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7 浮かんでくる顔


 大学生活は何もかもが未知だった。


 たいていの学校では制服を着なければならなかった高校までと違い、女子も男子もスーツで入学式に参加している。そのせいか、視界に入る人みんな歳より大人びて見えた。かと思えば、明らかに私服だろう格好で堂々と列に並ぶ強者もいる。高校時代の成績は同じくらいのはずなのに、ここには個性的なメンツも集まっているようだ。


 大学にも一応クラス分けがあるらしく、クラス別に各教室に集められホームルーム的な時間が始まった。大学には大教室しかないと思っていたけど、高校の授業で使っていたような普通の教室もあり、そこで三十人ずつに分かれ教員から今後の話をされた。


 とはいえこれから送る学生生活でクラス単位の授業はなく、学生達それぞれが好きに組む時間割で講義を受けられるとのこと。


 最後に、教員から各自名前を呼ばれ、ようやく学生証をもらえた。


 今日のクラス分けが実質的な意味を持つのは、明後日から一泊二日で行われる新入生旅行中だけだ。これは新入生同士の親睦を深めるための行事で、大学の隣市にある安い旅館を借り、クラスの出席簿順に部屋割りを決めて泊まるらしい。


 大学に知り合いがいない身としてこういう企画はありがたいが、同時にやや憂鬱でもあった。気が合う人と同じ部屋になれるといいけど。ここにいる全員俺と同じような心境なのか、教室内は静かだった。


 新しい出会いがあるのかもしれないと思うとワクワクするけど、高校まで一緒に通った再里さいりの顔を思い出し切なくなった。再里も、エデンに入った直後はこんな気持ちになったのだろうか。いや、それはないか。アイツは夢があってエデンを選んだわけだし。



 学生証と共に新入生旅行のしおりをもらった。そこにはすでに旅館での部屋割りが載っていた。部屋割りのページにとりあえず目を通そうとしたら教員から解散を言い渡されたので、周りの動きに流されるかのように俺も早足で教室を後にした。


 紫乃しのちゃん、大丈夫かな。


 家を出る時、彼女から心もとない話を聞いた。エデンでは暴力沙汰が当たり前に行われていたのだろうか。紫乃ちゃんは平気そうにしていたけど、初日の痩せ具合を知っているだけにそうは思えなかった。きっと無理して平静を保っていたんだろう。せめて、大学にいる時以外は紫乃ちゃんのそばにいて、彼女の心が晴れるようなことをしたい。


 紫乃ちゃんのことを考えていると自然と歩く足が速くなる。大学近くのアパートにしてよかった。


 教室を出て校門のところへ来ると、今朝は素通りした桜並木が視界いっぱいに広がった。式の時、新入生に向けて祝いの言葉を口にした学長の余談で知ったんだけど、大学の校門を出て少し歩くと近所では有名な花見スポットがあるらしい。わざわざ行くまでもなく、大学の目前にその公園はあった。中央に大きな池があり、公園の敷地を囲うようにぐるりと続く桜並木。


 花見をするならここがいいかもしれない。紫乃ちゃん用に軽い昼食を持って。


 公園を眺めつつ歩き出すと、後ろから声をかけられた。


「やっぱ希望のぞみだー! 同じ大学!? マジか! すげえ!」


がく!? 大学ここなの?」


 楽は人懐っこくニカッと笑い俺の首に腕を絡めてきた。


「うわー、こんなとこで希望に会えるとか、ガチ運命だわ」


「ちょ、痛いって」


 高校の同級生、牧野まきの楽と再会した。入学初日になんていう偶然なんだろう。


 高校時代、楽とは同じ普通科だったけどクラスは違った。俺はA組、楽はB組。接点といえばA組とB組の男子が合同で受ける体育の授業くらいだったけど、楽とは同じグループやペアになることがなかったので体育での関わりはなかった。楽は常にこんな調子で高校の時からチャラくて、見るたびいつも派手なグループと行動していた。体育でもそれは同じで、バカ騒ぎばかりしていた楽のチームはいつも先生から注意されていた。


 そんなわけで、俺の方は仲良くなる前から目立つ楽を一方的に知っていたけど楽はどうだったんだろう。俺達が友達になったのは、高二の文化祭で実行委員になったのがキッカケだった。


