7品目 真夏には少し早いけれど
その日は非常に蒸し暑く、真夏の炎天下よりも不快な程の暑さであった。明松と柊は暑さに耐えかねたのか『なみはな』で涼んでいた。
「何頼もうかな……。喉乾いた」
「アイスティーでも頼んだらどうだ? 君の好きな紅茶だし、涼しげで良いと思うぞ」
明松がテーブルに広げたメニューのページを適当に捲っていると、柊が提案する。
「アイスティー、ねえ。お前はどうするんだ?」
「私は……まだ決まってないが、冷たいものが欲しいな」
明松はふーん、と軽く返し、メニューに目を戻す。すると、あるページで明松の手が止まった。
「かき氷……始め、ました?」
「かき氷? 意外と早いんだな……」
赤や緑、黄色といった色とりどりの写真を見て、明松はうーんと唸る。
「なんか豪華だな、果物とか乗ってて」
「氷がふわふわなんだ、美味しいぞ」
「氷がふわふわぁ?」
あり得ないことを言うなと言いたげな表情を浮かべる明松。
「氷は固いに決まってるだろ」
「その固い氷を削るとふわふわになるんだ。知らなかったか? ……待てよ、そもそも氷の存在を知っていたことが奇跡か」
「お前なぁ、流石に氷ぐらい知ってるっての」
バカにされたと感じたのか、明松は少し機嫌を悪くしたようだ。
「ああ、そういえば君の身内に冷気をどうこうする白いのが居たんだったな」
「……あいつの話はやめようぜ」
明松は少し嫌そうな顔をして柊の口元に人差し指を立てる。
「そう嫌がらずとも……。まあ、確かにそろそろ決めないと待たせてしまうな」
明松の指を退けつつ、柊は頬杖をついてメニューに目を向ける。明松もそれに続いて柊が開いているかき氷のページを見る。
「俺、これにしようかな」
明松は赤色のシロップがかかったかき氷の写真を指差す。
「苺味か。良いんじゃないか?」
「柊はどうする?」
「私か? そうだな……。枇杷にしようかな、他所じゃ余り食べられないし」
柊は明松が示したページに載っていた黄色いかき氷を指で示す。
「他所で食えねぇって、そんなに珍しいもんなのか?」
「……他所じゃもっと強気なんだ、値段設定……」
「庶民かよ」
呆れた顔をしつつ、明松は呼び鈴を鳴らすのだった。
注文を終え、明松はは背もたれにもたれ掛かり、大きく伸びをする。
「それにしても快適だ……。ここに住みてぇ……」
「暑さには強いと思っていたんだが、意外だな」
「湿気が嫌なんだよ……」
明松は大きな溜め息を吐いてテーブルに突っ伏す。
「私は湿気も暑さも苦手だな」
「そんな暑苦しい服着てるから」
呆れた様子で柊を見る明松。確かに暑そうな黒い長袖のシャツ姿である。
「まあ、暑いことには暑いが……」
そう答えると、柊は袖を軽く捲りリボンタイを緩めた。
「それを言うなら君もその髪の毛を纏めたらどうだ?」
柊は湿気で癖が強くなった明松の長髪を指差す。
「そのままにしておくと邪魔だろう。肩までの長さはあるから結べそうだし、私がやってやろうか?」
「まあ鬱陶しいけどよ、纏めるったって都合良く紐なんて持ってるわけないだろ」
明松が口を尖らせると、柊は黒いリボンタイを解き始めた。
「これで試してみようじゃないか。案外似合うかもしれないぞ」
「なんでわざわざ……。ま、良いけどさ」
それじゃあ早速、と言って立ち上がると、柊は明松の背後に立つ。
「あんま引っ張らないでくれよ」
「安心してくれ、手先の器用さには自信がある」
そう言いながら、柊は細い指で明松の癖毛を纏め始める。
「よし、できた……っ」
明松の髪を束ね終えると、柊は急に声を押さえて笑い出す。
「……何笑ってんだよ」
「いや、その、結構端が余りそうだったからアレンジしてみたんだが、予想以上に……っふ、ははっ」
耐えかねたのか、声をあげて笑い出す柊。
「俺の頭で遊びやがって。……どうなってんだ?」
「かっ、鏡、見るか?」
「見る」
二枚の鏡を器用に使って後頭部を見る明松。すると複数のループと長いタレで構成された可愛らしいリボンで結われた自分の髪を発見する。
「なっ……! てめっ……!」
「とても似合ってる、ふぐっ、かっ、可愛いぞ」
「褒めてねえだろうが、ったく……」
怒ったような呆れたような様子の明松。
「これから毎日リボンつけたらどうだ?」
「却下」
食い気味に答えを返し、明松はリボンを外そうとタレに手をかける。しかしリボンを解く事はしなかった。
「外さないのか?」
「……ま、まあ、折角やってくれたのに無駄にするのも悪いし?」
あくまでも柊に悪いから、と言い通す明松。柊は微笑むと、先程まで座っていた椅子に戻った。
