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8品目 暇を持て余した神々の

 青天の霹靂だった。

「……休業日」

 明松は『なみはな』のドアに掛けられた『本日休業日』と書かれた札を見て立ち尽くしていた。中に誰かがいる様子もなく、カーテンが閉められた店は誰がどう見ても営業していない事は明白である。

「あいつ、休むんだ……」

 晴れた空を見上げ、溜め息を吐く明松。何者かがその背中を軽く叩いた。

「うん?」

「やはりここにいたんだな、来て良かった」

 明松が振り返るとそこには柊が居て、笑顔で片手を上げた。

「やはりって……」

「定休日の確認なんてしてないだろうと思って」

「うっ、ま、まあ……してねぇけど」

 図星だったようで、明松は恥ずかしそうに頬を掻く。

「お前だってわざわざ一月単位で予定立てて来てる訳じゃねーだろ?」

「はははっ、確かにそうだな!」

 君の言うことは面白い、と続け、柊はけたけたと笑う。

「うるせー! 笑うな!」

「ふふっ、悪かった悪かった。そう怒鳴らないでくれ」

 柊はむくれる明松を宥める。

「ああそうだ、君はこれから暇か?」

「暇」

 間髪入れずに答える明松。

「聞くまでもないだろ、こっちはここでのんびりしようと思ってはるばる来てんだ」

「それならうちに来るか?」

「……えっ?」

 きょとんとする明松を見て、柊は思わず吹き出す。

「何で急に」

「そんなの決まってる、私も暇で仕方ないからだ」

「……ははっ、そういやお前はそんな奴だったよ」

 明松は改めて柊の退屈を嫌う性質を思い出す。

「けど、何するんだよ」

「愚問だな。茶を飲むんだ」

 柊はニヤリと笑う。

「……食いもんも出る?」

「私が作ろう。それなりのものは作れると思う」

 明松は少し考えた後、軽く頷いた。

「そういう事ならついていこうかな」

「よく言った。じゃあ出発だ」

 二人は店に背を向け、人通りの少ない道を並んで歩き始めた。


 二十分ほど歩いて、二人はあるマンションの前で足を止めた。明松は緊張した様子で柊の服の袖を引っ張る。

「……何を今更身構えているんだ?もう何度か来たことはあるだろう」

「いや、その……ちゃんと呼ばれて来るのって初めてだからさ」

「ああ、そういえば不法侵入だったな……。まあ、今日の君は客人だ。もっとリラックスして良いんだぞ?」

 そう言って微笑み、柊は明松に付いてくるように促した。


 エレベーターと廊下を通り、柊の家の前に出る。八階建てマンションの八階の角部屋、そこが柊の家である。

「ひいらぎ……せい? それともなる?」

 明松は表札の『柊 成』という文字を見て首をかしげた。

「なる、だ。知らなかったか?」

「表札なんてそんなにじろじろ見ないからなぁ。……(ナル)、ね」

 明松がぶつぶつと柊の名前を確認するように呟く。その間に柊はポストを確認し、鍵を開ける。

「さ、入ってくれ」

 柊はドアを開け、明松に先に入るように言う。

「ありがとな。えーと、お邪魔します?」

「何もないがまあ、くつろいでくれ」


 準備をするからと待っているよう言われた明松は、リビングに置かれた黒いソファーに座って落ち着かない様子で過ごしていた。

「……なんだろう、この落ち着かない感じは」

 そわそわと辺りを見回すと、柊の私服のように黒を基調とした家具が置いてある。

「まあうん、こうしてちゃんと来るのは初めてだしな、うん」

 ふう、と溜め息を吐き、ソファーの背凭れに体重をかけると柔らかい感触に包まれる。

「……座り心地、良いな」

 明松はぼんやりと天井の電灯を眺めながら時間が過ぎるのを待った。


 二十五分程たった頃、キッチンから甘い匂いがし始め、柊がキッチンから現れる。少し小麦粉がかかったのか、黒いエプロンが所々白く汚れていた。

「すまない、焼けるまでもう少し待っててくれ」

「そんなに気を遣って急がなくても。別に用事はないし、時間かかっても良いのに」

「別に遣ってないが」

 少し汚れたエプロンを脱ぎながら柊は答える。

「あっ、遣ってないのか」

「今更君に遣う気なんてないね」

「期待した俺がバカだった」

 同時に吹き出す二人。

「やっぱり君と話すのは飽きないな」

「俺をからかうのは、の間違いだろうが」

「さあ? どうだろうな」

 柊がクスクスと笑うと、キッチンから何やらベルのような音が聞こえてくる。

「おっと、焼けたみたいだ」

「何焼いたんだ? アップルパイ?」

「……三十分でそこまで手の込んだ物が作れるはずないだろう。見てのお楽しみだ」

 そう言って、柊は足早にキッチンに向かった。


 「お待たせ」

 キッチンから帰ってきた柊はソファーテーブルに白い皿を乗せる。皿の上には薄茶色と焦げ茶色をした不揃いなドーム型の物体が乗っていた。

「こんな簡単なものしか作れなくて済まないな」

「……その、これがなんなのか説明して貰わないと簡単なのかどうかすらわかんねぇんだけど」

「ん? ああ、これはスノーボールと言ってだな、砂糖と小麦粉とバター、好みでココアパウダーを混ぜて焼いた……クッキー的な何かだ」

