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15 残した祈り


 実家に向かう途中、夜遅いせいか乗っている電車の車両には俺しかいなくて、レールを滑る車輪の重々しい滑走音だけが耳に響いてきた。念のため周囲をもう一度見渡し人気がないのを確認して、かなでに電話をした。


再里さいり、何かあったの?》


 そんなLINEが叶から届いたからだ。そうでなくても、長い間再里のことを気にかけていた叶には事情を説明しなければいけないと思った。数秒後、叶は電話に出た。俺が電話をした意図を察しているみたいに、


『今、夕ご飯すませて部屋に戻ってきた。ゆっくり話せるよ』


「一気に色んなこと知ったばかりで、俺も整理しきれてない情報もあるかもしれないけど……。再里は、言魂使い(オラルメンテ)だったんだ」


『そうなんだ』


 叶の反応は落ち着いていた。俺ですらけっこう驚いたのに、なぜそうも冷静なんだろう。


『じゃあ、紫乃さんもその関係者?』


「うん。紫乃のことも追い追い話すよ。再里のこと、驚かないんだ?」


『驚いてはいるけど、気持ちの半分で「やっぱり」って思ってる。納得というか。再里って子供の頃はおとなしかったのに、中学上がってしばらくしたら別人みたいに明るくなってたでしょ? そういう変化や、全然外に出てこない家の人のこと、ずっと引っかかってたんだよね……。言魂使い(オラルメンテ)であることが全ての原因とは限らないけど、大方のことはつじつまが合うかなって』


 叶は、俺とは違う角度から再里を見ていたんだ。再里本人のことだけでなく、再里の両親のことまでも。


「だから、高校で別になっても再里のこと気にかけてたんだね」


『それもあるけど、小学生の時、再里のこと好きだったからさー』


「ええっ!? そんな話初めて聞いたんだけど!」


 つい大きな声を出してしまう。とっさに周囲を見渡したら、相変わらず乗客の姿はなくてホッとした。それと同時に、これ以上再里や紫乃のことを叶に話していいのか、急に迷いが出始めた。叶を気落ちさせてしまうのではないだろうか。ついさっきまでの俺のように。


『好きって言っても、子供の時の話だよ〜。今はただの幼なじみ』


 だったらどうしていまだに再里を気にするの? とは、けなかった。


『続き、聞かせて。言魂使い(オラルメンテ)であることと、再里の深刻な様子、無関係ではないよね?』


 話を促される。今の叶は再里のことをただの幼なじみだと思っている。それなら、本当のことを話しても傷は深くならないかもしれない。


「長くなるけど……」


 俺はあらかたのことを叶に話した。再里の両親のことや、言魂使い(オラルメンテ)救済を目的に創設されたエデンのこと。紫乃との出会い。別れ。再里と紫乃が犯した罪。彼らの置かれていた状況や、これから成そうとしていること。


 俺が話している間、叶は適度に相槌を打つだけで一切言葉を挟まなかった。その相槌は最初こそ気丈だったものの、話が進むにつれて深い悲しみに沈んでいった。


 全て話し終わる頃、耳馴染みのある駅名が車内のアナウンスに流れた。叶は何か言いたそうな気配をこちらに伝えるだけで、特に多くは語らなかった。衝撃的な話を前に一生懸命事実を受け止め、気持ちを整えているのかもしれない。


『私、紫乃さんの友達だったんだね。知らなかったけど納得かも。さっき紫乃さんを見た時、ほんとわずかな時間だったんだけど、ひどく懐かしい感じがして胸が締めつけられるように痛くなったんだ。全然知らない人のはずなのに』


「叶……」


『再里がそのことを私から忘れさせてたんだね。紫乃さんも再里も、どんなにつらかっただろう……』


 叶の反応は落ち着いているものの声はこわばっていて、無理して冷静に話そうとしているのが明らかだった。動揺をこぼさないよう耐えている。


「もうすぐ着く。帰ったら急いで再里の家に向かおう」



 実家に着いた。


 一人暮らしのアパートと違い、インターホンを鳴らせば中から両親か叶が出てきて玄関の鍵を開けてくれるだろうけど、もう夜遅いというのもあるし何より早く自室に駆け込みたいという焦燥感が湧き、自分で鍵を開けて中に入った。


