蜂と猟犬
獣、眠りにつき、目覚めし従者。主君に代わりて怨敵を刺す。意図的に狙われていた?
川のせせらぎの中、遠くで男の声が聞こえる。
「……大丈夫だ。やられる前に仕留めた」
私を足でこずいて意識の有無を確かめている。私は疲れたのでそれに反応する事すら出来無くなっている。
「死んで……無いのか、いや、血ぃ流してるようだし、ほっといたら死ぬか」
携帯の着信音が遠くで聞こえてくる……。
<狩人>
あいつからだ。
「ん?あぁ、助かったよ。お前の言った通り、不法侵入者が居た」
俺は仰向けになっている女の肩を足で突いて生死を確かめる。息はあるようだが弱い。
まるで寝ているようだ。
手にしているライトを女の全身にあてて驚く。体中を這うようにベルトが巻き付けられて、そこには何本ものナイフが装着されている。
「こいつ、この森に何しに来たんだ……」
慌てて俺は携帯をスピーカーモードに切り替えて、降ろしていた猟銃を女に向ける。
そして、足の先を使って女を裏返す。
背中には二本のトンファーと、腰にはスタンガンに、拳銃だと?
俺は慌てて周りの状況を確かめる。
「なんだよこれ!」
森一帯が血の色に赤く染まり、何匹も、いや、何十匹もの猟犬が肉塊に変わり果てていた。この一帯に放っていたほとんどが狩りつくされている。
これを、この女が1人でか?
「何者だこいつ……」
近付き、体を裏返して女の顔をライトで照らす。川に半身を浸けた女はよく見るとまだ年端もいかない少女のようだった。
金色の睫毛が頬に影を落とし、月明かりが黄金に輝くその濡れた髪を幻想的に輝かせている。この女の子が統率された北白家の猟犬を、1人で殺したっていうのか?
この少女の湛える美しさと、凄惨な血生臭い光景とがどうしても結びつかずに頭が混乱する。
ポケットに入れていた携帯を耳にして、あいつに問いただす。
「ホントに、この子が侵入者なんだよな……何?銀髪?」
電話の相手とのやりとりに、僅かな相違があるようだ。俺がさっき月明かりの下で見た少女の髪は確かに金髪だった。
「何を言って……俺が仕留めたのは金髪の女の子だよ!武装してるし、こいつが犯人には違いないはずなんだが。まだ女の子だぞ?いや、違う。見間違いじゃない。武器?何本ものナイフに、両肩に二本トンファーを……なんだって?そいつは、殺すな?天使?」
電話の相手が言っていたのは、別人だったようだが、撃ってしまったものは仕方ない。
「残念だが、さっき、遠くから銃で撃っちまて……」
手元のライトで、再びこの少女の顔を照らす。やはり、金髪だ。
「あいつ、何言って……」
俺は異変に気付く。
少女の瞼が上がり、紺碧の瞳が俺を見据えていた。
こいつ、まだ動けたのか!
*
再起動完了。
身体確認。
全身に軽度の擦り傷と筋肉疲労有り。
右太腿に中度の裂傷有り。
命に別状無し。
長時間の放置は危険。
すぐに止血の処置が必要。
周囲状況確認。
夜。森、川。
男、猟銃、携帯。
犬。
女王蜂の情報庫検索。
……エラー発生、96%がプロテクトされている。残りの4%回収成功。
優先事項、石竹緑青、日嗣尊。
猟銃の男の排除。
<狩人>
う、動かねぇ?
目の前の金髪の少女が目を開けるが、動く気配が……無い?
あ?何かが俺の足に刺さった?
足に違和感を感じて下を見ると、腿に細い鉄の棒のような物が突き刺さっていた。
い、いつ?
あ、あれ?
二本目、鉄の棒は左手の甲を貫いて、自身の左腿に張り付けにされていた。
「なんだよこれ!?」
前を見ると、つい先程まで寝ていた女が短いナイフを構えていた。
手を張り付けにされた性で、ライトを落としてしまい月明かりがだけが頼りだが、銀色に輝くナイフが妙に綺麗に思えた。
思い出したように、いや、やっと神経と脳が状況に追いつき、暴れるように痛覚が体中を駆け巡る。
「くっそ!痛えぇ!てめっ!!」
片手で猟銃を握り、肩を銃底に沿えて狙いをつける。
「死ね!この不法侵入者がっ!」
猟銃が少女の体を貫いた様に思えたが、それは錯覚のようだった。
瞬きすらせず、こちらの銃身のみに神経を集中させてるのが分かった。
こいつ、狙って避けている?
俺は至近距離で、何度も、何度も、発砲するがことごとくそれらは当たらない!
