表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
幼馴染と隠しナイフ:原罪  作者: 氷ロ雪
みつばちのきおく
299/319

石竹家と杉村家

 今から十一年前の二〇〇一年六月十七日、杉村家と石竹家の小さな食事会はお昼を少し過ぎた頃に行なわれた。梅雨が明ける気配を見せながらもその日は朝からずっと弱めの雨が降り続けていたのを覚えている。これは過去に起きた出来事。もうその運命は変えられない。私達家族は出会うべきでは無かったのかも知れない。けど、あの時、私はそれが正しいと信じ込んでいた。人生には最適解が存在し、揺るぎない正解があるものだと。けどそれは間違いであり、始まりでもあった。それは六歳の頃の私に刻まれた記憶の断片。


「少し遅れたわね……西岡商店街から近いと聞いていたのだけど」


 母であるゾフィー=レヴィアンの横を歩く父、杉村誠一。大きな紺色の傘が間で揺れて雨粒の心地良い音色を奏でている。


「大丈夫。あと五分も歩けば着く」


「それでも到着時刻は待ち合わせの三分前になってしまうわ。日本人は几帳面だからきっともう先に着いているはずよ」


「そうかも知れないね」


 父がいつもの癖で口元の髭を摩りながら困った様に答えていた。揺れる二人の背中から目を離し、私は力無くアスファルトの地面に目を落とす。雨に濡れたアスファルトの匂いにはまだ馴染まない。


 私は緑青と自由に遊びたかっただけ。彼との食事は嬉しいけど私の心配事は二つある。テーブルマナーに厳しい母の横での食事と、私の一歩前を颯爽と歩く義理の姉、七歳離れたサリアお姉ちゃんだ。当時は確か十三歳ぐらいだと思うけど、その凛と美しい横顔はこの頃から変わらない。


 私の視線に気付いた義姉が視線だけを僅かにこちらに向けて質問を私に投げかける。詰問と言った方が正しい口調の厳しさで。


「ハニー……私に何か用?」


 流れる目元にサファイアの碧い瞳が私の劣等感を呼び起こさせる。義姉の服装は青色のスィングドレスで、首元はVネック、腰には紺色の細いリボンが巻きつけられていた。首元にも一粒のパールが品良く銀糸に通され、上品に揺れていた。


 光の加減で様々な色彩を放つパールを差し置いて、更に目を引くのは左耳元に飾られた一輪の白百合だ。


 仄かに光を帯びる花飾りは造花でありながらまるで本物の様な質感を感じる。それは彼女の実の父親からプレゼントされたものらしい。私と違って癖のないストレートな淡い黄金の髪は背中辺りまで伸びていて揺れる度に雨粒が金色の光を反射させていた。


 私も何か髪飾りが欲しいな。私は今は肩口まで伸ばした蜂蜜色の髪を後ろで白いリボンで纏めている。普段は左右に纏めているのだけど、食事の時はこっちの方が食べ易いし、清潔感もあるから。


「用が無いなら前を向いて歩きなさい。転ぶと危ないわ……」


 義姉が呆れた様に前を向き、母の背後を守る様に警戒しながらその後に続く。


 ここは日本。そこまで警戒する必要は無い。先程から街路樹を行き交う歩行人の視線に居心地の悪さを感じる。それを際立てているのは、護衛兼傘持ちの背の高い黒服の男性三人が私達の周りを常に警戒しながら歩いているからだ。


 私がグルリと見渡すと、私達家族を囲む様にサングラスを掛けた背の高い英国人が左右に二人、私とサリア義姉さんに黒い傘を差し、二M程間隔を取りながらもう一人ついて来る。


 そんな調子だから余計に目立ってしまっている。黒服の彼等は最近母の部隊に配属されたばかりの三人、チャーリーさん、ウォードさん、ポールさんだった。慣れない日本で緊張してるのか、そわそわしているのが私にも分かった。


