最後の問掛け
英国国防省のゾフィー=レヴィアンが半ば強引に少年達の元へ突入するや否や、護衛であるSASの三人、チャーリー、ウォード、ポールが杉村蜂蜜の周囲を固め、誘拐犯石竹緑青からの隔離に成功する。
「こちらゾフィー。保護対象を誘拐犯から隔離。誘拐された少年少女は無事……誘拐犯の被疑者の少年、石竹緑青に抵抗の様子は……」
撃たれた脚を抑えながら立ち上がろうとする少年に対して、両肩に続け様二発の弾が撃ち込まれて悶絶する少年。
「抵抗の様子は無い。すぐに部隊の撤収と本作戦の完了を……動くなと言っている!死にたいのか、貴様は!」
ゾフィーから放たれた銃底による側頭部への一撃が彼へと炸裂し、頭を抑えながら蹲る誘拐犯の石竹緑青。
「やめて下さい!彼はもう私達に危害を加える様な真似はしません!」
彼の前に立ったのは太陽の仮面を装着した佐藤深緋であった。もう一人の幼馴染である杉村蜂蜜はSASの隊員に身体を抑えつけられ、身動きが取れずにいた。怪我の治療は終え、腹部には白い包帯が巻かれている。
「退きなさい。そこの少年は君達を誘拐し、監禁した。立派な犯罪者よ……妹さんを殺した罪には問えなくても、この一連の事件で犯した罪を償わせる事が出来る……それは貴女の願いでもあるでしょ……忘れたの?妹さんの無念を」
口調は厳しいものの、先程まで誘拐犯に向けていた厳しい青色の眼差しが柔らかくなり、小柄な彼女を優しく見つめる。
「……もういいんです……私は彼を許しましたし、最初から彼に罪なんて無かったんです。妹は全てこうなる事が分かっていて全部……。寧ろ、罪があるとするなら、自分の事を背負わせ、本来なら私が緑青の代わりに被験者に選ばれていたんです……それを妹がそうなるべく仕向けた。本来なら関係の無い筈の緑青と蜂蜜さんを巻き添えにして」
「深緋さん……浅緋ちゃんにも罪は無いわ。ただ彼女は貴女と無事を願い、そして、最後の時を少しでも長くそこの彼と過ごしたかっただけよ……それが何の罪になると言うの?子供に刑法は適応されない。彼女は何一つ罪を負わずに逝った……一人の男の狂った妄想に巻き添えにされてね……でも、石竹緑青は別よ。満十八歳以下とはいえ、多くの人を巻き込んで迷惑を掛けた。それに彼は文化祭で同校の生徒を射殺している。それはもう後戻りの出来ない取り返しのつかない事で……」
「違うんです!緑青は最初から誰も殺してなんていないんです……あれは……二川先輩は」
佐藤深緋の言葉と重なる様に銃声が鳴り響き、石竹緑青の手にしていた銀色のAMTハードボーラーが弾かれた手から零れ落ち、床に転がる。
「しつこい!抵抗をするなと言ってるのが分からないの?!これ以上手を煩わせないで……娘の前で貴方を殺させる気なの!?」
その銃声を皮切りに、扉が閃光と共に開け放たれ、七名のS10レスピーターのガスマスクに黒で統一された戦闘服姿の隊員が流れ込んでくる。その手にはドットサイトが装着された自動小銃の黒いMP5が構えられ、レッグホルダーにはハンドガンのUSPが提げられていた。
「突入の合図は出して無い!命令系統が違うとはいえ、貴方達が手を出す必要は無い。こっちでカタはつける」
床で蹲る石竹緑青に歩み寄り、M8000クーガーのハンドガンの銃口を頭部に突き付ける。
「ゴム弾とはいえ、この距離で当てたらタダでは済まないわ……両手を背後に、床に腹這いになりなさい!早く!日本の警察とは違うのよ!彼等は軍隊よ。誘拐犯への配慮などしない。私がこの場に居なければ貴方はとっくの昔に撃ち殺されて……」
呻き声が聞こえると共にその空間に得体の知れない圧が圧し掛かる。
「……させない……させる前に殺す……例え、母親でも私は。彼に銃口を向けた瞬間に」
杉村蜂蜜を守る様に囲んでいた護衛の三人に小型のナイフが突き刺さり、拘束から解き放たれていた杉村蜂蜜の姿が揺らぎ、ゾフィー=レヴィアンは床に押し倒され、喉元に小型のナイフが充てがわれる。
「ハニー……分かっているの?この局面での抵抗は死に直結する。お願いだから私に彼を殺させないで……」
杉村蜂蜜が石竹緑青の無事を確認した後、ハンドガンを蹴飛ばして相手の武装を解除する。
それに伴い、MP5を構え直すSASの隊員達。その銃口は石竹緑青と英国軍国防省長官であるゾフィーを守る為に優先順位が代わり、娘である杉村蜂蜜にも向けられている。
「ろっくんが死ぬ時は私も死ぬ時……私達は最初から死ぬ覚悟で此処にいるの……もし、ママが私達を止めると言うなら……死ぬ覚悟をして?」
その緑青色の瞳が怪しく揺らぎ、背後で構えるSASの人間に向けられるとその圧で後ずさる。