 入ってすぐ、待ち伏せていた叶と目が合った。叶は玄関の壁に背をつけ立っている。常に元気で昔から病気という病気をしたことのない健康優良児だった叶の顔に、珍しく疲労感が出ていた。俺より難関大学を狙って毎晩勉強していた受験シーズン中でも、ここまで疲れた様子は見せなかったのに。原因は分かっている。俺がさっき電話で話したことだ。叶は、両腕に大事そうに抱えた物をこちらへ差し出した。


「これ、小学生の時の卒アル……」


希望のぞみのこと待ってる間、これで紫乃さんのこと探してみたんだ。希望さっき言ってたよね、紫乃さんは再里の作った組織に誘拐された私達の同級生だって。同じ学年の子が行方不明になった事件は覚えてる。でも、それが紫乃さんだったのかどうかどうしても思い出せなくてさ。それは再里の力が私に働いたからだって分かってるし希望の話を疑うわけじゃないけど、そんなことやっぱり信じたくなくて。でも、やっぱり事実なんだね。それを証拠に、卒業前の個人の顔写真に紫乃さんの姿はなかった。誘拐される前の行事の写真にはいくつか写ってたけど……」


 渡されたアルバムをおもむろに開いてみた。やっぱり、何度確かめてもクラス別の顔写真欄に紫乃の姿はなく、その頃には彼女がエデンにいたのだということを強く物語っている。児童達が運動会や遠足で無邪気にはしゃいでいるシーンを切り取った思い出のところどころに幼い頃の紫乃の姿があった。誘拐される前の、まだ両親の元で暮らしていた彼女はどこかおとなしい印象で、だけど無垢な笑みを浮かべクラスメイト達の輪に溶け込んでいた。紫乃のそばにはたいてい子供時代の俺がいる。本当に、毎日彼女の近くにいたのだと思い知る。目頭が熱くなった。


「でね、アルバム見てる間に思い出したの。小学生の頃に噂になっていた、突然お金持ちになった夫婦のこと」


 紫乃の両親のことだ。俺と叶は紫乃のことを忘れていたので、当時その夫婦のことも他人事のような心持ちで受け止めていたんだ。でも、今となっては違う。紫乃の両親のことは俺も気になっていた。実の娘を売って貧しさから逃れ、夫婦はどうなったのだろうかと。


 叶は、今も仲良くしている小学校からの友達何人かに電話をかけたそうだ。その中には紫乃の実家の近所に住む子もいて、簡単に紫乃の両親の情報が聞き出せたという。


「紫乃さんを手放した後、しばらくは普通の生活を送っていたらしいけど、私達が中学に上がるか上がらないかって頃に夫婦はおかしくなり始めたって……。紫乃さんのお父さんはアルコール中毒、お母さんは何度も自殺未遂を繰り返して入退院を続ける生活。それで先日、私達が大学に入ったばかりの頃、二人とも亡くなったそうだよ。死因は自宅での首吊り」


 町内会の回覧板がなかなか回ってこないことを不思議に思って連日様子を見に行ったものの、いくら訪ねても中から誰も出てこない。そんな様子に違和感を覚えた近所の住人が警察に通報し、夫婦の遺体が発見された。二人が発見された時、家の中はひどく荒れていたけど、紫乃の部屋だけは昔のまま綺麗な状態が保たれていたという。


「そんな……」


 言葉が出なかった。叶の表情が曇っていたのはそれが最もな理由。


「私、ゆるせないんだ、そういうの……」


 叶は両手を握りしめ唇をかたく引き結び、涙をこらえるべく表情をかたくする。


「人の命を脅かす要素とか、人の心を苦しめる理由とか、この世の中から無くなればいいのにって、いつも思ってた…!」


 叶は深刻だった。初めて語られるそれは、医者になるという夢の動機なのかもしれなかった。


「俺もそう思う。再里や紫乃みたいに、生まれた時から何かに苦しめられる人生なんて変だよ」


 そう言いつつ俺も、真の意味で言魂使い(オラルメンテ)達の苦悩を理解できているわけがなかった。ただ、知ってしまった以上、黙ってはいられない。二人は俺に幸せになれと言ったけど、俺は二人なしでは幸せにはなれない。今見失ったら後悔する。絶対に。