「ウォードさん、自分で傘持てるよ?」


 サングラス越しに強張った表情のまま、首を振るウォードさん。


「いえ、これも仕事のうちですから」


「仕事熱心なのね……そんなに警戒しなくても大丈夫よ。英国じゃないんだし、ママの姿を見ても皆んな気付かないわ。メディアには殆ど顔は出してないし」


「そうは言いますが……ハニーお嬢様、やはり日本に於いて金髪碧眼の女性というのは目立ちます。異民族国家なら兎も角、日本は単一民族国家です。もしかしたら、今日来日する事を悪い奴等に嗅ぎつけられているかも知れませんし……」


 この中で重要な人物は母とその次に義姉だ。私と父に護衛なんていらないのに。私が余所見をしながら溜息を吐くと、ウォードさんが困った様に微笑んだ気がした。


「それに八ツ森では何件か子供が行方不明になっています。お嬢様もお気をつけて。もちろん、全力でお守りしますが……」


「平気よ。ママもサリアお姉ちゃんも強いし、私も弱くは無いつもりよ。それよりウォードさん、サングラスぐらい取った方がいいよ?折角のつぶらな瞳が台無し。良い人なのに台無しに……あっ」

 」


 石畳の街路樹の道に差し掛かり、地面から飛び出た一つのブロックに躓いて大きく体勢を崩して倒れそうになる。百合の様な臭いが私の鼻腔をくすぐった。


「とっと、危な……い?」


 三人の屈強な体格の英国人が私の転倒を防ごうと駆け寄る中、私を優しく支えてくれたのは、先を歩いていたサリア義姉さんだった。


「義姉ちゃん?」


 無言で私を見下ろす姉の目に僅かに感情の色が垣間見えた気がした。


「……お転婆娘め……気をつけろ……」


 私の事なんて気にも留めていないと思っていた義姉。母を警護しつつも私の事も見ていてくれたらしい。私は義姉が助けてくれたという事実に感謝よりも驚きの方が大きくて戸惑っていた。


 それを察した義姉が呆れた様に溜息を吐き、私の頭を一瞬撫でた後、私の手を引っ張って前方で私を待っていた両親の下へと引き寄せてくれた。


「怪我は無いようね、ハニー?」


 母が私の身体の状態をぐるりと見渡した後、再び前を向いて歩き出す。その背後からは私を助けようと滑り込み、黒いスーツを汚した男達が慌ててついてくる。


「何の為の護衛かしら?しっかりしなさい、貴方達」


 護衛の三人が顔を見合わせて溜息を吐く。私は申し訳無くなって、口の形だけごめんなさいを作ってこっそり謝罪する。彼等は再び顔を見合わせると私に微笑みかけてくれた。右手の暖かさに義姉を思い出し、そちらを向く。


「義姉ちゃん、最近はもう天使さん部隊のお仕事慣れた?」


 私の言葉に義姉の手が一瞬ピクリと動いた気がした。


「あぁ、八ツ森特殊部隊NEPHILIMの事だな」


「ネフィリムって、天使とは違うの?」


「確かに天使ではあるのだが……ネフィリムが指す言葉の意味は正確には半天使だ。天使と人間から産まれた巨人を指す」


「え、巨人なの?天使なのに?」


「……旧約聖書、エノク書第六章だったかな。見張る天使達は罪を犯した。人との女と通じ、巨人をこの世に産み落としたんだよ。それがネフィリム」


「……私は新約の方が好きだから知らなかった。なんで天使と人がお話しただけで巨人の子供が産まれちゃうの?」


「通じるというのはだな……その……仲良しになる事だ」


 いつも表情を崩さないサリア義姉ちゃんの顔が困った様に眉をひそめ、白い顔に朱が差す。なぜだろう?


