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6 孤独なる思い至り


 私は再び言魂使い(オラルメンテ)の能力を使えるようになった。心の病気が原因で使えなくなったのではない。それが分かったのは大きな進歩だ。


 いざという時、無能力の希望のぞみを守ることができる。そのことに対しては素直に安堵あんどできた。


 だけど、一方で悪い想像が的中した。エデンを出た当初の予想が確信となったのだ。エデンの創設者はーー。


 エデンを逃げられたとしても、私には真の意味で逃げる場所などない。


 やっぱりここでの生活は期限が定められた一時的なもの。分かっていたけど、これまで私は分かっていなかった。


 言魂使い(オラルメンテ)に生まれたがゆえに気付いてしまった。できれば気付かずにいたかった……。もう、何も知らない顔で希望のそばにいることはできない。



 やっぱり希望の元に来るべきではなかったのかもしれない。私が誘拐された直後、希望は学校に行けなくなるほど深いショックを受けていた。自らそのことを話してくれて嬉しいという思いと、申し訳ないという悔しさで胸が重くなった。


 希望に与えた傷の分、いや、それ以上に、この先の私の人生が暗いだけのものになってもいい。だから、ほんの少し、今だけは、甘い夢を見させてほしい。


 最後のわがまま。自己中心的な願い。言魂使い(オラルメンテ)ではなく、ただの人間として希望のそばにいることをゆるして……。




 言魂使い(オラルメンテ)であることをやめられないと知り落胆する私に同情したのか、冷えすら感じないほど放心していた私の足元に、希望はおずおずとブランケットをかけてくれた。


 親切心からだと分かっていた。分かっていたのに恐怖が先走り、暴漢を見るような目で希望を見てしまった。さすがに希望も変に思っただろう。


 エデンで以前、同じようなシチュエーションがあった。相手はエデン所属の若い男の医師で、私は当時15歳だった。


 能力を使ったことで疲弊していた私を部屋まで送ってくれた医師は、私の肩に優しくブランケットを羽織らせそっとベッドに座らせると、優しく微笑んだ。その笑顔にいささか安心したのも束の間、医師は私の体をベッドに押し倒した。


 言語無効化装置をつけていたので声などあげられなかったし、そうでなくても恐怖で抵抗などできなかったと思う。二十代半ばの医師だったけど、こちらからしたら充分な大人の男だった。力では敵わない。


「好きに言魂使い(オラルメンテ)の研究をさせてくれるというからここへ来たのに、いつもいつも上から命令されるばかりで! こんなの僕が望んだ生活じゃない!」


 医師は半狂乱に言い、私のブラウスを破るように脱がせていく。


「君の遺伝子を受け継いだ子供がほしい! もちろん確率は低いだろう。言魂使い(オラルメンテ)の能力は隔世遺伝の上ランダムに発症する。でも、無能力な人間から生まれる赤子より圧倒的に確率が上がると言われている。君が君のような言魂使い(オラルメンテ)を生んでくれたら、父親の僕にもエデンから何かしらの権限が与えられるに違いない!」


 私の部屋は四六時中カメラで監視されている。すぐに警備の人達が数人やってきて、私を襲おうとした医師を銃で射殺した。今の今まで狂ったように自分の夢を語っていた医師の体は、嫌な重みを伴って私の上半身に覆いかぶさった。銃弾を受けた医師の傷口からはとめどなく血が流れ、私の服を瞬く間に染めていく。気味の悪い生温さが医師の死を実感させた。


 警備の人達に続いて部屋に駆け込んできたゼロが医師の体を足で蹴り飛ばすと、医師の体は数十センチ下の床に落ちた。生々しく厚みのある落下音が死体であることを強調した。医師はもううめき声すら上げない。


「そいつが他のがらんどうとは違うと知っててやったのか? だとしたらたいしたタマだが、ただの駒が思い上がりやがって。……片しとけ」


「はい!」


 ゼロに指示され、警備の人達は医師の死体を運び出した。私より先に死んでいった言魂使い(オラルメンテ)同様、密葬されるのだろう。


「お前は風呂と着替えをすませろ。明日また原稿を読んでもらう」


 ゼロに呼ばれた世話係の若い女性が二名、私の身の回りを整えるべくゼロと入れ違いで部屋にやってきた。二人とも、ベッドや私のブラウスに染みついた血を見ても表情ひとつ変えなかった。まるで何事もなかったかのように淡々と手を動かす。


 シャワーを浴び体についた血を洗い流してもなお、体の震えが止まらなかった。医師に襲われそうになったからなのか、彼が殺されたからなのか、医師の語った夢が気持ち悪かったからなのか、そのどれもなのか。自分の感情なのに、この恐怖の正体が何なのか私自身分からなかった。


 エデンは異常だ。そう思う私の方がおかしいのだろうか?


