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4品目 貴方の名前は

 今日の明松はとても退屈していた。先日、柊にどうしてもはずせない用事があるとかで一週間ぶりに『なみはな』に行こうという誘いを断られたのだ。その所為か明松の機嫌は最高に悪かった。

「柊の奴、用があるならあるで先に言えばいいのに……ったく」

 そう独り言を言い、明松は大袈裟に溜め息を吐く。空を見上げると、日が落ち始めていた。

「よく考えたら、先に言われても今日暇するのは変わんねぇか……」

 知っている顔は多いが、積極的に自分に関わってくれる相手、となると途端に数が減る。関わるべきではない相手、そう認識されているのは明松自身も分かっていた。

「……なんか、へこむな」

 明松がしょぼんとした顔であてもなく歩いていると、丁度『なみはな』の前に来ていた。

「いつの間にこんなところまで……」

 明松はぐぅ、と腹が鳴るのを感じる。

「まぁ、折角来たんだし何か食べていくか」

 そう呟くと、明松はドアを開ける。


 「いらっしゃいませ」

 明松がドアを開けると、長身の店主が明松を出迎える。店主は入ってきたのが明松であることに気付くと嬉しそうな顔をした。

「また来てくれたんですね。いつもありがとうございます」

「覚えてたのか? ……最近来てなかったのに。」

「柊さんの御友人ですから、きっとまた来てくれると思ってたんですよ」

 申し訳なさそうに言う明松に店主は笑顔で答える。

「こうしてお一人でも足を運んでいただけるなんて嬉しいです」

「嬉しい、ねぇ」

 店主の嬉しそうな顔に、明松はつられて笑ってしまう。

「お席の希望はございますか?」

「ん……日が当たらない所がいいな、西日が眩しくて」

 明松は少し考えてからそう答える。

「かしこまりました」


 明松は案内された席に座り、出された水を飲みながらじっくりとメニューに目を通し始めた。料理の写真に食欲を掻き立てられたのか、頻りに喉を鳴らしている。

「なんか腹減ってくるな」

 明松は軽食のページをじっくりと眺め、何を注文しようかぼんやりと考える。

「パンケーキ、フレンチトースト……くりーむぶりゅれ? クリームブリュレって何だ?」

 目についた料理の名前を呟く明松だが、どれもしっくりこないと言いたげな顔をしている。

「うーん……」

 明松が考え込んでいると再びきゅるる、と寂しげな音が鳴る。

「うーん、なんかこう、腹が膨れるような物……ん?」

 明松は一つの文字列に目をつけた。

「ナポリタン? 変な名前だな。写真は……無いのか」

 ナポリタンがどんなものか想像を巡らせていると、店主が明松の元へやって来た。

「ん?まだ呼んじゃ……?」

 まだ呼んでは居ないと言いかける明松だが、店主は空になったグラスに水を注ぎ始めたのを見て、納得した顔になる。

「ああ、それか。……あ」

 何かを思い付いたように手を打つ明松に、店主は不思議そうな表情を向ける。

「いかがなさいましたか?」

「あのさ、このナポリタンってヘンテコな名前のやつって何だ?」

「ナポリタンですか? ……ああ、そういえば写真が無かったですね。ええと、そうだなぁ。要するにトマト味……いやケチャップ味の方が正しいですか。そう、ケチャップ味のパスタですよ」

 メニューを指し示しながら明松が質問すると、店主は少し考えてから答えを返す。

「ケチャップ味のパスタ、ねぇ」

「パスタを玉葱やピーマンと一緒にケチャップで炒めるんです。美味しいですよ」

店主の言葉に、明松はごくりと喉を鳴らす。

「確かに、すっげえうまそうだな……!」

 目を輝かせる明松を見て、店主は口を隠すように左手を持ち上げる。

「ああ! 今笑ったろ! 俺でも分かる!」

「ふふ、すみません。言葉だけでそんな顔をして頂けて嬉しくてつい」

 店主は明松に笑顔を向けつつ答える。

「嬉しい……?」

「ええ、とても嬉しいんです。この短期間に三度も来て下さって、美味しいって言って頂けて。……それに、貴方は美味しそうに俺の料理を食べて下さる。そのような方に料理をお出しすることは、俺にとってこの上ない幸せなんですよ」