「じゃあ、私と緑青も仲良くなったら巨人が産まれちゃう?」


「いや、産まれない……というか、まだダメ!そういうのは大人になってから……」


「えぇ……緑青と仲良くなっちゃいけないの?!そんなのやだ!」


「いや、それはだな……えーっと……」


 困ったその視線が前を歩く母に向けられるが、父との会話のすがら此方を微笑ましそうに見て助け舟を出す様な事はしない。


「サリア……貴女が蒔いた種よ、私は知らないわ。きちんと説明してあげなさいね」


「母上も人が悪い……全く……」


 私は一向に答えない義姉を諦め、横で傘を持つウォードさんに尋ねる。


「ハニーお嬢様、それは恐らくサリアお嬢様が濁しただけで、仲良くするとは別の意味でして……正確には通じるとはつまり男女の」


「真面目に答えるな!それ以上私の可愛い妹にくだらない事を吹き込もうとするなら、その脳天をこの場で撃ち抜くぞ!」


 私の手を引く左手とは反対の右手に、いつの間にか銀色の角ばった拳銃が握られていて、その銃口がウォードさんを捉えていた。


「ひぇっ!で、ですが!サリアお嬢様が困ってらしたので……」


「構うな!別の部隊所属といえ、ネフィリムは遊撃部隊でもある。英国のSAS所属だろうが非常時の別組織への介入の権限は得ている」


「……非常時って!それでも相手が凶悪犯でない限り、殺しの許可は降りないはずですよ!」


「妹に不埒な事を吹き込もうとした事で既に大罪は犯している」


 カチリと撃鉄が起こされる音がして、ウォードさんが絶句する。私はその只ならぬ空気に、何かを察し、緑青と仲良くなる事は一旦置いといて質問を変更する。


「えっと、その巨人とお姉ちゃんの部隊名が同じなのは?お姉ちゃんは天使みたいだけど、巨人っぽく無いから……」


 先を歩く母から嗜める様に私達に声が掛けられる。


「サリア、銃をしまいなさい。ウォードはSASの控え部隊員とはえいえ、私が選りすぐった人員の一人よ。貴重な戦力を此処で失う訳にはいかないわ。それにモタモタしてると時間に間に合わなくなるわよ?その可愛い妹に恥をかかせてもいいのかしら?」


 義姉ちゃんが小さく舌打ちをした後、謝罪し、銀色の銃を背中に仕舞う。青いドレスの上に羽織っていた白いボレロの下にそんなのが隠されていたのに気付かなかった。確かあの銃はライノというリボルバーで、母が義姉のネフィリム入隊祝いにプレゼントしたものだった。前を向き、私を引っ張り歩き出した義姉はまるで独り言の様に私に対する答えをこっそり教えてくれた。


「軽く聞き流してくれていい。どうせ分からない事だ。親の罪は子の罪、子の罪もまた親の罪になるのだとしたら……神から見張る役目を仰せつかった天使達の犯した罪を償う為、子である巨人ネフィリムもまた見張る役を課せられている……」


「つまり義姉ちゃん達は見張る役って事?」


「そうだな……確かにそれは違いでは無いし、私も謂わばネフィリムを差す言葉通りの人間だ。巨人では無いがな。しかし、この言葉が指すのは……そんな間接的な表現では無く、巨人そのものなんだ」


「そのもの?もしかして巨人さんがいるって事?」


 義姉はその質問への回答を戸惑っている様な気がした。そのサファイア色の瞳が私を一瞥する。


「私は最初、それが普通だと思っていた。けど違ったんだ……その眼に見えれば存在するが、見えなければ居ないものと同じだ。ハニーは見えない、それでいい。いや、それで良かったと……思っているよ」


 私はその言葉の意味が理解出来ずに首を傾げていると、此方を見下ろす義姉の瞳が僅かに青白い輝きを帯びた様な気がした。その不思議な蒼い光の色合いは吸い込まれそうな程に綺麗だけど、怪しいその光に触れてはいけない気がした。


