1 不透明な現実
『速報です。本日未明、オラルメンテ独占禁止法違反の容疑により、製薬会社役員の男とその部下を名乗る男数名が逮捕されました』
ニュースキャスターの声が告げた。高校からの帰り道、通学路の途中にある幼なじみの再里の家に俺はお邪魔していた。俺達の通う高校は家から近い。成績の関係でクラスは離れたけど、再里との仲の良さは昔から変わらない。
俺のために持ってきてくれたスナック菓子の袋を開け自分のコーラ缶に口をつけると、再里は深刻につぶやいた。
「最近こんなニュースばかりだな。警察は何やってんだ? こんな悪をのさばらせておくなんて……」
「税金泥棒ってやつだな、まさに」
苛立つ再里になんとなく合わせた。彼の憤りはもっともだったし、ニュースで報じられた奴らはたしかに許せない。
10年前。ちょうど俺達が7歳になる頃、オラルメンテ独占禁止法というものが制定された。俺や再里のように平凡な男子高生にとってはファンタジーな話だが、日本を含めこの世界には言魂使いなる能力者が存在する。
読んで字のごとく、言魂使いの人々は言葉に魂を込めるかのように自身の放ったセリフで願望を叶える能力を持つそうだ。
時代はさかのぼり、戦前。その頃から言魂使いなる能力者は存在していたらしい。詳しい発祥は不明。基本的に遺伝性の能力と言われるが言魂使いの親を持っても子に能力が遺伝するとは限らないため、能力は隔世遺伝するとの見方が濃厚。そして希少である。言魂使いの血縁者がいる人も血液検査の結果普通の人間と診断されることの方が圧倒的に多い。
長い歴史の中で、言魂使い達は自らの能力を隠し普通の人々と同じように暮らしてきた。彼らなりに自分達の能力が畏怖や羨望の対象であると自覚していたのかもしれない。それでも、本人達が望んでいない形で能力が露呈してしまうことが少なからず起こってきた。
例えば、運悪く暴力暴言を受けてやり返すとしよう。言魂使いがその被害者となった場合、冗談ではなく相手を殺り返す結果になってしまう。言葉で抵抗する、それだけで目に見える反撃ができてしまう。言魂使いが『消えろ!』と口にすれば相手はこの世から存在を消す。
それに気付いた周囲の人は言魂使いを恐れ、離れていく。そして言魂使いの所在が明らかにされ、最悪は囚われの身になる。もちろん、その時言魂使いの口はあらゆる方法で塞がれる。
通販でも販売している言語無効化装置。ガラス製マスクのような道具で、これはもともと言魂使いが自分を律するために開発された製品なのだが、言魂使いの口を塞ぐ手段として、今では主に犯罪組織が買い込んだり自社生産しているとニュースで言っていた。
防犯グッズもそう。良かれと思って作られた物が悪用されるのはどうにもやりきれない気持ちになる。
どんな願い事も叶えられる能力。それは、例えば一文無しのホームレスが一瞬にして億万長者になることも夢ではなくなる。夢のような話だが実際起こりうる。似たような例が過去に飽きるほど報道されてきた。
俺が生まれて間もない頃の話だ。
欲に目のくらんだどこかの国の大人が自身のホームページで『危険な存在を野放しにはできない。言魂使い狩りは我々の義務だ』と言い出し、言魂使いを高値で買い取ると宣言したのがキッカケだった。それも、もうそれ以上欲しいものなんてないだろうと言いたくなるようなお金持ちの人々がそんなことを提案した。信じられなかった。
言魂使い狩りを宣言する書き込みはネット上で瞬く間に拡散され、世界各地に真似する人が現れた。言魂使いを買い取ろうとする動きが世界各地で見られた。日本も例外ではない。
そんな中でも理性的な大人が一定数はいて、その人達により言魂使い狩りに対する反対運動も起きたが、言魂使いが他者に危害を加えている前例も多々あり、言魂使い狩りの動きはしばらく続いた。