 俺は無気力、楽は遊びたい。教師が勝手に決めた実行委員という役割にそれぞれ気だるい気分だった俺達は、放課後、実行委員の集まる時間に何となく意気投合し話すようになった。話してみたら友達思いで素直ないいヤツだった。


「なになに、希望、花見でも行くのー?」


「ああ、うん。友達と一緒に行けたらいいなって」


「いいじゃん。でも、ここすごい混雑するらしいし、店長に場所取り頼んどこっか?」


「店長って?」


「ああ、四月からバイト始めたんよ、俺。駅前のバーなんだけどさ、そこの店長がここらへんでよく花見するって言ってたからー」


「そうなんだ、なるほど。でも、楽にそこまでしてもらうのは悪……」


「お疲れっす。店長、お願いがあるんすけど〜」


 俺が返事をする前に、楽はすでに店長とやらに電話して、俺のために花見の席を取るよう約束を取り付けてくれた。やることが早い! 止める間もなかった。


「店長いいって。よかったな〜」


「ありがとう。でも何か悪いなぁ。知らない人なのに」


「ま、顔見知りになれば問題ないっしょ」


「え!?」


 グイグイ腕を引っ張られ、楽のバイト先へ連れていかれた。家に帰りたい気持ちとは裏腹に、俺のためにわざわざ花見の席を取ってくれた楽をあしらうのもためらわれた。


 駅前までは歩いて10分ほどで着けた。県内で唯一の総合駅の構内には、ファーストフードやドーナツ店、女性向けアパレルショップなど様々なジャンルの店舗が入っている。アパートからも近いので、気分転換も兼ねていつか紫乃ちゃんを連れてきたいと思っていた場所だ。


 常に全国各地の人がやってくる駅なので、平日の午前中でも人でごった返していた。この人混みは想像以上だった。やっぱり紫乃ちゃんを連れてくるには無理があるかもしれない。だいぶ顔色がよくなったものの、彼女はまだ長時間立っているのがきついと言っていた。


「こっちこっち。もーすぐ!」


 楽は、こんなもの慣れているといった風に人に溢れた構内をスイスイ歩いていく。大手ドーナツチェーンと交番が隣り合わせにある通りを不思議な気持ちで通過するとパチンコ屋があり、地下道に向かうエスカレーターが見えた。


 エスカレーターを降りると食品街みたいな広い通路が広がっていた。惣菜やケーキを売る店のガラスカウンターが並んでいる。しばらく行くと食品関連の店はなくなり、キャバクラやバーの看板、等間隔に設置された扉が見えた。そういう店って夜にやっているイメージだけど、楽のバイト先はこんな昼前に行って大丈夫なんだろうか。


 やがて楽は、そのうちとある扉の前で立ち止まりノックをした。楽にそういう礼儀があるのが意外だった。バイト経験の賜物か。


「店長、俺っすー。楽でーす」


「おー、入れ入れ」


「失礼しまーす」


 古びたものの味のある木製扉の先には、カウンター席が7席とテーブル席が5席。角にはカラオケ用のちょっとしたステージが設けられていた。夜間営業らしく当然客はいなかった。楽から店長と呼ばれた人は、カウンターのテーブルを布巾で拭いているところだった。