「ハニーは此方側に来る必要は無い……無理に何かをしようともしなくてもいい。ただ、普通に何事も無く生きて欲しい……もし、私が此方側から姿を消したとしても、罪を犯し見張りの巨人に裁かれたとしても、黒い怪物に喰われたとしても……お前は愛しい者達と共に幸せに暮らせ…」


 私はいつの日か義姉と永遠の別れが来る様な気がして怖くなり、その白くて細い手を強く握り返す。


「やだよ!どういう意味?義姉ちゃん居なくなったりしないでよ!」


 義姉が少し寂しそうに私に優しく微笑みかける。それが返事の代わりだった。私が大声を出した所為で母が背後を向き、義姉に注意を促す。


「……サリア、貴女こそ不用意な事をハニーに吹き込まない様に。それは事実として扱ってはいけない事項よ」


「迂闊でした……母上」


 状況が飲み込めず、私は前を歩く父と互いに視線を交差させると、父も内情を知らないのか私と一緒に首を傾げる。


「死なないでね?義姉ちゃん」


「ハニー、すまない。心配されてしまったな。気にするな……問題無い。これでも死ににくい身体だ。それに私のお父様も見てくれている。周りには頼れる同僚もいる。こんな小娘でも何とかネフィリムでやれているさ。それより、そっちはどうなんだ?日本には慣れたか?」


「私の方はね……初めての友達ができたよ?」


「それは良かったな。友人とは無理して作るものではないからな。詳しくは知らないが、その友達と今日は食事なのだろ?」


「うん」


「だが、異性の友達で良かったのか?」


「うん?仲良くすると子供産まれちゃうから?」


「ブフォッ!あ、いや、ほら、女の子同士の方が何かと都合が良かったりするだろ?」

「そうかな?私、大体除け者にされるよ?」

「……ハニーは可愛い過ぎるからな。嫉妬を買ってしまうのだろう。気にするな」


「可愛くなんか無いよ!義姉ちゃんやママに比べて私なんかちんちくりんだし、鼻もぺったんこだし……子供だし……」


「ふむ……私もまだかなり子供なのだが……容姿を気にした事が無いが普通だとは思う。……私も母親譲りで性格は厳しい。焔理お父様のみたいな朗らかな性格にはなれそうも無いよ。きっとハニーみたいに優しい女の子の方が好かれるさ。まぁ、あれでいて母上はプライベートでは甘々だがな。今日日本に来たのも仕事の延長線上だが、私達家族に会えるのを楽しみにしてくれていたよ」


 私にとって母はただ厳しいだけの母親にしか見えなかった。義姉の方が可愛いに決まっている。私の劣等感が刺激され、少し悲しくなってしまう。


「……」


 私が黙ると義姉はそれ以上言及してくる様な事は無かった。ただ、そのしっかりと握られた手は暖かくて久し振りに会った愚妹である私を一向に離してくれる気配は無かった。私より背の高い義姉の表情は伺え無かったけど、もしかしたら足手纏いの私に呆れていたのかも知れない。


 アスファルトに染みた雨の道を私達は少し早足で歩いていく。


 私も大きくなったら義姉の様になれるだろうか。周りからの期待に答え、何もかも完璧にこなす人間に。けど、私はきっとこのままだ。きっと大きくなっても何も出来ない愚図な女の子。そんな私を必要としてくれる人なんているのかな?


