森の妖精に誘われて
眠りにつく民。
その者を起こし、死の森に誘うは黒衣の亡霊。
キャンプ場にて皆が寝静まった頃、誰かに揺り起こされて僕は目を覚ます。同じテント内で寝ている若草だろう。
女子のテントは4人も寝ているので、邪魔な荷物のほとんどはこっちのテントに運ばれている。そのため、就寝スペースがかなり狭められて窮屈な体勢で眠ることになっている。
若草がしつこく僕を揺り起こす。
「うぅ、トイレなら1人で行ってくれ」
目を瞑ったまま、タオルケープを顔まで被る。よし、諦めたようだな。
ゴソゴソと何かを探る音がして、今度はタオルケープの中にまで指を滑らせてきて、それが僕の体を這う。
若草の華奢で細く、滑らかな指先が僕の背中を這って……何だろ変な気分に。って!
「ふごごー!?(おいぃ!お前はぺドじゃなかったのかよ!)」
暗がりの中、顔を上げた僕の口を塞ぐ、ひんやりとした手。この手は男の手じゃ無い。
じわじわと闇に目が慣れてきた頃、僕の口を塞いだのが誰かが判る。
日嗣尊姉さんだった。
え、僕はこんなとこで襲われるの?
僕が怯えた表情をすると、日嗣姉さんは笑いをこらえながら、静かに首を横に振る。そして、静かにテントの外を指差した。
僕は反対側で荷物に埋もれながら眠る若草を起こさないように、静かにテントの外に日嗣姉さんと出る。
高原の夜風が優しく僕等を通り抜けていく。
僕は黙って、日嗣姉さんの後ろについて歩く。
少し離れた所にある木の木陰に到着すると、くるりと反転してこちらに向き直る日嗣姉さん。手には一輪のヤマユリが添えられている。
「本当は1人で行くつもりだったのだけど、やっぱり不安で……」
僕はハッと気づく。
「トイレですね?」
日嗣姉さんが軽くタックルしてくる。
だが、華奢な日嗣姉さんは逆に弾かれてしまう。
「うぐ。す、少し、ついて来て貰いたい場所があるのじゃ」
僕は「明日にしましょう」即答しようとしたが、日嗣姉さんの思いつめた様な真剣な瞳が、僕にその言葉を飲みこませる。
「約束しましたしね、前に進む為に協力するって。いいですよ、日嗣姉さんについて行きます」
日嗣姉さんは、本当に嬉しそうに喜んで僕に抱きついてくる。
改めて見ると、日嗣姉さんの格好は寝間着とはほど遠く、どちらかというと喪服っぽい?あれ?喪服を着ている?
「喪服ですか?」
暗がりの中、日嗣姉さんが静かに頷く。
「この花を供えたい場所があるの」
手にしていたヤマユリを大事そうに胸に抱く日嗣姉さん。
星明かりに照らされて白く輝く姉さんの銀の髪と白い百合の花がどこか幻想的に揺らぎ、淡い輝きを放つ。
銀の光の粒が空気中に舞い上がる様な錯覚に襲われる。
杉村の美しさと同じ系統の美しさだが、異なるその儚さに僕は心を奪われてしまいそうになる。
「ん?眠い?無理なら私だけでも行くよ?」
僕は慌てて首を横に振る。
念を押した様に僕の瞳を遠慮しがちに覗きこみ、何かに安心した様に微笑む日嗣姉さん。
肩にかけてたポシェットから、紙切れとコンパス、懐中電灯を取り出すと、現在位置と目的地を確認する。
「目的地はここなの。この高原から繋がっている北方の森林を抜けて、こっちの山の方に……」
ライトの光を頼りに地図を確認すると、結構距離がありそうに思えた。
「少し待っていて下さいね?」
「(’Λ’)へ?」
僕は自分のテントに戻るとサバゲー用に用意していた鞄をそっと運びだす。上着にはレインコートも羽織る。
「ん?石竹?」
若草が寝ぼけながら体を起こす。
「これは夢だ」
「そうか」
そうして再び眠りに着いた若草を置いて僕は日嗣姉さんの所まで戻る。暗がりなので荷物の仕分けが出来ないのでそのままそれを担ぐ。時間的にも、夜明け前には戻らないといけないからだ。
確か鞄には、暗視ゴーグルや懐中電灯、ナイフも入っていたはずだ。何かの役に立つかも知れない。
「おぉ、本格的じゃの」
「まぁ、小さい頃はよく杉村と山で遊んでいましたからね」
「それは心強いの」
「多分、この中じゃ、杉村の次に山は強いはずです……ん?日嗣姉さん、頭に花が咲いてます」
よくみると、荷物を取りにいく前に手にしていた一輪のヤマユリが頭に咲いていた。正確にはヴェールのついた黒帽子に花が何かで留められているようだ。
「うむ、右手に懐中電灯を持つと両腕が塞がるからの。ヘアピンと髪留めで頭につけてみたのじゃ」
一歩間違えたら、花に寄生された女か、頭に花が咲いたアホの子の様だが、そこは美少女パワーの補正値が働いて、本物の百合の妖精さんのように見えた。
そして、僕の左手に地図を渡す日嗣姉さん。僕の右手、姉さんの左手が丁度空いている様になる。
僕は、利き手の右手に地図を持ち替えようとすると日嗣姉さんに止められた。
「そっちの手は、必ず空けておきなさい。君の右手は妾の左手の指定席じゃ」
「??」
日嗣姉さんが笑いながら僕の手をとり、出発する。
「え?手繋ぎですか?」
日嗣姉さんが少し頬を赤くして前を向いたまま呟く。
「この人の手を離さない……僕の」
「魂ごと離してしまう気がするから」
日嗣姉さんは「合格じゃ!」とだけ答えて、僕の手を更に強く握った。
僕は日嗣姉さんに手を引かれて森の奥へと誘われていく。
その光景はどこか現実味に欠ける。
そんな光景だったのかも知れない。