「店長、この子っすよ。さっき電話で話した高校の友達の希望」


 熊のような体型で鋭い目つきの店長は、テーブルから視線を上げ俺の方を見た。


高城たかじょう希望です。花見の席、本当にありがとうございました」


 軽く頭を下げると、店長は強面こわもてを崩し人の良さそうな笑みを見せた。


「気にしなくていい。自分とこの席取るついでだからな。わざわざそんなこと言いに来たのか?」


「それもだけどー、なんか食べさせて下さいよー。腹減ったし」


 まるで友達の家にいるみたいなノリで、軽くそんなことを言う楽。


「悪いけど俺は帰るよ。店長さんにお礼言いに来ただけだし」


 さすがに遠慮して店を後にしようとすると、店長は俺を呼び止めた。


「遠慮するなって。どうせ楽のヤツが無理言ったんだろうけど、ついでだし一緒に昼飯食べてってくれや。それなりにウマイもん用意できるぜ?」


「ありがとうございます。では、お言葉に甘えて」


「もー、希望かしこまりすぎっ。ほらこっちこっち」


 すでにカウンター席に座っていた楽に促され、彼の隣におずおずと腰を下ろす。楽はすごい。こんなに怖そうな年上相手にリラックスして振る舞えるなんて。バイトをすれば誰でもそうなれるんだろうか。いや、それはない。楽は特別だ。高校の時からそう。不真面目な言動がかえって周囲の好感を引き寄せている、そういうタイプだ。高校の頃の教師達も、うるさい楽を一応注意していたけど笑顔だった。憎めない生徒って感じで。


 再里も社交的で人付き合いが上手だったけど、それとは別の要領の良さが楽にはある。俺にはない要素だから、二人のことが少し羨ましかったりもする。


 紫乃ちゃんから見てもやっぱり、俺みたいな無個性な男より、再里や楽みたいな明るく元気な男の方がタイプだろうか? そうだよな。女子は男らしい男が好きって聞くし。再里は言魂使い(オラルメンテ)問題に身一つで立ち向かう勇敢さがかっこいいし、楽も面倒見がよくて一緒にいて楽しい。


 って、どうして紫乃ちゃんの目線を意識してるんだ俺は。意味が分からない。どうして? そうだ。多分、帰宅が遅くなる罪悪感から紫乃ちゃんの顔を思い浮かべてしまうんだ。一応一緒に住んでいる子だし、思い出すのは当たり前だよな、うん。あれ、これは誰への言い訳だ? ますます意味が分からない。


 猛烈に帰りたくなった。早く帰って、何でもいいから紫乃ちゃんと会話したい気分。楽や店長の手前、無理なんだけど。


 こうなっては仕方ない。昼飯だけご馳走になって、それからすぐ帰ればいいや。


 そう思っていたら、店長が俺達の入学祝いをしてくれるといい特別なお酒まで出してきた。せっかくなのだから夜の開店時間までいろと言われる始末。普通未成年は飲酒禁止なんだけど、今日だけはいいじゃないかという話になった。昼には店を出たかったけど、花見の席取りの件もあるのでやはり店長や楽の誘いを断れなかった。


 お酒を飲まされる前に、スマホから紫乃ちゃんに連絡を入れた。しばらくしてから返事が来て、楽しんでくるよう言われた。いつもの紫乃ちゃんだった。彼女の優しさはありがたいけど、そう言われるとなおさら家に帰りたい気持ちが増した。


 紫乃ちゃん、昼はちゃんと食べられたかな?


 昨夜の野菜スープが残っているし、インスタント春雨のストックもある。飲むゼリーやプリンも何日分か買いだめしておいた。それでも紫乃ちゃんの食事のことを考えてしまう。店長の作ってくれる食事は俺の手料理とは比べ物にならないほどおいしくて、やはりプロなんだなぁとしみじみ思った。だけど、紫乃ちゃんと一緒に作ったポテトサラダが俺にとっては一番おいしかった。


 お祝いだからか、普段からこうなのか、店長の料理はどれも凝っていた。はじめはあまり気が乗らなかったのに、おいしい料理やお酒を飲んでいるうちに陽気な気分が膨らんで緊張感もなくなり、いつしか楽しんでいた。アルコール度数の低いカクテルや梅酒をちびちび飲みつつ、楽と高校時代のことや大学でやりたいことの話をした。次第に酔いでぼわんぼわんする俺と違い楽はお酒に慣れている様子だった。


