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幼馴染と隠しナイフ:原罪  作者: 氷ロ雪
みつばちのきおく
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レインコート

 英国ロンドン生まれの私でも心に描いた田園風景の中に心の安らぎを見出していた。それは私の体内に半分流れる英国人の血がそれを想起させていたのだと思う。父親が日本人である事を卑下した事も無いけど、それでも私の中に流れる日本の血が容姿の違いとなって僅かな違和感を生み、周りの人間との間に僅かな隔たりを生む要因の一つになっていたのだと思う。英国では生まれにより人の価値が左右される。未だに古い伝統としきたりに囚われる英国人の中に居て私の境遇は特殊だった。


 その身一つ、一代で国防省長官にまで上り詰めた母、ゾフィー=レヴィアン。

 揺るぎない地位と権力、それに伴う富を得ても母は英国人に誰一人心を許さなかった。

 母国に命を捧げる覚悟で生き、生涯を終えるはずだったと話していた。


 けど、仕事で訪れた日本で出会った当時の警視長、天ノ宮焔里あまのみや えんりとの間に義姉のサリア義姉さんが生まれた。 母によると義姉は父親の血を色濃く受け継いでいたらしい。だから母は離婚した後も義姉をその父親である焔里の所へ預けていたらしい。私にその辺の事情は分からないけど、母は焔里さんと道を違え、紛争地域で父である杉村誠一と出会った。


 もし、父と母が出会って居なければ、焔里さんとの関係が続いていたら私は産まれていなかった。


 義姉さんはそのまま行けば英国で母の後を継ぐ形で出世が約束されていた。その容姿や能力も高く、皆の憧れと期待を一身に受けていた。対する私は二番目の娘。それも焔里さんとは違い、富も名声も無い日本人の娘だ。


 父を情けなく思った事は無く、いつも誇りに思っていた。


 父は最初、ボランティアで戦場を回る普通の人間だったらしい。けど、父は戦地で出会った知人の死と、世話をしていた戦争孤児達が紛争に巻き込まれる形で犠牲になった時、父の生き方は変わった。本人曰く、父は一度人間をやめてしまっていたらしい。ただ、只管に、子供を殺したテロリスト達を殲滅する為に生きていたらしい。


 そんな父を変えたのは母のゾフィー=レヴィアンであり、その友人のゼノヴィア=ランカスターだったらしい。もう一人、金髪のドイツ人の青年も父と深い関わりにあったと聞いた事があるけど詳しくは知らない。


 父の心は戦争の中で潰えていくいくつもの小さな命の灯火の中、半分死んでしまっていたのかも知れない。


 息を吹き返したのは英国に命を捧げる母の気丈な強さと愛情、幼くしてテロリスト拘束され、女性としての尊厳を奪われながらも敵の洗脳から脱し、戦士として強く、また心理士として他者を癒すまでに至ったゼノヴィアの成長した姿が父を変えたのだと言っていた。


 私は今の優しい父しか知らない。


 私が英国を出たいという願いを叶える為に日本に連れてきてくれたサラリーマンの父しか知らない。


 六歳の頃の私は強がっていたのかも知れない。英国を背負う母と将来を約束された義姉、何者でも無い私と父はどこか英国に居辛さを感じていたのだと思う。かと言って私を紛争地地域に連れて行く訳でも無く、父の生まれ故郷である八ツ森へとやって来た。


 後から聞いたのだけど、母が父の故郷である八ツ森で暮らす事を許可したのは、義姉とその父である天ノ宮焔里が居たかららしい。

 義姉に会いに行った時、焔里さんとは何回か会った事があるけど、不思議な雰囲気の優しそうな人で、いつも話しかけてくれる時は目線を合わせて対等な立場で会話をしてくれていた記憶がある。上司と部下という関係性でもある二人の仲は良さそうで、どこの家庭でも親は子を愛し、子は親を愛するものだと漠然と認識していた。


 私の認識が覆えされたのは、あの雨の日、黄色いレインコートを羽織る少年と出会ってからだ。


 私は日本で友達が欲しいと願っていた癖に、英国人である事と、国防省長官である母を持つプライドが邪魔して謙る事を嫌い、自分から進んで同世代の友達に話しかける事をしなかった。そんな態度を多分、日本の子供やその大人達に見透かされていたのだと思う。日本でも結局同じだった。


