3・おとなりさんちの長女
「おはようユキ姉」
なんだか慌てた様子でキッチンまでやってきたユキ姉に俺は普通に朝の挨拶をした。
ユキ姉はいつもどおり、自分の顔を隠しながら俺に向かい合っている。
今日、ユキ姉が顔を隠しているのは俺の枕だ。持ち運びしやすくて顔を隠すのにちょうどいいサイズのものがそれだったのだろう。
「お、おはよう・・・」
ユキ姉は、かなりアクティブに行動する性格ではあるのだが、かなりの恥ずかしがり屋だ。
基本的にいつも他人と顔を合わせたがらない、というか、自分の顔を見せたがらないし、喋ったりするのも慣れた人が相手じゃなければ苦手だ。
これは別にユキ姉の顔が酷すぎて見せられないとかそういうわけじゃない。
数えるほどしか見たことはないが、ユキ姉の顔は人形みたいに可愛いし、傷とかそういうものがあるわけでもない。
まあ、実のところおいそれと人に見せられないという理由を俺は知っているのだが、一番の理由はやはり本人が恥ずかしがり屋だからだろう。
これだけなら姉妹で一番年上なのに一番小さいという背の低さも相まって、可愛い感じの人って感じで終わるのだが、ユキ姉はそれで終わらないからキャラが濃い。
「朝食できてるよ。今出すからテーブルで待ってて」
「そ、その前に聞きたいことがあるんだけど・・・」
「何?」
「わ、私なんでハルちゃんのベッドで寝てたの? 起きた時になぜかハルちゃんの部屋にいて、なんでハルちゃんの部屋にいるか全然記憶になくて・・・」
「・・・・・・」
・・・これである。
ユキ姉は基本的に暴走状態時の記憶がない。
あんな風に暴れるときはどうも本能のままに行動しているようで、その後眠り、起きた時には記憶に残ってないのだ。
ユキ姉は空腹時や睡眠不足時に暴走を起こす。
普段喋っているだけなら割と本当に可愛らしい人で終わるのだが、そのハチャメチャなアグレッシブさと暴走状態のせいでそれだけで終わってくれないのだ。
「・・・それはユキ姉がなんだか寝ぼけて夜中にこっちの家のトイレの方に来ちゃったみたいで、その後も寝ぼけたまま自分の部屋に戻らずに俺の部屋に来ちゃったんだよ。俺はちょうどタイミングよく起きたところだったから、ユキ姉にベッドを譲ったんだよ」
真実が必ずしも人を幸せにするとは限らない。
暴走状態にないユキ姉はとてもいい人だ。
空腹にしても睡眠不足にしても、多少手間ではあるが周りの人が気をつければ起こらないことなので、暴走状態になることはそう多くない。
今日のにしたってナツと俺がほとんど真夜中に騒ぎすぎたことが原因だしな。
自分が夜中に暴れて俺を気絶させたなんて知ったら、繊細な心を持つユキ姉は傷ついて、その強靭な肉体で持ってたぶん面倒くさい事態に・・・。いや、ユキ姉が面倒な人だなんて思ってないぞ? 本当だってば。
心が傷ついて食欲がなくなったとか言って食事を少なめに取るようになって、それがたたって空腹の暴走状態になったり、夜中にいろいろ悩んで眠れなくなった挙句に暴走状態になったりって日々が続くことになることを危惧しているわけではない。あくまで、俺はユキ姉が傷つかないように配慮をだな・・・。
「えぇっ!? わ、私、寝ぼけて隣の家のトイレまで来ちゃったのっ!? し、しかもそのあとハルちゃんのベッドで寝ちゃって・・・そ、それは恥ずかしいよぉ・・・っ!!」