 楽は、いつか店長さんみたく自分の店を持ちたいと語った。再里も楽も、夢があってすごい。俺にはそういう人生の目標みたいなものがない。これからもこのままなんだろうか。


「希望はー? 将来やりたいこととかー」


「ないよ。平穏にやっていけたらそれだけで充分。目標とか夢とか作った方がいいのかもって考えたりもするけど、やっぱりよく分からなくて」


「いいんじゃない? そういうものアリアリ! 平穏サイコー!」


 楽は酔っていても普段と変わらない。明るくチャラく前向きに俺を肯定してくれた。


「なぁ希望、これ見てみー? 俺ら部屋一緒」


 新入生旅行のしおりを見せられる。部屋割りが楽と同じだった。


「ホントだ! たまたま同じ大学ってだけでも驚きだったのに部屋まで。これから楽しくなりそう!」


「希望と俺やっぱなんかの運命あるわーガチで」


「そうかもね」


 互いにテンションを上げた。店長はカウンターで仕込みをしつつ時折楽にツッコミを入れたりして俺達の会話に聞き入っていた。


 初めて口にするお酒。知らないジャンルの店とその店長。少し大人の気分になれたのも楽しさに拍車をかけた。退屈なんてしていなかった。それなのに、ふとした瞬間紫乃ちゃんの顔が頭に浮かび、そのたびスマホで時間を確かめていた。1時間が経過するたび、ここに紫乃ちゃんがいたらもっと楽しかったかもしれないと思った。


 そうするうちに日が暮れた。午後6時、開店時間を迎えたタイミングで俺達は店を後にした。他のお客さんの邪魔をしてはならない。楽もそう思ったようだった。


「一人暮らしは自炊も大変だろ。持ってけ」


 店長は俺達二人に簡単な弁当を持ち帰らせてくれた。これまでの会話で、楽も一人暮らしを始めたことが分かった。話を聞くと、楽のアパートの住所は俺のアパートから徒歩1分くらいの距離だった。楽に対し、それまで以上の親しみを感じた。


 俺達はどちらかともなく帰路を歩く。すでに暗くなった空。だけど、ビルの明かりが煌々として星すら見えない。


「希望、彼女できたー?」


「えー? いないよ」


「そうなん? しょっちゅうスマホ見てたからそうなんだとばかり」


「ごめん。楽しかったんだけど、今アパートでイトコ預かってるから気になって」


 というのは嘘。これはあらかじめ再里と決めていた約束事だった。


 紫乃ちゃんのことはなるべく他者に知られないようにしてほしいけど、もし誰かに紹介するような機会があったら俺の同い年のイトコということにしてほしい。そう再里から頼まれていた。


「そうだったの! そりゃ心配だよな。ごめんな〜強引に誘って」


「強引って自覚あったんだ」


「へへっ。まあなっ。でも、希望にはどうしても店長のこと見てほしかったんだ。イケメンバーの一員として」


 イケメンバー。楽が勝手に結成した非公式団体のグループ名。楽が認めたイケメンをグループのメンバーにするという、巻き込まれた側からしたら迷惑な、だけど大多数の女子から支持のあった団体だ。団体といってもメンバーは俺と楽、俺のよく知らない楽の友達の三人だけだったし、イケメンバーのメンバーに選ばれたからといってこれといった義務や活動はなかったので、勝手に加入させられていた俺も放置していた。というか存在自体忘れていた。ダサいネーミングな上、楽の定めるイケメンの定義もよく分からなかった。


「その団体の所属権、まだ有効だったんだ」

 

「まーね。って、それは半分ジョーダンなんだけど。俺、店長のこと尊敬してるんだよね〜。将来の夢が見つかったのはあの人と出会ったから」


 ただのバイトにしては思い入れが強すぎる気がしたけど、その後の話を聞いて納得した。


「高校卒業してすぐ彼女に振られたんだよ。けっこう本気で好きだったからさー、ショックでショックで」


「もしかして、中学の頃から付き合ってたっていう……」


「そうそう!」


 高校の時も聞いた。楽は男だけでなく女の友達もたくさんいたけど、中学の時から付き合っている彼女を大事にしていると評判だった。いつだったか彼女のプリクラを見せてもらった。大人しそうだけど素朴で可愛い子だった。


 大学進学でこっちに引っ越してきてからも楽はその子のことが忘れられず、夜の街を出歩いた。ナンパをして適当に遊ぶ女の子は見つかったけど心の穴は埋まらなかった。ふらふら駅前を歩いている時、店長に声をかけられバイトに誘われた。