しかし、とはいえ言魂使いも能力を除けばただの人。心がある。言魂使い狩りは人身売買に当たる行為とみなされ、言魂使い独占禁止法が作られた。いかなる理由があっても言魂使いの尊厳を傷つけるようなことをしてはいけないという法律だ。
最終的に、言魂使い狩りは基本的人権の尊重を無視した非人道的な行いだと批判され、言魂使いは守られるべきものという方向に話は流れていった。言魂使いを守る会だとか保護する施設だとかもたくさん設立されたと聞く。
それは表向きな流れで、未だに言魂使いの能力にあやかりたい大人達は裏社会などで言魂使いの売買を続けているのが実情。一度できてしまった悪習を消滅させるのはとても難しかった。
不景気といわれて久しい昨今。絶対的貧困の家庭に生まれた言魂使いは、貧しさから逃れたい両親によって悪い輩に売られていく。もちろん自分が言魂使いであることを知らされないまま売られ、湿った暗い世界で飼い主の願いを叶えるためだけに生かされている。
「宝くじ当てたんでもない限り、貧乏だった人がいきなり金持ちになったら誰だって変に思うよな。今回もそこからの容疑者摘発だって」
ニュース画面を食い入るように見て再里は言った。
「売られた子はどんな生活をしてるんだろ。やっぱり精神的に普通ではいられないよな。暴力受けたりとかひどい目に遭わされてなきゃいいけど……」
同感だ。能力を持って生まれたというだけで普通の暮らしができなくなるなんて人権侵害の極みだ。実の親の手で悪い大人に売られるなんて、生まれたことを否定されたのと同じだ。もし俺がそうなったら……と、その立場を想像するだけで恐ろしくなる。
「こういうやつら、絶対許せない。言魂使い独占禁止法なんてあってないようなものだ。俺が大人になったら、そんな法律じゃなくてもっとちゃんと言魂使いを守れるような仕事に就きたい」
再里は熱く語る。彼のそんなところには胸を打たれるし、見ず知らずの他人のためにここまで親身になれるなんて本当にいいヤツだと思う。
反面、不思議でもあった。再里の友達や身内に言魂使いがいるわけではない。なのにどうしてそこまで熱くなれるのだろう。可哀想ではあるけどしょせんは他人事。再里同様、俺も生まれてこのかた言魂使いの友人知人などいたことがないから、ニュースを見て同情はしても強い危機感なんて湧かないし、再里ほどこの問題を重要視できない。親しい人が言魂使いだったら、再里のように熱を入れて考えられたのかもしれないけど。
とはいえ、俺は再里の気持ちを否定するつもりはない。こういう情に厚いところが再里の良さだし、そんな彼を尊敬している。再里の存在には何度も救われてきた。
昔のこと過ぎて詳しいことは記憶から抜け落ちているけど、かつてとてもつらいことがあった。多分、大切にしてたオモチャが壊れたとか失くしたとかそういうことだったんだと思う。悲しみが癒えず学校に行く気力もなくなった俺のために毎日家まで来てくれたのは幼なじみの再里だった。俺がどれだけ泣いても呆れることなく親身に励ましてくれた。元から仲は良かったけど、その時から俺はますます再里のことを慕うようになった。
だから俺は再里が大事だし、彼が悩んだ時には力になりたいと思っている。
「再里の言うような仕事、今の時点ではないよね。警察だって事後処理が主だし。どうするの?」
そう。言魂使いを実質的に救済するような職業は今の所ない。警察は事件が発覚するまで動かないし、こんな時代なので言魂使いを守る会だとかの慈善団体も怪しく思えてしまう。中には心底善意で活動している人もいるのだろうけど、まともな人ならまず敬遠する団体であることもたしかだ。