『今までありがとう。さようなら』


 紫乃が最後に言った言葉を思い出しハッとした。こうしてゆっくり話し込んでいる時間はもうない。


「叶、行こう、再里んちに! 二人を止めないと!」


「分かってる! いつでも出れるよ」


 頷き合い、玄関の扉を開けた時、奥から寝巻き姿の父さんと母さんがやって来た。眠そうな顔をしつつ、二人は俺を見た瞬間眠気を忘れたように驚いた。


「やけに玄関が騒がしいと思ったら、帰ってたのか希望。二人ともこんな時間にどうしたんだ」


「帰ってきてくれて嬉しいけど連絡くらいちょうだいよ〜。何も用意してないわよ。ご飯は食べた?」


 相変わらずおっとりした親。高校を卒業する頃はしばらく実家へなど帰らないと思っていたのに、ここ数ヶ月の出来事で感じ方が変わったのか。久しぶりに親の顔を見て安心する自分がいた。変わらず元気そうでよかったなどと、柄にもないことを思ってしまう。


「ご飯はいいよ。私達外で適当にすませるから」


 叶が苦笑し背を向けると、父さんは少し動揺した。


「出かけるってこんな時間にか? もう日付も変わるぞ」


「父さん達は忘れてるかもしれないけど、幼なじみの再里んちに行くんだ。アイツ多分困ってる。だから俺達が行かないと」


 反対されても行く。その意気で再び玄関扉に手をかけた時、父さんの嬉しそうな顔が俺に向けられた。


「目が澄んでる。昔の希望に戻ったな」


 そういえば、実家を出る前までしつこいくらい言われていたっけ。今の俺はらしくないって。


 俺は言った。


「大切な人のこと、思い出したから」


「そうか。でもあんまり遅くなるなよ。叶も」


 寂しそうな、だけどどこか安心したような面持ちで父さんと母さんは俺達を見送ってくれた。


「ありがとう。いってきます!」


 叶は二人に手を振る。俺達は走って再里の家に向かった。数分の道のり、叶と短く言葉を交わした。


「希望が変わった理由、分かった。紫乃さんが好きなんだね」


「叶もそうでしょ。再里のこと、今でも……」


「再里は優しい。優しすぎて自分以外の誰かの苦しみまで引き受けてしまうんだよ。お母さんのことだってそう……。深い愛があったから、再里は自分のお母さんを……」


「俺もそう思う」


 再里は優しかった。紫乃はどんな時も強かった。それは、普通の人生ではなかなか身につけることができない優しさで、だからこそ二人は苦しんできたんだろうけど、その優しさが何度も俺を助けてくれた。そして、きっと俺以外の人達も救っていくんだと思う。



 ほどなくして再里宅に着いた。でも、肝心の玄関には鍵がかけられていて、俺と叶は中に入れなかった。外から再里の自室を見上げた。いつも遊びに行っていたから、外から見るだけでも間取りはだいたい分かる。部屋には見覚えのあるライトが灯っていた。紫乃と再里はあそこにいる!


「どうする?」


 こちらを伺いながら、叶は家の外周を回るべく足を動かした。すぐに侵入できそうな窓が見つかる。俺はあまり入ったことがないけど、外から見る限りリビングに面する窓。


「割って入ろ!」


 叶は着ていた薄手のパーカーを脱ぎシャツだけの姿になると、パーカーの袖部分を拳から腕の間に巻きつけ、施錠部分のガラス目がけてパンチを繰り出した。空手をやっていた叶にとっては普通の選択らしいが、俺はその潔く男気に満ちた決断に冷や汗と安堵、両方を感じた。こんな時も結局何もできない自分が情けなく思うけど、これでやっと中に入れる。


