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2品目 紅色の君は紅茶がお好き

 空がどんよりと曇った朝、柊は時間を潰そうと『なみはな』を訪れた。時間が早いためかまだ店に客はなく、静寂に包まれている。

「おはようございます、柊さん」

「おはよう」

 店主は柊に一礼すると、柊をお気に入りの席に案内する。

「今日は天気が良くないですね」

 氷水を出しながら、店主は窓の外を見て呟いた。

「そうだなぁ、一雨来そうだ」

 柊は外の景色を見ながらメニューを開く。パラパラと捲っていると、ある写真に目を止めた。丸く分厚いパンケーキの写真だ。

「ふむ……」

「パンケーキですか。丁度昨日おいしい蜂蜜が手に入ったんですが、どうですか?」

 店主の言葉に柊は再度メニューに目を戻す。こんがりと焼き目のついたパンケーキの写真を見て、ごくりと唾を飲み込んだ。

「蜂蜜か……。うん、これにしよう」

「かしこまりました。お飲み物はいかがいたしますか?」

「いつも通り、コーヒーで頼むよ」

 店主はさらさらと伝票を書き上げると、柊に一礼してキッチンに向かった。


 柊が外を眺めていると、柊は窓の外に見知った顔を見つける。

「ん、あれは……」

 窓の外の人影も柊を見つけたようで、柊が軽く手を挙げて挨拶すると同じように返した。

「やれやれ……」

 柊は溜め息を吐くと、テーブルの上に置いてある呼び鈴を軽く二回鳴らした。

「どうしました?」

「もうすぐにもう一人入ってくるから、水を用意してくれ」

「かしこまりました。もしかしてこの間の?」

 柊は軽く頷く。


 程無くして柊の言った通りにドアが開き、ドアのベルがからんころんと音を鳴らす。入ってきたのは赤毛の男──明松だった。

「いらっしゃいませ」

「柊、居るか?」

「柊さんならこちらですよ」

 店主が場所を示すよりも早く明松は柊を見つけたようで、柊の座っている机に足早に近づいていく。

「やぁ」

「『やぁ』じゃねえ、来るなら誘ってくれよ。昼頃に誘おうと思って家まで行ったのに誰も居ねぇから探しちまっただろ」

 明松は柊の向かい側に座ると、思惑が外れて機嫌が悪いのか、不満そうな顔で頬杖をつく。

「結局はこうして一緒に食事ができるんだからいいだろう」

「む……」

「とりあえず注文を済ませて、話はそれからにしよう」

 まだ不服そうな顔をしてはいたが、柊がメニューを手渡すと明松はペラペラとページを捲り始めた。

「何を頼むのか決まったのか?」

「……決まっても別にお前に言う必要ない」

「そう拗ねないでくれ、次はちゃんと誘うからさ」

 柊が宥めると、明松は一瞬顔を上げた。しかし自分が怒っていたことを思い出したのか、すぐに柊から顔を背けて不機嫌そうな表情を作る。そんなことをしていると、店主がコーヒーと水を持ってやって来た。

