第三ゲーム〈日嗣姉妹〉
人生山あり谷ありじゃ☆
気が付くと、私達は薄暗い山小屋の中に閉じ込められていた。
少し離れて、大きな男のシルエットが剥き出しの電球から発せられる明かりで映し出されていた。私は怖くなって一緒に鎖に繋がれている姉の方を見る。
この鎖は、小屋の柱と私達姉妹の片腕にそれぞれ繋がれていて恐らく脱出は出来ないだろう。この手首を落とさない限り。
「私達、誘拐されたみたいね」
姉が率直に今の状況を私に教えてくれる。
そうか、捕まったのか。
姉の鎖に繋がれた方の手が私の手を優しく包む。
姉とは言っても私達は双子なので一瞬見ただけではどちらが姉かは解らない。
でも、私は密かにその艶やかに伸びる漆黒の髪に憧れを抱いていた。
これは回想。
もうすでに終わってしまった出来事だ。結果は決まっている、変えられない。脳に焼きついた事件の記憶は時折私の脳を支配し、私に当時の恐怖を呼び起こされる。
小屋の床にはわざとらしく小さなナイフが無造作に転がっている。
私はこの誘拐犯を刺せないかどうか何度も確認する。
柱から伸びた鎖の長さとこの誘拐犯までの距離を何度も何度も目測しても僅かに届かない。
そのことから、これは犯人によって周到に仕組まれた状況であることを理解する。
恐らく、私達が何かしらの抵抗をしたとしてもそれに対抗する何かを目の前の男は準備しているに違いない。ここはこの男の支配する空間なのだ。
私達の自由意思が干渉する事を許されない絶対的な領域。
電球の光が反射して男が手にしている何かが怪しく光る。
床に落ちているナイフよりも一回り大きい刃物だ。
「さぁ、ゲームをしようか」
男の口から初めて言葉が発せられる。
姉の指がきつく私の腕を掴む。
私はその時すでに生きる事を諦めていた。
けど、姉は違うようだった。
必死に、必死に、何とかして”私を生き残させる手段”を幾つも頭に巡らせていたに違いない。姉が私に謝る。
「ごめんね、お姉ちゃんがもっとしっかりしていれば、こんな所に連れて来られなかったのに」
私は、脳内とは真逆の反応しか出来ない。
唇は震え、言葉が出ない。私はただ、それは違うと首を横に振る事しか出来なかった。
男が立ち上がり、威圧感を増す。
姉はその一挙一同を見逃すまいと、相手を食い入るように見据えている。
「君たちにはどちらかが僕の生贄になってもらう」
姉の強張っていた表情が少し和らいだ気がした。なぜ?
「あれ?さすがお姉ちゃんだね、察しがいいね。そう、そこにあるナイフで殺し合って、生き残った方は助かるんだよ」
私はナイフを見つめる。仄かに紅く染まる刃先が私の意識を捕らえる。
男が言葉を続ける。
「大丈夫だよ、安心して?浄化の為の儀式に犠牲は2人もいらない。
だからルールを無視して僕が両方殺すなんてありえないんだよ。
もちろん僕をそのナイフで刺そうとしたら、僕も持っているこのナイフで君の頭を刺すからね?」
怪しく光るナイフが、自身の頭にねじ込まれる姿を想像する。
私はそれだけで生きる意欲を削がれた気がした。
姉が躊躇わずナイフを手にしようとする。
男が怒鳴る様に叫ぶ。
「まだだよ!まだゲームは始まってないんだ。まだ合図が無いからね。
僕が”始め!”って言ったらそこからゲームが始まるんだ」
驚いた様に姉が手を引っこめる。
従順にその男に従う姉は生きる事を諦めていなかった様に思えた。
私はどうなんだろ。
その時私は、何をしても殺される様な気がして何も考えられなかった。
「制限時間は2分。それを過ぎたらタイムアウトだよ」
姉が怯えながら男に質問する。
「2分過ぎたら、私達は2人とも殺されるの?」
首を横に振る男。苛立っているようにも見えた。
「さっき言っただろ!僕の生贄は1人で十分なんだよ!制限時間が過ぎた段階で僕が選んだ方の女の子をナイフでズタズタにするんだよ!!」
姉が男の剣幕に怯えるが、その目の奥にある決意は微塵も変わらなかった。
その決意とは何だろう。
姉は、さっき勢い良くナイフを取ろうとした。
