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12 愛を知らない共犯者


 殺人と同等、いや、それ以上に重たい私の罪。それは、希望のぞみを好きになってしまったこと。


 思えば、私は希望に嘘ばかりついていた。彼を好きではないふり。興味のないふり。嫌われてもいいというふり。


 人を疑うことを知らない希望は、簡単に私の言葉を信じてくれた。その純真さが私にとっては眩しさと共に重くもあり、優しい残酷さを感じさせるのだった。



 再里さいり君を促して希望のぞみのアパートを出る。再里君の車を探したが、いつもの路肩にそれらしい車は停まっていなかった。


「今日は電車で来たんだ」


 再里君はポツリと言った。さっきまで流暢りゅうちょうに話していたのが嘘のように生気のない声音。


「歩きたい気分だったんだ。徒歩がきついなら駅までタクシー拾うけど?」


「いい。私も今は歩きたい」


 それ以上、私は何も言わなかった。再里君の気持ちが痛いほど分かる。言魂使い(オラルメンテ)ゆえに親から利用され、妬まれ、欲しかった愛を受け取れなかった子供の末路。環境や過程は違えど、再里君と私は似た者同士だった。エデンを創設し罪を犯したことは赦されることではないけれど。


 私達は、やはりエデンには戻らず駅に向かってゆっくり歩いた。再里君の元々住んでいた〝生家〟を目指して。


 こうしてまったり歩いていると、自分の置かれた状況を忘れ自由の身になったような錯覚をする。希望のアパートで味わった緊迫感が夢だったように感じた。


 一人部屋に残された希望は、今頃何を考えているのだろう。希望を裏切り、結果的に私は再里君の罪に加担した。実際、これからそうするつもりでいる。それなのに、これから大きな何かをするとは思えないほど、再里君も私も落ち着いていた。安楽のために自殺を決めた人の心境はこういうものだったりするのかもしれない。


 穏やかな日差し。暖かいのに、作り物みたいに冷ややかな現実。いつになく心がいでいく。


 昼下がりの駅のホームには、年配の男性や小さい子を連れた夫婦がポツポツと立っているだけだった。休日なので学生の姿はほとんど見えない。


 エデンに捕らわれていなかったら、私も今頃普通の大学生や社会人になっていただろうか。希望とまともな交際をできていただろうか。再里君と共犯者にならずにすんでいただろうか。


 三、四歳の子供が父親らしき男性にアイスクリームをねだる声が聞こえた。「電車を降りたら買ってあげる」男性はそう言って子供を抱きあげた。その姿を目の隅で捉え、再里君はつぶやく。


「どういう気分なんだろうな、ああいうことされるの」


「親から抱っこ?」


「してもらったことないから想像すらできないな。いや、想像したことはあるんだけど、理想像の混じった想像だったからもはや妄想」


「なんか分かるよ」


 慰めではなく心からの共感だった。再里君の言葉には、親からまともに愛されたかったという思いがにじんでいる。


 間もなく目的の電車がやってきて、私達の間に流れる緩慢かんまんな空気を吹き飛ばした。


「これだな」


「そうだね」


 電車内に足を踏み入れる直前、私はホームを振り返った。来ないと分かっていても、希望が追いかけてきてくれることをほんの少し期待してしまった。当然そこに息を切らせて走ってくる希望はいなくて、ただただありふれた駅の風景があるだけだった。


「あそこ空いてる。座ろ。目的地まで長いし」


 再里君に促され、彼の隣に座る。進行方向に向いて設置された車両後方の二人がけシート。人もまばらで気持ちが落ち着いた。希望への気持ちをこの場所に置いていく。自然とそんな心持ちになった。


 電車が動き出してしばらくの間、私達の間に会話はなかった。車窓側に腰を下ろした私は流れ過ぎる景色を見るともなしに見ていたし、再里君は目を閉じていた。閉じているだけで本格的に眠ってはいない。


 その沈黙がありがたかった。希望を断ち切るため、気持ちを整える時間が私には必要だった。良いのか悪いのか、気持ちの整理に時間はかからなかった。


 気持ちが静かになった。現実を受け止め、自分のするべきことを心の中でそっと見定める。ちょうど小さな駅を二つ通過したところだ。同じ駅から乗車してきた乗客の姿はもうなく、この車両には私達だけになった。私は再里君に尋ねた。


「希望の記憶を消したのは後々過去を思い出して希望が苦しむのを見たかったからって言ってたけど、本当にそれだけ?」


「……………」


「憎んでいるわりに、希望への別れのセリフが優しかったから」


 返事はなかった。眠ったのか寝たふりをしているのか分からないけれど。


 それからさらに三つほど駅を通り過ぎた頃、


「世界で最も大事な友達であると同時に、最も憎たらしい存在だった。希望は」


「そう」


「変だって言わないんだな」


「その気持ちすごく理解できるから」


 閉じていた目をゆっくり開け、再里君は目をしばたかせた。


「紫乃ちゃんも俺と同じ、か」


「そういうこと」


 私は希望のことが世界一大好きだった。リアルな夫婦生活など知らなかった子供の頃から、結婚するなら希望しかいないと真剣に思っていた。言魂使い(オラルメンテ)の能力で自分が人間離れしていると実感するたび、希望への好感は彼への嫌悪感や劣等感をも引きずり出す感情になった。


