救いの主
救い主森を歩き獣と戯れる。彼の目的は一体?
まさかとは思い、元軍部の連中の動向を探っていたが、こうも早く”杉村蜂蜜”に嗅ぎ付けられるとは思ってもいなかった。
念の為に杉村蜂蜜の後を追っていてよかった。
2年A組襲撃の件に関わる人物と、杉村が接触した事を確認出来ていてよかった。この事実の発見が遅れてしまうと、こちらに不利になりかねないからだ。
間違っても、杉村が私自身にたどり着く事があってはならない。
二年の新田透の件は、些か理不尽なようだが諦めて貰うしかない。
彼女は、新田の口から”石竹緑青”と”佐藤深緋”の過去の殺害事件における接点と、記憶の喪失という事実を突きつけられた。
彼女が心に抱えている償いきれない罪とは、つまり”ある少女を見殺しにした事”だ。
この事実は、私と彼女しか知らない。
恐らく彼女は、今以上に傷つき、壊れていくだろう。
これでいい。
これで。
彼女の美貌は、壊れることにより美しさを増す。
彼女を修理なんて誰にもさせない。
その点で、彼女の回復の鍵を握るのが「石竹緑青」という凡小な男性生徒なのだが、どうしたものか。
彼を殺害した場合、「天使」は完全に人では無くなるだろう。
完全な廃人と化すか、全てを食らう獣となるか・・・・・・それとも本物の天使となるのか。
それはすごく楽しみなのだが、何分、新田達とは違い、彼への監視網を抜けて事に及ぶのは容易くない。
一番いいのは、杉村自身に殺させる事なのだが、いい案は一つ位しか思い浮かばない。
施設にいる北白直哉を脱走させて、殺しに向かわせるのもいいが、こちらも危険だ。彼の中で、あのゲーム、いや儀式で生き残った人間を殺すという選択肢はありえない。私の啓示でも恐らく動かないだろう。
彼の目的は、あくまで汚れた自分自身の浄化なのだから。
それに、八ッ森市を歩く彼を、町の住人が見かけたら半日と経たないうちに殺されかねない。彼の事を未だに覚えている大人は多い。
さてさて、どうしたものか。
今後の展開が楽しみでもあるが、まずは自分の安全が第一だなっと。
他に懸念材料としては、黒衣の亡霊「日嗣 尊」が彼と接触した事だろう。
校内の噂レベルの情報しかまだ手元に無いが、事件関係者で体や心はボロボロだが、唯一、まともに事件を客観視出来ている人間だから質が悪い。
佐藤や杉村との接触以上に、彼女との接触の方が危険か。
黒衣の亡霊自体は、事件の真相を知らないが、彼女の持つ情報網は侮れない。ほっておくと、事件の真相と私自身にたどり着く危険性がある。
そして、石竹との接触により、両者の心が修復してしまう可能性もある。
「パンドラの箱(石竹の記憶)」の方は、事件以来、佐藤と行動を供にしているにも関わらず、戻る気配すら無いので心配する必要は無いだろう。それにもし、記憶が戻ったとしても、私があの場に居た事を彼は知らない。
仕方ない。
あと何人かの犠牲は必要か。
そう、これは私と僕の生き残りを賭けた長いゲームなのだから。
*
月明かりも差さない森の奥で、八ッ森高校の「新田透」の頭部と体の一部、衣服、鞄を腕に抱えた長身の男が目的地も決めずにフラフラと歩いている。
唸り声を上げ、喉を鳴らす野犬の息づかいが男の耳に入る。
暗がりの中、数匹の野犬に囲まれた男は「待っていたよ」と呟くと「新田透」の遺品をその辺りにばらまいた。新田の一部が鈍い音を立てて、腐葉土の上に転がる。目は驚きの表情を湛えたままだ。
「お前等、食事の時間だ」
野犬の一匹が、側面から男に飛びかかるが、近くに落ちていた木の棒を素早く拾い上げると下から上に、それを打ち込んだ。
顎から砕かれた野犬は、まともに声も上げられず息を引き取る。
鋭い狂気を宿した眼光を野犬に向けると、その勝敗を悟った獣が、おずおずと引き下がっていく。
「それでいい、良い子だね」
彼は気ままに獣が徘徊する山道を歩いていく。
山奥からは何かを貪る犬の歯音が響いていた。
八ッ森市を囲むこの森林は、結界であり、また牢獄なのである。