古よりの森
北の森、前に進むは青の少年と銀の少女。私もそこへは行きたくないよ。
八ッ森高原キャンプ場の所有地を越えて、僕等は個人所有の私有地へと足を踏み入れる。八ッ森市は元々、未開拓だった土地で霊樹が生い茂る広大な森だったと聞いた事がある。
この八ッ森という名の由来は、八方を森に囲まれているからでは無く、八方向の森を所有する当時の有力者、地主によって開拓、発展を遂げた町らしい。
その中でも、四方を土地の地主が市内へ大きな影響力を持っており、北の北白。南の南野。西の赤西、東の東辺と呼ばれていたようで、その財力が測り知れなかったのが伺い知れる。
ちなみに、田宮や僕の石竹家も、一部の森の所有者だったらしい。
しかし、時代の流れと供に、土地は拡散され、四方の土地をを支配していた者の影響力も今ではほとんど無くなったらしい。
と……ここまでは、僕の前を歩く日嗣姉さんからの情報だ。
「大体理解できたかと聞いておる!」
「は、はい!かつての森の所有者達の話ですよね?MICO姉さん、なんで今、その話をするんですか?」
ロープから先、私有地であるこの森に入ってから日嗣姉さんの様子がおかしい。
先ほどまではあんなに楽しそうにしていたのに。
「ここは今、誰の土地だと思う?」
森の木々は異常と言えるほど成長し、葉は生い茂り、ぐねぐねと捻じ曲がった背の高い幹を持つ。木の葉が月明かりさえ遮断しようと僕等の天井を塞いでいる。
誰の土地?そんな事が今、関係するのか?いや、日嗣姉さんが今のこの状況下で無意味な事を僕に伝える訳が無い。
「ここは今、誰の土地なんですか?」
「いい質問じゃ」
姉さんが手元の懐中電灯の強さを上げて、灰色のレインコートをしっかりと着込む。僕もバックパックから電灯をとりだし、地図を確認しながら進む。
もちろん、ペイント弾でのマーキングも忘れてない。
風に揺れる木々の他に音の無い森に、玩具の銃の発砲音が虚しく響く。
日嗣姉さんが立ち止まり、僕が手にしていた地図を渡すように催促する。
「すまぬ、この辺は妾も初めてじゃ。帰る時の為のマーキングは宜しくね」
「わかりました。もしもの時は、無線も、発煙筒もありますから言って下さいね」
日嗣姉さんに先程までの余裕が無くなっているのか、冷汗を掻きながら、辺りの様子と地図を見比べている。
地図を持つ日嗣姉さんの手が震えていた。僕は心配になってその細い肩に手を置く。
「うん、ごめんね。まだこの辺は安全なはずだから……ただ、ちょっと昔と比べて、森の様子が違っていたから驚いただけ。昔はこんなに荒れ放題の森じゃなかったから」
「一度来た事あるんですか?」
「うん、お姉ちゃんと一緒に一度だけ……ね。その時には一般開放されてたし、キャンプ場も無かったけど」
僕は、その先の言葉を飲みこむ。
事件の前、お姉さんと一緒に訪れた最後の場所がここなのかも知れない。
ん?最後の場所?