「や、やめろ……ハニー……大丈夫だから……」
彼の額に出来た傷は開き、血を滴らせ、身体中には木刀によるいくつもの痣と鎮圧用の弾丸を受けた胴体と四肢が痛みでほぼ麻痺しているのか、手を床に着き、顔を上げる事しか既に出来ない程の怪我を負っていた。
「でも……」
と振り返った瞬間の隙を突かれてゾフィーにより床に引き倒される杉村蜂蜜。
「貴女がここまで強くなれたのは確かに彼のお陰かも知れない……けどね、それは同時に弱点でもある。貴女は彼がもし、人質に取られたらどうする気?」
上半身を腕で抑えつけられ、苦しそうに答える杉村蜂蜜。怪我で思う様に力が入らない。
「取らせない……私が許さない」
「もし、彼の命が助かる代わりに貴女が人質になるのを要求されたら?」
「身代わりになる」
「女性としての尊厳を奪われる様な事を要求されれば?」
「いらない……捨ててやる」
「命を捨てろと言われたら?」
「死ぬ」
ゾフィーの乾いた笑い声が室内に響く。
「ハニー……ダメよ。それは本当にいけない。自己犠牲が尊い愛とでも言うのかしら?自分が死ぬ代わりに相手を助ける?そんなもの愛でもなんでも無いわ。貴女は……貴方達は無意識に依存しているだけ。それはまともでは無いの……だから私は英国に貴女を閉じ込め、貴女が健常者として暮らせる様に専属のカウンセラーも付けた。これは……この一連の事件は……貴女が英国で大人しく過ごしていれば、真相発覚を恐れた北白直哉の共犯者である生徒を刺激せず、何も起きなかったかも知れない。誰も犠牲にならなかったかも知れない……」
「それは……」
「あなた達が過去の事件をほじくりかえさなければ……誰も死なずに済んだ。軍事研究部の少年達も、貴女に情報を提供した事がバレて殺された新田透君、暗殺者狩人に拷問の末、辱めを受けた上で殺された如月さん、貴女の大事なお友達である木田沙彩さんも一歩間違えれば一生目を覚さなかった、天野樹理さんも貴方達が無理矢理連れ出さ無ければ集団で暴行される事も無かった。日嗣尊さんも、夏休みに迂闊に事件現場に踏み入れて生死の境を彷徨った……全てあなた達二人が起因となって起きた出来事よ。なぜ、私の家でじっとしていられなかったの?大人しくしていれば、何不自由なく平穏に暮らせていたものを……何が不満だったって言うの!」
目元を腕で隠し、泣き声をあげる杉村蜂蜜。
「違う……違う。そんなものいらない。ろっくんの居ない世界なんてなんの意味も無い。いくら平穏で優しく、安全が保障されていたとしても私はいらない……それに、私は託されたの。葵さんに、私の代わりに彼を愛してくれって……私が愛せなかった半分を埋めてあげてって……。でもごめんなさい……私は多くの人に迷惑をかけた。私さえ大人しくしていれば良かったのに……」
ゾフィーは抵抗の素振りを見せなくなった娘を確認すると、杉村蜂蜜にナイフを刺された箇所に措置を施した護衛の一人、ウォードに指示を出す。
「彼の頭に拳銃を突き付けなさい。抵抗する様なら撃ち殺して構わない」
ウォードが他の部隊員と顔を見合わせて、戸惑いを見せつつも立ち上がるとレッグホルスターからUSPのハンドガンを引き抜きながら床に這いつくばる石竹緑青の眉間に銃を構える。
「久しぶりだね、ボーイ……ごめんね、こんな事、ボクらは本当はしたく無いんだ。だから、抵抗はしないで欲しい……」
銃の安全装置を解除する音が聞こえると、その場に居た少年少女達の顔色が変わる。ゾフィーが背後を振り返り自動小銃を構える隊員達に犯人確保により、作戦が終了した事を伝える。
「もういいわ。誘拐犯の少年を確保した。撤退する準備をしなさい……。本当に困った子達なんだから……貴方達はまだ子供よ?まだ守られる存在……」
ゾフィーが立ち上がり、護衛のチャーリーに杉村蜂蜜の事を頼むと二人の少女に声をかけられて振り向く。
「それは違いますよ、ゾフィーさん」
振り向き様に打ち抜かれた頬を抑え、困惑した表情で声を掛けてきた佐藤深緋を驚いた目で見る。
その握られた小さな拳には自分の血が滲んでいた。その横に並び立つのは黒いゴシックドレスを羽織る日嗣尊だ。
「ふむ。お主、最後の生贄ゲームの何を見ておったのじゃ?散々彼等に罪は無いと……妾に至っては身から出た錆じゃ。選んだ結果、そうなったまで。その罪は妾のものじゃ……それに問答の中で蜂蜜さんも緑青君も既に被害者遺族である深緋に許されておる!」
腰に手を当て胸を反る日嗣尊の足は小刻みに震えている。それに対して佐藤深緋は堂々と相手を見据えていた。
