お客さん【鬼人族一角人】の場合
“カランカラーン”
道具屋【ラーフ】の店内に入店を告げるベルが鳴り響きます。
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「ようヘビ女」
ベルを鳴らし入ってきた男性は開口一番ラミア族にとってもの凄い失礼な言葉を言い放ちました。
「…………」
店に入るなり失礼極まりない言葉を投げかけてきたのは額から一本の角がのびている鬼人族の一つである一角人の男性です。
ですが腹が立ったのでクロエさんは見向きもしてあげません。
「おい、無視すんな。 せっかくこのアロイス様が来てやったんだ、お茶でも出して歓迎しやがれ」
「…………」
「ヘビ女、茶菓子も忘れるなよ」
と、度重なる暴言に加え傍若無人な事を言うアロイスさんに対してクロエさんはおもむろに塩の入った壺を取りだしていつでも中身を手に取れる様に身構えました。
「おい、まて、やめろ! ヘビ女!」
しかしそこまでしたのに、またしても酷い事を言ってきたので“カッチーン”と来たクロエさんはニッコリ笑顔で中身をバッサバッサと浴びせかける事にしました。
「えい(バサ) えい(バッサ) とー(バサササ)」
「待った! やめろ! 俺が悪かった! 悪かったって!」
雨あられの様に降り注ぐ塩にたまらずアロイスさんが両手を上げて降参します。
「ふん! いいこと、次にヘビ女なんて言ったら二度とうちの敷居をまたがせないわよ!」
「だから悪かったって、そんな怒んなよ。 で、よう、今度依頼で森に行くことになったからよ。 必要な道具揃えに来たんだ。 このメモの物くれよ」
ぷんすか怒ってるクロエさんにアロイスさんは“わりぃわりぃ”と手をフリフリしつつ、あんまり悪がってそうも無い素振りでずらずらと品物の名前が書かれたメモを手渡しました。
「もぅ、ほんとに怒ってるのよ? まあ良いわ、それにしたって欲しい物があるならちょっと位自分で探しなさいな。 えーと、虫除け香に各種毒消しと回復薬とか、あれやこれや……。 あら、結構多いわね」
なんだかんだと怒っていても、結局優しいクロエさんは買い物のお手伝いをしてあげます。
ニョロニョロっと店内を行ったり来たりしながらメモに書いてある品物を揃えて行きます。
「おう、今度の依頼はかなり森の奥まで行かなきゃならんらしいからな。 お陰で依頼ランクも高くなってその分儲けもでかいって寸法よ」
“はっはっは”と笑いながらアロイスさんは上機嫌に言いますがそれはすなわちそれだけ危険も大きいと言う事です。
この町の近くにある大きく深い森はいまだその殆どが危険な動植物や環境のせいで探索が進んでいないと言う危険な場所なのです。
先人達の多大な犠牲の上で“探索出来た”と言われて居る場所も、実際の所は実は“とりあえず一度は生きて帰れた”と言うだけの言わばただ単に通った事があると言うだけの場所に過ぎないのです。
ですので油断して居ると予想外に強力な魔物が出て来て大惨事になる事もしばしば起こってしまっています。
そう言った危険性をちゃんと分ってるのかどうなのか……クロエさんは凄く不安に感じます。
「それ大丈夫なの? 別に無理してそんな依頼しなくてもいつも通り森の浅い所で魔物倒してればいいじゃない」
“浅い所”と言っても実際には字面から感じる程安全な依頼ではありません。
浅かろうが深かろうが【魔の森】や【死の森】と言われるこの世界でも有数の危険な森なのですからその危険性は森以外での狩りの比ではありません。
そして当然危険なのですから依頼料だってそこそこ高いのです。
それでも彼らはその程度ならば無難にこなせる実力があるのですからクロエさんとしてはその辺りの依頼で我慢して欲しいと思ってしまうのです。
「馬鹿やろう! それじゃいつまで経ってもランクがあがらねえじゃねえか。 まぁ見てろって、こないだ入った新入りもPTに慣れてきたし、そろそろ一旗あげてやっからよ」
しかしそんなクロエさんの思いなど知ってか知らずかアロイスさんは“グッ”とガッツポーズで決めてそう言い切ります。
お陰でクロエさんの不安はより一層膨れあがってしまいます。
「っ…………そう……気をつけてね」
一瞬クロエさんは“ランクなんてどうでも良いじゃない!”と言い放ってしまいそうになりましたが、何とかその言葉はすんでの所で飲み込みました。
なぜなら、その言葉は……その言葉だけは、冒険者に対して絶対に言っては行けない言葉なのですから。
その言葉はラミア族にヘビ女と言うよりもよほど酷い侮辱の言葉になるとクロエさんは今までの経験から知ってしまっています。
冗談で言ったならまだ大丈夫、ですが本心から言ったと相手に思われてしまったら、そこで終りなのです。
その相手は二度とお店には来ないでしょうし、町中で偶然出会っても決して話しかけてはくれない事でしょう。
決して怒ったり悲しんだりする訳ではありません。
ただただ終わってしまうのです。
どんなに仲が良いと思っていた相手でも、例えば自分に気があるんじゃ無いかと思ってた相手であっても等しく同じ反応でした。
そしてクロエさん自身にもトラウマになったこの言葉はもう二度と言いませんし言えません。
なのでその全てを飲み込んで、それから普段通りに戻って明るく続けるのです。
「はい、ご注文の品、全部揃ったわ。 銀貨四枚と銅貨三十七枚ね」
「おお、たっけぇ。 ぼったくりじゃねえのか? まけろよ」
「無理、アンタ常連なんだから元からまけた値段で売ってんのよ。 でもそうね、これから一旗上げようって言う意気込みに免じて銀貨四枚と銅貨十五枚にしてあげるわ。 ……だから、絶対にまた来なさいな」
「あったりめぇだ。 また来るぜヘビ女!」
「ちょっと! もう怒ったわ! しばらく待っても来なかったらギルドにアンタの討伐依頼を出すからね!」
「その必要はねえょ。 必ず今月中にまた来るからよ」
クロエさんの怒鳴り声なんて何のその、笑ってる様な困ってる様な、そんな顔でアロイスさんは、それでもきっぱりと言いきりました。
「……本当に良いの?」
「おう! ……ありがとよ」
アロイスさんは後ろ手に手を振りつつ、最後にそう答えながらドアを抜け、通りの雑踏へ消えて行くのでした。
――アロイスさんがどうして最後にお礼を言ったのか……それはクロエさんが暗にアロイスさんが帰ってこなかったら“捜索依頼”を出すねって言ってたからなのです。
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ここは冒険者相手のお店です。
そんなお店で働いているとどうしても経験してしまう事があるのです。
常連だった人がある日突然来なくなります。
そしてしばらく経って人伝に知ってしまうのです。
その人がもう二度とお店に来られないと言う事を……。
何度経験しても慣れられません。
たとえ嫌いだと思っていた相手でも、来られなくなってしまったと知ればクロエさんは悲しみます。
そして夜一人になるとひっそりと泣いてしまうのです。
なのでいつの頃からか、クロエさんは少しでも良い商品をお客さんが必要だと言う数だけ渡せるように心がける様になりました。
と言っても仕入担当はクロエさんじゃ無いので、どんどん送られてくる変な物を売らない様にしている、と言った方が正しいかもしれません。
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「ほんとにもう……絶対また来なさいよ。 ヘビ女って言ったこと、心底後悔させてやるんだからね」
アロイスさんが見えなくなるまで見送って、そのあと売れた商品の補充を手早く済ませ、そうしたらまたカウンターに戻って、クロエさんの日常が続いて行くのです。