似ている女の子(1)
「お疲れ湯川君。伊藤君も」
昼休み、窓際の席で早々と弁当を食べていると、笹木がファイルと弁当箱を持ってきた。いつも一緒に食べる友人達をパスしてきたらしい。お疲れさまー、と重箱を抱えた伊藤が隣でにっこり挨拶する。今日の重箱には伊藤お手製のいなり寿司がぎっしり詰まっていて、すでにそのいくつかは周りの女子に配られている。
「お疲れ、……どうだった?」
咀嚼した唐揚げを飲み込んで尋ねた。笹木はルーズリーフノートを取り出し、俺と伊藤を交互に見る。
「ええと、今、平気ってことね」
伊藤の前で例の話をしてもいいか、という確認らしい。全然平気、と軽く手を振ると、笹木は近くの席から椅子を引き寄せて座った。
「当時の名簿はあったけど、本当に梅鷲町の子なの?」
「そのはずだけど。国道の向こうに住んでる人が話しかけてたんだから」
「ああ、湯川君が言ってたプールに入れない女子の話?」
すぐに察した伊藤が口を挟むと、プール? と笹木が怪訝な顔をする。しまった。全然平気じゃない。なんでもないから、と慌てて笹木を促す。
「どうぞ気にせず、お願いですから続けてください笹木さん」
「はあ。……野口サヤちゃんとサヨちゃんだよね。その名前の双子の生徒はいなかった」
言われるままに笹木が報告する。あっさりとした性格がありがたい。ただね、と言葉を切った笹木はルーズリーフに視線を落として続けた。
「似てる名前はあったの。六年前、あの学区に『野口』って生徒は三人いた。野口亜由美二年三組、野口雅文五年一組、野口小夜子五年三組」
ノートを読み上げる笹木の声にどきりとして、思わず呟く。
「のぐちさよこ、五年」
「でもね、兄弟姉妹は『無し』になってる。つまりサヤちゃんはいないし、当時二年生の亜由美ちゃんも別の家の子だし、小夜子ちゃんは一人っ子」
そう言って笹木は、少しだけ気遣うような顔をしてこっちを見る。俺が六年の頃に五年なら、ありえない話でもなさそうだと思ったけれど、一人っ子か。
おとなしく聞いていた伊藤が横から尋ねた。
「笹木さん、その名簿って、緊急連絡網みたいなもの?」
「うん。クラスの生徒に配る名簿で、親の名前と電話番号しか書いてないけどね。それを全部のクラス、七組分をチェックしてみたの。六年生ではないって湯川君が言ってたし、私も、同じ学区の同学年にそんな双子はいなかったって自信があったから、当時の五年生や四年生、一応低学年までチェックしてみた。名簿を捨てないで取っておく子が多くて、助かったよ」
「ひええ。お手数おかけしました」
拝むように両手を合わせると、笹木はルーズリーフを片付けて箸と弁当を机に置いた。
伊藤も気遣うような顔で言う。
「連絡網なら、その年の春に編集されたものだよね。一学期開始時点で、他のクラスにも野口小夜子さんのお姉さんがいないのなら、名前は似てるけど別人だと考えるほうが自然じゃないかな」
「私もね、湯川君が勘違いしてるだけで、双子じゃない普通の姉妹かもって思ったけど、一人っ子なんだよね、野口小夜子ちゃん」
「全部俺の勘違い説が有力みたいだな」
うんうんと納得してごま塩のかかったご飯を食べる。笹木は箸を持ったまま、弁当箱に向かって手を合わせ、一瞬目を閉じた。きちんと『いただきます』をするご家庭の女子なんだろうけど、笹木がやるとやっぱり若侍っぽく見えてしまう。
重箱を脇に置いた伊藤が、頬に人差し指をあてて考えながら言った。
「四月に一人っ子だったのに、八月にいきなり双子になったりはしないよね。家の都合で二人がもともと別の学校に通っていて、夏休みだけ一緒に過ごしていたって可能性はあるかもしれないけど」
「でもそれって、かなり遠いところに通うことにならない? うちの学区は当時、範囲が広かったし、目の前に学校があるのに、わざわざ別の学校に通わせるって、大変だと思うよ。それも双子の片方だけなんて、入学式とか親が大変だよ」
そう言って笹木が弁当箱のプチトマトを箸でつまんだ。そうだよね、とぼんやり考える。親が大変なのもあるけれど、あんなに仲がよさそうだった二人を別の学校に通わせても、誰のためにもならないような気がした。あ、と笹木が思い出したように脇に寄せたルーズリーフに目をやる。
「それで思い出したけど、この野口小夜子ちゃんは、お父さんがいない家だったみたい。保護者欄にお母さんらしき名前しかなかった」
「なおさら難しいよね。あと、もう一つ考えられる可能性が」
伊藤の言葉に、なになに、と身を乗り出す。少しだけにやりとしながら伊藤が続けた。
「五年一組の野口雅文君が、サヤさんだったというのは? 今は結構、漢字と読みが一致しない斬新な名前も多いよ。『雅文』と書いて実は『サヤ』と読む、みたいな?」
「まさか!」
空になった弁当箱を落としそうになる。笹木は呆れたような顔で、さらりと言った。
「残念ながら違います。野口雅文君は男の子。私もね、湯川君がこんな感じだから、何か勝手に勘違いしちゃった湯川君に、サヨちゃんたちが呆れてそのまま訂正しなかったのかも、とか考えたけど」
「こんな感じって、どんな感じなのか解らないけど、さすがに俺だって男の子と女の子を間違えたりはしないよ。何日も一緒に遊んだし、たくさん話したし、何よりサヤちゃんが『私達は女の子だから』って言ってたんだからさ」
「でも湯川君、遺伝子と外見で性別が異なっているケースとかもあるよ? あと心と体の性別が一致しないとか」
そう言って黒縁眼鏡の端を押さえる伊藤に、笹木は小さく息をついた。
「伊藤君も飛躍しすぎ。野口雅文君は関係ないの。私も一番有力な線だと思って、当時の五年生が卒業した時の卒業アルバムを見せてもらったの。雅文君は、どう見ても女の子に見えようがないビジュアルだった。背も高いし色黒で丸坊主。ずっと野球少年だったって。だから夏に湯川君とままごとしてる暇なんてなかったはずなの」
なんとなく傷ついたような気分を持て余している俺に構わず笹木が続ける。
「あと、野口小夜子ちゃんは五年生のうちに白根沢のほうに引っ越したんだって。だから卒業アルバムには野口小夜子ちゃんがいなかった」
「うーん、なんかこう、俺の記憶と現実が微妙にズレてるのかなあ」
「僕は近所のご老人とよくお話しするから解るんだけど、幼い頃の想い出っていうのは、美しいままにしようと無意識に補正が入ってたり、自分の都合のいいように書き換えられたりするものだよ?」
伊藤が一瞬、疲れたような顔をする。そういうものかな、と空の弁当箱を机に置くと、よかったらお味見どうぞ、と重箱を差し出しながら伊藤が言った。