「そのことなんだけどさ……。実はもう考えがあって」
再里の声音は深刻さを増した。
「希望は反対するかもしれないけど、俺、高校卒業したら言魂使いの裏組織に潜り込もうと思うんだ」
「裏組織って正気? そりゃ反対するよ!」
再里が言魂使い思いなのは知っている。いつからだろう。再里は小学校を卒業する頃にはすでに今みたいな正義感を持ち合わせていた。だけど、そこまでする意味が分からなかった。
「危険じゃん! 法律ができる前から人身売買やってたようなヤツらだよ!? 考え直してよ。それに、そういう組織に入ったら二度と堅気には戻れない。警察に捕まるようなことになれば死ぬまで犯罪者扱いされることになる」
本当だ。小学生の頃クラスメイトだった男子がいた。彼の父親が裏組織と関わった容疑で逮捕された。父親の件を理由に彼は深刻なイジメにあい登校拒否。そのまま中学卒業まで学校に来ることはなかった。今彼がどうしているのか誰も知らない。言魂使いを買い取るような組織やそれに関わる人間は、今の世の中ヤクザよりも悪辣で排除すべき社会の癌だと言われている。
「再里には、人から後ろ指を指されるような生き方をしてほしくない」
「それでもいいんだ、俺は」
「いいわけない!!」
声を張り上げた。再里に怒鳴ったのはこれが初めてだった。
「どうして? 警察とか弁護士とかそういう方向じゃダメなの? 再里は俺と違って特進クラスに行けるくらい頭いいんだし成績だって常に学年トップなんだ。わざわざ自らの意思で悪い道に行かなくても……」
再里と会えなくなる。それは嫌だった。
「心配してくれてありがとな、希望。嬉しいよ。でもさ、このままじゃ刻一刻と被害が広がっていく。俺達がこうしてる間にも、きっと泣いてる言魂使いがいる。そう思うとつらいんだよ」
「だけど……」
「法律作ってくれたことは感謝してるけど、政府の対応だってなあなあでいつまで経ってもこういう事件はなくならない。もううんざりなんだ。知ってて何もできない自分にも腹が立つ……」
「いつもそう言ってた。俺なりに再里の気持ちは理解してるつもりだけど……。おじさんとおばさんだって反対するんじゃないの?」
卑怯だと自覚しつつ、再里の両親の存在を持ち出した。再里は悲しそうに笑った。
「うん。反対するだろうな」
「だったら……!」
「今まで育ててくれたことには本当に感謝してる。でも、俺は親の所有物じゃない。高校を卒業したら自立した大人として生きていきたいんだ。勘当されてもかまわないと思ってる」
「再里……」
激しく打ちのめされた。再里の覚悟と意思の強さに。
似たような環境で生まれ育ち、17年間同じ学校に通い、平凡ながら共に楽しい日々を送ってきた。それなのに、再里は俺のずっと先を歩いていた。いつの間にこんなにも遠くなっていたんだろう?
再里の目には俺には見えないものが見えているのだろうか。それこそ言魂使いの行く末だとか社会の闇とか、俺なんかには到底分からないことまでも。
テスト勉強を頑張っていたのも特進クラスを選んで入学したのも、もしかしてそのため? それに比べて、俺はいつまでも子供の時のまま変わらない。学校へ行って授業を受け、放課後は友達と遊んだりこうして再里の家でまったりして、こんな楽しくゆるい毎日が大人になっても続いてほしいとすら思っていた。
そんなちっぽけな俺が再里の大願を反対する資格はない。そう思った。再里と離れたくない。そんなワガママで再里の夢を否定していた自分が恥ずかしくなった。
それまでポンポン反対意見を言っていたのに、黙ってしまう。再里に言える言葉が見つからなかった。頑張れと明るく背中を押せる気分にもなれない。このままにしておいて再里は大丈夫なんだろうか?