「ああ丁度良いところに。決まったみたいだから注文を取ってくれないか?」

「かしこまりました」

 店主は水とコーヒーをテーブルに置くと、伝票とペンをエプロンのポケットから取り出した。

「ご注文をどうぞ」

「……パンケーキ、ひとつ」

「パンケーキですね、かしこまりました。お飲み物はお決まりでしょうか?」

「えっ……と」

 飲み物を聞かれるとは思っていなかったのか、明松は一瞬動揺した様子を見せる。

「あー、えー、じゃあ紅茶? にしようかな」

「かしこまりました。ご注文は以上でよろしいですか?」

 明松が柊に目配せすると、柊は笑って頷く。

「ありがとうございます、それでは失礼いたします」

 店主は柊達に一礼し、急ぎ気味にキッチンへと向かった。


 明松は暫く不機嫌そうにしていたが、店主が紅茶の入ったティーポットを持ってくると紅茶への興味が勝ったのか、すっかり機嫌を直していた。

「綺麗だな。それに、いい匂いがする」

 明松はガラスのティーポットからティーカップに紅茶を注ぎながら呟く。

「……あ」

 明松は自分の癖毛と紅茶を見比べて少し嬉しそうな顔をする。

「ははっ、この色俺の頭と同じだ」

 柊が改めて見比べてみると、確かに紅茶も明松の髪の毛も、艶やかな紅色である。

「確かに、綺麗だな」

「えっ?」

 柊の言葉に、明松は素っ頓狂な声を上げる。

「紅茶の色が、な」

「ああ、そういう……紛らわしいんだよ」

 少し残念そうに溜め息を吐き、明松は紅茶の入ったティーカップに口をつけた。

「……うん」

「どうだ? 味の方は」

「ちょっと甘い……。けどなんかすっきりしてると言うか、なんか後引かない感じと言うか……。コーヒーとはまた違うんだな」

 明松の答えを聞いて、柊はクスクスと笑う。

「全くの別物だからな、当然だろう」

 そして何かを思い出したようにあっ、と小さく声を上げた。

「そういえば、君に聞きたいことがあったんだ」

「うん?」

「……君はどうして私の家を知っていたんだい?」

 笑顔で、しかし淡々と質問をする柊。

「……な、何のことだか」

「今朝、私の家に来たんだろう? 君が私の家を知っている筈はないと思うのだが?」

 あくまで笑顔は崩さずに柊は問いかける。しかし段々と語気が強まっていく。

「え、えーと……」

「誰も居なかったと言ったよな? どうやって確認したんだ?」

「……えーと、あはは……」

 笑って誤魔化そうとする明松。それに対して、柊は笑顔ではあるが目が笑っていないのは誰が見ても明らかだった。

 二人の間に沈黙が流れる。

「……ここ一週間ほどずっと後をつけて……家を特定して……」

 沈黙に耐えかねたのか、明松が先に口を開いた。

「ここ一週間?」

 明松は無言で頷く。

「……ずっと?」

「……うん」

「もしかして、朝から晩まで?」

「…………うん」

 柊は溜め息を吐きながら左手で顔を覆う。

「……家に誰も居ないって分かった理由は?」

「家の中、入って……」

「一体何が君をそこまでさせるのか……」

 呆れて物も言えないと言いたげな顔をする柊。

「……だって、俺のこと構ってくれる奴他に居ないしよ……」

「まあ……確かに君に好んで関わろうなんてのは相当な物好き……ああ! 私が悪かった、悪かったから、テーブルの下に入るのは止めろ!」

 柊に言われて余計に心に刺さったのか、明松はテーブルの下に潜りこんで膝を抱える。

「明松、言い過ぎたよ」

 明松を宥めつつ、柊は明松をどうにかしてテーブルの下から引きずり出そうかと悪戦苦闘している。

「そりゃ俺なんかとは関わりたくないよな…………」

「た、確かに君に好んで関わる者は少ないと言ったが、居ないとは言っていないだろう! 実際、私だってその一人だ」

「えっ!?」

 下にいた明松が勢いよく立ち上がろうとしたのか、大きな音を立ててテーブルが揺れる。幸いテーブルが重かったようでテーブルごと倒れるといったことはなく、コーヒーやティーポットは無事だった。

「ってぇ……」

「テーブルの下なんかに入るから……」

「お客様、どうなさいました!?」

 音を聞いたのか、店主が慌てて走ってくる。

「何かあっ……えっ?」

 ちょうど明松がテーブルの下から這い出して来るのを目撃した店主は一瞬訳が分からないという顔をしたが、すぐに柊達のもとに走り寄る。

「柊さん? 一体、何が……?」

「ああ、いや、何も無い。何も無いんだ。気にしないでくれ」

「お、俺も何も無いから、うん!」

 明松は店主に気付くと急いで椅子に座り、何事もなかったように紅茶を飲み始める。

「そう、ですか……」

「うん、だから君は気にせず仕事してくれ!」

 柊は困惑する店主をずいっとキッチンに押しやる。

「疲れた……」

「俺も結構疲れた……」

「いや君のせいだからな」

 苦言を呈しつつも柊は楽しそうな顔をしている。


 それから程無くして、香ばしい香りとともに店主が大きな皿を二つ持ってやって来た。

「お待たせいたしました、パンケーキでございます」

 テーブルに置かれた二つの皿にはほわほわと湯気を立てる分厚いパンケーキが乗っていた。パンケーキの上にはバターが乗っており、熱で半分ほど溶けている。

「すげえ……写真と同じだ」

 明松は感嘆の声を上げる。

「こちらの蜂蜜かメープルシロップをかけてお召し上がり下さい」

 蜂蜜が入った瓶とメープルシロップが入った瓶を机に置くと、店主はテーブルを離れる。

「蜂蜜……ああ。あの」

 真顔で蜂蜜の入った瓶を見る明松。

「君はどっちをかけるんだ?」

「俺はこっち」

 そう言うと明松は瓶を手に取り、メープルシロップをとろりとパンケーキに垂らす。

「そうか、ちょうど分かれたな」

 蜂蜜の瓶を手に取った柊はメープルシロップよりもいくらか粘性の高いそれを、ゆっくりとパンケーキに垂らし、全体に満遍なくかける。

「さて……いただきます」

「いただきます!」

 二人は手を合わせてからフォークとナイフを手に取り、パンケーキにナイフを入れる。

「うわぁ……ふかふかだぁ……」

「この香りは、チーズか」

 ナイフを入れると蜂蜜やメープルシロップの甘い香りに混じって、仄かなチーズの香りが現れる。

「んむ……。ん……」

「……ん!」

 幸せそうな顔で咀嚼する明松とチーズの香りを楽しんでからパンケーキを口に運ぶ柊。パンケーキが気に入ったのか、明松は立て続けにもりもりと口に運び、柊はコーヒーと交互に食べていく。