森の中という事は……。
「僕等が今、向かおうとしている場所って」
日嗣姉さんが震えながら頷く。
「そうじゃ。妾達が監禁された場所じゃ」
「大丈夫なんですか?!」
これは日嗣姉さんの精神的なものを考慮しての発言だ。
姉と最後に訪れた森。その小屋に行くともなれば、まさしく事件現場だからだ。
日嗣姉さんのその後の人生を狂わせた事件を思い起こさせる場所に居て、平気な訳無い。
「まだ、大丈夫よ。時々、フラッシュバックの様に頭の中に当時の光景が流れ込んでくるけど」
そう言い終わらない内に、日嗣姉さんがよろめく。それを慌てて僕は支えた。
心的外傷を負った状況と同じ環境下になった場合、そのトラウマが植え付けられた光景が蘇り、ひどい場合は行動不能な場合に陥る。俗に言うPTSDというやつだ。
大きな災害を受けた後や戦地に赴いた兵士などにこの症状が現れる事が多いが、日嗣姉さんの場合、そうとうな精神的ストレスを負った当時の事件が悪影響を及ぼしているいるに違いない。
僕は、日嗣姉さんを近くの木に寄り掛かるように座らせて、背中に背負っていたバックパックを降ろす。この背嚢は、複数の鞄が連結されて構成されているので、その一部を取り外して必要最低限の物を入れ替えて、腰のベルトに装着する。
「何をしておるの?」
「姉さんを背負います」
「へ?私はまだ……」
「今の状況は二重の意味で危険ですからね」
「……でも」
他の背嚢の部分をその場に捨て置いて、僕は尻ごみしている日嗣姉さんを担ぐ。
「ごめんね」
「いえ、これからチャンスは幾らでもあります。その度に、僕を呼んでくれていいですから」
日嗣姉さんが、僕の肩に掴まる力を強めた様な気がした。
相変わらず、軽い体だ。そんな体でここまで歩いてこられたのは恐らくお姉さんの為に……。
僕は日嗣姉さんの今日一日の行動を思い返す。買い物に寄った時に、ポーチから突き出ていた懐中電灯。
この暑さの中、喪服とブーツと言う出で立ちで集合場所に現れた日嗣姉さん。そして大量に摘まれたヤマユリの花。
「MICO姉さん?」
「何?重い?まだ歩けるから、歩くよ?」
「いえ、それより、このキャンプを企画したのって、荒川先生じゃないんですか?」
しばらく間を起き、その質問にきちんと答える日嗣姉さん。僕は、発光するペイント弾を頼りに、来た道を引き返している。
「私よ。私が、山に行きたいって言ったの。本当は、荒川は、海を企画してたみたいだけど。私が強引にこのキャンプ場に連れて行って貰えるようにお願いしたの」
「……MICO姉さん、最初から事件現場に行くつもりだったんですね」
日嗣姉さんは、僕に抱きつく様にまわした腕に力をこめた。
「うん」
「この山の古くからの所有者は、北白……その名前、ネットで見た事があります。あの事件の犯人の名前ですよね?」
僕は帰路から反転して、前に進む。
日嗣姉さんを背負ったまま。
僕は地図の目的地、日嗣姉さんが監禁された山小屋へと歩みを進める。
「待って!なんでそんな、なんでそこまでしてくれるの?!私のわがままで」
「約束しました、姉さんに協力するって。それに、その頭にくくりつけている花を、お姉さんが亡くなった山小屋に供えるまで、姉さんは前に進めないんでしょ?」
小さな小枝を踏み折り、それに構わず僕は歩く。
地図によるとこのまま真っ直ぐ30分ぐらい歩くと左手に川が流れており、その近くに大きな小屋のシルエットが見えるはずだ。
姉さんが泣きながら、僕にお礼をいう。
「ありがとう。多分、1人だったらこの森にさえ、足を踏み入れられなかったと思う」
「気にしないで下さい。それより、大体の位置関係は把握出来てますが、ナビと電灯は宜しくお願いしますね」
「うん。任せて! Cボタンでいつでも、MICO姉ちゃんを呼び出せるからね」
「わかりました?ん?所で、Cボタンってどこにあるんですか?」
「64のコントローラーじゃ」
「……ナビィ……」
「Hey!呼んだ?ロクショウ?!」
「……えと、ヒントを下さい」
「そうね、MICO姉ちゃんのお姉さんは、私と違って成績優秀で運動神経も抜群。何をやらせてもそつなくこなす、才女なの。私とは正反対なの」
「少し、元気になってよかったです」
「フフフ、妾をあなどるでない」
僕は溜息をつく。まぁ、これでしばらくは安心か。
背中におぶられて足をパタパタする日嗣姉さん。
「緑青君の背中は居心地がいいね。これで3回目ね」
「そうですね……なんだか僕も慣れてしまいました」
「うん。存分にMICO姉のお尻を味わうが良いぞ!」
「触ってませんから!!」
僕は手を離しそうになったけど、我慢した。
「にゅふふ」
そう言って嬉しそうに僕に抱きついてくるMICO姉さん。背中のリュックを捨てたので、僕の背中に暖かくて妙に柔らかい感触が伝わってくる。
首にしがみつく日嗣姉さんから、強い花の香りが、僕の眩暈を誘う。
だ、断じて匂いフェチだからじゃないぞ!
距離にして、あと30分位というところかな?
現時刻は、午前1時。何とか朝までには帰れそうだ。
(C)⇒ MICO姉さん