彼の親友としてできることはただひとつ。再里を信じてあげることだけだ。分かってる。応援してあげたいのはやまやまだけど、どうしたって心配が勝ってしまう。
再里は力強い眼差しに静かな光を灯した。
「希望にだから話すんだけど、実はすでに目星をつけてる組織があるんだ」
「どうやって調べたの!? そんなの、普通の大人ですら調べるのが困難だって言われてる……。警察がスムーズに検挙できないのもそういう事情があるって聞いたことある」
「まあ、それは追い追い話すよ。今はそれだけ。希望には伝えておきたくて」
裏組織に関わる人物とつながりでも持ったのだろうか? とたんに再里のことが分からなくなり唖然とした。
「卒業したらそこの組織の職員として紛れ込むつもり? 再里の思う通りにうまくいくかな……」
皮肉ではなく本気で心配になった。
「大丈夫。何とかしてみせるから」
再里の表情は自信に満ちていた。
「俺が心配しすぎだったかな。再里がそういうなら間違いないな」
「ありがと。希望」
切なくも、今度は嬉しそうに笑う再里。もう彼を止めることはできないんだと知った。幼なじみの親友であっても。
「じゃあ、今日はそろそろ帰る」
「おうよ。また明日な」
片手をひらりと振り、あぐらをかいている再里に別れの挨拶をして彼の部屋を出た。
帰宅し自分の部屋に入るなり頭の中を整理した。言魂使い。人の願いを叶える存在。
本当にそんな能力者がいるのだろうか。再里とあんな話をした直後ですら、俺の気持ちの中でそれは実態を持たない妄想のような存在だった。
再里のことは大切な友達だ。彼の夢なら応援したい。でも、素直にそうできない。手放しで応援してしまったら取り返しのつかないことになるような気がして……。
人間はしょせん人間だ。身体能力だって空想世界に出てくる魔法使いとは違う。それは言魂使いだって同じだろう。ただの人間が能力を持った場合、キャパシティを軽く超えて心身に異常をきたしそうなものだけど。実在するのならそれはまさに神のような存在だと言える。
貧乏な人が一夜にして億万長者に、かーー。
そういえば、小学校の頃、同じ学区内で噂になった一家がある。貧困だったのに突然裕福になったそうだ。俺はその噂を母さんから聞いた。一時期PTAの会議で持ちきりの話題だったらしい。その家族がどうなったか最近はあまり聞かないし、家族構成などもよく知らないけど。
ふと、あの生々しい記憶がよみがえった。
俺にはとても大好きな女の子がいた、ような気がする。……こんな曖昧な言い方をしてしまうのは、自分のことなのにどうも記憶がはっきりしないからだ。
小学校を卒業する数年前だったと思う。彼女はいつも俺のそばにいて、俺達は学校で顔を合わせると毎日のように言葉をかわしていた。何を話しても飽きがこなくて楽しかった。けれど、本当にそんなことがあったのか、自信を持てないでいる。
子供の時の記憶というものは曖昧だ。どこかで見たアニメやドラマのシーンを自分の記憶だと思い込んでいるだけなのかもしれない。とはいえハッキリ記憶の塗り替えだと言い切るのも抵抗があり、どうにも気持ち悪い感覚がまとわりつく。
中学の頃、一度だけ再里に相談してみたことがあった。
『子供の頃、すごく仲良かった女の子がいた気がするんだけど、その子の顔も名前もクラスも覚えてなくてさ……。そんなことってあると思う? 変だよね』
『希望、夢でも見てたんじゃない? 記憶から消えないほど強烈で臨場感のある夢。俺もたまに見るよ。可愛い女子と手つないで出かける夢』
『だよね。うん、夢かも。そんな子いたら、再里も覚えてるはずだもんね』
『そうだよ。そんな子いたら忘れない。残念ながら夢だなそれは。でも、変な感じがするよな、そういうのって』
『まあね』
以来、その記憶について深く考えないようにしてきた。だけど、なぜだろう。今になってもなお俺の中に埋もれた〝それ〟は丸や四角に形を変えてうごめき、たしかにここにあると意識させてくる。「忘れないで」と主張しているかのように。
「言魂使いの人だったらこの妙な記憶のことも的確に教えてくれたりするのかな。そんなわけないか……」
再里に聞かれたら怒られそうな独り言。
夢だ、夢。記憶なんかじゃない。考えたってどうしようもないし忘れるようにしよう。覚えてたって仕方ない。
かつて交わした再里との会話を想起しつつ自室のベッドに横たわった。そのまま夕食の時間まで軽く眠った。