「実験を名目に父親から無理矢理能力を使わされて、毎日体は悲鳴を上げていた。ハッキリ言って授業どころじゃなかったよ」


 再里君は再び目を閉じ、静かに語り始めた。


「幼なじみの希望とかなでちゃんが、そんな俺を心配していつも家まで送ってくれた。体調的に学校へ行くのはきつかったけど、唯一心安らぐ時間だったから無理して行ってたな。学校に行けば希望と叶ちゃんがいた。楽しかった。叶ちゃんはクラスが違ったけど、希望が来れない時でもマメにお見舞いに来てくれて。父親が愛想よく追い返してたから、家ではほとんど誰ともしゃべれなかったけど。そんな幼なじみの優しさは貴重でありがたい。そう思う一方、日に日につらくなっていった。二人に悪意がないのは分かってたんだけどな……」


「うん。それもよく分かるよ」


 幼い頃の再里君にとって、希望と叶ちゃんは唯一無二の友人であると同時に心を乱す存在でもあった。自分と違い、あたたかい家庭に育った双子。言魂使い(オラルメンテ)の血筋とは無縁の人間。彼らを前に、優しくもみじめな気持ちになるのは深くうなずける。


 もうひとつ、私はいておきたかった。


「希望の記憶を消した理由は分かった。でも、これだけは分からない。叶ちゃんや希望の家族の記憶からも私に関する記憶を消したのはどうして?」


「希望の記憶だけを操作したって無駄だろ? 周囲が紫乃ちゃんのことを覚えていたら、そのことで希望は苦しめられる。それに……。叶ちゃんの心に陰を作りたくなかったんだ」


 再里君は閉じていた目をうっすら開き、私の横顔越しに窓の外を眺めた。


「叶ちゃんのこと、大事だったんだね」


「さあな。これを大事と定義していいのか分からない。彼女にとっては迷惑この上ないだろうし」


「希望は知ってたの? そのこと」


「知らないと思う。話さなかったから」


「そうなるよね。希望からしたら寂しいことだろうけど」


「人に話すことで、この想いがより強くなるのを恐れた結果かもな。言魂使い(オラルメンテ)でなくとも、言葉には妙な力がある」


 叶ちゃんに対する特別な感情を強く自覚することで、叶ちゃんに対してまで嫉妬や劣等感を抱いてしまうのが恐かった。再里君はそう言った。


「でも、叶うのなら、最後に一度でいいから叶ちゃんに会いたい」


 ささやくようにつぶやき、再里君は目を閉じた。疲れているのか、彼はそれからしばらく浅い眠りを繰り返した。片道3時間近くかかる道のりはまだまだ長い。


 私は言魂使い(オラルメンテ)の力を使った。


「目的地に着くまで起きないでね、再里君」


 軽くめまいがする程度の代償ですんでホッとする。


 再里君が眠っている間、彼のシャツの胸ポケットに入ったスマホを盗み見たかった。エデンから支給された仕事専用のものだ。いや、今となっては私用端末と言ってもいいか。再里君は創設者なのだから。


 用心深い再里君らしくスマホにはロックがかかっていたけど、彼の指を借りて指紋認証でロックを解除できた。目ぼしいものはすぐに見つかった。再里君が自分で開発したらしい日記アプリ。そこに、言魂使い(オラルメンテ)についての研究結果を書き残していた。


 私の能力は心の病によって使えなくなったのではない。長い年月をかけて能力をコントロールできるようになったのだ。高レベルの言魂使い(オラルメンテ)は自制の適正も高いらしい。再里君は、私がその域に達するまで時を待っていた。私が善悪の判断で能力をコントロールできるようになったので、様子見も兼ねて希望の元に置くことにした。


 過去にも、何人もの言魂使い(オラルメンテ)に対し私にしてきたようなことを実験的に行ってきた。だがそれは失敗に終わった。私のパターンがただひとつの成功例だった。


 再里君は、エデンに収容された言魂使い(オラルメンテ)全員の血液情報と精神構造を元に、ある仮説を立てた。OM型の数値が低い者、つまり高レベルの言魂使い(オラルメンテ)が自分と同等の言魂使い(オラルメンテ)と交わることで、この世に生きる言魂使い(オラルメンテ)全員の能力を打ち消すことができる》と。


 《交わる》の意味は多岐にわたった。対話。性交渉。心の交流。定期カウンセリングと称して私の話を聞きに来たのは、心の交流をはかり私と〝交わる〟ため。私と心を重ねることで、再里君は言魂使い(オラルメンテ)全員を普通の人間にしようとしているーー。