 もし、緑青が私を必要としてくれるなら、私は……。


 商店街の端に位置するファミリーレストラン「みっどうぇ〜」が見えてくると同時に何だかソワソワしてくる。緑青とは雨の日に公園で会っていただけだ。初めての食事、初めての家族同士の対面。もう少し段階を踏みたかったけど、もうなる様にしかならない。私はそっと心の中で十字架に祈りを捧げた。


 私達、杉村家の石竹家への介入が緑青の人生を良いものにする事を願って。


 雨脚が少しずつ強くなっていく中、私の着ている黄色いサマードレスのスカートの端が汚れないかが心配になった。


 私の手を引く義姉の白い指先には空色のマニキュアに彩られ、その鮮やかさをじっと眺めている。


 〆


 西岡商店街の外れ、大通りの車道に面した場所にポツリと建つファミリーレストラン「みっどうぇ〜」。ひらがななので僕にもギリギリ読めるレストランだ。


 空色の大きな看板を目印に家からパパが車で連れて来てくれた。待ち合わせ時刻の十三時半である二十分ぐらい前から到着していた僕等はなんだか落ち着かない。


 店内の内装は海に浮かぶ軍艦をイメージしているみたいで、壁紙は紺碧、柱は明るい灰色、客席の机や椅子はオリーブグリーンに統一されていた。所々に大きな軍艦のタペストリーが飾られていて、何だかハニーちゃんが好きそうなデザインだった。このお店を選んだのは杉村誠一おじさん、ハニーのパパだけど。気を使わせない配慮みたいだけど、食事相手が外国の偉い人というだけでどこで食べても緊張するのは変わらない。杉村家との食事を前にして戸惑いを隠せないでいた。

 パパがレストランの方に事情を話すと、本来予約制では無いのに特別に七人分の席を用意して貰ったり、店内もいつもより綺麗に飾り付けされている様な気がする。いつもよりも良い服を着せられてるし、ママもなんだかいつもより綺麗な気がした。


「あぁ……なんでこんな事に……こんな事なら兄貴を呼んでおけば良かった……俺は対外的な事は苦手なんだよ……なんなんだよ国防省長官って、普通に生きてて出会う確率零だろ……」


 訳が分からなくなっているパパが独り言を呟きながら放心状態で天井を見上げている。かれこれ十五分程。


 僕は右隣に座るママの様子を伺う。


「何かしら?緑青……」


 僕の視線に気付いたママが手元のメニュー表を眺めながら首を傾げる。


「ん……なんでもないよ。今日はなんかいつもより綺麗だなって」


「そ、そう……」


 放心状態の父に素っ気無い母、何を考えてるのか分からない僕。こんな歪な家族でも久し振りの家族一緒での外食は嬉しかった。


 窓の外を見ると雨脚が強くなってきたみたいで少し心配になったけど、待ち合わせ時刻丁度に店の入口の方から「杉村様ご到着になられました!」っていう大声が聞こえ、一斉に従業員が入口へと駆け出し、列を作ると歓迎の声が店内に響く。


「本日は我らのみっどうぇ〜にようこそお越し下さいました!!」


 どうやら困惑しているのは僕等石竹家だけじゃ無いみたいだった。他のお客さんも何事かと一斉に入口の扉から颯爽と現れた黄金の光を湛える女性に注がれる。僅かに雨に濡れた髪が余計に輝いて見えた。


「待たせたわね……私はゾフィー=レヴィアン。杉村誠一の妻であり、ハニーの母親。石竹さんよね?此処いいかしら?」


 ゾフィーさんの視線が目の前の椅子に注がれる。青ざめているパパが慌てて立ち上がり深くお辞儀をする。それに倣って僕を引っ張りながらママも椅子から立ち上がると軽い会釈をする。


「そんなに畏まらなくてもいいわよ。顔を上げて……それに」


 ゾフィーさんの蒼い瞳が店内を見渡した後、腰に手をあてて周りに人に声をかける。周りからは英国の国防省の人だ、とか、ゾフィーだ。という声が聞こえてくる。もしかして有名なのかも知れない。


「見世物じゃないのよ?私達の事は気にしないでいいわ」


 その一言にゾフィーさん達に視線を送っていた客達が一斉に俯くのが分かった。一瞬で大勢の人間を従わせるその気迫は流石だ。視線を僕等へと戻したゾフィーさんの瞳が僕等を観察した後、その視線が僕へと注がれる。


