涙は伝う
銀の少女は常闇へと足を進め、青の少年はその背中を守護する。私の為に苦しまないで?
その山小屋の扉は施錠されていなかったので、僕等の力で容易に開いた。中から湿気を多く含んだ風が扉の開閉と共に外へと廃棄される。僅かな月明かりが、小屋の内部を照らし出している。窓は裏からシートが張られ、外からは内部が覗けないようになっていた。意外と内部は広いようだが、奥行きは闇に紛れてここからは確認出来ない。入口で躊躇している日嗣姉さんから、懐中電灯を借りて部屋の内部を確認する。資産家の北白家なら自家発電用の装置が小屋の裏手に設置されていそうだが、姉さんの体が心配なのであまり悠長な事は言ってられない。それになんだか体が妙にざわつく。ここに長く居たくはないとひきりなしに本能が告げている。手元の日嗣姉さんの右手に持つ灯りを頼りに広間の構造を確認すると、部屋の内部に太い柱が4本そそり立っている。なんの変哲もない山小屋。ここで本当に事件が起きたのか疑わしいほどだ。そんな感想も床に光を当てた時点で消え失せる。ここは間違いなく、人が死んだ事件現場だ。年月を得てどす黒くなっていたとしても分かる。そこかしこに誰かが流したであろう大量の血痕が床に大きく広がっていたのだ。床下は調査の為か、その一部がめくれ上がり、そこから背の高い植物が顔を覗かせている。床下に遺体が無いか警察が恐らく掘り起こしたのだろう。部屋の両側、壁際には太い柱が左右に二本ずつそそり立っており、奥の柱には何かが巻きつけられていた様な傷跡が残っていた。その柱から伝う様に、赤い筋が反対側の二本の支柱の間に伸びている。日嗣姉さんの震えが、二人の一緒に持っている懐中電灯から伝わる。口では平気だと言っていたが、姉さんは相当我慢している。
「尊姉さん、お姉さんへの献花は済みました。これ以上ここにいるのはよくないですよ」
歯をくいしばり、必死に首を横に振る日嗣姉さん。
「少し、確かめたい事があるの。お願い、懐中電灯を私に持たせてくれる?」
僕は懐中電灯を川に落としたので、手元の明かりは姉さんの手にしている懐中電灯一本だ。僕は少し考えてから決める。
「分かりました。僕は暗視ゴーグルを装着して、外から犬が来ないか見張っています。扉を閉めたいところですが、何かあったらすぐにでも姉さんを助けられるように、開けて待機しておきますね?」
姉さんは礼を言うと、僕の手を離して部屋の奥へと進み出す。僅かな月明かりが小屋の入口付近を照らしている。恐らく、この扉を閉めたら部屋は真っ暗になりそうだ。
「姉さんの背中は守ります……だから、あなたは前に進んでください」
僕はそう呟いて、いつ犬が侵入してきても対処出来るように頭につけていた暗視ゴーグルを下げ、牽制に使えるかも知れないので玩具の銃を前に構える。辺りに獣の影は無し。現時刻は午前2時39分。帰る頃には朝陽が拝めそうだ。僕には不安要素が一つある。
姉さんは取り乱していて気付いていなかったのだが、遠くから銃声がいくつも鳴り響いていた。
微かな響きとはいえ間違いない、あれは本物の銃の音だ。僕はこれ以上姉さんを不安にさせない為にその事は伏せておいた。
この森は私有地。
僕等に気付いた土地の所有者が、不法侵入者として射殺されても文句は言え無いのだ。……勘違いされないように、この玩具の銃はしまっておいた方がよさそうだな。
相手が人間なら、まずは警告はしてくれるだろうし、撃たれたとしても、入口に突っ立って居る僕から撃たれるだろう。
これで僕が射殺されたら……杉村はどう感じるのかな。杉村、頼むから僕なんかに縛られないでくれ。お前はもっと世界に羽ばたくべきなんだよ……。なんだろ、さっきから思考の回転が鈍くなっている気がする……疲れて……。急に力が抜けて、手を床につき、膝をついてしまう。
僕は改めて、小屋の内部を見渡す。部屋を壁伝いにさぐる日嗣姉さんの姿が、本物の亡霊の様に見えた。
この場所で、第三の生贄ゲームは行われた。
被害者の双子の姉妹の姉は、妹を生かす為に自らの手首を切り落とし、犯人に立ち向かい、自らの命を対価に妹の命を救った。
たった10歳の女の子がだ。僕ならどうしただろう。もし僕が同じ状況に追い込まれたら、僕は誰かの為に死ねるだろうか……。
僕の意識とは関係なく、涙が頬を伝う。
この、涙は、誰の為に流れた涙なんだろう……。付随して、心臓が痛みを発し、僕の心が埋める事の出来ない喪失感に締め付けられる。
僕の知らない、顔も思い出せない幼い女の子の泣き顔が僕の視界を占領し、消えてくれない。
君は誰なんだ?
心の奥底で、僕の壊れたはずの感情が這いずり、もがき苦しんでいるような気がした。
ダメだ、僕がこんな事では姉さんを守れない。
服の袖で涙を拭い、僕は外界を睨みつける。
姉さんを無事に、皆の下へ届けるんだ!