車内事情
もう一人の青き少年は世を憂う。世界は理不尽だよね。
市街を離れ、山に近づくほど民家は少なくなっていき、木々が道を大きく占領し始める。今日の気温は穏やかで、吹き抜ける風は俺達の体感温度をうまく下げてくれている。こういうのもたまにはいいな。
「ねぇ、どこ行ってたのよ?」
横の席に座る佐藤が、怪しい奴を見る目で俺を探る。
「ちょっと、美女と秘密の逃避行をな」
「迷子の女の子と一緒に、母親を探してたんだろ?」
前の席に座る石竹が、俺の言葉を訂正する。本当はあのままどこか一緒に遠くへ行ってしまいたかったが、刑法にひっかかるのでやめておいた。
親御さんを見つけた際、その女の子にお礼としてほっぺにチューされた性で、ずっと俺はほわほわして口元が緩みっぱなしだ。
「若草君が少しおかしいんですけど?荒川先生ー」
運転席の荒川が前を見たまま、手を挙げて返事する。
「よーく見張っておいてくれ。そいつはいつ女の子を誘拐するか分からないからな」
元気よくそれに答える佐藤。
茶色がかった丸い瞳が俺に釘を刺すように睨む。
夏休みにこうして仲間で出掛けるなんて、数年前の俺には想像出来なかった。俺と母親に暴力を振るい続けてきたあの男から逃れる為に、俺たちは住む場所を定期的に変えて、最終的にこの地にたどり着いた。
どういう訳か、あの男は俺らがどこに居ても居場所を見つけて生活を滅茶苦茶にしてきた。どんなに気をつけようとも、どこかに
綻びはある。探偵を雇ったり、あるいは知人や親戚のツテで探りを入れられたら太刀打ち出来ない。
あの男が金を渡したり、暴力で他人を脅す。
その男と関わりたく無いが為に、そいつらは俺らの居場所を吐く。
人間、我が身が第一で、誰も日常を壊されたくは無いからだ。
生まれながらにしてその男と関わりを持ってしまった。
世の中はうまく出来ている。
何者に怯える事も無く生きる人間は気付かないのだ。
俺らが日常を壊す厄介者を引き受けているという不公平に。
普通に生まれて、普通に暮らせれば、ややこしい人間は存在しないはずだ。きっとどこかの誰かが狂った「歯車」を無理矢理回した結果、歪みが出来て、貧乏くじ引いた奴が苦労するんだ。
まぁ、そんな俺でもここにいる人間達と比べたらマシなもんだ。
担任の荒川静夢の過去は知らないが、少なくとも、石竹や佐藤、杉村のくじ運の悪さに比べたら俺の境遇なんて屁でも無い。
まぁ、金銭的な面でこいつらは俺よりは優遇されてはいるが。
今日、初めて面と向かい合った俺の事をカイ=シデンの様な男と言い現した女、黒衣の亡霊「日嗣 尊」。素性は知らないが、得体の知れない不気味さがある。
いや、単なる思い過ごしで、ただのバカかも知れないが。
今もなんか石竹と杉村にちょっかい出して、遊んでるし。
まぁ、悪い奴では無さそうだ。
今日のこのキャンプはどうなる事やら。
でも、こんな事してていいのか?
杉村は確か、補習地獄じゃ?
問題になっているのは確か体育、美術、音楽の実技点。
体育は問題無いとして。
「なぁ、杉村。補習の方は大丈夫なのか?」
日嗣尊から、石竹を必死に守っていた杉村がこちらに振り返る。
なんだろ、なんかいつもと違って表情は晴れやかだ。
「あ、若草君。うん。体育はこの調子でいけば取り返せるって!」
そりゃ体育はね。
「音楽や美術は?」
「う”っ!」
その顔に似合わない呻き声が口の端から漏れる。
「歌は、修行中。絵は・・・・・・ちょっと、やばいかも」
前で運転している荒川が心配そうに、杉村に声をかける。
「頼むぞ、私も全教師の前でこいつ(石竹)と一緒に他の教師に喧嘩売ったんだ。これで、お前が留年してしまったら、格好悪い・・・・・・・あ」
助手席に座る日嗣尊が、しゅんと前を向いて、座席に三角座りしてしまう。慌ててフォローする荒川。
「まぁ、そん時はそん時か。それより、なんか歌ってみ?そうだな、みつばちでも歌ってみて?」
杉村が、青冷めた顔で全力で拒否する。
「ダメ、私、下手くそだから!」
「そうか?結構、お前の声、通るし綺麗だと思うけど?」
石竹が杉村を誉める。
それに顔を赤くして、短く「ありがと」と口にする。
「でも、なんかリズムとか音程とか、日本語だと調子とれなくて」
杉村がその流れで、みつばちの動揺を歌う。
♪ぶ んぶんぶん!蜂 が 飛ぶ!
お池の 周りに 野バラが 咲いたよ
ぶんぶ ん ぶん はちが 飛ぶ!
ぶ んぶん ぶん はちが とぶ!
あさ、つゆ きらきらぁ
野バラが揺れるよぶんぶん はちが飛ぶん!♪
最後なんだか「飛ぶん」になっていたが、そんな事よりぶつ切りの単語を、調子のおかしいロボットが発生しているような感じだ。
つまりは歌として成立していない。
これ、日本語の練習から始めた方がいいんじゃ?
「はっはっは!なんじゃ、お主!音痴というか下手くそじゃのぉ!
妾の方が上手じゃ!
燃えあがーれ!燃えあがーれ!ガンダムぅ!」
いや、同じミツバチの歌でいいだろうがって、ワンフレーズ聴いただけで分かる。杉村と同じぐらいの歌唱力だ。
戸惑い気味の俺達の間に微妙な空気が流れる。
それに気付いた日嗣尊が、また、三角座りになる。
「考えてみたら、妾、小学生の途中までしか音楽の授業受けて無かった」
「・・・・・・頑張ろうな、二人とも」
石竹が2人を励ます。
ふむ。問題は日本語の方か?なら・・・・・・。
「杉村?試しに英語で歌ってみ?」
杉村が一時停止し、首を傾げて何かを考えている。
「あ、そっか。ドイツ語の奴なら知ってる」
佐藤が横で俺の意図に気付く。
声がよくて、音程もリズムも本当は取れてるなら・・・・・・。
杉村が、目を瞑って息を大きく吸い込む。