「貴方が緑青君ね……こんにちわ」


 僕は戸惑いながらもお辞儀する。少し遅れて誠一おじさんがやってくると、ゾフィーさんの椅子を引きながら僕等に声をかけてくれる。


「お忙しい中、今日はお呼び立てして申し訳ない。まぁ立ち話もなんですから皆さん座りましょう」


 ゾフィーさんが座るのを待った後、僕等も席につくと、サングラスを掛けた黒スーツの男の人達がゾフィーさんの左側の椅子を引いて待機している。その服は雨に濡れ、少し泥汚れがついていた。


 静かになったはずの店内が再び騒がしくなり、シャッターを切る音が店内に鳴り響く。フラッシュの中を歩きながら椅子の前に立ったのは、ゾフィーさんによく似た見知らぬ碧眼の女の子だった。僕よりも何歳か歳上の様にも見える。店内からは彼女に対する称賛の声があちこちから聞こえてくる。お人形みたいに整った顔立ちに、細い脚や指先、青い宝石みたいな瞳が無機質的な印象を受けた。黄金色の髪が揺れ、青いドレスの裾が拡がると、フワリと椅子に着席する。その女の子も戸惑っている様で、視線が泳いで定まらないようだった。


「……に、日本人はこうも外人が珍しいのか?」


 店内の視線を一身に浴びる女の子の事は取り敢えず置いといて、残りの空席、僕の前に設けられた椅子に誰かが座る様子は無い。あれ?ハニーちゃんは?


「ん?どこ行ったハニー?」


 恥ずかしそうにしながらも凛とした声でハニーを探す女の子。一向に来ない僕の友達を探す為に店内を見渡すけど、何処にもいない。僕は戸惑いながらゾフィーさんの右隣に座る誠一おじさんにハニーの所在を尋ねる。


「いや、一緒に入ってきたのだけどね……ほら、そこに居るじゃないか。君の前の方に」


 僕は驚いて前の誰も居ない席を見つめる。


「ハニーちゃん……そこにいるの?」


 誰も居ない空間を見つめる僕に口に手を添えて笑い声をあげる歳上の女の子。


「ハハハ、君は面白いな。ほら、ハニー……ウォードとポールの背後に隠れてないで出て来なさい。二人も盾になるな」


 黒スーツの大柄な男の人の背後から小さな声が聞こえてきて、おずおずと僕の友達が俯きながら僕の目の前の席に立つ。


 見慣れた蜂蜜色の髪が白いリボンで頭の後ろで纏められていて、その小さな顔の顎の細い線が露わになり、いつも公園で会っている友達とは別人の様な気がした。黄色い肩出しドレスの胸元には白い布が充てがわれ、春の野に咲く黄色いタンポポを思い起こさせる。


「少し遅れてごめんね……緑青……」


 エメラルド色の瞳が一瞬僕とかち合うけど、すぐさまそれは逸らされ、彼女は少し不服そうに椅子に腰掛ける。


 全員が椅子に座ると同時にお店の人達が一斉に作業を再開する。慌ただしい喧騒の中、僕は見慣れない友人のドレス姿に戸惑いながらも魅入られていた。最初会った時よりも更にお人形さんに近付いたその姿に驚いてしまう。


 隣の席の女の子はお姉さんかな?お姉さんが鋭さを持つ雨月の様な綺麗さだとしたら、ハニーちゃんは柔らかさを持つ春陽の様な可愛さだ。同じ人形でも性質が異なる。ゾフィーさんも普通に綺麗な女性で、対応する男性店員さんもどこか惚けている感じがした。


 ゾフィーさんが早速お店の人にオススメを聞いている中、杉村家がメニューに目を通していく。僕はもう決めている。ビーフシチューハンバーグだ。でもハニーだけは、何だか悲しそうに横に座るゾフィーさんに似たお姉さんを恨めしく見つめていた。仲が悪いのかな?その視線に気付いたお姉さんの顔が何かに合点した様に微笑んだ様な気がして、手元のメニューを置くと徐ろに立ち上がる。


