双子の噓
あの本の言葉を思い出す。自分に都合のいいところだけを、何度も何度も読んだ。智彦先輩が目を閉じたまま口を開く。
「願いはすでに実現しているかのようにふるまえば、引き寄せられ実現する。欲しいものがあるなら、それをすでに手にしているかのように行動する。こうなりたいと思うならば、すでにそうなっているようにイメージし、演じること。欲しいもの、なりたいものがあるならば、今それを持っている。今そうなっていると、言葉にすること、……だったかな」
目を開けて智彦先輩が笑う。それはあの頃、夢から覚めそうな気持ちになるたびに読み返していた言葉だった。なんだか拍手したくなってしまう。
「私は、そこだけしか読んでいませんでした。それだけならできるような気がしたんです。私もサヨも、この魔法は本物で、このとおりにすれば願いは叶うって本気で思いました。私達にならできるって。だって私達は、すでにそれを半分くらいは実行していたから」
それを止める人なんていなかったし、止まるはずもなかった。
「私もサヨも、ずっと髪を切りに行くことなんてなかったから、同じ長さに切りそろえて、おそろいの簡単な服を縫って遊んでいました。そっくりではないけれど背格好や顔の形は近いから、一卵性に見えなくても、双子には見えたと思います。もうすでに私達は双子の姉妹なんだと演じながらここにいたんです。すごく、楽しい設定だったから」
「本当に二人は似ていたよ。確かに、見わけが付かないようなレベルではなかったけど、なんだろう、なんとなく二人の息が合ってたからかな。他人だなんて疑いもしなかった。仲良しでいると似るのかもね」
「そうかもしれません。双子だから、なんでも共有しました。私のお父さんはサヨのお父さんでもあり、サヨのお母さんは私のお母さんでもある。今は別々に暮らしているけど本当は仲がよくて、私達のために忙しくて帰れない日が多いんだって思うようにしました。私と父の写真と、サヨと母親の写真を合わせて四人の写真になるように切って交換したり、私は妹をサヨと呼び、妹は私をお姉ちゃんって呼んで、同じ髪型と格好をして、二人の家を行ったり来たりして、掃除や洗濯をして、同じご飯を食べました。でも、近所で知っている人に会うと台なしになるから、私達はここにしか行けなかったんです」
大きく息を吐くと、肩の力が抜けた。智彦先輩がのんびりと頭の上に手を組んで笑う。
「だから三人ここで会えたんだね。脳天気なのは僕だけだったんだなあ。僕は楽しかったけど」
「智彦先輩にとって楽しかったのなら救いです。サヨには、嫌な想い出にしてしまったと思うから」
「……サヤちゃんにとっても、そうなのかな」
ふと表情を消した智彦先輩が聞いた。あまり考えないようにしていたことだから、よく解らない。
「当時は、とても楽しかったです。今は、はじめから全部夢だったらよかったのかなって思います」
「夢みたいなものだったじゃん、実際」
智彦先輩がほんのり笑う。でも、もっともっと前から、嫌なことが全部夢だったらよかった。サヨが寂しいのも、私が寂しいのも。でも夢じゃなかったから、私達は現実で夢みたいなことをしていた。
「私もサヨも、あんまり眠れない子だったから、夢の中に逃げられなかったみたいです。雨の日の朝……早起きしたっていう日も、本当は眠れなかったんです。毎晩、今夜こそはお父さんが帰ってくるかもって待っていて、夜のうちは待っているのも怖くないんです。でも、夜が明けてくると、『またお父さんは帰ってこなかった』って思い知らされて、たまらなくなって明け方からサヨに電話したんです。サヨも眠れずに泣いていたから、すぐにサヨの家に行って、お昼をいっぱい作ったり、本を読んでいたりしたんです」
早起きしてよかったよね、と噓をついて笑っていたサヨの顔が浮かんだ。
「だから二人とも眠かったんだね。確か、ツナサンド作ってくれた日だ。本当はちゃんといつかはお礼を言いたかったんだけど」
「そんなの、いいじゃないですか」
「ご馳走してくれたことだけじゃなくてさ、二人が仲良くしてくれてすごく嬉しかったし、何度も言うようだけど、本当に楽しかったんだよ」
智彦先輩が力説する。だから、いきなり消えてしまったことが悔しい。そう言いたそうだった。
「ごめんなさい。いきなり会えなくなってしまったのは私のせいでした。もう、双子ではいられなくなってしまったんです」
「それが、僕達が最後に会った夜のことなんだね」
少し悲しげに笑う智彦先輩にうなずいて、裏手の柵に目をやった。月の出ていた夜。夏休みが終わる前に、私達の願いを叶えたかったのに。
「父は私に会わせるために再婚相手を連れてくる予定でした。私はそのことを、サヨには話せずに黙っていました。でも、サヨは気付いていたみたいです」
どうしたらいいのか解らないまま、願いが叶わなくなることだけが決定する、残酷な夜だった。
「夜になって、父が再婚相手を連れてくる時間が近付くと、いつものバスケットを持って神社に逃げました。私が寂しいのはその人のせいではないのに、その人がいなくなればいいのにって思いました。そういう自分が怖くて、現実のことを考えたくなくて、神社に逃にげたんです。それでも、裏手の道を父とその人が歩いてくるのが見えました」
夜の八時を過ぎたころ。まとわりつくような月の光が、妙に明るく二人を照らした。
「すでに願いが叶ったようにふるまっていて、もう幸せが手に入っているフリをしていたのに、どうにもならなくなりました。サヨと二人でお好み焼きみたいなパフェを作ったこととか、三人でリンゴを食べたこととか、リンゴを切って出したら父に誉められて、もっと上手になったこととか、そんなことを思い出して、ナイフをなんとなく見ていました。自分でも、それで何がしたかったのか、いまだに解りません」
「でも結局、サヤちゃんは何もしなかったんだよね。こんな高いところで、一人でナイフ持っててもなんにもできないし。ナイフで何かする気なんてなかったと思うけど」
簡単なことのように智彦先輩が言う。左手で右肩に触れると、腕を伝ってぽたぽた落ちた、赤い液体の感覚がよみがえった。
「そうだとしても、その代わりに、サヨは」
その先を言うのが怖くて、言葉が詰まる。ざざっと木々を揺らして、強い風が吹いた。




