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8 深まる確信と恋情


 希望のぞみが二泊三日の新入生旅行に行っている間、私は一人アパートで留守番をしていた。


 希望がいないだけなのに、普段は意識しない室内の広さが胸に迫る。時折外の気配が舞い込んでホッとするもののそれは一瞬で、家の中はいたって静かだ。音で満たそうとテレビをつけてみたけれど、番組内容に興味を持てないせいか雑音にしか聞こえずすぐ消した。希望が漫画や小説を貸してくれたけど数ページ読んで本棚に戻す。エデンで本ばかり読んで過ごしていたせいか読書には飽きてしまった。


 ただひたすら希望のことを頭に浮かべていた。それだけで心は穏やかになり、無音が気にならなくなる。


 それなのに、ふとした時に親のことを思い出し荒れた心持ちになった。


 優しかった両親。いつも気にかけてもらえて幸せだった。だけど、あの家には窮屈さもあった。穏やかな暮らしの裏でお金に困って愚痴をこぼしていた母。優しいけれど生活能力のない父。結局、言魂使い(オラルメンテ)の娘を売って大金を得た。どういう経緯で二人はそんな結論を出したのだろう。


 原則非公開にされている人のOM型。エデンがどんなルートでその情報を掴んだのかは知らないけど、おそらく、新生児のOM型を把握している産婦人科などの医療機関と裏で手を組むことに成功したのだろう。うまいこと言って買収したといったところか。医療機関から得たOM型情報を元に、エデンの幹部らは言魂使い(オラルメンテ)の子供を養う貧困家庭に片っ端から交渉した。そこで、運悪く我が家は餌食となったわけだ。


 私を売ったお金で、父と母は金銭的な苦労をせずによくなり幸せになったのだろう。どんな危険が迫るかも分からない場所に娘を放り出し、自分達だけのうのうと……。あんな親の元に生まれてしまった自分も許せない。血縁は呪いのようなものだ。


 記憶は時に毒だと思う。あんな両親のことなど忘れてしまえたら楽なのだ。


「親のことをきれいさっぱり忘れたい」


 ここへ来て何度目かのつぶやき。本気の願い事。希望のいない場所で繰り返し口にしたが、今のところ叶う気配はない。言魂使い(オラルメンテ)は自分の記憶を消せないようだ。他人の記憶はいともたやすく無かったことにできるのに。なぜなの? 理不尽にもほどがある。


《宿泊してる旅館の近くの清流公園で滝発見!紫乃しのちゃんにも見せてあげたかったよ。》


 パソコンに希望からのメールが届き、思考は途切れた。スマホで撮ったらしき滝の画像が添付されている。陽の光を浴びて輝く水の様子がとても綺麗だった。


《綺麗な写真、ありがとう。私も希望と一緒に見たかったよ。》


 返信をして、ため息をついた。


 希望のメールは嬉しい。なのに苦しい。


 新入生旅行中、希望から何度かメールが届いた。私を一人で残していくことが不安なんだろう。食事は摂ったか、変な訪問者はいないかと、しきりに尋ねてくる。


 こうしてマメに連絡をもらえて嬉しい一方、希望の気遣いはしょせん言魂使い(オラルメンテ)への同情なんだと思え落胆らくたんする。私は囚われの身なんだと思い知らされる。


 希望はただ純粋に人の心配をしているだけ。頭では理解できるのに心が悪く捉えようとする。ひねくれている自分に嫌気がさす。



 今日、希望が新入生旅行から帰ってくる。メールで気にかけてくれたお礼に簡単な料理でも作ろうと立ち上がった時、インターホンが鳴った。時間は午後3時。誰だろう。


 一人でいる時、こうして訪問者が訪れるのは初めてなので少し警戒した。もしかしてエデンの人間だろうか?


 あらかじめドアアイで相手の顔を確認し、肩甲骨に力が入る。再里さいり君だった。今日は定期カウンセリングの日ではない。心臓が嫌な音を立てた。再びインターホンが鳴る。


 私はゆっくりドアを開けた。


「今日はカウンセリングの日じゃないよね。どうしたの?」


「そうなんだけど、希望が数日家を空けるって聞いたから、紫乃しのちゃんがどうしてるか気になって。希望がいない間、変わったことはなかった?」


「うん。大丈夫だよ。相変わらず言魂使い(オラルメンテ)の能力は戻らないままだけど」


 というのは嘘だけれど。

 安堵の息をつく再里君に、私はいた。


「どうして知ってるの? 希望がいないこと。希望と連絡先の交換してないよね」


「エデンだよ。紫乃ちゃんと希望は常に見張られてる。さすがに療養中の今は手出ししてこないと思うけど……。そこそこ能力を認められているとはいえあくまで俺は新人だからね。エデンの気が変わって俺の予定を崩すような方針を言い渡してくることもありうる」