本当に恥ずかしいのか、枕で隠しきれてない部分の顔が真っ赤になっているのがわかる。
ここだけ切り取ってみればやはりユキ姉は可愛い。
しかしその実体は眠さで暴走した挙句に俺を意識ごと蹴り飛ばして、本能のままに寝床を奪った少女である。
その点を考えると・・・やっぱりプラマイでちょっとだけ可愛いってくらいの感じかな? 判定が甘い気もするが、やっぱり暴走状態にないユキ姉は可愛い。可愛いは正義だ。
「は、ハルちゃん、私が寝てるのをいいことに、い、イタズラとかしてないよね?」
そんな可愛いユキ姉がこんなことを聞いてくる。
「はは、俺はそんな自殺願望持ってないよ」
確かにユキ姉は背の低さの割に立派な双丘を携えている。
そのサイズは三姉妹の中で一位であり、俺達の通う学校でもユキ姉より大きなバストを持っている人間は少ない。
触りたいか触りたくないかで聞かれれば、無論、絶対的に、完膚なきまでに、恐悦至極、乾坤一擲、満場一致で触りたい。
あの見るからに柔らかそうな肉の双惑星をこの手の中で弄び、撫で回し、愛で慈しみたい。
だが、その欲望を眠っているユキ姉にぶつけられるかといえば否と答えるしかない。
下手をすれば暴走状態になって瞬殺だ。一発や二発殴られる程度と確約されているのならその魅惑の頂きの登頂に挑戦するのも悪くないと思うのだが、下手をすればマジに殺されるからな。
流石におっぱいが原因で死ぬのは嫌だ。半殺し程度までならギリギリ許容範囲なんだが・・・。
「じ、自殺願望? な、なんで私にイタズタすることが自殺になるの?」
しまった! 軽く答えてしまったが、迂闊な返答だった!
確かにユキ姉の暴走状態という前提がなければ、イタズラが自殺と等しいという回答はおかしい。
「い、いや、もしそんなことしてバレたら、社会的に死にかねないじゃん? そういう意味で自殺って言ったんだよ!」
慌てて理由を取り繕う。急いで考えた割にはそれなりに違和感のない理由になったと思える。
「さ、さすがに私、ハルちゃんにイタズラされたことを周りに言いふらしたりしないよ。ちょ、ちょっと困っちゃうかもだけど」
「えっ、ちょっと困っちゃうだけで終わるの?」
「う、うん。は、ハルちゃんも男の子だし、し、仕方ないのかなって・・・」
な、なんだと!?
これはもしかしたら少しくらいならイタズラしてもいいという許可をもらえたといえるのではないだろうか!
いや待て待て、落ち着け、落ち着くんだ真中ハルタ。
ユキ姉は仕方ないとはいったが、されてもいいとは言ってない。
好感度は下がってしまう恐れがある。
基本的に恥ずかしがり屋で人付き合いが苦手なユキ姉との関係は、長い時間を掛けてじっくりと育んできたものだ。
今でこそこうして自然に喋れているが、知り合ってすぐの頃は声を聴くことさえ稀だった。
ここで衝動に任せて俺がユキ姉の胸に欲望をぶつけてしまえば、せっかく築いてきた関係が壊れていくかもしれない。
「いやいやいや、それでもさすがにそんなことはしないよ」
「そ、それは私にはイタズラしたくなるような魅力がないってこと?」
枕で隠されているユキ姉の頭が、言葉とともにクテンと斜めに傾く。
・・・・・・誘ってるんですかぁ!? それは誘っているんですかああァァッ!