 叶が放った拳は当然豪快な破壊音を立て、それは静かな住宅地に大きく響いた。近所の誰にも聞こえていないことを願いながら、俺達は割った窓から鍵を開けて中に入り、再里と紫乃がいると思われる再里の自室に直行した。


 目的の部屋を前にひどく懐かしい感じがしたが、それをしみじみ感じる間も惜しくて勢いよく扉を開けた。馴染み深く明るい室内には再里と紫乃が横たわっていた。二人ともぐったりして顔色が悪い。


「再里、紫乃さん! 大丈夫!?」


 叶が再里の元に駆け寄る。俺も紫乃の背を支えるように抱き起こし、彼女の名前を呼んだ。体はまだあたたかい。けれど、どれだけ名前を呼んでも紫乃は目を開けてくれそうになかった。息も弱い。


 二人のかたわらに置かれたテーブルの上に視線がいった。フライドポテトの食べ残しとふたつのグラス、それぞれわずかにオレンジジュースが残っている。もしかして服毒自殺を図ったのか。


 これまで落ち着きを保っていた叶は、ここへ来てとうとう冷静さを失った。横たわる再里の胸にしがみつき、涙を流している。


「再里! こんなところで死んだらダメだよ……。今私、大学のゼミで言魂使い(オラルメンテ)の研究をしてるんだよ。再里、子供の頃に話してくれたよね。言魂使い(オラルメンテ)が幸せに暮らせる世の中になってほしいって。私もそう思うんだよ。だから、研究を続けていけば今後再里達が、言魂使い(オラルメンテ)達が、幸せになる道筋が見つかるかもしれない! だから、人間を諦めないで」


 知らなかった。叶が言魂使い(オラルメンテ)のことをそこまで気に留めていたなんて。昔の再里が叶にそんな話をしていたなんて。……ううん。俺は知ろうとしなかったんだ。平穏な日々を守ることに必死で、世の中の悪い部分から目をそらし続けてきた。だから叶の夢や大学での目標にも気付けなかった。


 紫乃を抱きしめ、俺は言魂使い(オラルメンテ)の二人に語りかけた。


「俺も再里の願いを叶えたい。死なないで、一緒に生きてほしい。つらいことも苦しいことも引き受けて、幸せになろう。再里……! 紫乃……!!」


 もしも俺が言魂使い(オラルメンテ)だったなら、今すぐ再里と紫乃を目覚めさせることができるかもしれないのに。無い物に祈りを捧げたくなるほど現状は過酷で、それゆえに時間の流れも鈍化していた。夜の沈黙が胸に重い。もう二人は助からないかもしれない。


 叶と俺は息を殺して二人の反応を待った。再里と紫乃の体はまだ人のぬくもりを宿している。それだけが一縷いちるの望みだった。


「叶、ちゃん……?」


 息が苦しくなるような沈黙を割いて懐かしい声が届く。先に目を覚ましたのは再里だった。仰向けの体勢で薄く目を開き、苦悶くもんに満ちた表情でそばに座る叶の顔を見上げている。叶は再里にそっと話しかけた。


「どうして倒れてたの? 救急車呼ぼうか?」


 再里は小さく首を振り、視線を左右にさまよわせた。俺の存在に気付いても特に驚くことはなく、すぐに視線を宙に戻し弱々しい声でつぶやくように言った。


「紫乃ちゃんは…?」


「紫乃さんはまだ目を覚まさないよ」


 叶は泣きそうになるのを我慢し、冷静に答えた。紫乃の上体を両腕に閉じ込めたまま、俺は再里にもう一度視線を向けた。


「再里。俺達が来るまでの間に何があったの?」


「儀式は失敗に終わったよ。紫乃ちゃんは助からない」


「どういうこと!?」


 全身から生きる気力が失われていくような気がした。紫乃がいなくなる、そんなことは考えたくない。再里は力ない声音で説明した。


「俺が紫乃ちゃんの能力を一時的に借りて、二人分の能力を解け合わせることができると仮定した。実際それは成功した。その強大な力をもって言魂使い(オラルメンテ)達を能力のしがらみから解放しようとしたんだ。でも、それだけはできなかった。願う事が大きすぎたんだろうな。言魂使い(オラルメンテ)とは誰にも侵食されない能力者だと証明されただけ。だったらせめてもの罪滅ぼしにと、エデンとそこで働く職員達を潰すことにした。ゼロもな。元々そうするつもりだったし」


