予 兆
杉村家の朝。笛吹き男が世に放たれる?おじさん……変な真似はしないでね?
2012年9月23日水曜日 暁新聞
2012年8月4日未明。八ツ森市立高校に通う新田透さん(17)が「友達と遊んでくる」と書置きを残し出掛けたまま行方が分からなくなっています。いくつかの西八ツ森の繁華街での目撃情報はあるものの捜索は難航。警察では引き続き、捜索活動に力を注いでまいります。 (八ツ森警察署)
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2012年9月10日、北白家現当主の死亡により、その遺産相続権が北白直哉(43)へと移行。それを受けて北白家関係者の強い意向により、次期当主である北白直哉の退院措置が、裁判官により下される。
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私は朝刊のニュース欄の端にひっそりと書かれたその内容に目を奪われる。珈琲を持つ手が自然と震えだす。
娘が一階にある自室から制服姿でリビングに顔を出す。まだ眠いのか、目をしきりに擦っている。こうして顔を合わせる機会がタクシーの運転手になってからは少ないのが悔やまれる。 娘は今は怪我の影響で左手が使えないので、ブレザーは羽織っているだけのようだ。それに娘の髪型が少し変わっている様な気がする。両サイドに左右に纏めていた髪を、今は後ろに束ねて丸め、私のプレゼントした二本の棒状の簪を刺している。
ちなみに、あれには発信機が内臓されており、娘の居場所がすぐに分かるようになっている。それに頑丈な素材になっているので、ちょっとやそっとの事では曲がったりしない。ナイフの様に対象を切り裂く事は出来ないが、突く分には問題無い。
「あ!おはようパパ!」
私の顔を見て嬉しそうに目を輝かせる娘。その緑青色の瞳が一際輝いた。
「左腕の怪我の具合はどうだい?」
娘が包帯を巻いている左手を動かし、体の具合を確かめる。
その怪我は一ヶ月前の山小屋での一件で負った傷だ。生々しい傷跡が顔にも少し残っている。
「あと2週間ぐらいで治りそう」
「そうか。それはよかった」
さすが私の娘だ。治りも天才的だ。
ライフルの弾が背中に装着していたトンファーを四散させ、その破片が左腕の筋肉に突き刺さっていた。衝撃で左肩も脱臼し、その前後に受けたであろう足への銃による傷が出血を伴っている状態でもあった。
もう少し狙撃距離が近ければ、砕けたトンファーが散弾となって娘の左肩の肉を吹き飛ばしていただろう。
本当に無事でよかった。
血を流しすぎてあぶない状態だったが、その場に居合わせた佐藤さんの娘さんと若草君が所持していた石竹君の鞄が無ければ手遅れになるところだった。
その昔、娘と緑青君の3人で森で遊んでいた時、私が小隊付軍曹(PSG)、娘が小隊長(PL)、そして緑青君が衛生兵(AIDMAN)の役割でサバイバルごっこを楽しんでいた。
その時の癖で恐らく緑青君は、医療装備と医薬品を詰め込んだメディカルパックを持参してきたのだろう。その後、佐藤深緋ちゃんが呼んだ警察と、ゼノヴィアが召集させた八ッ森を裏から支える特殊部隊「Nephilim」のヘリの到着により、娘達は病院に緊急搬送された訳だが、あの時の私達による応急処置が無ければ娘は動けずに、緑青君も助けられなかっただろう。
娘の友達を刺した男はどこの部隊だろうか。
目出し帽を被っていたがその後の調べでも、所属部隊が分からないままだった。あの時、始末するべきだった。
現場に残された犯人の血痕をDNA鑑定して貰ってはいるが、足取りは掴めそうに無い。
私が脳内で山小屋での一件を振り返っていると、手にしている新聞を読んでいると勘違いしたのか私の新聞を覗き込んでくる。
私はその記事を慌てて隠す。
「何の記事読んでたの?」
「いや、ちょっと考え事をしていただけだよ。それより、普通に登校して大丈夫なのかい?事情が事情だけに、学校側も考慮してくれると申し出があったけど・・・・・・」
一時停止していた娘が必死に首を横に振る。
「留年、怖いから。緑青君とお別れはイヤなの」
「そ、そうか。無理はしないようにな」
「うん、パパもね」
そう言うと、娘は右手だけを器用に使い、分厚いベーコンをナイフで切り出し、それをフライパンでソテーする。
頃合いを見て、生卵の殻が片手で綺麗に割られておいしそうな匂いが室内に漂ってくる。
「パパのも作ろうか?」
私はもう朝ご飯は済ませたからと、丁寧に断りをいれてトレンチコートを羽織る。
別れの挨拶を娘と済ますと玄関で帽子を被る。
そこで大事なものを忘れている事に気付く。
先ほどの新聞を食卓に放置していたのだ。
それを取りに戻ると、娘がその新聞に釘付けになっている。
迂闊だった。私の行動にどこか違和感を感じていたのだろう。
「・・・・・・ハニー」
いずれニュースでも話題になるだろう。
最初から隠し切れない事は分かっていたが、山小屋でのほとぼりが冷めるまで知ってはほしくなかった。
「お父様、あまり私を心配なさらないでください」
その他人行儀な口調に私は違和感を感じた。
彼女からは静かな殺気が放たれている。
あぁ、そうか。
君はあの川原で、娘の傷の痛みを一心に受け止めて気を失った、私のもう1人の娘の方か。
ある程度の情報はゼノヴィアから得ていたが、こうしてまともに顔を合わせるのは初めてである。
「そうか、君が「働き蜂」か」
彼女の口元が怪しく歪む。
「フフッ、残念ですが御父様。それは人違いです」
どういう事だ?
「私は彼女の殺戮本能。差し詰め「殺人蜂」とでもお呼び頂こうかしら」
彼女の冷たい殺気が私の中にある警戒心を助長させる。
「娘をどうするつもりだ」
娘では無い彼女が、呆れるようにため息をつく。
「どうするも何も、私自身がお父様の娘でございます。私こそが「女王蜂」に選ばれた本当の私です。あんな出来損ないの「働き蜂」などと同じにされては困ります」
私はきつく拳を握りしめる。
娘の歩むはずだった平穏な人生を狂わせた男、北白直哉。
そして、多くの八ツ森に住む人々の心に消えない傷を負わせた張本人。
その男が今、外に出てきている。
かつて私が捕らえ、警察に引き渡した男。
娘を追いかけ、死の恐怖を与え、緑青君の記憶を奪い、佐藤さんの娘さんの命を奪った許されない罪人。
今の刑法で裁けないのならば……。
不穏な二部の幕開け