 最後だけ自信がなさそうに答える柊。

「へぇ、クッキー的な」

 明松は説明されても結局よくわからないと言いたげな顔をする。

「あと、今日飲むのはハーブティーにしようかと思うんだが、どうだろう?」

 ハーブティーがピンとこないのか、明松は首をかしげる。

「紅茶とは違った味わいで、これがまた美味しいんだ。ちょうど私のお気に入りがあるんだが、飲んでみるか?」

「ふぅん……?まあ、そんなに良いって言うなら貰う」

「分かった」

 柊がキッチンに戻ったのを見計らって、明松はまだ熱を持つスノーボールを一つつまみ、口に放り込んだ。

「……ん」

 歯を立てると、口内でスノーボールは半分に割れ、柔らかい内側の部分がバターの香りと甘味と共に溶けるように口に広がる。

「あ、まい」

 初めての食感に目を丸くしてゆっくりと余韻に浸る明松。

「……もう少し、かかるよな?」

 明松はキッチンの方を少し見る。まだ柊が出てくる様子は無さそうだった。


 ──もう一つだけ、もう一つだけなら勝手に食べてもきっと気付かれない。そもそも気付いたとして柊はこんな小さな事で俺を咎めたりはしないんじゃないか──


 そんな考えが頭を過り、意地汚いと分かっていても手が伸びた。

「お茶入ったぞ」

「っ!」

 キッチンから柊が顔を出した為、明松は伸ばしかけた手をさっと引っ込める。

「クトゥグア? どうした?」

「いいいいや、ななな、何でもない!」

 明らかに動揺する明松だが、柊は少し首を傾げるだけでそれ以上深くは聞かなかった。

「さ、是非飲んでみてくれ」

 リビングに帰ってきた柊は薄い金色の茶の入ったティーカップを明松の前に置く。ティーカップからは蜂蜜の甘い香りと柑橘類の爽やかな香りが漂っていた。

「すごく良い香りだな」

「リンデンフラワーとオレンジピールのブレンドなんだ。少し蜂蜜も入ってる」

「リンデンフラワー? ……花?オレンジは何となく分かるけど……」

 首を捻る明松。

「私も詳しくは知らないが、花も入っているみたいだ。結構甘い」

「ふぅん……」

 明松はティーカップを持ち上げ、ハーブティーの水面を見つめる。

「花からこんなきれいな色が出るのか」

「君の好きな紅茶だって植物だぞ?」

「えっ」

 明松は信じられない、と目を丸くする。

「紅茶って草なのか?」

「草というか、木の葉だな」

「木の葉、ねぇ」

 明松は『なみはな』で飲んだ紅茶の色を思い浮かべる。

「あんな色が木の葉っぱから出るのか、不思議なもんだな」

「……紅茶の色の仕組みまでは私も知らないから、どうなってるか説明はできないんだがな。……博識ぶってはみたが、茶葉に関してはまだまだのようだ。」

 柊は肩を竦めると、ティーカップを手に取り口をつける。

「君も眺めてないで飲んでみたらどうだ?折角のハーブティーが冷めてしまう」

「お、おう」

 明松は一度ハーブティーの香りを肺一杯に吸い込む。オレンジの香りと蜂蜜の香りに混じって、微かに花の香りが感じ取れた。

「……なんか花畑みたいな匂いがする」

 恐る恐る一口口に含むと、広がった甘味とオレンジの香りに、明松は蜂蜜をかけたオレンジをかじったような感覚を覚える。

「……なんだ、これ」

 明松は目を丸くして一度カップを口から離す。何度か目をぱちくりさせ、次は啜るように少しだけ口に含み、口の中に留めてゆっくり味わう。再びオレンジの爽やかな香りと蜂蜜の甘みが口に広がる。

「どうだ?」

 無言で頷く明松。

「気に入ってくれたか、良かった」

「……まあまあ、かな」

「まあまあ、か……相変わらず、素直じゃない」

 やれやれと溜め息を吐き、柊はまだ暖かいスノーボールをひとつつまみ上げた。


「なあニャル」

「……ん?」

「少し気になったことがあってさ。あの、えーっと……」

 明松は言葉を探して唸る。

「いつもの店の話か?」

「ああ、えと、あいつ……えーっと」

雨沢(あめさわ)さんのことだろうか?」

 予想外の名前を出され、沈黙する明松。

「そういえば君は知らなかったか、雨沢というのはあの店の店主さんの名前だ」

「……ああ!」

 そういうことか、と明松は手をポンと叩く。

「それで、雨沢さんがどうしたんだ?」

「ん?ああ、あのさ……」

 明松は大雨の日の出来事を柊に話す。

「……店員を雇うように言ったら変な顔をした?」

頷く明松。

「その、お前なら何か知らないかと思って。悪いこと言ったかなって、心配なんだ」

「……私もそこまで深くは知らないからなぁ」

「そっか」

 明松は溜め息を吐き、しゅんとした顔をする。

「従業員関係で何かあったのかもしれないな。……あくまでも推測だが」

「何か、ねえ」

 頬杖をつき、明松はスノーボールをひとつつまむ。

「人間って難しいな。何で本心を隠すんだよ。雇いたくない理由があるならはっきり言えば良いのに」

「……はは、君は少し簡単すぎる」

 柊は呆れ半分、同意半分といった様子で苦笑した。


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