亡骸
緋の少女はある違和感を感じ、目の前の亡骸を暴く。お姉ちゃんにはもっと自分の人生を歩んでほしい。私の呪縛に囚われないで?
<太陽><審判>
娘の亡骸の前で膝をつく杉村おじさん。
その手には娘にプレゼントした簪を力強く握りしめている。
若草君は信じられないといった表情で銃を片手に立ち尽くしていた。
杉村さんの全身は犬に食い荒らされ、赤く染まった衣服と骨に肉片がこびり付いているだけになってしまっていた。
私は上を向くと満点の星空を眺めた。あの星の一つに杉村さんが居るような気がしたからだ。
彼女の人生とは一体なんだったのか。
ただ彼女は好きな男の子と一緒に居たかっただけなのだ。そこにどれだけの罪があるというのだろう。
彼女の人生を狂わせた八ツ森市連続少女殺害事件。
私の妹も理不尽にその命を奪われた。
日嗣さんも姉を失った。
彼女もこんな形で最後を迎えたくはなかっただろう。
私は彼女に教えられたその事件の真相の一部を彼女から引き継いだ。
あの事件には少なくとももう一人共犯者が居る。
「杉村さん。あなたの思いは私が……」
私はその杉村さんの最後の姿を脳に焼き付ける為に犬にズタズタにされた遺体にライトを向ける。
彼女は最後に何に思いを馳せたのかは、考えなくても分かる。石竹君の無事を願ったに違いない。
緑青色をした眼球はその眼下に残されては居ないが、金色の髪はわずかに頭蓋の頭皮に……。
あれ?
私は違和感を感じ、杉村さんの遺体に触れる。
そして私の頭蓋骨との大きさを比べ、骨格の太さや、空洞になってしまった腰回りの骨を観察する。
私と杉村さんとの身長差は10cm近いけど、こんにも差があったっけ?
「おい、佐藤、気持ちは分かるが杉村の事はそっと……」
「うん、ちょっと待って」
私の行動を見て、気でもおかしくなったのかと思われたらしい。それもそうだ。
普通の17歳の女の子は死体をいじくれる神経など持たないからだ。ましてや必要ないし。
私はあの事件以来、何件もの猟奇的殺人の被害者の傷跡や、生の死体に触れてきた。普通はこんな事を子供にさせないし、させてはいけない。
けど、私が何度も何度も警察の人に事件の事を調べたいと折れずに懇願し続けた結果、しつこい私にあきれた警察官が私を追い払う為に死体の検証にわざとつき合わせた。
妹の真相に近づくためには何だってする。
腐敗し、変形していく死体と私は格闘し、検視結果を私なりにまとめた。その報告書は全然的外れな事ばっかりが書かれていたみたいだったけど、私の気持ちは伝わった様で、12歳を過ぎた頃には死体の傷跡や状況をそれなりに的確に見抜けるようにはなったいた。
死体と格闘する日々が続いて、私からは奇妙な臭いが離れなくなっていたと思うけど、15歳を迎えたある日、当時の妹の最後の姿が撮影された写真を特別に見せて貰うことが出来た。
私はその時点で、100体を越える殺害死体と向き合ってきたので、心を乱すことは無いと思っていた。けど、それはとんだ見当違いだった。
私はその変わり果てた姿になった妹の写真を見ただけで、その場で気を失ってしまった。
他人の遺体と知人の遺体は全く別次元のものなのだ。
だから、今、私がこうして杉村さんの遺体を前にして何も感じないのはおかしい。
それはきっと、目の前に転がる死体が、他人のものだと私の全感覚が告げているからだ。
死体を弄ぶ私を止めようとする杉村おじさんの手を払い、私は年齢や性別を判別できる部位が無いか探す。
肉のほとんどを野犬に食い尽くされていたけど、これは男性の死体だ。年齢は恐らく35歳から40歳前後。
おそらく背丈は中肉程度で、残された胴体の比率から推測するに身長は高いと思う。普段から喫煙習慣があるのか、胸腔に残された僅かな肺が黒く淀んでいた。私はおじさんに訪ねる。
「杉村さんに喫煙習慣はありましたか?」
私の血塗れた手に若草君が少し引いているけど気にしない。
「いや、無い。お酒やタバコにまるで興味が無かった子だったからなぁ。銃火器や緑青君にしか興味が無い娘だよ」
言われてみればそうかも知れない。
「では、あの黄金の髪は地毛ですか?」
おじさんが深く頷く。
「あの髪色は完全にゾフィー、母親譲りでね。私の方から受け継いだのは身体能力ぐらいかも知れない」
私は僅かに遺体に付着していた頭皮の一部と、肺の一部を手に乗せて二人に見せる。手に乗せられたものを若草君のライトが照らし出す。
「見てください。頭髪は恐らく黒く、肺は喫煙習慣で黒く汚れています。この遺体は杉村さんである可能性は限りなく低いと思います」
私は辺りを見渡し、流れる川で手を洗う。私は更に言葉を付け加える。
「そして何より、この森一帯に散乱している犬の死骸が、この川原の周りにはありません。杉村さんが最後まで抵抗していたのだとしたら、犬の死骸の一つや二つ転がっていてもおかしくありません」
若草君が頷く。
「もしかしたら、杉村さんを襲おうとした別の人間かも知れません。そこに転がっている簪は杉村さんがこの人に抵抗して、身元不明の男性に突き刺した」
私は近くに転がっていたライフルを拾い上げる。
「杉村さんの銃の好みは?」
おじさんがしばらく考えてこう答える。
「長銃や自動銃は嫌がっていたな。もっぱら拳銃を携帯していたよ。一番の好みはナイフだけど」
私は微かな月明かりを頼りに川原沿いに捜し物をする。
絶対に無くしてはいけない、大事な宝物を探すように。
私は呆気にとられている二人を余所に川上に向かって一人、歩き出します。
そしてしばらく歩いた所で私は、黄金に輝く宝物をみつけました。
私は先程まで抑えていた感情を爆発させるように泣きながらその「宝物」に手を伸ばします。
慌ただしい声が後ろからして、二人がこちらに走ってきます。
本当に、本当に無事で良かった!