「うむ、これはうまいな」

「……まあ、うまい、な。うん」

 パンケーキを食べてから頬が緩みきっている明松が彼なりの賛辞を口にする。彼がこういう性格なのを柊はよく知っていたためか柊は苦笑する。

「素直じゃないな。相も変わらず」

「……照れるだろ。褒めるの」

 明松の頬が少し赤みを帯びる。

「褒められるのも褒めるのも苦手だな、君は」

 柊はやれやれと溜め息を吐く。その間にも明松のパンケーキはどんどん減っていく。

「食べるのが早いな、もう無くなってしまいそうだ」

「味わってない訳じゃねぇぞ?」

「ふふ、さぞ気に入ったようだな」

 柊が笑うと、明松はムッとした表情になる。

「そりゃ……きっ、気に入る、だろ。その……おいしかったんだから」

「そうか。……こんなに気に入って貰えるならもっと早く教えれば良かったかな」

 柊の呟きを聞いた明松は少し驚いた顔をする。

「お前のことだから、隠したかったって言うのかと思った」

「私はそんなに意地が悪く見えるか?」

 少し困ったように柊が訊ねると、明松は少し考え込む。

「うーん、意地が悪いと言うかなんと言うか……アレだよ、自分だけの楽しみを持ちたがるって言うの?そんな感じかと思った」

「……成る程、一理ある」

 柊は頷きながらコーヒーを一口飲む。

「でも、ここの料理は自分だけの楽しみにしておくには勿体無い、かな」

「ふぅん……そういうもんか」


 柊よりも早く皿とティーカップを空にした明松は、机の上に置いてあった伝票二枚に手を伸ばす。

「明松?」

「この前は払わせたから、今回は俺が払うよ」

「まあ待て、早まるな」

 柊は明松を左手で制しながら残っていたコーヒーを飲み干す。

「今回も私が払うよ」

「ええ?そう何回もやられたら俺が困る。……なんか集ってるみたいじゃねぇか」

「私が払いたいから払うと言っている」

 困り顔の明松をまあまあと宥めつつ、柊は伝票を手に取る。

「何でそう俺の分も払いたがるんだよ。理由でもあるのか?」

「まあ、無いことはない」

 そう言って、柊は財布を取り出し、財布の中から小さな紙を出して明松に見せる。

「何だこれ? サ、ー、ビ、ス、券……?」

 明松がまじまじと見つめるその紙には、『サービス券』と書かれている。

「十枚集めると好きな飲み物を一つタダにしてくれるんだ。ちなみに三百円ごとに一枚もらえる」

「紅茶もタダになるのか?」

「ああ。……そして今回の会計は朝料金で一人四百五十円。二人まとめれば三枚貰える」

 明松は柊の話になるほどと頷く。

「でも俺もそれ集めたい。紅茶貰えるんだろ?」

「紅茶に使うって考えがまず駄目だ」

「駄目って何だよ」

 不満そうに頬を膨らませる明松。

「好きな飲み物何でもだぞ」

「だからお前もコーヒーを頼めばいいだろ?」

「いや、私が狙ってるのはこれであってだな」

 柊はメニューのページを捲っていき、あるページを明松に見せる。

「…フルーツ生ジュース、季節の果物を生のまま贅沢に使ってお作りします? ……五百八十円」

「本当はこれを毎日飲みたい。が、流石に五百八十円の出費は大きい」

 真剣な顔の柊に、明松若干引いているようだ。

「あっ、何? お前コーヒーが一番好きとかそういうのではないんだ」

「そういうのではないな」

 あっさりと言ってのける柊。

「コーヒーもかなり好きだがな、値段を考えずに一番って言われるとこれだ」

「……お前って結構かわいい趣味してるんだな」

 かわいいと言われ、柊は珍しく不満そうな顔を見せる。

「飲んだことのない君にはわからんだろうな」

「そんなにうまいなら尚更飲みたくなるだろ」

 明松はそう言って立ち上がると、柊の手から伝票を奪おうとする。

「ああ、分かった。それじゃあこうしないか? 今回私が三枚貰えば十枚貯まるから、次君と一緒に来たときにフルーツジュースを頼んで、君に味見させてあげるから。それで次回からは会計を分ければいいじゃないか」

「……おお、なるほど! わかった!」

 嬉しそうな様子の明松を見て、柊はやれやれと溜め息を吐く。

「……ちょろいな」

 そんな柊の呟きが聞こえた者は誰も居ない。

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