電波天使
森に囲まれた都市が西陽に覆われ、朱色に街を染める。まるで入れ替わる様に深い闇が街を覆い尽くしていく。
最後の生贄ゲーム。石竹緑青の最後の質問が八ツ森市民へと投げ掛けられた。
それは亡き少女の生きた痕跡を蘇らせる為に必要なものであり、まさに儀式と呼ぶのに相応しいだろう。
周りに居るテレビ局のスタッフが心配そうに私を見つめる。彼等は処分覚悟で私に従って付いて来てくれた。これらの顛末は私一人で責任を負うつもりではあるが。
「大丈夫だ……そのまま映像を流し続けてくれて構わない。山小屋の外も同様にだ。少女二人がパンを食べてるだけの映像でも構わない。照明に関しても英国軍に任せておけばいい。撮り続けろ」
八ツ森テレビ局の主調整室では複数のカメラから送られてくるリアルタイムの映像を常に流し続けている。
室内映像では暗がりの部屋の中、傷だらけの石竹緑青君が心配そうに画面を覗き込んでいる。彼の呼び掛けが、これまで最後の生贄ゲームを経て視聴者が何をどれだけ受け取ったかどうかは此処からは分からない。
この部分は台本に無いのだ。
これだけ市民に事件の全貌を明らかにしたとしても、何も変わらないかも知れない。それでも彼は僅かな望みを抱き、八ツ森市民全員を相手にこの賭けに乗ったのだ。
「まだ……彼の質問に対する反応は無いか……」
それもそのはずだ。
七年という年月は余りにも長い。人の容姿や行動をハッキリと思い出せる人間など居ない。血縁関係にあるものや友人知人、知り合いなら兎も角、無関係な八ツ森市民は事件を傍観する事しか出来ない。
調整装置の前で不安そうにする女性スタッフが残念そうに頷く。
「どうしますか?どれぐらいの時間を待てばいいですか?」
そこへレポーターの白滝から連絡が入る。
「室内に数人の特殊部隊員が侵入して来ました……このまま中継を続けますか?」
端のモニターを確認すると、黒い装備に身を包んだSASの隊員が自動小銃を少年少女達に向けている。
「構わないが……カメラはその場に固定し、白滝達はモニターに映らない様に小屋を出るか、別の部屋に退避しろ……万が一の場合もある。手は上げておけ」
「わかりました……」
「それに……もしもの時は」
「分かってます。何も反応が無い場合は私が……」
「うむ。すまないな……いつも」
「いえ、いつもの事です。この事件に関わりを持った者としての義務もありますので、貴方が全てを気負う必要はありませんよ」
「そうか……」
事態は沈静化したが、まだ予断は許されない。改めてカメラマンの佐々本にも連絡を入れておく。
「佐々本……白滝には伝えたが、カメラをそこに置いてお前達は離れろ……銃撃戦になった場合、お前らも巻き込まれる可能性がある。人質の子供達?彼等はそのままにしておけ。いや、そうせざるを得ないんだ。分かってくれ……」
「わかりました……カメラのバッテリーはまだまだ持ちます。私達は一度、身を隠しますよ」
「そうしてくれ……。後は回答を待つだけだからな……」
私は調整モニター前にある事務椅子に腰を降ろし、最後の質問まで放送出来た事に一先ず安堵する。電波ジャックに近い行為だ。途中で止められても仕方ないと思っていた。
……佐藤浅緋。
第四の生贄ゲームの被害者であり、その存在を彼の為に消された九歳の少女。
石竹緑青君の働きにより、彼女がどんな意図を持って事件と関わったかは大凡伝えられただろう。
だが、それでは不完全なのだ。
彼女という人物の復元には足りない。
彼女の悲しみというのは気が触れた男に山小屋に誘拐され、仲の良い緑青君に首を締められた。そして胴体を切り開かれただけに留まらず、短くとも彼女の生きた九年間を丸々消失させた事に他ならない。
葬式すらあげられない家族の無念は計り知れないだろう。
石竹緑青君。
君は本当にここまでよくやってくれた。
目立つ事が本来苦手な彼がわざわざメディアの前に立ったのには二つの理由がある。並行して行われていた第六の生贄ゲームから少女達を救う為。そしてもう一つが佐藤浅緋の復活だ。
そしてこれが私に出来る精一杯の恩返しでもある。