 その後再里は、自分に残ったわずかな能力で紫乃を殺そうとしたそうだ。


「そんな……!」


「紫乃ちゃんの望みだったんだよ。もし儀式が不成功に終わったらその時は能力で私をあやめてほしいって。でも、儀式で力を使いすぎてしまって、人を殺める力はもう俺には残っていなかった」


 言魂使い(オラルメンテ)の能力は、使いすぎてしまっても睡眠で回復する。再里は能力の回復を待って紫乃を殺し、自分も後を追うつもりだった。そこへ、俺と叶が現れてしまったので予定が変わってしまったという。


「願いが叶わない場合も代償だけはしっかり持っていかれるってことだな。どちらにせよこのままじゃ二人とも助からない。今まで悪かったな、希望」


 再里はかすれた声で、だけどどこか満足そうに言った。


 ここまで二人を追いつめてしまったのは、俺にも一因があるんだ。親しい人の理解はどんな慰めの言葉より心の支えになる。分かっていたはずなのに、俺は長年再里に理解を示せなかった。示そうとしなかった。


「どうしてそう簡単に死ぬ死ぬって言うの?」


 男二人の気まずさを打ち砕いたのは叶の真摯な声だった。仰向けになったまま動かない再里の胸元にしがみつき、叶はとつとつと語る。


「希望に全部聞いたよ。再里の置かれた状況。親のこと。言魂使い(オラルメンテ)としてつらかった日のこと。紫乃さんも再里も、そうやって簡単に死のうとするのはこの世の中に未練がないから。自分は生まれてきたらいけない存在だと心の底で思っているから」


「その通りだよ。言魂使い(オラルメンテ)を迫害する今の世の中に、未練なんて砂の一粒分もない。離脱できてせいせいする」


「私は好きだよ。言魂使い(オラルメンテ)も、再里のことも」


「え……!?」


 それまで投げやりな感じだった再里に、人間くさい動揺がにじんだ。動揺しすぎたのか、回復しきっていない体をそろそろと起こし、怪訝な顔で叶を見つめている。


「医者になりたいって初めて思ったのは、子供の頃よく体調悪そうにしてた再里を元気にしたいと思った時。中学生になって再里が無理して明るいキャラ作ってたのも知ってる。でもね、あんな風に愛想を振りまかなくたって良かったんだよ。再里はね、そのままでいいの。引っ込み思案で体が弱くて優しくて。そんな再里、私は大好きだった」


「……そんな風に言われたこと、今までなかった……」


 再里は、高校の頃女子にモテていた。再里とは違うクラスだったけど、誰かが再里に告白したとかそういう恋愛絡みの噂話は広まるのが早かった。明るくてサバサバしていて気配りのできるところがいいよねと、再里を好きな女子達は口を揃えて言っていた。そういう評判は再里自身の耳にも入ったことがあったんだろう。再里と幼なじみということが知られてから、俺に告白の橋渡しを頼んでくる女子もいた。しかし再里はそのどれにもときめいている様子はなく、やんわりとした当たり障りないセリフで断っていた。「可愛い子は好きだけど、恋とか愛とか俺にはよく分かんないしなー」そう言って。


 まだ今はそういう心境になれないという意味なんだと思っていたあの頃。本当は、心の底から恋愛なんて無理だししないと決めていたんだろう。それを肯定するように再里は言った。


「どの愛も条件付きだった。親も、クラスメイトも、女子達も。そのままの俺なんて見せる気はなかったし、飾っていれば何となくうまくやっていけるからそれでいいんだって」


 だけど、再里は叶に愛されていた。俺だって再里を好きだ。


「騙して、裏切って、傷つけて、人の道を外れるほどひどいことをしたのに、どうしてまた俺の前に現れるんだよ。希望……」


 再里の声は涙まじりだった。


「一緒に幸せになるために決まってるでしょ。俺こそ今までごめんね」


「俺、やっぱりお前のこと大嫌いだわ」


 言葉とは裏腹に、再里の顔には満面の笑みが浮かんでいた。鬱々していたこちらの気持ちが一瞬にして晴れるような清々しい笑い方だった。


「奇遇だね。俺も再里のこと大好きだよ」


 紫乃を抱いたまま再里の手を取り、握手した。ここをきっかけに再び友情を育んでいける。そんな喜びで胸が熱く震えた。その余韻が抜けきらないうちに、再里はひとつの提案をした。