 目や髪の色が違う私を無意識に子供達は警戒し、溝は深まるばかりだった。

 周りは警戒し、私もそれに呼応する様に警戒していた。


 次第に私は他の子供と接触を極力避ける為、誰も居ない雨の日の公園に通う様になった。

 紫陽花が咲き乱れるあの小さな公園は英国の豊かな自然を僅かにでも思い出させてくれたから。


 建ち並ぶ住宅街の隙間にポツリと佇む小さな公園。その場所が私の日本における数少ない安寧の地だった。

 今なら思う。なんて狭い世界で生きていたのだろうと。物理的にも精神的にもだ。


 彼と出会ったのは梅雨の季節。

 鮮やかな青や紫の紫陽花が敷地を囲み私達を見守っている。


 小雨の中、 私は水色の小さな傘を差しながらパパが帰ってくるまで時間を一人で潰していた。どうせ雨の日の公園には誰も居ないし。


 耳に小雨の音を聴きながら産まれた街を思い出す。その石畳の街並みと近代的な建物が建ち並ぶ霧の街ロンドン。肌に纏わりつくような湿気と日本の梅雨はどこか似ている。まぁ……場所を変えても私は結局のところ一人だけど。


 私は何者なのだろうか。義姉の美貌も才も無く、私には何も無い。

 出来の悪い義妹としての居心地の悪さが私を英国の外へと向かわせたのかも知れない。


 日本に来れば何かが変わるかも知れない。

 そんな淡い期待に応えてくれる程世界は甘くは無い。


 友人一人出来ずに近くの公園を放浪するぐらいしかやる事が無い。母の日本への滞在条件として勉強は嫌々でもしてるけど。公園で食べる為に鞄に忍ばせていた黒パンも出番は無さそうだ。パパには森でボーイスカウトの真似事をするように誘われているけど、そんなの一人でやったって面白くない。


 国防省長官の娘という事もあり、誘拐の危険度を少しでも緩和させる為、前々からパパに最低限の護身術を教わっている。きっとそれで充分。


「そろそろ帰ろうかしら……冷えてきたわ……パンにカビも生えそう」


 一人で居る事に慣れ過ぎてつい出てしまった独り言。どうせ誰も居ない公園。誰も私の独り言なんて聞いていないはず……?バシャバシャと水の音がして目の端に黄色い何かがチラつく。そちらの方角に顔を向けると、黄色いレインコートを羽織った少年が水溜りを踏んで遊んでいた。下を向いたまま私の存在に気付かない。


 近くから夕食の準備なのかカレーの匂いが流れてきて少し帰りたくなった。


 民家の方を向いた後、水溜りで遊ぶ子供がジリジリと此方に移動して来ていた。私はさっきの独り言が聞かれて無いか気になって、その少年の挙動を見守るけど、何かに夢中になっているみたいで此方には気付いていないようだった。私は小さく咳払いをすると、赤くなった頬を冷ます為に顔を振って平静を装う。咳払いをしてもこちらに気付かない。どれだけ鈍感な子なのかしら?それでもジリジリと紫陽花添いに此方に近付いてくる彼。


 何をしてるのかしら?


 少し身構えた後、どうせ私を見ても警戒されて離れていってしまうだろうと一人で納得して、その場を立ち去ろうとする。私は日本人にとって異国の人間。外国人だから大体の反応は決まっている。日本語は話せるのにこの翠の眼と鼈甲色に輝く金の髪の所為でみんな私の事を警戒する。彼もきっとそうだ。私は黄色いレインコートから僅かに覗いた少年の横顔を一瞥した後、どういう訳かその顔から目が離せなかった。


 上手く説明出来ないのだけど、英国や日本の子供達と纏う雰囲気そのものが根本的に違う気がしたからだ。


 その得体の知れなさに理解が及ばず、私はその場から立ち去る機会を逃してしまう。レインコートの少年の視界に入ってしまっていたら、私が逃げ出したみたいで嫌だった。だから、私は、にじり寄ってくる少年を迎え撃つ事にした。


 決して勇気を出して友達になろうとしたからでは無い。と思う。逃げ出したと思われたくないから。英国人は死ぬ最期の時まで誇り高く生きる。半分日本人だけど。


 私は極度の緊張と高鳴る鼓動で顔が熱くなるのを自覚しながらも平静を装い、毅然とした態度で水色の傘を差して構えていた。

 パパからは似合うという理由で水色の傘を渡されてるけど、この色はあまり好きじゃない。ママと義姉の制服の色と同じだから。


 そうこうしている内に彼は私の至近距離五Mまで近付くと動きを止めた。何かを見つけたらしい。

 彼の背中越しに気配を消してその視線の先を追うと、紫陽花の葉先を蠢くカタツムリが見えた。


 英国のカタツムリは大きくて気持ち悪いけど、日本のカタツムリは小さくて可愛い。


 彼は紫陽花を見ていたのでは無い。小さな生物を探していたのだ。


「……」


 何て声をかけようかしら?待って、私、気配を消して完全に彼の背後をとってしまった。

 この状態で話しかけたら驚かれてしまう。転んで泥々にしてしまっては可愛そうだし、泣かれても困る。

 そもそも年齢は一体何歳なのかしら?頭の中がグルグル回って私が完全にかける言葉を失っていると、黄色いレインコートの子供が不思議そうにこちらをじっと見つめていた。気付かれた。私は混乱して何か話さないとと思って眼に鮮やかに映るその黄色いレインコートに私の嫌いな色の傘を押し付ける。


「……交換して?私、この色嫌いなの」


 暫くの沈黙が訪れる。失敗した。失敗した。失敗した。何言ってんの私?まずは挨拶でしょ?