「……そう。心配してくれてありがとう」


 再里君は手にしていたケーキの箱を掲げ、一緒に食べようと言ってきた。途中でわざわざ買ってきたのだろう。楽しくおしゃべりするような気持ちになれなかったので断ろうと思ったけど、希望に誘われた花見の件を相談したかったのでとりあえずうなずき、二人分のお茶を淹れ再里君をリビングに招いた。


「希望の大学の友達と花見?」


「やっぱりダメだよね」


「うーん……」


 再里君は考え込むように腕組みし、予想通りの反応をした。


「ごめんね。許可してあげたいのはやまやまなんだけど、そこまでの権限俺にはないんだ。そういうイベントは紫乃ちゃんの心を癒す一助になるのは確かだけど、多くの人に紫乃ちゃんの存在を目撃されるのは得策じゃない。エデンにとっても不都合だ」


「分かった。希望には私からそう伝えておくよ」


「ごめんね」


 再里君は申し訳なさそうに頭を垂れた。


 予想通りのやり取り。もっと突っ込んだ質問をして再里君から情報を引き出したい衝動に駆られたけど我慢した。私が下手に動けば、希望や希望の周りの人が危険な目にあうかもしれない。


 ケーキを食べ終わって、少し再里君と雑談をした。ほとんどが希望に関する話題だった。希望は私と再里君の共通の知り合いだから当然の会話の流れ。


 同級生とはいえ、私は昔、再里君とはそこまで親しくなかった。希望を介して話す程度の顔見知り。再里君も私に対して同じような認識を持っていたと思う。それなのによそよそしい素振りを見せずもともと友人だったかのように柔らかく接してくるのは職業柄か。


「じゃあ、そろそろ帰るよ。急に来て長話してごめんね。希望によろしく」


「ねえ、再里君」


「ん?」


 靴を履いて帰り支度を整える再里君の背中に、私は質問を投げた。


「私は自分の親のことが憎い。でも、心のどこかに憎みきれない感情もある。ひどい組織に売られたのに、好きな気持ちを消しきれないでいる。それっておかしいしバカみたいだよね。どうしたら百パーセント親を憎めると思う?」


「憎むのは愛情があるからなんだ。そういう不要なエネルギーを使わないようにするには、相手に無関心になればいい」


 再里君は、いつもの穏やかな顔でさらりと答える。


「って、言うのは簡単。実行するのが難しいから悩むんだけどな」


「さすがカウンセラーだね。人の心理を理解してる」


「そう? でも自分ではまだまだだと思ってる。勉強中の身だし」


「再里君だったらどうする? 私みたいな目にあったら」


 再里君は思案するように間をおいた。


「そうだなー……。俺だったら、自分の人生に親は最初からいなかったものと考えるかな。いると思うから苦しいわけだし。紫乃ちゃんにそうしろって言う気はないけど」


 腕時計を確認し、再里君はバイバイの意味で片手を上げた。


言魂使い(オラルメンテ)が悲しまなくてすむ世の中を絶対作ってみせるから。まだまだヒヨッコだけど、俺は必ず……! じゃあ、また次の定期カウンセリングで」


「うん。さよなら」


 再里君は慌ただしい足取りでアパートを出て行った。忙しい中わざわざ時間を作ってここに来て、予定以上に長居してしまったのかもしれない。私は再里君にとって唯一夢への近道となる存在なのだろうから。


 この時、私の中で確信はよりいっそう強まったーー。

 


 再里君が帰ってから数時間後、希望が帰ってきた。旅行カバンに紙袋を三つ下げた格好。少し疲れているようだ。もうすっかり陽は暮れている。


「ただいまー! お土産買うほどの旅行じゃなかったけど、これ」


「……!」


 希望が持ち帰った紙袋のうち、ひとつを手渡される。おもむろに中を見て私は硬直してしまった。お土産は瓶詰めのオレンジジュースだった。かつて私の誕生日にくれたのも、こういう高そうなオレンジジュースだった。希望の記憶から過去の私は消えているはずなのに、どうしてこれを選んだのだろう?