そして、何度もどちらかが生き残れるかどうかを確認した。
あぁ、そうか。
そういう事か。
「始め!!」
男の声が薄暗い小屋に響く。
私は眼を瞑った。
「いいよ、お姉ちゃん。私は生きる価値なんてないから」
私は無防備に両腕を垂らす。床からナイフを拾い上げる気配がする。
姉の動きに合わせて、私の左腕に固定された鎖が引っ張られる。
「なんだ、つまんないなぁ。この前なんて、仲良しの友達同士が一つのナイフを奪い合い、血まみれになって殺しあったのに。やっぱりナイフは2本必要なのかな?」
男が何かを話しているが、どうでも良かった。
私はここで死ぬのだから。
私達双子はよく似ている。
だから、知能の差でよく周りからは区別された。
勉強もスポーツも得意で、艶やかな髪をなびかせる綺麗な姉。
私は何をさせてもダメで、髪だって少し癖がついている。
ダメな方なのが妹だ。
「尊、ダメなお姉ちゃんでごめんね?」
私は首を横に振る。
「ダメなのは私の方だよ」
私は力無く、近くの柱に寄り掛かる。
姉が私の服を引っ張っている。
私は不思議に思い、目を開けてそれを確認する。
私の衣服の端が、なぜか姉によって切りとられていた。
そしてその衣服の切れ端をナイフを放した左手に持っていた。
「あと1分だよ!」
と男の声がする。
「尊、お姉ちゃんの最後のお願い聞いてくれる?」
私は深く頷いた。
「何があっても、何が聞こえても目を深く瞑って、絶対に開けちゃダメだからね!」
私は眼を瞑りもう一度深く頷いた。
「ありがとう」と、少しくぐもった声が聞こえた。私の衣服の切れ端を口に咥えた様だ。
柱に寄り掛かる私は、柱に走った衝撃でその体を床に落とした。
姉のくぐもった叫びが聞こえてくる。
硬質な音が小屋に響く。
それはナイフが何かに突き立てられている音だ。
何度も何度もその音が柱から聞こえてくる。
お姉ちゃんが鎖をナイフで切ろうとしている音だ。
ジャリジャリと鎖の音が耳障りに響く。
「あと20秒」
男の声が響く。
けど私は気付いていた。
2分なんてとっくに過ぎている事を。
この男は恐らく、恐怖心を煽る為にわざわざ嘘の残り時間を言うのだ。
あのナイフでこの鎖は恐らく断ち切れない。
そうやって足掻く姉を見るのが男にとっては堪え難い至福なのだろう。
「無駄だよ、無駄、そんなナイフじゃ……」
男の声が途切れたと同時に、左手を引っ張る違和感が不意に無くなった。
辺りにしとしとと何かが垂れているような気配がした。
私は自由になった両手で自分の衣服に触れてみる。
妙に重さを感じたからだ。
私の着衣は濡れていた。
私の流した涙ではここまで濡れないはず。
私は、姉の約束を破り、目を開けてしまう。
暗がりの中でも解った。
白いワンピースを着ていたはずなのに、その色がどす黒く染まっていた。
隣を見ると、姉の姿が見当たらない。
男の呻き声がする。
その男の方を見ると、姉の持っていたナイフが胸に突き立てられていた。
どうやって?どうやって姉は抜けだしたの?
私は繋がれた鎖を辿る。
そこには、姉が忘れていった右手が血に塗れて転がっていた。
姉は、自分の手首を切り落としたのだ。
姉が動いた後を追う様に血が床を伝っている。
「ほんと、ダメな子ね。眼を開けちゃだめって言ったでしょ?」
姉がこちらをあえて見ない様にして叱る。
無くなった右手首の跡から血がとめどなく溢れ、辺りを汚す。
「ルールは絶対?」
と姉が男に聞くと、男は苦しそうに頷いた。
男が床に倒れる。
その上に姉が覆いかぶさる様に倒れた。
姉の血が男の全身を紅色に染めて行く。
私は途切れ途切れに叫びながら、
何度も何度も姉の名を叫びながら気を失った。
そこで私の記憶は途絶えている。
病院で私が眼を覚ますと、その日から、姉が居ない日が始まった。
どこも怪我はしていなかったのに、体の半分が失われた様な感覚に襲われた。そして、姉の様な漆黒の髪はその色をその日から忘れてしまっていた。
ま、妾は谷ばっかりじゃがな★