 でも今更後には引けない。


「 濡れちゃうよ?」


 少年に心配されてしまうけど、言った手前、私は交渉を持ち掛ける。


「……その色が気に入ったの。交換して?」


 お互いの持ち物を交換すればきっとお互いを思い出せるそんな気がして。ってまだ早い!仲良くもなって無いのに!私はバカだ。分かっている。ただの人見知りの箱入り娘。何も出来ない臆病者。それが私だ。帰ろう。もう、逃げる様に帰ってしまおう。私は表情にその焦りが出ない様にすまし顔で傘を握る手に力を入れ、ゆっくりとその場から立ち去ろうとしたら、彼が声を掛けてくれた。


「えっと、ごめん?僕の髪も目も交換は出来ないんだ。でも……その髪と目の色綺麗だと思うから、キミはそのままでも……いいと思うよ?」


 異国人の私を拒否する言葉どころか私の容姿を肯定する言葉を投げかけられ、私の胸の鼓動は高鳴り、顔が隠せないぐらいに火照っていくのが分かる。私は慌てて首を横に振って彼の間違いを訂正する。可愛いじゃなくて、綺麗って言われたのは地味に嬉しい。にやけてしまいそうな口元を必死に留めて彼に返答する。


 「違う、確かに私の髪と目はあなた達と違うけど、変えられるなら変えてほしいけど……私がほしいのはその黄色いレインコートなの」


 「あ、こっちか」


 彼自身、黄色いレインコートに何の未練も無いのか、スルリとそれを脱ぐと白い長袖とベージュの長ズボン姿になる。私は咄嗟に彼に傘を差し、彼の衣服が濡れるのを防ぐ。少年が私の手の状態を見て、袖を通す為にレインコートを拡げて待機してくれる。私が片方の手を通すと、器用に私の傘を受け取った彼が微笑みながら背中を向ける私のもう片方の手も通してくれた。


 その時触れた背中から感じる彼の暖かさに私が氷の様に冷たく閉ざしていた心が氷解していくのを感じた気がした。私は家族以外に感じる久々の感覚に嬉しくなって一回転すると、彼に評価を求めた。


 「どうかしら?」


 首を傾げながら私の全体を見渡した後、素直な評価を私に下す。それは取繕われた言葉では無い。彼の心からの言葉だと言う事が分かった。


 「少し大きめだけど、すごく似合ってるよ」


 私は我慢できなくて表情が崩れるのも構わずに笑顔になって微笑んだ。

 それが石竹緑青、私の最愛の人との出会いだった。


 彼に事情を聴くと、どうやら雨の日は決まってこの紫陽花公園に足を運んで夕方まで時間を潰しているらしい。

 私はその日から憂鬱な雨の日が楽しみで仕方無かった。


 梅雨の季節、その機会はいくらでもあるのだから。


 あっ、そうだ。自己紹介をしてなかった。


「私はハニー=レヴィアン。貴方、お名前は?」


「レヴィアンちゃんだね。僕は石竹緑青……宜しくね?」


「ロクショウ……ね。分かったわ。ハニーと呼んでいいわよ?そっちは苗字だから」


「あれ?逆なの?僕は苗字が石竹だよ。宜しく、ハニーちゃん……?」


 私はそれに満足して頷くと手を彼の前に差し出した。

 彼も心地良く手を差し出してくれると思ったら、私の手の動きに驚いて大袈裟気味に一歩退いた。

 私は握手を拒否されたと思って泣きそうになる。悲しむ私に彼が必死にフォローをいれる。


「あっ、ごめん。殴られるのかと思って……握手か、握手だよね?」


 彼が握り返す手の暖かさに反してその違和感が私に警鐘鳴らしていた。

 ロクショウ……貴方は何故、そんなに悲しそうに微笑むの?


 そして貴方は何故一人で公園に放置されていたのかしら?


 もし、貴方に危害を加えようとする人がいるなら私はその人の事を決して許さないだろう。異質な私を受け入れてくれた日本での私の初めての友達。その彼を苦しめる者がいるなら私は許さない。


 その後、私の予想は不幸にも的中する事になる……。




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