 叫び出したくなって、実際そうしたのに、言語無効化装置に阻まれただのうめき声となる。その時ほんの一瞬だけ、世話係の一人がこちらを見たけど、その顔には何の感情もなかった。


 殺された医師は、少し前から他の職員の前でも妙な言動をしていたことが明らかになった。その後、私に近付く職員はそれまで以上に徹底的に監視されるようになり、もうそのようなことは起こらなかった。事なきを得たので、それほどトラウマにならずにすんだはずだった。


 けれど、希望にブランケットをかけられた時、その時のことがフラッシュバックした。無防備な時に接近されると、やはり恐い。こんな気持ちを幼なじみ相手に抱くなんて悲しいけれど。


 希望は希望だ。一方的に女性を傷つけるような野蛮なことは絶対にしない。分かっているのに、私の変化が希望を困惑させているのだと思うとつらかった。


 女性物の下着を買うだけで動揺していた希望。顔を真っ赤にして照れていたところも可愛かった。そんな希望がとてもいじらしくて、同時にひどく孤独感を誘う。私も、希望と同じ景色を見て同じ速度で成長したかった。



 再里さいり君が定期カウンセリングに来た日、希望は元気がなかった。


 その調子は翌日になっても戻らず、だけど大学の入学式があるので、朝からしぶしぶスーツに着替えて大学へ向かう支度をしていた。


「なるべく早く帰るね」


「私のことは気にしなくていいよ」


 物分かりのいい返事をしてしまう。本当は早く帰ってきてほしい。少しでも長く希望の顔を見ていたい。


「エデンも民間人の家に堂々と手は出さないだろうし、いざって時は能力使って身を守れるから」


「そうかもしれないけど……。やっぱり心配」


 希望は申し訳なさそうに笑い、私に合鍵を渡した。


「外へ出たくなったら、これ使って?」


「合鍵……? でも、外出は……」


「うん。再里には怒られるかもしれないけど、俺がいない間ずっと家の中にいたら紫乃しのちゃん退屈かなって。もちろん、無理に出かけろってことではないけど」


 私に対してまだ独特の遠慮が抜けきらないみたいだった。それもそうだ。ブランケットの件であんな態度を取られたら、希望でなくても臆するだろう。


 鍵を受け取り、私は言った。


「ありがとう。昨日はごめんね」


「別に紫乃ちゃんが謝るようなことは何も」


「ブランケット持ってきてくれて嬉しかったよ。本当に。ただ、前にエデンでそうやって親切にしてくれた人に殴られそうになったことがあって、そのことを思い出して驚いてしまって。ただそれだけなの。希望を恐がったわけじゃ、決してないから」


「紫乃ちゃん……」


 多少嘘を含んでいるけど、希望に誤解されたままは嫌だったのでこんな話をしてしまった。これはこれで心配させてしまうような内容だ。でも、希望に遠慮されるよりマシ。


 私の話を受け止め、希望は憤った。


「話してくれてありがとう。そんなことがあったら恐くなるの分かる。親切なフリして暴力を振るおうとするなんて、ひどいやつだね、そいつ……」


「大丈夫。傷を受ける前に助けが来たから」


「そうかもしれないけど、今でも思い出すってことはそれだけ恐かったってことだし……。エデンのヤツ、やっぱり許せないよ」


「そうだね。私も許す気ない。でももう終わったことだから大丈夫だよ」


 穏やかに話す私を、希望は不思議そうに、そして不服そうに見つめた。でも、結局そのことについては何も言わず、行ってきますと笑った。無理して笑顔を作った感じだった。


「何かあったらパソコンからメールしてね。見たらすぐ返信するから」


 言い残し、希望は少し急ぎ足でアパートを後にした。入学式の時間が迫っている。


 人生の門出。希望にとっての晴れの日にヘビーな話をしてしまったことを後悔する。何も今言わなくてもよかったかもしれない。希望の心を曇らせるようなことは望まないのに、気付けばそういうことを自分からしてしまっている。反省した。