そんなことをしていると、店主が大きな器を持って二人の座っているテーブルの方に向かってきた。
「かき氷です、どうぞ」
黄色いかき氷は柊の、赤いかき氷は明松の前に置かれる。ガラスの器の上に白くきめ細かい氷が山になっており、その山の上には甘い香りのするシロップやごろごろと大きく切られた果肉が乗っている。
「……」
未知の物を見るような目でかき氷を見つめる明松。
「かき氷食べるの、初めてですか?」
「あ、ああ、うん、まぁ……」
「そのシロップ、手作りなんですよ。溶けないうちに是非」
店主はにっこりと笑うと、一礼してその場を後にした。
「いただきます」
「いただきまーす」
二人は例のごとく手を合わせ、スプーンを手に取った。
「うまそう……」
苺の甘酸っぱい香りを楽しみながら、明松はスプーンをそっとかき氷に差し込む。すると、全く抵抗無くスプーンが入っていった。
「わ、ふわふわ……」
明松は子供のように目を輝かせ、氷だけの部分を一匙掬い、口に運ぶ。糸のような氷は一瞬だけ口内の熱を奪うと、噛む間もなく水へと変わる。
「ん?味、しないぞ」
「色のついた部分だ、味があるのは」
柊はスプーンで明松のかき氷の赤い部分を示す。
「なるほど」
感心したように頷き、明松はのシロップのかかった部分と氷の部分を掬い、口に含んだ。
「ん……!」
シロップで溶けかかった氷はすぐに溶けてしまい、甘酸っぱい苺の風味が口に残る。
「冷たい……甘い……」
上に乗った苺はシロップよりも酸味が強く、甘ったるく感じさせない。
「これ凄いな。いくらでも食えるよ」
シロップが片寄らないよう満遍なく広げながら食べ進める明松。
「づっ!?」
突然明松の動きが止まったかと思うと、頭を押さえて混乱した様子を見せる。
「ってぇ……?」
「全く、急いで食べるから」
柊はクスクスと笑いながら頭を押さえる明松を見る。
「うまいけど頭が……何で……?」
「ゆっくり食べると良い。そうすれば痛くならないぞ」
「んー」
頭を押さえながら明松は頷く。
「あー、少し治まった」
首をプルプルと振り、額に手を当てる明松。
「気を取り直して、こっちはどうだ?」
柊は枇杷ジャムとかき氷を掬ったスプーンを明松の目の前に突き出す。
「ん? くれるのか?」
「ああ」
「んじゃ遠慮無く」
突き出されたスプーンを躊躇無く咥えると、明松の口に蜂蜜の甘さと枇杷の酸味が広がった。
「ん、これも甘いな」
「ああ、蜂蜜と砂糖で煮てあるらしい」
「へぇ。……もう一口」
明松は手を合わせてお願いのポーズを作る。
「全く、仕方ないな」
呆れ気味に笑うと、柊はスプーンで枇杷の果肉と氷を掬い、明松の口元に近付ける。
「あー……」
「気が変わった」
あともう少しというところで柊はさっとスプーンを自分の口に運ぶ。
「うん、美味しい」
「……うぅ」
悲しげな目で柊を見つめる明松。
「そんな子犬みたいな顔しないでくれ、ちゃんと一口やるから」
「……本当か?」
「ああ、本当だとも」
そう言うと、柊はまた同じように果肉と氷を乗せたスプーンを明松の口元に持っていった。明松はそれと柊の顔を交互に見比べる。
「そう疑わなくてもいいのに」
「お前がいらんことしなければな」
スプーンを咥えると、氷と柔らかく煮込まれた枇杷が口内で解ける感覚を覚える。
「ん……」
幸せそうに枇杷と氷を味わう明松。そんな明松の目の前にある皿をじっと見つめる柊。
「君のも美味しそうだな、一口くれないか?」
「もちろん、好きに取って良いからな」
「それじゃあお言葉に甘えて」
柊はそう言って明松のかき氷を一匙掬い取った。
二人がかき氷を食べ終わる頃、店内には更に上がった外の気温に耐えかねた客がぽつりぽつりと席を埋めていた。
「本当、料理して接客して……大変だよな」
明松は頬杖をついてあちこちのテーブルを行き来する店主を見る。
「よく一人で回せてるよな」
「確かにそうだな」
店主は慌ただしく店内を移動しているが、その横顔はどこか楽しそうであった。
「この仕事が好きなんだろう。人と話すのも好きだと言っていた」
「まあ、楽しくないと続かないよな」
明松は軽く溜め息を吐き、空になった皿を見つめる。
「……俺も柊とあいつみたいになれるかな」
誰かに向けたわけでもなく、ただの独り言を小さな声で呟く明松。
独り言が聞こえたようで、柊は優しく微笑み、明松の頭を軽く撫でた。
「きっとなれるさ」
柊の呟きはあまりにも小さく、明松に届いたかどうかは定かではない。