ユキ姉はハーフだ。日本人の血は父親分の半分しか入っていない。
残り半分の血がそうさせるのか、ユキ姉の小さめの体型はとても日本人離れしている。
標準より小さいはずなのに、なぜか標準的な体型よりも均整が取れているように感じるのだ。
そんな芸術品のような均整の取れた体型の中で、異様な存在感とインパクトをもった美しい曲線を描く双房。
どんな角度から見てもその曲線の美しさに圧倒されてしまいそうなそれは、芸術品のような小さく細い体型を、一瞬にして男を欲情させる下品な物に作り変えてしまう。
いや、下品という言葉は不適切だ。小さく美しい体型が、胸のエロさを一段階上に押し上げているという表現のほうが適切かもしれない。
そう、一段階上に押し上げられたエロはもはや下品ではないのだ。最上級の下品。それはもはやエロであって同時に芸術なのだ。
男を効果的に欲情させるためにある芸術。それを体現する身体を、ユキ姉は持っている。
そんな最上級のエロさがクテンと斜めに傾いて、私には魅力はないかと説いてきたのだ。
それはもはや、エロの神にエロとは何かを問われたのと同義だ。
その答えを言葉にするために、俺は自分の頭を必死に回す。
「おお、神よ。貴女様の高潔なる魅力は、私の持ちうる全ての言葉と語彙を持ってしても語り尽くせません。素晴らしいという言葉ですら貴方の魅力の前では足りなすぎて侮蔑に感じてしまうほどで、この感情を言葉に変換できないことがとても苦しいのです」
「か、神? た、大変。ハルちゃんがまたおかしくなっちゃった!」
「そのとおりです。神よ。貴女様の魅力の前では常人はその理性を保ち続けられないのです。ただただ平伏し、自分に訪れた、貴女様を目にできたという幸福に涙を流す。それだけしかできないのです」
「は、ハルちゃん! しょ、正気に戻って! わ、私は神じゃないよ! た、ただの音成ユキだよ!」
「・・・・・・はっ! 神かと思ってたけど、何だただのユキ姉か・・・びっくりしちゃったぜ」
「そ、そうだよ! か、神様なんかじゃないよ!」
「そうだね。ユキ姉は神様なんかよりずっと魅力的だもんね!」
「へっ、か、神様より格上判定なの!?」
「当然だよ。辞書にも載ってる」
「の、載ってるわけ無いでしょ!」
「載ってるって! なぜなら俺が書き足したからね!」
「へ、変なこと辞書に書き足さないで!」
ぐへへ。困ってる感じのユキ姉かわいいぜ。
とりあえず、これでイタズラどうこうの話は有耶無耶にできただろう。
ユキ姉の意志どうこうの問題以前に、暴走状態が怖くて眠ってるユキ姉にイタズラとかどだい無理な話なのだ。
これ以上言及しても仕方ないだろう。
「さ、そんな話よりもご飯できてるよ。早く食べちゃおう」
作った料理をどんどんテーブルに並べていく。
明らかに朝食という量ではないし、一人で食べるともとても思えない量をだ。
しかしこれ、いつもの量なのだ。ユキ姉一人分の朝食のだ。
その様子を見たユキ姉のお腹がキュウと可愛らしい音を立てる。
・・・音はすごく可愛らしいのだがな。これからユキ姉の腹の中に入る量を考えれば、俺にはその腹の音は空腹の猛獣の唸り声に聞こえる。
ユキ姉はなったお腹の音が恥ずかしかったのか、また枕で隠した顔を赤くしつつ、テーブルに付いた。
「そ、それじゃあ、いただきます・・・ご、ごちそうさまでした」
それは、瞬間のできごとだった――――。
ユキ姉が顔を隠している枕から手を離し、ゆっくりと手をあわせる。
いや、実際はこの手をあわせる動作はゆっくりではないのだろう。なぜそれがわかるのかといえば、俺が目にした光景の中で、ユキ姉の顔から枕は落ちてなかったからだ。
つまり、ユキ姉は枕から手を離し、その枕が重力によって地面に落ちる前の時間のうちに手をあわせたことになる。
そんな引き伸ばされたような時間の中の合掌の後、気づけばテーブルの上にある食事は器だけを残して消えていた。
そして、ユキ姉の手は顔を隠す枕のもとに戻っているのだ。