 連絡手段を持たない私のために、昨夜、希望はパソコンの使い方を教えてくれた。エデンではパソコンやスマホなど外部と接触するような物は与えてもらえなかったので、素直に嬉しかった。


 その上、二部屋ある南部屋のうちひとつを私の好きに使っていいとまで言い、簡単な生活雑貨や寝具も整えてくれた。エデンにも自室はあったけど、部屋を与えられてもらってこれほどありがたく思ったのは今回が初めてだ。ここはエデンと違い室内の監視カメラもないし外に見張りの人間が立っていたりもしない。


 希望にとっては当たり前の光景だろうけど、私にとっては背中に羽が生えたように幸せな心地がした。監視の視線に怯えることなく自由に暮らせる。


 いざという時は貸してもらったパソコンから希望のスマホに連絡できる。こんなにも自由を味わっていいんだろうか。とても幸せだ。


 希望には言えなかったけど、私を襲おうとした医師の気持ちが、私には少しだけ理解できた。あの人は夢を叶えてあげるとそそのかされエデンに入ったんだろうけど、夢を叶えるどころか良いように利用され続けた。再里君と同じで、彼も帰る家を捨ててエデンに入ったと伺える。そんな状況で施設に閉じ込められ命令ばかりされていたら気がおかしくなる。元々まともな人だって理性を保っていられないだろう。


 私だって希望の元へ来れなかったらいずれああなっていたかもしれない。


 言魂使い(オラルメンテ)であることから逃れることはできない。私も、私以外の言魂使い(オラルメンテ)も。



 引きつけられるように、借りた部屋で希望の貸してくれたノートパソコンを開いた。暇な時はネットでゲームをしていてもいいと言われていた。でも、パソコンの電源を入れたのはゲームのためではなかった。


 今まで気になっていたことをネットで検索したかった。エデンについて。エデンにいながら、私が知る組織の情報は限られていた。震える指でキーを押し、何度かミスタイプし、何度か試みてようやく検索できた。けれど、私が囚われていた組織の情報は一切出てこなかった。


 うまく隠している。分かっていたけど、ひどくガッカリした。エデンのことを知ったからといって現状は変わらないけど、何かせずにはいられなかった。私には時間がない。できることなら、定められた運命みたいな人生を飛び出す方法を見つけたい。


 エデンに関しての情報は期待できないので、自分の名前を検索してみることにした。


 各務かがみ紫乃。検索結果、数件。そのうちひとつは警察のホームページで、8年前に行方不明になった小学生として掲載されていた。当時の私の写真と共に目撃情報を募集する呼びかけ。


 予想通り、両親の届け出により私は行方不明になった子供という扱いを受けていた。当時は私の両親も警察から事情聴取されたそうだけど、怪しまれることはなかったらしい。


 もしも私が交番に行って助けを求めたらどうなるんだろう。両親は驚くだろうか。それとも、エデンを抜けてきたことを責めるだろうか。そもそも、お父さんとお母さんは今どうしているんだろう。


『こっちとしてはありがたい話だがな。金を持たないヤツが何の苦労もなく大金を手にしたらどうなると思う? 身の破滅だ。まあ、自業自得だよなぁ。可愛い我が子を犯罪者に金で売るようなやつの末路なんてそんなものだ』


 高笑いするゼロにお前が言うなと言いたかった。あの時は、両親への憎しみでゼロの言葉などまともに受け取る気にならなかったが、今になって妙にその言葉が脳裏をよぎる。


 私の目撃情報を求める警察のホームページから、家族に関する情報が出てこないものだろうかと探った。これといって目ぼしい情報は出てこない。


 何時間もそうしていたので、目が疲れ頭もボーッとしてきた。


 スズメの鳴き声が聞こえる。パソコンから離れ窓際に立つと、よく晴れた空と桜の木が見えた。太陽の位置からしてもう昼。3時間以上もネット検索に夢中だったのだと気付き驚いた。労力のわりに得られた情報は少なかったけど……。