 それに合わせて周りの視線も自ずと集まるけど、意に介さない調子で声をあげる。


「何?!イレギュラーどもの気配が観測された?それは大変だー!……よし!分かった!今すぐそちらに向かう。お前は向こう側の協力者、陰の女王と連絡を取り、待機していろ……お父様には此方からも連絡を取る……」


 何も持って無いのにまるで電話を掛けている様に独り言を話すお姉さん。慌てた様にゾフィーさんにアイコンタクトを取り、了承を得たと同時に扉の方へとスタスタと戻っていく。来たばかりなのに。黒スーツの人も後を追おうとするけど、それをお姉さんは押し留める。


「いや、ここから先はネフィリムの管轄。SASだとしても対応し兼ねる案件だ。ここで待機して警護を引き続き頼む……妹と母上を守ってくれ」


 僕よりも背が高いとはいえ、女の子が大柄な男の人を従えさせている光景に驚く。背中から引く抜いた銀色の銃を構えながら、早足でお店を出て行く。戸惑い、顔を見合わせているその場を人間を他所に、僕はその背中をじっと見送っていたら、店を出て暫く歩いて行く彼女の背中が急に見えなくなってしまった。まるでそれは消えた様にも見えた。


 分かりにくかったけど、入口の扉を開いて、出て行くと同時に雨の中、その姿が徐々に薄く消えて見えなくなった。一人棒立ちになっている僕の服の裾を引っ張るママ。


「……緑青、どうしたの?座りなさい、早くお料理選ばないと迷惑よ?あら?貴方を呼んでるわよ?」


 前に向き直ると、ハニーちゃんが少し顔を赤くさせながら、僕を手招きしてさっきの女の子が座っていた席を指差していた。


「ね、緑青……正面に座られると何だか落ち着かないの。横に来て?」


 ママに許可を求めると「いいわよ、席を移動させて貰いなさい」と許してくれる。机を回り込んで、ハニーちゃんの隣の席に座る。その時、横に腰掛けたゾフィーさんがハニーちゃんに声を掛ける。


「ハニー、義姉ちゃんに感謝なさい」


 ハニーちゃんが困惑しながら首を傾げると、雨粒が光に反射して輝いた。


「え?お仕事が急に入ったんじゃ……?」


「結果的にハニーは大好きなお友達の横に座る事が出来た……でしょ?いいわよ、ここからは私達大人の話よ。貴女達はいつも通りにしていなさい」


「……うん、ありがと……」


 恥ずかしそうに俯いた彼女に僕は声を掛ける。


「ハニーちゃん、可愛いよ。タンポポみたい」


 彼女が目を見開きながら見上げた顔、宝石みたいな瑠璃色の瞳が更に輝きを増した気がした。


「あ、ありがと!ろっくんも素敵なお洋服で別人みたい!」


「あはは、なんかね、この食事の為だけに着せられてるんだ。いつもの服の方が楽でいいんだけどね」


「うん……一緒だね。私も何だか落ち着かなくて……そわそわするの」


 クスクスと笑い合う僕等。緊張していた彼女の強張りが解けて、いつも見る太陽の様な笑顔が咲いて嬉しい気持ちになる。二つあるのに一つのメニュー表を広げて二人で料理を選んでいるその時間も僕にとっては大切なものに思えている。


 それは僕等石竹家と杉村家が初めて顔を合わせた日だった。後の不幸の影すら感じさせない、穏やかで幸せに包まれた輝きに満ちていた。けど、それは僕が見えていなかっただけなんだと思う。


 少なくとも杉村家は石竹家を別の目で見ていたのかも知れない。


 僕を虐待している可能性のある家族としてだ……。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
このランキングタグは表示できません。
ランキングタグに使用できない文字列が含まれるため、非表示にしています。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