「紫乃ちゃんを救う方法が、ひとつだけある」


「本当に!?」


「それには大きな代償が必要だ。だけど、その代償を得て発する力は強大だし、俺も試すのは初めてだから成功の保証もない。それでもいいか?」


 再里の瞳に再び影がさす。それは俺にとってあまり好ましい方法ではないのだろう。でも、それで紫乃が助かるかもしれないのならその提案をのみたかった。


「いいよ。俺は何をしたらいい?」


 再里は力なく俺の手を取り、告げた。


「お前の命と引き換えに紫乃ちゃんを蘇生させる。言魂使い(オラルメンテ)の力で」


「……!」


 それは即答をためらう方法だった。もちろん、紫乃には生き続けていってほしい。だけど、再里の言う蘇生法が成功したら、その先の未来に俺はいなくなるということ。


 紫乃と生きていきたい。エデンでのつらい暮らしを忘れさせてしまえるくらい、楽しい思い出を一緒に作っていきたい。二人で生きていきたい。それに、俺がいなくなったら紫乃は何を支えに生きていくんだ? 彼女の両親は亡くなってしまっている。天涯孤独の身だ。同情ではなく、紫乃の過去も未来も抱きしめて、二人で寄り添いあいながら生きていきたい。だけど、それは叶わない。


 俺はどちらかを選ばなければならないんだ。紫乃を見殺しにして自分だけ生きる選択。紫乃を生かせる代わりに落命する選択。どちらにせよ、もう紫乃とは関わり合えない。それなら俺は……。


 再里の言葉に、叶は拒否反応を示した。


「そんなのダメだよ! ねえ再里、二人とも助かる方法はないの?」


「叶ちゃんごめん。今の俺にはその力が残されていないんだ。力の回復を待っていたら紫乃ちゃんは確実に助からなくなる」


 そうだ。再里は紫乃と共に儀式を行ったばかりだ。俺の命を取り込んだとしても、紫乃を蘇生させるのは相当きついことのはず。今だってあまり顔色がよくない。一刻を争う。叶にもそれが理解できたのか、異存を顔に浮かべつつ悔しげに黙り込んだ。


 俺の返事を待つように、再里と叶はこちらを見つめた。両者とも悲しげな目。だけど覚悟が浮かんでいる。


「分かった。再里、お願いできる?」


 叶に紫乃への伝言を言い残し、俺は再里の唱える言葉を聞いていた。


高城たかじょう希望の命を我が身に取り込み、各務かがみ紫乃の命を芽吹かせ……。ーーーー」


 言魂使い(オラルメンテ)の力がどう動いているのか目には見えないけど、呪文のような再里のセリフが途中からうまく聞き取れなくなったことで、その力が降り注いでいることを実感する。次第に意識が朦朧もうろうとしてきて、両腕に抱いた紫乃の感触とぬくもりがそっと離れていく気がした。


 子供の頃に潜ったプールの中みたいに視界は淡くぼやけ、水中みたく音も遠ざかった。叶の泣きじゃくる声がかすかに聞こえる。


「親だけでなく、俺は親友まで殺すのか。こりゃ地獄に堕ちるな」


 最後の最後に耳が拾ったのは、くぐもった再里の声だった。声だけでは泣いているのか笑っているのか分からなかった。


 そうして、何もないはずの綿あめみたいな視界に、子供の頃紫乃と初めて見た四つ葉のクローバー畑の緑が広がっていった。授業の一環で行ったんだっけ。


 あの頃から弱くて強かった紫乃。

 心から君の幸せを祈っている。


 出会ってくれてありがとう。



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