私の娘は射殺されたとされている同校の生徒、二川亮の依頼で通り魔に襲われた。
「これで……恩は返せたかな?蜂蜜さん……」
襲われたうちの娘を助けてくれたのはその日、うちの家に遊びに来てくれていた杉村蜂蜜さんだった。
彼女は返り討ちに合う事を全く恐れず、駆けつけ、相手を躊躇無く殺してくれた。
意識が戻ったからいいものの、もし、寝たきり状態で目を覚さなければ私がその通り魔を殺していたと思う。二川亮という少年に対してもだ。
殺人罪で捕まるよりは、電波ジャックで捕まる方がマシというもの。私がこの業界を離れたとしても、娘はまた映画を撮り出してくれた。それだけでもう私は充分だった。
その声は唐突に背中から掛けられた。
「木田智明さん……木田沙彩さんのお父さんですね?」
私はその声に返事だけを返し、手持ちの煙草に火を点ける。
「あぁ……思っていたより早いね……テロ対策として局の位置やセキリュティは強固で関係者以外入れないはずなんだけどね?」
「なるほど……その余裕の態度もそれで納得がいきます。木田智明さん、貴方を少年少女誘拐の幇助、もしくは容疑者石竹緑青との共犯の罪で逮捕します」
振り返り、相手の姿を確認すると、紺色の婦警制服に淡いプラチナブロンドの長髪を靡かせる女性が私に銃口を突き付けていた。私は武器など持っていないのに。グロック17の引き金に指は掛けていない事から撃つ気は無さそうだが。
どうやら私はここまでの様だ。大丈夫、私が居なくとも世間がこの放送を望む限り映像は流れ続ける。他局のクルーも現場に駆け付けている。改めて私はこの突然現れた天使の様な女性を相手にする。
「貴女は確か……八ツ森特殊部隊ネフィリムのお嬢さんですよね?蜂蜜さんの義姉でもある。どうやってこの短時間でテレビ局へと辿り着いたのかは分かりませんが、山小屋での指揮はもう宜しいので?」
私の目を真っ直ぐと覗き込むその青い瞳には何の感情も伺えない。
「心配無用。貴方もモニターで確認済みでしょうが、山小屋での攻防は既に決着は付いています。私は大人である貴方が何故石竹緑青を止めなかったのかを問いに此処へ寄らせて頂きました」
「……貴女は賢い人だ。大凡の検討はついているんでしょ?天ノ宮サリアさん……」
相手に抵抗の意思が無い事を確認したサリア=レヴィアンは拳銃をホルスターに仕舞うと溜息を吐く。
「智明さん……貴方は今、電波ジャックというテロリスト紛いの事に加担した。メディアを私物化する恐ろしさを貴方が知らない訳では無いでしょう?少年に唆されたとは言え、善悪を判断出来ない大人ではあるまいし。……その苗字で私を知ると言う事は父を知っているんですか?」
「ははっ……。天ノ宮さん、唆されたも何も、これは私の意思と決断で行なった事だ。部下達は何も知らない。脅されてもいないよ。局側の許可無く私が一人でこの映像を流した。貴女のお父さんとは娘が生まれる前、駆け出しの頃だった。十八年前起きた不可解な猟奇事件を追っていた時にね。彼を見掛けなくなったのは、十一年前の局所的な反転干渉現象が起きてからだけど」
「……反転干渉現象……父からはどこまで聞き出した?」
婦警姿の彼女が再び腰に提げたホルスターに手を伸ばす。君は本来、木漏日高校の水色の制服を着用し、高校生姿で町を巡回している。婦警姿と言う事は上からの命令で今回は召集されたと言う事だろう。
「見た目に反してなかなか口の固い……警視長様だったよ……警視正様?」
「……その父の行方を貴方は知っているのか?私も探している……」
「いや、ここ暫く見かけていない。ある事件で失踪扱いになり、そのお陰で貴女も今の地位を手に入れた」
「厄介ごとを押し付けられただけだ……」
呆れた様に溜息を吐く天ノ宮サリア嬢。その顔は失踪する前の彼の困り顔によく似ていた。私はよく記事にもならないオカルト染みた事件を追って彼に話を伺っていた。こちらの取材した怪異に対する目撃情報と 交換条件で。
「サリアさん、今回八ツ森専属の特殊部隊ネフィリム最強の十一人の二人まで導入して……そこまでしてアンタらは隠したかったのか?世界の真実を」
