第5章☆寛解と自然の摂理
第5章☆寛解と自然の摂理
統合失調症の苦しさは言葉では表せないほどの時があった。部屋で布団を握りしめてぎゃーと言いながら涙が絞り出される。それが何時間も続くこともあった。
「私のこと殺すの?」
「いいや」
いーさんは否定した。
「統合失調症?全然そんな風に見えませんよ」
外で人と会うと、たいていそう言われた。
車の運転中、幻聴たちは大騒ぎしていて、危ないなと思うけれど、腕を勝手に動かされて安全運転をさせられた。無事故無違反のゴールド免許だった。
薬を飲み忘れて眠りこけると恐ろしい幻覚を見て、身体中に痛みが走った。
「あのな」
「何?」
「八百比丘尼は死ぬまでどんなことを考えて生きていたと思う?」
「んー。若いままだから、恋愛を楽しんだんじゃないかしら」
「あのな。身体が若いままでも、精神は老いるんだ」
「えっ・・・」
「普通の人間が羨ましかったと思うよ。自然の流れに沿って生きていくことがどれ程貴重で尊いものか」
いーさんはそう言った。
私は、指導員の彼が誰か知らない人と結婚したショックで作業所を辞めたが、その彼が、普通に結婚して、子どもが生まれて年をとっていくのを想って、ため息をついた。
「いーさん!私、現実復帰したい」
ポロポロ涙がこぼれた。
「まだ間に合うだろうな」
「本当に?」
「その代わり、年をとっていく」
それでも。
ただ一度の人生だ。私は元に還りたいと思った。
「まだチャンスはある。統合失調症は治らない病気だが、寛解ということがある。薬を飲み続けるが症状が落ち着く状態だ。お前は生理がまだあがっていないから、子どもを生む可能性だってあるぞ」
「いーさん。いーさんは優しいね。ずっと私のそばにいてね」
幻聴は沈黙した。
何回か幻聴から別の次元の世界で一緒に暮らさないかと言われたことがあった。
「私はここで、この世界で生きていきたい。一緒に生きていこう」
「そうだな。それも一つの選択かもな」
いーさんはそっと呟いた。
ここから未来は始まる。
Fin.