 偶然なんだろうけど、一方的な片想いの手前、勝手に妙な期待をしてしまう。


「希望、これ……」


「おいしいからってお店の人に勧められて。紫乃ちゃんフルーツ系のゼリー好きだから、もしかしたらこれもいいかなって」


「ありがとう。嬉しい」


 そうだよね。偶然に決まっている。それに、私は今オレンジジュースが嫌いだ。これを飲んだせいで眠くなり、目が覚めたらエデンにいた。恐怖と憎しみの対象でしかない。


 それでも、希望の気持ちはただただ嬉しかった。お土産の中身は二の次。どうでもいい。


「これを買う時、私のこと思い出してくれたりした…?」


「うん。紫乃ちゃん喜んでくれるといいなーって考えてた。メールする時も、景色の写真撮ってる時も」


「そう……」


 希望の心に私がいた。それは恋愛感情ではなくただの同居人として。分かっているけど、それでも嬉しい。たとえ一瞬のことでも。


 親から要らないものとして処理された私にとって、こうして自分のために何かをしてくれる人というのは感涙極まる存在だった。希望にとってはきっとただの親切で深い意味はないこと。でも、私にはたまらなかった。


 花見に行けない。そう伝えるのも、今はひどく申し訳ないと感じた。


「ごめんね。花見の件だけど、私は行けない。再里君にもやっぱり反対されて……」


「そっか、残念。でも仕方ないよ。再里が反対するのも当たり前だよね。考えなしに誘ってごめんね」


 希望は苦笑し、再里君のことを訊いてきた。


「って、再里と会ったの? 定期カウンセリングってまだだよね」


「希望の動向、エデンに筒抜けになってるみたい。再里君、私が一人なのを気にしてわざわざ様子見に来たよ。それも、ついさっき」


「そうなの!? さすがというか、やっぱエデンはこわいな……。紫乃ちゃんは何も異常ない?」


「それは大丈夫。でも、あまり安心していられない。気付いたことがあるの」


 言うつもりのなかったことを、私は口にしようとしていた。希望には絶対言ってはならないことを。


「気付いたことって、何……?」


 優しい希望。自分も新生活のスタートに立ち慣れないことばかりで疲れているはずなのに、前かがみで私の話を聞こうとしてくれている。


 希望なら誠実に聞いてくれると分かっていた。だけど、話してしまえば今度こそ希望を巻き込むことになる。話してしまえば、希望は……。


「ううん。ごめん。何でもない。私の思い過ごしだった」


「そう? 何かあったらすぐ言ってね? 俺じゃあまり役に立てないかもしれないけど」


「そんなことはないよ。今でもすごく助けられてる」


 薄く笑い、希望の新入生旅行の話を聞いた。簡単に夕食をすませ、その日は過ぎていった。


 こういう時間を、どうか一秒でも長くーー。



 夜も深い。希望とおやすみの挨拶を交わした後、一人部屋のベッドに寝そべり、月明かりだけの暗い室内でここ最近の自分を省みた。


 私は希望に執着し始めている。

 まずい。

 甘えてはいけないのに甘えたくなる。


 自分の変化に焦った。


 一時的にここでお世話になるだけだと決めたのだから深入りしすぎてはいけないのに、気付くと希望に頼ろうとしてしまう。私一人で抱えていかなければ、いずれ希望を深くて傷つけてしまうのだから。


 希望に近寄りすぎないよう、心理的に距離を置かないといけない。


 翌日の花見で、その思いはよりいっそう深まることとなった。



 私は行けないけど、希望一人で向かった花見の集まり。私はこっそり希望の後をつけることにした。再里君の話が本当なら、希望の生活圏内に彼のことをマークしているエデン職員がいるかもしれないと考えたからだ。


 エデンに居た頃、私はたいていの職員に会った。希望に接触する怪しい人物の顔を見ればエデンの人間かどうか分かるし、そしたら何か対策を立てられるかもしれないと思った。希望に注意を促すこともできる。


 尾行は成功した。体力的にはきついけど気力を振り絞った。幸い、希望のことを待つ団体のそばには大きな桜の木があった。その木に隠れ、花見客のフリをして飲み物片手に団体の会話を拾うこともできた。


 人がいい希望は、勧められるがまま友達にお酒を飲まされている。大学生だけの集まりなのかと思ったら、大人の男も数人混ざっている。私はその中に怪しい人物がいると判断した。


「希望、飲んでるかー?」


 一人の男が、希望のそばにどっかり腰を下ろす。太い声。大柄で熊のような男。歳は五十代いくかいかないかといったところか。


「はい。店長の料理もおいしいです」


「そうかー? たくさん食えよ。がくに聞いたけど、今日は彼女連れてこれなくて残念だったな」


「ち、違いますよっ。あの子はホントにただのイトコですっ」


 私のことを話題にされ照れている希望。そんなことくらいで頬を赤くしてアタフタしている希望の純真さに心が洗われるような思いになると同時に、背筋が冷たくなる。聞き覚えのある声。


 希望の横に座る男の身なりを、相手に気付かれないよう改めて確認した。


 顔はいつも仮面で隠していたけど、間違いない。希望の隣に座った強面の男。人のよさそうな対応で場を和ませている、大柄なあの男はエデンの最高幹部、ゼロに違いなかった。


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