁くようなアイリの声も、トムの声も次第に大きくなる。

 ついには男の顔にぺたりと指を当てた。不安げに眉を下げるトムに、アイリは「なあんだ」と口を丸く開ける。


「冷たいわ。人形よ、これ」

アイリは途端に怯えを引っ込めて、くすくすと笑った。

「冷たくて、硬くて、つるつるよ。人間じゃあないわ」

「こんなに人間のような人形がいるの?」

 アイリとトムはううんと首をひねる。するとしばらくして、トムがあっと声をあげた。

「僕、知ってる。蝋人形っていうんだ。人間に瓜二つの人形があるんだよ」

「蝋? 蝋で人形ができるの?」トムの手元の燭台に視線をやる。

「蜜蝋で作る人形なんだ」

それを聞いて、アイリは「蜜蝋なんて冬のお祭りでしか見たことないわ」とため息のような声を漏らした。


 人間の知らぬ男ではないと納得した二人は、のびのびと手元の燭台を部屋の周囲にかざした。しかし寝室はベッドとベッドサイドテーブルのみ。他に家具は見当たらない、手狭な部屋だ。

 部屋を一周してやっと見つけたものといったら、ベッドサイドランプの陰に置かれた、小さなワインボトルと空のワイングラスだけだった。ボトルの中身はほんの数センチ分しか残っていない。コルクを引っ張ると、赤いワインからはツンと古い酢の匂いがした。


「おとぎ話でワインといえば、赤頭巾かしら。でもベッドに入るのはお婆さんか狼のはずよ。猟師は眠らないわ」

すると、トムがまた「僕、知ってるかも」とアイリの手を引いた。


「昔、父さんに聞いたお話なんだけど」そう言ってベッドの男に燭台の灯りをかざす。「ほら、口元を見て。牙が生えてるだろう。……吸血鬼だよ」

「吸血鬼は知ってるわ。有名な生き物でしょう? どんなお話なの」


「村で、一人の男が死んだ後、村人が9人、どんどん死んじゃったんだって。死んだ理由はわからないまま。それで、最初の男の墓を掘り返したら、死体が生きてるみたいに綺麗なままだったんだ」

アイリはぱちんと手のひらで口を抑えた。トムは続けて口を開く

「それで村人は男の綺麗な死体に木の杭を打ったんだ。そうしたら、死んだはずの男から真っ赤な血が出たんだって。その男が吸血鬼だったんだよ。9人の村人は吸血鬼のせいで死んだんだ。……その後から村で急に死ぬ人はいなくなったんだって」

 

 おわり、と締めたトムに、アイリは片手で口を押さえたまま眉を下げた。

「木の杭なんて、この家にあるかしら」

「う……それは……」

「私の家の中には木の杭なんておいてなかったわ」

家の外ならいくらでもあったけど、とアイリは肩をすくめる。


 結局、他の部屋でも棒切れひとつ見つけられず、アイリは人魚姫の部屋の食器棚から、大振りのナイフを持ち出した。

「吸血鬼なら、銀色の刃でもいいはずよ」

自分に言い聞かせるようにして、アイリはベッドのそばで、ひやりとしたそれを握った。

「アイリ、大丈夫? やっぱり危ないよ、怖いよ」

トムが、アイリの制服の裾を引く。しかし吸血鬼の話をしたのはトム自身だ。他に案もなく、「やめよう」とは言えない。


 寝室には二人きり。

 アイリはトムの手にあるずいぶん短くなった燭台を見て、どきどきと胸が鳴った。片手でナイフを扱うわけにもいかないので、トムの暖かな手も今は繋がれていない。ナイフを持つ右手から、足の先や耳の裏まで少しずつ冷たくなっていく心地がした。


「大丈夫よ。ただの、人形だもの」

そうは言ったものの、すぐに「でも、その前にもう一度手を握っていてほしい……」と乞うた。

  トムは燭台をベッドサイドテーブルに置き、そして両の手でアイリの右手をナイフごとぎゅうと握り込んだ。アイリよりもわずかに小さく、あかぎれ一つない柔らかな手。

 アイリはその一瞬で十分だと、トムの手を解いてベッドに乗り上げた。ずるっとアイリの黒の制服がシーツに擦れてめくれた。男のシーツと服をはぎ、左胸にナイフをあて、ぐっぐっと体重をかける。

 しかし、大振りといっても食器棚に仕舞われるようなナイフに、子どもの力。そう簡単には刃は通らず。次第に手のひらは赤く痛み、汗に滑る。


 随分な時間をかけて胸を刺し、アイリはようやく顔をあげた。

「トム、お願い。ドアが開いたか見てちょうだい」

今までアイリの様子をじっと見つめていたトムは、弾かれるように素早く部屋の隅のドアへ駆け寄った。ノブをひねる。かすかな金属音とともに、ノブは動いた。

「アイリ! 開いたよ! 向こうに行ける!」

トムの声にアイリははあとため息をついた。白い息がゆるゆると消える。こんなに寒い部屋なのに、アイリの心音は早く、痛む右手もお腹の中も熱くなっている。


 「よかった」とアイリはベッドから飛び降りた。そして赤がこびりついて汚れたナイフをベッドに投げ落とす。

「本当にお話通りになって、身体中に血を浴びたらどうしようかと思ったわ」

「人形でしょう? 血なんて一滴も出ないよ」

くすくすと笑いあいながら、二人はもう一度手をつなぎ、ドアを開いた。


(あれ)とトムは冷たいノブの感触に触れながら瞬きをする。ふと気づく。

(そういえば先に続くこのドア、そもそも鍵がかかってたか確認しなかった)


 それから、今夜になって一度たりとも、トムが自分の手でドアに触れて、開けていなかったことも。今の今までずっとアイリの後ろに付いて進んでいたから。




「吸血鬼」


Bad end

……Continue


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