これが、ユキ姉の『いただきます』と『ごちそうさま』の間に俺が見た光景の全てであり、ユキ姉の朝食の全てだ。
つまり・・・・・・不可視の速攻である。
まあ、毎日何度も見る光景なんで、さすがにもう慣れてるんだけどな。
「おかわりはどうする?」
「ちょ、ちょっとだけほしいかな」
わかったと言って俺はまたテーブルに食事を並べ始める。
ユキ姉のちょっとは一般的なちょっととは量がだいぶ異なる。
言うなればその量は普通の感覚なら特盛りとか数人分の量の追加なのだ。まあ、さっき消えた料理の量から考えて相対的に見れば、たぶんちょっとと言えるだろう。他の人が見ればどこがちょっとだと言いそうなのはひしひしと感じる部分ではあるんだけどな。
だがもはや、この辺のツッコミはもはや不要であり、そのちょっとの匙加減にも俺は慣れたものなので、ユキ姉が思っているであろう量の食事をテーブルに並べ終える。
それを見てユキ姉はまた、今日の糧に感謝するように手をあわせ『感謝の瞬間喰い』で器を空にする。
「め、メンチカツの衣がサクサクな上に中がジューシなのすごく美味しかったよ! や、やっぱり揚げたてはいいよね! あ、あと、サラダのドレッシング、今日のやつすごく好き! ま、またオリジナルのドレッシング作ったの?」
あんなふうに瞬間に食ってしまう割に、ユキ姉はキチンと味わって食べていたりする。
ドレッシング新しいやつとか気づいてくれるのとかすごく嬉しい。
「お粗末さま。気に入ってもらえたなら良かったよ」
「は、ハルちゃん本当にいつもありがとうね? ま、毎朝料理大変じゃないの?」
「大変ではあるけど、楽しくもあるから大丈夫だよ。こんなにたくさん料理できる機会ってなかなかないし、俺の夢のためにはこういうのはとてもいいからね」
「は、ハルちゃんの夢って、いつものアレ? や、やっぱりそれ本気で言ってるの?」
「うん。本気も本気」
「・・・さ、探してた相方ってもう見つかった?」
「それはまだだよ。なかなか見つからないんだよな。まあ、急いでないしゆっくり探すつもりだけどね」
「そ、そっかぁ・・・い、今の時代、もしかしたら見つかるかもしれないとは思うけどね」
そんなことを言いつつ、ユキ姉はどこか気持ちが泳いでいるように見える。
・・・言ってみるか。
「ユキ姉が俺の相方になってくれるんだったら、俺は大歓迎だよ?」
それを聞いたユキ姉は、枕の向こうで顔を赤くする。
これはもしや相方になってくれるではと思ったが、そんなことはなかった。
「わ、私はダメだよ。ごめんね?」
「・・・そっか。心変わりしてくれてるかと思ったけど、やっぱりダメかぁ」
あらかじめ予想していたとおりなので、さほどショックはない。
まあ、相方になってくれるか聞いたのはこれが最初というわけでもないしな。
三姉妹にはこの話を機会があれば聞いてるが、色よい返事がもらえたためしがない。
それも、アキだけは『まだ』だとか先はわからないような濁し方をするけど、ナツとユキ姉に至ってはほとんど完全否定だ。
これだけ親しく付き合っているのだから、もう少し検討してくれてもいいと思うのだが、まあ、それは強制するものでもないので心に留めておく。
「ま、まあその・・・わ、私学校に行く準備してくるね!」
そう言ってユキ姉は家を出ていった。たぶん隣の自分の家に戻ったのだろう。
ちなみにユキ姉は俺の一つ上の学年で三年生だ。ナツとアキは同学年で二年生。三姉妹と俺は同じ千角野高校に通っている。
・・・あっ、そういえばユキ姉俺の枕そのまま持ってっちゃったよ。
まあ、今必要なわけでもないし、別にいいか。
とまあこんな風に俺の日常は、隣に住む三姉妹とともに始まり、進んでいく。
つまりこの物語は俺とちょっと・・・いや、かなり変わった三姉妹が描くかなり非凡な日常ラブコメディーだったりするらしい。
とりあえずプロローグ終わりです。
三姉妹の謎は本編で少しずつ情報を出していきつつラブコメする作品にする予定。