「話をすり替えるな。貴様は……それを分かっていながら外道の者や私達部隊員の戦闘光景を垂れ流しにした……その罪は重い。あれを見せられて信じる者は少ないがな」
「……これ以上、本当に隠せると思っているのかい?人が起こす事件は人が解決し、裁けばいい。しかし、怪異による被害を受けた人間はどうすればいい?死ぬまで被害者の死の事実を知らずに苦しみ続けるんだ。冤罪被害も多発している。それに、電波ジャックを最初に始めたのはアンタらだろ?マスコミへの公開規制に加え、事実の隠蔽……石竹君を捕まえに来た英国のお偉いさんに至っては数え切れない。そして何より、怪異によって兄を食い殺された両目をくり抜かれた少女が今回、表舞台に出て来たのは……事実に蓋をされている被害者達の怒りを買ったからじゃないのか?」
「……我々は確かに戒厳令は引いているが、同時に彼女や被害者達を守っている。もし、怪異が身近な者と知られれば世界は混乱する。私達が圧を掛けていなければ世界は混沌に飲み込まれるだけだ。恐怖が狂気を呼び、その狂気に奴等は干渉してくる……貴方は部外者だ」
「人の心に蓋は出来ない。それはただ我慢して耐えてくれているだけだ。これ以上、被害者が苦しみ続ける世界でいいのか?私は、私達は何人もの事件被害者の声を聞き続けてきた……加害者が法で守られる一方で被害者へのケアは何も為されていない。今回の事件はただの少年による誘拐事件じゃない!あの少年と盲目少女は謂わば被害者達の代弁者だ!それを貴女は邪魔しようというのか?」
天ノ宮サリアが再び銃を抜き、私の眉間を狙う。その指はしっかりと引き金に充てがわれている。
「……それが世界の秩序だからだ!それを許してしまえば、今ある世界は根底から崩れ去り、世界そのものが形を無くしてしま……う?」
彼女の疑問形を含む語尾とその青い瞳の視線がモニターの一角を凝視する。そこには仮面を着けた生贄の少年少女達が並んで映っているだけだ。
「……これは……どういう事だ?」
天ノ宮サリアが銃を仕舞い、主調整室に映し出されるモニターの一つに顔を近付ける。何も変わった箇所は無いというのに。
「おい!これはどこの映像だ……」
「何処って……山小屋だよ。元、北白家領地の」
先程まで見せなかった焦りの表情と苛立ちを含ませていた。
「まだ見えていないという事は……ランクB-クラスか……しかし、あの影の大きさ……太陽の仮面の少女に既に取り憑いているのか……あれが、もし、顕現化したら……突入した特殊部隊がどういった反応を示すか分からないぞ……そもそも芽依がそんな危険な状態を放置する筈が……」
別モニターに映し出されている盲目の銀髪少女と黒装束の忍者少女が仲良さそうにランチをしている。
「くそっ!何やってるんだあの二人は!山小屋の中は無警戒……暴れられたら厄介だぞ……間に合うか?木田智明……逃亡は許さ無いからな?」
「元々処罰は覚悟の上だ。私は娘を助けてくれた杉村蜂蜜さんに協力さえ出来ればそれでいいからね」
「……今の発言は私の胸の中に閉まっておく……」
瞬間、眩い閃光が辺りを包み婦警姿の天ノ宮サリア嬢がその姿を変質させていた。初めて間近で見るその姿は光を纏うが如く輝き、その葵い衣に白銀の部分鎧を着た姿は天使と呼ぶに相応しかった。
「非常事態だ……人前で姿を変えた事……内緒にしてくれると私の給料は減らずに済む」
彼女が照れ臭そうにそう言い残すと、背中に浮遊する車輪から光の翼がまるで羽ばたく様にサリア嬢を包み込む。
プリズムの欠片が瞬き、光の翼が舞い散る光景は幻を見ている様だった。
「ち、チーフ?今の婦警さん……変身して消えま……した?」
スタッフの女性が事実を受け止めきれずの昏倒する。あぁ、そうか。
彼女はテレビ局がある都心部まであの光の翼で飛んできたのか……。
室内を映すモニターの中、その不安げな表情でじっと石竹緑青君が市民の答えを待っていた。彼の質問から十分以上経過している。
もしかしたら彼の望む答えを市民は用意出来ないかも知れ無い……。