男の声
彷徨う亡霊、過去をなぞり墓を暴く。ダメ、それ以上は……。
私の名前は日嗣尊。9年前の三件目の「八ツ森市連続少女殺害事件」で姉を失いました。犯人は北白直哉です。なぜ私がこの事件の被害者になってしまったのかは分かりませんが、その時から私の半身が失われたように血を流し続けている様です。この出血を止める手立てを私は知りませんでした。
私の戦いは、この出血を止めるための戦いでもあったような気がします。過去に縛られ続けていた私の魂は、今、事件現場であるこの山小屋に辿り着き、ヤマユリの花を添えた事により私は少し前に進めそうな気がしています。
これも全部、私の背後を必死に護ろうとするある少年のおかげです。
彼が居なければ私はこうして事件現場に足を運ぶ事など出来ませんでした。私はどこかに行ってしまいそうな自我を必死に押さえつけながら、脳内に流れ込んでくる事件の光景をひとつずつ精査していきます。
私は壁沿いに進みながら、小屋内の建物の構造を調べます。
不快な耳鳴りと共に、男の野太い声が耳の中で再生されていきます。
「さぁ、ゲームをしようか」
私の記憶の中で、過去の事件が勝手に再現されていきます。裸電球一つの暗がりの中、男の大きな影が揺れています。奴は精神異常者でした。その言葉の信憑性は限りなく薄く、共犯者なんて本当はいないのかも知れません。
全てが奴の妄想だったとしたら?
「君達にはどちらかが僕の生贄になってもらう」
私は首を振り、離れていきそうな意識を取り戻す。なぜ私達は生贄に捧げられなければいけなかったのだろうか。犯人の目的は一体なんだったんだろう。警察の見解では、自分の汚れた魂を少女の血によって浄化できると信じていたようだけど。
どちらか?
なぜ、わざわざ二人を誘拐するの?血が目的なら、一人を誘拐して血を流させれば済む話。
「そこにあるナイフで殺し合って、生き残った方は助かるんだよ」
私達二人はそれぞれ片手を柱に鎖で繋がれていた。犯人によって用意
されたナイフがあった場所を懐中電灯で照らす。このゲームは、最初からどちらかが生き残る事を前提とされてる。第二ゲームの時は、両者とも出血多量で死亡という結果に終わるが、このルールが犯人の意志によってねじ曲げられたケースは無い。私がこうして助かっているのが何よりの証拠。
「浄化の為の儀式に犠牲は二人もいらない。だからルールを無視して両方殺すなんて事はありえないんだよ」
ここで北白直哉は、ゲームの事を儀式と表現し、私達生贄の事を犠牲と言い現している。彼は精神に異常を来していたが、命を軽んじてはいなかったのではないか?私達はやむを得ない犠牲。殺したくは無いけど、仕方ない?
姉が素早くナイフを拾おうとする。
それに腹を立てる犯人。
「まだだよ!まだゲームは始まってないんだ!まだ、合図が無いからね。僕が「始め!」って言ったらゲームが始まるんだ」
ここでの犯人の表現は先程とは違い「ゲーム」と表現されている。
合図。何者からの合図なのかな?
脳内の神様かもしくは……。
私は周りを囲む壁を照らし、他の部屋に続く扉が無いかを探す。
その結果、納屋への扉と水屋がある部屋へと続く扉を見つける。水屋へ入り、その中を物色するがめぼしい物はなにもない。それもそうね。警察の調査が入って証拠となりそうなものはごっそりと押収されているのだから。
犯人は合図を待っていた。
どこからか私達の様子を見ていたはずだ。
水屋と広間を繋ぐ壁に隙間がないかを探すが、この小屋の造りはしっかりしていて覗けるような隙間は全くと言っていいほど無かった。
これ以上、ここを探索してもなにも出てはこなさそうだ。
この水屋からも外にはでれるらしく、小さめの裏口への扉が設けられていた。南京錠の鍵はかかっていたが、肝心の窓ガラスが割れているので意味を成していない。そこで水屋の探索を切り上げて、もう一つの部屋を調べる事にする。懐中電灯の電池切れも気になり始めている。夜明けを待てばいいだけだけど、キャンプ場にいるみんなを心配させたくは無い。
再び頭に男の声が鳴り響く。
「制限時間は2分。それを過ぎたらタイムアウトだよ」
姉が犯人に疑問を投げかける。
「僕の生贄は一人で十分なんだよ!」
もうすぐ、もうすぐ、奴の合図と共にゲームが。
「始めっ!」
私自身が拘束されていた小屋の柱の傍に膝をつく。
この床一面に広がっている血痕はお姉ちゃんのものだ。
私はその場に衣服が汚れるのも気に止めず体を横にする。
「お姉ちゃん、久しぶりだね」
私は冷たい床からお姉ちゃんの体温を感じたような気がする。
お姉ちゃんは私の衣服の一部をその手にしたナイフで切り取り、口にくわえ、そして自分の手を柱に添えて、自分の手首に何度もナイフの刃を突き立てた。
