荒川先生と女の子
魚の女と深淵の少女とその繋がり。それは最初の贄。
「その当時、私は大学に通いながら、公務員を目指してた。丁度その頃、通学時によく顔を合わす仲のいい女の子が居てな。当時は確か10歳前後かな?」
佐藤が、体を硬直させながらも聞き逃すまいと耳をこちらに向ける。
「天野樹理という名前の女の子で、毎朝飼っている犬の散歩をかかさない、真っ直ぐで明るい女の子だったよ」
日嗣がその名前を聞いて、顔を背け、再び湯船に体を浸ける。事情は彼女も把握しているらしい。杉村は知らないのか、私の隣に移動してきて耳をすませている。
私の脳裏に、昔の彼女と、現在の彼女、両方の幻影が浮かびあがる。どちらも、私の事を好いている事に変わりは無いが、その愛情表現がすっかりと歪んでしまった事実に、私は自然と苦々しい顔になる。
「ある日、彼女は一日だけ姿を消したんだ」
佐藤が「姿を?」と質問する。
「あぁ。彼女が友達同士で山に出かけて、姿を消して、その次の日、フラフラと山道を通って街まで下りてきた所を保護されたんだ」
佐藤がほっとした様に薄い胸をなで下ろす。事件とは無関係だと思ったらしい。
「よかったですね、大事にならなくて」
私はひねくれた笑顔で首を横にふる。
「残念だが、何事も無くは無かった」
一気に佐藤の顔が青ざめる。ここで話さない方がいいか?
「いや、まぁ、生きて帰ってよかったな。って話だよ」
日嗣が珍しく私につっかかる。
「ごまかすのは止すのじゃ。荒川静夢よ。佐藤さんに少しでも役立つ情報があるなら話すべきじゃ。妾も何か思い出すかもしれぬ。後では無しじゃ。今日、この場で話してくれると妾も助かる」
私は日嗣の言葉の意味するところは解らなかったが、佐藤の顔に浮かぶ真剣な眼差しに負けて、話す事にする。
「少し訂正する。彼女の命だけは助かってたんだよ」
「命……だけ?」
杉村がその部分に違和感を感じ、私に言葉の再確認を行なう。
「山から下りてきた彼女の衣服は乱れ、汚れきっていた。真っ赤に」
「赤く?怪我を負っていたの?」
私は杉村に首を振る。
「擦り傷や、打撲は数カ所見受けられたが、大きな傷は無かったよ。彼女の手にはなぜか、短い、刃先の痛んだナイフが握られていたんだ。右半身を赤く染めてな」
「山で、獣と対峙したの?」
山でのサバイバル経験が豊富な杉村にとっては、獣と戦うことは日常茶飯事らしい。
「いや、それは紛れもない人間の血だったそうだ」
「どういう事?山で行方不明になって、一日姿を消して、人を刺して姿を現した?」
杉村の持つ事件の情報は、石竹の関わった第4ゲーム以外の情報はほとんど無いらしい。というか、優先順位がハッキリとしているというか、興味が無いというところだろう。横から佐藤が私の言葉を継いで話す。
「八ツ森市連続少女殺害事件。先生が今30歳で在学中となると、約11年前ですよね。その女の子が姿を消したのは冬ですか?」
佐藤が何かを思い出し、それを確かめる為質問する。
「あぁ。確か冬だ」
佐藤が確信を得たように、一度頷くと、事件の概要を話し出す。
「北白直哉による”生け贄ゲーム”の始まりは、確か2001年11月8日の夕刻です。被害者は確か、10歳と9歳の女の子で……そのどちらかが、荒川先生のおっしゃる女の子ですよね?」
先ほどとは一転して、淡々と事件の事を確認する佐藤。この子は見かけによらず強い。私なんかよりも。
「そうだ。生き残ったのが、確か年下の女の子だったから、9歳の方だな」