 まあ、今さら親のことを知ったとしても仕方ないのだけど。


 ため息をつく。私はまだ、自分の人生を完全に諦め切れないらしい。どうしたら諦められるんだろう。希望に再会したからだろうか。今を生きている彼を見ていると、私にも言魂使い(オラルメンテ)として生きること以外の道があるような気がしてしまう。そんなもの、幻なのに。


 何となく部屋の空気がよどんでいる気がして窓を開けた。ちょうどいい温度の風が頬をなでる。もう冬の匂いはしない。それどころか夏の気配さえ感じられた。


 どうか、この穏やかな時間が1日でも長く続きますように。


 まぶたを閉じて、しばらく外の風を受けた。気持ちがいい。エデンにははめ殺しの窓しかなく、外を見ても白くて四角い工場のような建物が連立しているだけの殺風景な風景しか見られなかった。季節感がないのだ。それに比べるとここはいい。ちゃんと、自然と同じように生きていると感じられる。


 細胞のひとつひとつが春の陽気を受けて、心の底から明るい気持ちになる。こうしていられるのは再里君のおかげだ。そこは感謝しなくてはならない……。


 再びパソコンの前に座った。数分前にメールを受信していたらしい。ドキッとする。思った通り、送り主は希望だった。こんなささいなことにすら喜んでしまう自分がおかしかった。


《入学式は終わったんだけど、偶然高校の時の友達と会って、これから少し遊ぶことになって……。帰りは夜になりそう。早く帰るって言ったのに本当にごめんね(泣) そっちは異常ない?》


 メールを通して、希望の賑やかな学生生活が見えるようだった。楽しそうでよかった。そう思うと同時に、返信しようと動かした指先がすうっと冷えていく感覚がする。


 寂しい。希望が、私とは別の世界に生きていることが。


 原稿を読んだり世話をされる時以外、エデンでは常に一人だったから、自分は孤独に強いタイプなんだと思っていた。それなのに、なんだろう。今、地の底から湧き上がってきたかのように唐突な孤独感が胸を侵食する。


 違う。孤独なんかじゃない。少なくともここにいる間は希望の存在が近くにある。私は一人じゃないはずだ。


 孤独ではない。孤独なわけがあるものか。


 自分に言い聞かせれば言い聞かせるほど、恐ろしく深い寂しさが肌を刺す。痛い。痛い。


 こんな気持ちは間違っている。やめて。頼むから。


 次第に橙色に変わる空。表の歩道に帰宅ラッシュの足並み。車の通りすぎる音。パソコンに映る希望のメール。見つめているうちにだんだん文字がぼやけてきた。


 人の人生は操れても自分の気持ちは操れない。言魂使い(オラルメンテ)。なんて半端な能力者なんだろう。人でもなく神にもなれない。


 私はおかしい。


 病気だなんて認めたくないけど、エデンの医師が判断した通り、やっぱり私は心を病んでいる。自分でも分かる。エデンに行く前はこんな歪んだ気持ちを希望に持つことはなかった。今、希望と時間を共有しているのであろう学友というものに対して、どうしようもなく嫉妬心が湧く。止まらない。


 希望がほしい。彼を独り占めするのは私だけがいい。あの頃の続きを希望と生きたい。別れなどなかったことにして……。


 それが、たったひとつの願い事。私にはそれを叶える能力がある。だけど、言魂使い(オラルメンテ)の能力を使って彼の心を射止めても虚しいだけ。私にだってプライドがある。そんなことで両想いになったって嬉しくない。


 涙で濡れる頰をそのままに、希望へメールを返した。


《私のことは気にしなくていいよ。適当にやっておくから。せっかくだし楽しんで来てね。大学入学、おめでとう!》


 これでいい。心とは正反対の行動を取ったけど正解のはずだ。


 プライドと理性はつながっている。思いやりや優しさなどではなく、意識して理性を働かせることによって私は希望に接していた。



 憧れた恋愛小説の主人公はいつだって可愛くて素直で明るくて前向きで、だから好きな男性に振り向いてもらえる。そんな恋愛に憧れて、あるはずのない希望との未来を希望きぼうの色に膨らませた。


 気付きたくなかった。そんな主人公に、私はなれない。なれるわけがないんだ。どうあっても。


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