私は顔を上げて、立ち上がり、柱に残った姉の残した傷跡を一つ一つ指でなぞる。
この一つ一つにお姉ちゃんの痛みと信念が宿っている様な気がして涙が出てくる。
大の大人でも痛みで自分の手首なんて切り落とせない。私も試した事はあるけど死にきれなかった。10歳の女の子がその痛みすら超越して、行動を起こさせた信念とは「妹の命だけは助けてみせる」という思いだと感じる。自らの死と痛みを引き受けて、年の変わらない妹を生かす行為。そんな真似が出来る人間なんて私の姉をおいて他にいない。
あとで分かった事だけど、一般的にイメージするリストカットでは傷が浅い為、手首の静脈を傷つけるに留まり、まずほとんど死にきれない。
死ぬために動脈を傷つけようと思ったら、手首の肉をそれこそこそぎ落とさなければならない。それでようやく死ねる。今考えたら、リストカットで簡単に死ねると思っていた私が恥ずかしい。端からみたらただの「かまってちゃん」に思われても仕方ないし。
視線を感じて後ろを振り向くと、近くに緑青君がいてこちらを視ていた。入り口とこの柱からは意外と距離は近い。暗視ゴーグル越しにだけど、惚けて柱をなぞっている私を心配しているようだった。
しばらく間があったけど、何も視ていなかったように視線を外してくれた。死にたい。
いや、ダメ、お姉ちゃんに貰った命は大切に。
「命を大事に!」じゃ。
あぁ、彼と居るとなんだか私の心が和らいでいるのが分かる。
私は熱くなった顔を両手で叩き、気を引き締める。
私は多分、あの子の事が好きなんだろうな。
でも彼には杉村蜂蜜さんが居る。
だから私には私にしか出来ない事で彼を助けてあげたい。
この先、彼の記憶が戻らないという保証も無い。
その時の為に私が出来ることを!
何か事件の手がかりを探さなくてはいけない。
事件の被害者で生き残っているのは、緑青君と私と杉村蜂蜜さん、そして天野樹理さん。
私達にしか分からない何かがあるはず。
私は納屋へと続く扉を開ける。
男の耳障りな声が私の脳に流れてくる。
「つまらないなぁ。この前なんて仲良しの友達同士が一つのナイフを奪い合い、血まみれになって殺し合ったのにーー」
納屋の方の部屋も見渡すが、当然、凶器になりそうな工具や刃物は全て押収されていてあるのは小さめの木箱が積み重なっているだけだった。
電灯で納屋全体を照らすがめぼしいものは何も無かった。
部屋の壁、木箱の向こうにある小さな窓も目張りされて外から中が見えないようにされていた。
既に証拠となる物は何も無いのかも知れない。私の思い過ごしで、北白は警察の見解通り、単独犯なのかも知れない。
緑青君の教室を襲った犯人も過去の事件を知るただのいたずらだったのかも知れない。
「あと1分だ!」
男の声が鳴り響く。
ただ気になるのは杉村蜂蜜はその当時、あまり八ツ森市内に顔を出すことは無く、もっぱら自宅学習か、森で遊んでいたという事。
彼女の転校初日に事件関係者と気付き、黒板にメッセージを残した犯人。
彼女を天使と最初に呼んだのは北白直哉自身で、彼が彼女の事を天使と呼んでいた事を知る人間はほぼいないと言っていい。
私が彼女の事を天使と呼んでいるのは、第4ゲーム終結後、参考人として警察に呼ばれた時、北白がその名を口にしていたから。
杉村蜂蜜さんが、事件の関係者だと言うことは名前を調べればすぐに分かる事・・・・・・?
私の頭の中で何かがひっかかる。
なんだろう?
天使は、この町に戻って来た時に使用した名前は「杉村蜂蜜」。ネットなどで検索に引っかかり、調べられる名前は本名の「ハニー=レヴィアン」のはずだ。
ただ、こちらの情報も英国側の情報規制によりほとんど何も出てこないのだけど。
やっぱり、黒板に赤いスプレー文字でメッセージを書き残したのは彼女の当時を知る人間?彼女の容姿は確かに特徴的だけど、彼女と同じ様な特徴を持つ英国人はこの町にも少なからず居る。
名前では無く、容姿でも無く、何で事件と彼女の持つ共通点に気づいた?彼女の本名しか知らない私が彼女の事を知れたのは、石竹緑青君の杉村蜂蜜さんの観察報告書を盗み見たからだ。
私は石竹君に情報を求めるべく、扉を開けようとする。
その時、彼の切迫した叫び声が小屋の壁越しに聞こえてくる。
「姉さん!別の部屋に居るなら絶対にそこから出ないで下さい!!」
広間の方から大きな音が聞こえて、足が床を蹴る音が連続して鳴り響く。
そして、獰猛な獣の唸り声が小屋の床下から聞こえてきた。
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66部 第三ゲーム。
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妾は猫派じゃ★