 店主の言葉を聞いて、明松の顔がだんだんと赤くなっていく。

「はっ……恥ずかしくねぇのか言ってて!」

「ええ」

 店主は顔色ひとつ変えずに答えた。それとは対照的に明松は耳まで真っ赤になっている。

「ああもう、今日は帰る!」

 ガタンと椅子を蹴って立ち上がる明松。

「……お帰りですか?」

 店主が寂しげな声を出すと明松は立ち上がった姿勢のまま固まる。

「う……かえ、る……いや……でも……」

 寂しげな顔の店主を見て、明松は更に帰りづらそうな様子を見せる。そして追い討ちをかけるように明松の腹が音を立てた。

「…………聞こえた、よな?」

 困ったような顔で曖昧に笑う店主を見て、明松は少し恥ずかしそうな様子でちょこんと座る。

「……ナポリタン、ひとつ。あと紅茶」

「ありがとうございます」

 店主は先程よりも明るい笑顔を明松に向け、伝票に注文を書き込んだ。


 料理が来るのを待つ間、明松は店をざっと見回していた。店内にある装飾らしい装飾は柱時計や観葉植物などであり、これといって興味を引かれるようなものは無い。

「良くも悪くも落ち着いてるっつーかなんつーか………。くぁ……」

 明松は大きなあくびをすると、自分が座っている椅子の周囲に目を向ける。白いテーブルクロスのかかった重く頑丈そうな木のテーブルも、落ち着いた色の椅子も新しい物ではない事はそういった物に疎い明松にも分かった。それでも、古いものであることを感じさせない程に手入れは行き届いており、傷ひとつ、埃ひとつ付いていない。

「アンティークって奴か、これ」

 明松は凝った装飾の施された椅子の背もたれをじっくりと見つめ、ふう、と溜め息を吐いた。

「何か……眠いな」

 手持ち無沙汰なのか、明松は机に頬杖をついて眠そうに目を細める。

「そうか、柊が、居ないから……」

 そのうちその姿勢のまま寝息を立て始めた。


 「ナポリタンと紅茶です。……お客様?」

 店主は規則正しい寝息を立てている明松をそっと揺り起こす。

「んぅ……?」

 明松は眠たそうに目を擦っていたが、料理の匂いに気付くとはっとした顔になる。

「あー……悪い、寝ちまった……」

「構いませんよ、今出来上がったばかりですから」

 そう言って、店主は明松の前に皿を置く。オレンジ色の麺が暖かい湯気とかぐわしい香りを立てている。

「どうぞ」

 明松はナポリタンの香りに幸せそうな顔をする。

「本当にうまそうだ」

「ありがとうございます、ごゆっくりどうぞ」

 紅茶のティーポットとティーカップ、そして綺麗に磨かれたフォークを机に置いて、店主はその場を後にする。


 「これがナポリタンってやつか……もっとへんてこな物が出てくるかと思った」

 明松はオレンジと緑が混ざった麺の乗った白い皿をまじまじと見つめて呟く。それからフォークでパスタを器用に巻き取り、口に運ぶ。パスタを口に含んだ瞬間、驚いたように目が見開かれる。

 口に含んだパスタを咀嚼しながら、明松はうっとりと頬に手を当てた。

「はぁー…………」

 パスタを飲み込み、幸せそうな溜め息を吐くと、二口目以降もゆっくりと味わいながら口に運ぶ。時おり紅茶を飲み、喉を潤わせてからまた一口、また一口と無言のままに食べ進めるのだった。