 文章の続き。それは、研究結果というより再里君の個人的な気持ちがしたためられていた。


《 エデンが言魂使い(オラルメンテ)救済施設であることを、何者にも悟らせない。弱い子供が強いふりをしていじめっ子の標的になるのを防ぐのと同じように、エデンも犯罪組織の皮をかぶる。心は痛む。同朋を苦しめるのは身が裂かれるような思いだ。つらくてやめてしまいたくなる日もある。でも、ダメだ。今が一番苦しい時。これを乗り越えれば言魂使い(オラルメンテ)達は救われる。言魂使い(オラルメンテ)を餌食にする悪人達の目をあざむき切る。ゼロにも、決して俺の真意を悟られてはならない。この力をもって、最後にエデンの職員全員、駆逐する。》


 そのためだけに再里君は生きてきたのだ。自分の将来のために進学の道を捨て、言魂使い(オラルメンテ)達の未来のために自分の人生を賭けて……。


 私は再里君の計画に加担するためエデンから連れ出された。それは理解している。再里君の立てた仮説が実現すれば、全ての言魂使い(オラルメンテ)が平穏な暮らしを取り戻せる。だけど、本当にそんなことが可能なんだろうか? ただの仮説だ。もちろん前例も何もない。


 再里君の書き残した物を全て読み終わる頃、私の気持ちは動揺と微かな希望きぼうで針のような痛みを伴っていた。成功率は低いが、この仮説が実証されれば、言魂使い(オラルメンテ)は呪いのような血から解き放たれ、普通の人間になれるーー!!



 読書慣れしていたおかげで速読できたので、勝手にスマホを見たことには気付かれずにすんだ。再里君は用心深い人だけど肝心なところでツメが甘い。その甘さが私に勇気をくれた。あるいは、わざと隙を見せたのかもしれない。



 懐かしい。希望と暮らした思い出が濃い、地元の駅。駅のロータリーでタクシーに乗り、再里君の元自宅に向かった。夕焼けが眩しい。車内は暑くも寒くもなかった。思ったより早く目的地に着いた。


 住宅街の中でもひときわ目立つ立派な邸宅。そこが再里君の生まれ育った家だ。子供をモルモットにするような男が住んでいたとはとても思えない綺麗な外観。希望は何度かここへ来ていたのだろうけど、私は今日が初めてだった。


 どんな顔をしてその家を見上げているのだろう。私の目の前で旧家を眺めている再里君は、こちらを振り向くことなく言った。


「俺は紫乃ちゃんの貴重な十代の大半を奪った。身勝手に初恋を踏みにじった。怒らないのはどうして?」


「怒っても時間は戻らないから。それに、私は再里君の理解者になれる。再里君もそう。きっと私のことを最も近い位置で理解してくれている」


「その通りだな」


「行こう」


 死地へ向かう。これから私達は、命をしてーー。


 一歩、再里君は前に踏み出した。それについて私も足を運ぼうとした時だった。


「再里!?」


 後方から、この場には似合わない無邪気な声が飛んできた。再里君と私はほぼ同時にそちらを振り返る。驚いた。そこには、希望の双子の姉、叶ちゃんがいた。今は遠方の大学に入り一人暮らししているはずの彼女が、なぜここに。


 再里君は激しく動揺し、一歩後ずさった。それに構わず、叶ちゃんは再里君に駆け寄り彼の腕をポンポン叩きながら喜びをあらわにした。


「会えるかなーと思って来たら、ホントに会えたよ! 再里、背伸びたねー! 昔と全然変わってない。元気にしてた?」


「あ、ああ……。でも、何で家に? 大学は?」


「今日、休みじゃん? 実家に必要な物取りに来たんだけど、せっかくこっち帰ってきたから再里に会いたいなーってふと思ってさ。良かった。会えて」


 叶ちゃんは、再里君に会うためわざわざここまで出向いたようだった。


「あ、でも、再里にも用事とかあるよね。急に押しかけてごめんね。そちらの方は……?」


「うん。同じ会社の同期で、紫乃ちゃんっていうんだ」


 再里君はそれきりうつむいた。私のことを忘れている叶ちゃんに気を遣ったのか、叶ちゃんに忘れられている私に気を遣ったのか。計画的に動いて来た再里君にとって、叶ちゃんの来訪は完全に予定外のことだったらしく、顔には出さないようにしているものの困っているように見えた。


 私達から放たれる気まずい空気を、叶ちゃんも何となく察したらしい。気遣わしげな視線を私に向けた叶ちゃんは次の瞬間、人懐っこい笑みでこちらに話しかけて来た。


「紫乃さん、初めまして。高城叶といいます。再里とは実家が近所で、久しぶりに顔を見たくて寄ってみました。お邪魔してしまって本当にごめんなさい。これで失礼しますね」


 昔と変わらないショートヘアをふわりとひるがえし、叶ちゃんは来た道を戻っていく。子供時代にはなかった女性的なしなやかで優しい雰囲気。叶ちゃんはいつも爽やかでとても可愛い。細身の彼女は、素足にミュール、ショートパンツの格好がとてもよく似合いイキイキしていた。俗に言う女子大生というカテゴリーにぴったり当てはまる彼女。ささいな言動ひとつひとつがキラキラしていて可愛い。その眩しさが私の目には痛く、目尻にうっすら涙がにじんだ。



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