なんなんだこれは、悪い夢を見ている様でどこか現実味が無い。
金属質な何かがなぞるような感覚に、嫌悪感を抱く。
女が俺に質問する。
「この近くに山小屋は?」
「だれが教えるか!」
引き金にかける指に力を込めるが、一向に弾は発射されない。何度も何度も力を加えようとして、ついには銃を地面に落としてしまう。
錯乱した俺は、敵が目の前にいるのにも関わらず、呑気に銃を拾い上げようとする。
「もう一度、猶予をやる。ここから1番近い山小屋で、過去に事件現場になった小屋はどっちの方向だ?!」
何度も、何度も、銃を拾い上げようとするが拾えない。
そりゃそうだ。
右手の全ての指が切り落とされていたんだからな! 俺はあらん限りの叫び声をあげる。
「なんだよ!これはーーっ!!」
痛い、痛い、痛い。
足や左手の比にならないほどの痛みが右腕に集中すふ。
女の方を睨みつけるが、その腕が伸び、俺の喉元にその硬質的な肌触りの金属を突きつけている。
「痛いのが嫌なら、その首を丸ごと落とす事も可能だ。女王を傷つけた報いは受けてもらう」
何が女王だ!くそ、わけわかねぇ。
「教える、教えるから!その首のをどけろ!」
少し迷いの表情をみせるが、俺の言葉に偽りの気配を感じなかったのか、素直に首からナイフを離して、腿のベルトにそれを収納する。
「小屋なら、この川を北へ登っていけば、橋がある。その近くにお前の探してる小屋はあるはずだ……」
俺は抵抗の意思が無いことをアピールする為に、近くに転がっていた猟銃を蹴飛ばす。
「安全性確認、了解した」
そう言うと女は、片足を引きづりながら川上を目指して歩きだした。なんなんだ、ほんと、こいつは!
とにかく、命は助かった。
俺は腿に張り付けにされている左手を痛みに我慢しながら引き抜く。
俺の足に刺さっていたのは、あの女がしていた髪留めだったらしい。そういえば、奴の髪は振りほどかれていた気がする。
歯を食いしばって、穴の空いた左手でそのかんざしを無理矢理腿から引き抜く。
血が次々と溢れ出すが、治療は後だ。
俺は転がる猟銃を左手で拾い、座りながら女に狙いを定める。
「今度は土手っ腹に風穴開けてやる!」
電話越しに、奴の慌てる声が聞こえるが構わねぇ。北白家へ関わりのある人間だろうが、お前に指図される筋合いなんか無い!
月明かりが一瞬、女の身に着けているナイフを光らせる。
俺は、それめがけて引き金を引いた。
この山で、日頃から狩猟を楽しむ俺の腕なら百発百中。はずさねぇ。
発砲音と共にライフルの弾が空を裂き、女の背中に命中する。
硬質的な高音が辺りに鳴り響き、よたよた歩いていた女を衝撃で吹き飛ばす。
ありゃ死んだな。ざまぁみろ!
俺の指の仇はとったぜ……。
銃を放り出し、ライトを拾うと、バラバラに散った自身の指を探す。
その間も、携帯は繋がっており、しきりに「天使はどうなった?殺してないだろうな!?」だのよく分からないことをほざいている。
お、まずは親指みっけ。
ん?
いつの間にか、俺を心配してか北白家の犬達が群れをつくって、俺を囲んでいる。
なんてかわいい奴らなんだ。
ちょっと、待ってろよ、後でエサは……。
携帯のスピーカーから、溜息と共に、大きな声が発せられる。
目の前の1匹が、俺の指を見つけたらしく、それを俺に差し出そうとする。
「そいつを喰らえ!」
携帯ごしに発せられた言葉は、俺へじゃない、こいつらに、届けられた。
俺の指を咥えていた一匹が、なんの躊躇いも無くそれを飲み込む。
「俺の、俺の指ーーーっ!!」
ぞろぞろと俺の周りに、20匹ほどの猟犬が集まってくる。まるで餌を与えられた時のような顔でだ。
やめろよ、俺の指なんか食べたって……。
再び、スピーカー越しに奴の声が辺りに轟く。
「もう一度命令する。そいつを喰らえ!」
犬達は、育ての親である俺を食べる事を躊躇している。
いや、悩むなよ。
俺はお前達のボスだろ?
痛っ!
音も無く、まだ若い猟犬が俺の脇腹に噛み付いて、肉をそっくりこそぎ落とす。
大量の血が脇から漏れ出して、まともに呼吸できなくな……。
次々と俺の犬達は、俺に群がり、ボスである俺の体をことごとく食い荒らしていく。
なんだこれ、なんだ……これ。
四肢と顔のほとんどを失い、片目も食い千切られ、俺の意識は喉笛に噛み付かれた所で薄らいでいった。
ありがとう。
少しでもこの悍ましい感覚が早く無く成る事を祈って俺は眠った。
そういえば、北白家を破滅に追いやるキッカケを作ったあいつはどうしてるかな。
まだ訳もわからねぇ事を口走って、病院にお世話になってるんだろなぁ。
あぁ、どうしてこうなったんだろうな。
俺達は。
もっと、幸せな結末は無かったのかねぇ。
そんでもって、俺に電話かけてきたあいつは、誰なんだよ。
あいつの事も詳しいようだった……が。