ウサギのリンゴ(1)
笹木が指定した店は、青松町の駅から少し離れたところにあった。
ちょっとオシャレな街並みを過ぎ、ゆるやかな坂を上がった先の高台には、有名な高級ホテルやデラックスな雰囲気のカフェ、きらびやかなブティックなんかが立ち並んでいる。
そんな土地柄に建っているだけあって、このパピヨンだかパピヨナージュとかいう名前のお店も、なかなか高級感のある喫茶店だった。正しくはフルーツパーラーらしい。
きれいでムードのある店内。全てのテーブルには赤いオイルランプが灯っていて、女の子が喜びそうな雰囲気だった。店の立地が高台なので、窓から見える景色も悪くない。
背中越しに笹木の涼しげな声が聞こえた。
「綾部さん、苦手なものはない? フルーツ好きだったら、オススメがあるんだけど」
「あ、はい、果物はとっても好きです。先輩も?」
後ろのテーブルで楽しそうに二人が話している。背を向けて座っているので、二人の顔は見えない。綾部さんは真後ろで、俺と背中合わせに座っている。
少しだけ振り向いてみると、笹木はまるで口説こうとしているみたいに綾部さんの目を覗き込んでいた。
「じゃ、二人でそれにしようか。バイト代入ったから、今日はご馳走させてね」
笹木はクールに口元を結び、爽やかに微笑んだ。なんだか笹木がすごく男前に見える。
昨日の放課後、笹木は早々と綾部さんに会って、たちどころに仲良くなると、さらっと名前を確認したらしい。
いきなりその日のうちに誘うのも準備が足りなかったので、笹木と綾部さんのデートは今日の放課後になった。笹木はメニューを見もしないで店員にオーダーを告げる。
「私はサンライズ。こちらにはサンセットを」
オススメの店がある、という笹木の指示により、ここには先回りして一人で来ていた。女の子をおもてなしするならここは一押し、らしい。一緒のテーブルじゃダメなの? と聞いてみたら、気が散るし邪魔しないで欲しいから後ろでこっそり聞いててもらいたいという旨を告げられた。仕方なく言われたとおりにここで待機していると、楽しそうな二人がやってきて今に至る。
手鏡を取り出して後ろを見ると、テーブルに肘をついて綾部さんに微笑む笹木が見えた。
「そういえば私の家って梅鷲町の神社の近くなんだけど、綾部さんって昔、梅鷲に住んでなかったかな?」
なにげない風を装い、笹木が涼やかな声で尋ねる。一瞬の沈黙のあと、綾部さんは思い出したように慌てて答えた。
「あ、はい。小学生のころは住んでました」
「そうか、じゃ、記憶違いじゃなかったんだ。藤木坂に住んでるって言ってたから、私の勘違いかと思った」
綾部さんを安心させるように、笹木が安心したような声を出した。それでも綾部さんは申し訳なさそうな顔をする。
「ごめんなさい、先輩は覚えていてくれたのに、私、先輩のことをあまり覚えていなくて」
口ごもる綾部さんに、笹木は身を乗り出すように近付いて優しく言った。
「ああ、そんなこと気にしないで。私達、ほとんど話したことはなかったから。私が勝手に見かけて覚えてただけ。六年前だったかな?」
「……私を、ですか」
「確か、もう一人仲のいい女の子がいなかったかな。覚えてない?」
綾部さんが考え込むように、口元に手を当てながら答える。
「どうだったか、あまり覚えてないです」
「違ったかなあ。野口さんって言わなかったかな。ええと、小夜子ちゃんだったかな」
「野口、さよこさん、ですか」
どこか慎重さを感じる口調で、綾部さんがその名前を口にする。目の前で優しげに笑う笹木に、綾部さんが済まなそうに頭を下げた。
「ちょっと、思い出せません。ごめんなさい」
「謝らなくていいよ、私の勘違いなんだから。ちょっと気になっただけだから、ね?」
笹木がきりっと涼やかな笑顔で、綾部さんをじっと見つめる。このままだと綾部さんの手を握りしめそうな勢いだ。そして俺はなぜここでこれを見てなきゃいけないのだろう。