「杉村さんのお母さん……彼は、石竹緑青は……私達被害者、被害者遺族の味方です。誘拐犯の汚名まで着て加害者になった今もそれは変わりません……。それに、最愛の人の安否を確かめる為に彼女は日本に来たんです。そして、彼女は気付いた。彼が幾つかの記憶と愛情という感情を失った事に気付いたら動くに決まってる……。私だったらそうするし、現に私は……妹の最期の言葉と殺されなければいけない真相を求め、それこそ墓暴きに近い、死者を冒涜する様な真似をしてきました……私にも彼等を非難する資格は無いんです。そして彼は、彼にしか出来ない償いをしてくれました……」
「犯罪を犯す事が贖罪だとでも言うの?そんなのは単なる罪の塗り重ねよ……」
「ふむ。ゾフィーさんとやら、貴女はまだ気付いておらぬのか?そもそもこれは誘拐事件などでは無い事に」
日嗣尊が装着していた仮面を少しずらした隙間からゾフィーを覗き見た後、カメラを指差す。
「これは単なる映画の撮影じゃ……」
「はぁ?ふざけないでくれるかしら?実際に貴女達は誘拐され、傷を負い、彼等に怪我を負わされた。それに、例え、親の同意があったとしても本人が知らされていなければ逮捕、監禁罪は成立する」
「文化祭の日、映画研究部とアニメ研究部、の協力の元、映像作品を上映した。その作品の続きを今、撮ってるだけじゃ……」
「流石に無理があるわ……罪は消せない不可逆性のものよ。それに撮影って言っても……」
何かに気付いた様にゾフィーが床に転がる拳銃を見た後、贄となった少年少女達を見やる。
「いや、まさか……いつから?まさか最初から?だから此処を選んだ……わざわざ私達をあの場所に誘い込んだのも全て……それに……ハニーと緑青にここまで手の込んだ事を二人でなんか出来ない……」
日嗣尊とゾフィー=レヴィアンの視線が交錯する。
「妾もそれに気付いたのは……ゲロ塗れになる少し前じゃ……」
「半分、こうなる事も予想していたのね……。それにこれだけのシナリオを脳筋である彼等は周到に用意出来ない。別の誰かが……」
「そうじゃ。そもそもこの最後の生贄ゲーム自体が単独犯では無く、共犯罪として裁かれるべき案件。お主は緑青君を捕まえれば解決すると思い込んでいた時点で負けておる」
「やられたわ……」
「ナハハ!さぁ!石竹緑青君!貴方にはあと一つ、やるべき事が残されているでしょう?それを為しなさい!背後は私達に任せて!!」
星と太陽の少女に続き、審判の仮面を着けた少年が皮肉っぽい笑い声をあげながらゾフィーの前に立つ。
「さぁ、どうする?蜂蜜の母ちゃん。人質の俺達はこれで晴れて共犯だ」
「撃てるものなら撃ってみろぃ!!」
恋人の仮面を着けた少女も立ち上がる。
「やれやれね……高くつくわよ?石竹君」
金貨の女王の仮面を着けた少女が腰を上げる。
怪我で動けない吊るされた男の少年は驚いた様に彼等を見上げ、女教皇の褐色肌の少女は未だ眠り続けていた。
「ありがとう……みんな」
贄の仮面を被った八ツ森高校の生徒が特殊部隊員との間に人の壁を作る。石竹緑青はその光景に礼を言い、背後に構えられたカメラを振り返る。彼の身体は既に満身創痍でいつ意識を失ってもおかしくない状態だった。ゾフィーの怒声が響く。
「……共犯者が増えたからといって君の罪が消えた訳では無い!じっとしてなさい!」
肩で息をしながらカメラを通して視聴者達を見つめる石竹緑青。彼の顔の左側からは古傷が開いて血を流し続けていた。
「……ここで止めたら全てが無駄になります、だから、僕はまだ止まる訳にはいかないんです……聞こえますか?八ツ森のみなさん……」
「ウォード!それ以上の発言は許すな!」
指示を受けたウォードが首を振り、安全装置を掛けると、USPの拳銃をレッグホルスターに収納する。
「きっとボーイは……撃たれても諦めない。そういう子だって事は貴女も知っているでしょウ?グッドラック、ロクショウ!」
グッドサインを出して石竹緑青の背中を押すウォード。
「ありがとう……ウォードさん……そして、八ツ森の皆さん……この七年間、僕の為だけに嘘をついてくれて有難うございました……でも、もういいんです……だから、これが僕からの、隠者側からの最後の質問です……」
ゾフィーが背後で待機するSASの部隊員に銃を下げる様に指示を出し、歯痒そうに彼の様子を見守る。
「僕は一人の女の子を殺しました。そして僕の為だけに命だけでは無く、その存在を全ての記録から消された少女が居ました」
静寂は拡がり、それはまるで彼の言葉を中心に拡がっていく様に八ツ森を包み込む。
「僕が殺した……僕がこの世から命と痕跡を奪った浅緋ちゃんって……どんな子でしたか?」