 皿をほとんど空にすると、明松は輪切りのピーマンをフォークに刺してじっくりと観察する。

「この緑……食えんのかな……」

 ケチャップの色が若干ついているが、濃い緑色は健在である。

「食える色じゃねえんだよなぁ……いやでも、メロンは緑色でも甘かったし……」

 明松は意を決したように目を固く閉じてピーマンを口に放り込む。

「む……。う゛……」

 一、二回咀嚼し、苦味に顔を顰める明松。そして苦味の塊を何とか飲み込むと、皿にまだ残っているピーマンと厨房の入り口を交互に見て難しい顔をする。

「残すのは……駄目、だよなぁ」

 明松は溜め息を吐き、残ったピーマンを皿の端に寄せる。

「……いや、まあ、どうしても無理って言えば、分かってくれるはず。……これ苦いし、青臭いし……」

「お客様、お皿お下げいたしましょうか?」

 明松がピーマンを残す言い訳を考えているうちに、店主が水を注ぎに来ていたようだ。

「あっ……えっと、これは……」

「ピーマン、嫌いでしたら残していただいても構いませんよ?」

 店主はそう言うが、明松はしょぼんとした表情になる。

「けど、折角作ったのに残されるのって何か嫌じゃねぇか?」

「仕方無いですよ、好き嫌いは誰にでもありますから」

 にっこりと笑う店主。

 明松は店主の顔とピーマンを交互に見て、それから皿に残ったピーマンをすべてフォークに刺して口に放り込んだ。

「む……」

 できるだけ表情を変えないように、一回、二回と咀嚼し、飲み込む。

「ごちそうさまでした」

 空になった皿を見て満足げに微笑むと、明松は両の手を合わせる。

「……残して下さって構わないのに」

「どうしても、残せねぇんだ。その、勿体無いし、料金は払うっつったってやっぱり全部食べるのが礼儀だろ……えっと、美味しかった、から」

 明松が照れ臭そうに言うと、店主は少し嬉しそうな表情を見せた。

「次食べるときはピーマンもおいしく食って見せるよ、だから……あのさ、また、来てもいいか?」

「……ええ。いつでも来て下さい」

 明松の顔がぱっと明るくなる。

「本当にいいのか? また来ても?」

「勿論、歓迎致しますよ」

 店主は笑顔でそう答え、待っています、と続けた。

「分かった、また柊とでも来るよ。それじゃあそろそろ帰る、会計頼む」

「かしこまりました」

 テーブルに置いてあった伝票を店主に手渡し、明松は席を立つ。レジカウンターの前に立つと、ポケットから財布を取り出した。

「紅茶とナポリタンで千円です」

「はいよ」

 明松は千円札をカウンターの上のカルトンに乗せる。

「丁度ですね、ありがとうございます」

 カルトンから札を拾い、店主は金額をレジに打ち込む。

「伝票とサービス券でございます」

「お、ありがとう」

「ああそうだ、一つお聞きしても宜しいですか?」

 レシートとサービス券を財布にしまっている明松に店主は質問を投げ掛ける。

「んー?」

「差し支えなければお名前を教えていただいても良いですか?」

「良いけどよ、何だって名前を?」

 明松が質問で返すと、店主はレジカウンターから一冊のノートを取り出す。

「これにその日出た料理を書き留めてあるんです。常連のお客様は名前も一緒に」

「マメなんだな。でも何でそんなことするんだ?」

「メニューの入れ替えの時とかに参考にするんです。常連のお客様がよく食べている料理をうっかりメニューから消せませんからね。他にも、今月はこれが売れたから来月も出そうとか、甘いものがよく売れるから新しいケーキを出してみようとか、そういうのを見たりもしますね」

 店主の返事に、明松は感心した様子で頷く。

「なるほどね、それで名前を」

「ええ」

「そういうことなら全然問題ないぜ。まあ、勿体ぶる程のもんでもないけどよ。……俺は明松。明るい松って書いて明松、な」

 少々誇らしげに名乗る明松。店主は忘れないようにか、手にしたノートに明松の名前と注文した物を素早く書き込んだ。

「明松さん、かぁ。覚えやすい良い名前ですね」

良い名前、と言われて明松は得意気な顔をする。

「ありがとな、それじゃあ」

「ありがとうございます。またお越しくださいね、明松さん」

 またな、と返しドアを開ける明松の背を、店主は笑顔で見送っていた。

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