「バイト、自分から行ったんじゃなくてスカウトされて決めたんだね」


「はじめは働くの面倒だなと思ったよ。女の子と遊んでた方が楽しいし。でも、店長に言われた言葉で気が変わったんだ」


 遊ぶことで失恋を忘れようとしてきた楽に、店長は言った。


『お前は本気の恋を、痛みを、知ってる。そういうヤツは客商売に向いてる。そんなしょぼくれた面できねえように強くなれや』


 それ以来、店長は楽の憧れになり、年の差はあっても友達のように話せる大人になった。


「いいね、そういうの」


「店長との出会いがインパクトありすぎて、失恋の悲しみもどっか行っちゃったわ」


 ふざけたように笑い声を上げ、楽はつぶやく。


「もちろん、アイツのこと簡単に忘れるのは無理だけど……。腐ってた頃の自分よりは今の方がずっとマシって思うわ」


「楽……」


 きっと、無理して笑っているんだろう。そうやって少しずつ立ち直ろうとしている。


 しんみりした空気を打ち破るように、楽は両手を真上にあげて叫んだ。


「俺達まだ18! これからいーっぱい! いい出会いあるって〜」


 通りすがりの人が俺達を遠巻きに見ていく。だけど、酔いのせいか恥ずかしさは感じなかった。すでにアパートの近くまで来ているとも気付かず、俺も叫んだ。


「そうだよ! 楽にはいい人絶対見つかるー!!」


「希望も彼女できたら教えてなー!」


「教えるー!!」


 無意味に叫んで会話する。この光景を見た人からは酔っ払いだと思われること必至だが、当の俺達はそこまで酔っ払いの自覚がなかった。


 先に俺のアパート前に着いた。楽はおおげさなくらい喜んだ。


「ホント近いわ希望んち。俺んちそこ!」


 楽の指差したのは、ここから見える四階建てのアパートだった。一階が中華料理の店舗になっている。


「今度遊びに行くよ」


「いつでも! イトコによろしく! じゃーな!」


 おしゃべりな楽が帰ると、紙袋に入った弁当の重さと夜の静寂に包まれ一気に静かになった。


「希望。おかえり」


 驚いた。アパートのエントランスに紫乃ちゃんが立っていた。


「ただいま。ごめんね遅くなって。もしかしてずっとここで待ってたの?」


「窓の外を見てたら、希望と友達の話し声が聞こえてきたから」


 道端でそんなに大声を上げていたのか。急に恥ずかしくなる。


「ふふ。希望、いつもより楽しそう」


「友達のバイト先でお酒飲んだんだ。初めてだし、けっこう酔ってるかも」


「そうなんだ。お茶淹れるよ」


 自分が酔っているせいか、楽と一緒にいたギャップなのか、紫乃ちゃんが妙におとなしく見える。



 紫乃ちゃんが急須から淹れてくれた緑茶を飲みながら、今日の出来事を話した。明後日からの新入生旅行のことや、楽との再会。店長に持たされた弁当を、紫乃ちゃんも嬉しそうに口にしてくれた。やはり少食ではあったけど。


「でね、新入生旅行から帰ったら、店長や楽と一緒に花見に行こうと思ってるんだけど、紫乃ちゃんもどう?」


 本当は紫乃ちゃんに桜を見せるために取り付けた話なんだけど、ストレートに言うのは照れくさくてそんな誘い方になった。ただでさえ彼女を預かるだけの立場なのに、よくよく考えたら差し出がましい気がして。


 紫乃ちゃんは迷うように視線を左右し、しばらく考え込んだ。


「そういう賑やかなところは私は……。それに、再里君に相談しないとまずいと思う」


「そうだよね。分かったよ」


「でも、気持ちは嬉しいよ。ありがとう」


 切なそうな笑顔。紫乃ちゃんは言魂使い(オラルメンテ)なんだと改めて思い知らされた。普通の子なら自分の感情だけでイエスノーを決められるのに、保護されている身では自由に出歩くこともできない。


 今すぐ再里に電話して許可を取りたい衝動に駆られた。


 もちろん俺も紫乃ちゃんの事情は知っている。だけど、紫乃ちゃんの置かれている不自由さがひどくもどかしかった。どうしてこんなにもじれったく感じるのだろう。


 その感情は、日増しに強くなっていくようだった。


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