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幼馴染と隠しナイフ:原罪  作者: 氷ロ雪
最後の生贄ゲーム
287/319

浅キ緋ノ記憶

 二〇〇五年五月八日。


 確か……お昼前の事だった。


 佐藤喫茶の駐車場に杉村誠一おじさんの車が止まって、助手席の窓から元気良くハニーちゃんが手を振って僕の名前を呼んでいた。


 予め佐藤喫茶のカウンター席で脚をブラブラさせて待っていた僕は、車の止まる音と、その幼馴染の声で外に出ようとした。


 カウンターでは佐藤夫妻が微笑みながら僕に手を振っている。夕暮れ頃には戻るよと簡潔に報告してお店の扉を開けた。


 杉村親子、誠一さんとハニーちゃんに手を振ると和かにそれを返してくれる。


 六歳の時出会った僕とハニーちゃん。その付き合いも四年近くが経過していて、すっかり気心知れた友達って感じで嬉しい。最初はこんなお転婆だとは思わなかったけど。この頃の僕には既に母は死に、父はその母を殺した罪で服役中だ。僕は遠くの親戚に預けられる予定だったけど、同じ市内に住む佐藤一家が僕を引き取ってくれて、こうして佐藤姉妹と暮す事になった。


 姉の深緋には未だに警戒されているけど、妹の浅緋は好意的に接してくれている。いつもは僕が出て行くタイミングでいつも声を掛けてくれるのだけど、その日はそれが無くて少し寂しさを感じた。


「ろっくん……どういうつもり?」


 いつもはニコニコしてご機嫌なハニーが、車から出て来ると眉をひそめながら僕に尋ねる。僕が何の事か分からず首を傾げていると、ハニーが指差した先、誠一おじさんの横、助手席に麦藁帽子を被った浅緋がシートベルトをしている。


「ろっくんさ……最近、あの子と仲良いよね?」


 ハニーの機嫌が何故か悪い。怒っている気がする。なんでだろう?フンと鼻を鳴らしてそっぽを向くハニーの背中を押して後部座席に押し込むと、僕もその隣に腰掛けてシートベルトを締める。背後の席からは浅緋の顔を確認出来ない。少し緊張した空気が漂っているのは感じ取っていた。


 おじさんに事情を聴くと、今日はどうしても一緒に僕と森に入りたがったみたいで、安全な八ツ森オートキャンプ場までの条件でおじさんは同行を許可した様だった。僕等の遊び場は更にその奥の森、私有地だけど一般開放されている北方の霊樹の森へと足を運ぶつもりだ。


 キャンプをするだけならそこで充分なのだけど、僕とハニーはより危険な森の奥へと足を踏み入れ、おじさんとハニーと僕でサバイバルごっこをする予定なのだ。服装も軍隊を模した迷彩服をバッチリ着込んでいる。ハニーの鞄には何故か僕が近所のおばちゃんからプレゼントされた大きめの黄色いレインコートが収納されている。サバイバルごっこの時にはいつもそれを着用する程気に入っているらしい。ハニーと交換した筈の青い傘を僕は失くしたので、いつ聞かれるかとヒヤヒヤしている。その傘の持ち手はよく見たら兎なので僕は少し使う時に恥ずかしい思いをしていたのは秘密だ。


 車が発進しても浅緋はじっと黙ってキャンプ場に着くまでは一言も話さなかった。いつもと違う気がするのは何故だろう。車が発進すると、いつもハニーは車外へと目を向ける。そして森へと続く道を愛おしそうに眺めて微笑むのだ。そしてどういう訳か、友情の証として、片方の手はいつも僕の手を握っている。少しひんやりした彼女の手だけは相変わらず人形みたいに白くて彼女がまだ動く人形である可能性を僕は捨て切れてない。僕の手を握っている間、どうしてか目を合わせてくれない。合わせてくれるのは、僕が手を離した時、僕の手を探す為に振り向く時ぐらいだ。僕が手を離すと、彼女の機嫌が悪くなるので僕はそれを受け入れる事にしている。浅緋が居るので少し恥ずかしいのだけど。僅かに伺える桃色の口元は微笑んでるようにも見え……あ。


 チラリと前を向くと、浅緋と目が合って、お互いに顔が赤くなり、気恥ずかしい思いをした。その横顔は何だか嬉しそうで、どこか寂しげにも見えた。女の子って未だによく分からない。


 ハニーにしろ、佐藤姉妹にしろ。


 今日は真っ直ぐに森の奥へと向かわず、キャンプ場で簡単なお昼ご飯を済ませ、ハニーが紅茶を僕等に用意してくれる。彼女の淹れる紅茶は葉っぱは同じなのに、僕が作った時と味というか、風味が違う気がする。ハニーと浅緋ちゃんは何度も顔を合わせてるのに、何故か未だにどこかぎこちない。仲が悪い訳では無いはずなのだけど。紅茶を渡された浅緋とハニーが会釈し合う姿がどこか可笑しくて微笑んでいたら、ハニーにティースプーン投げられてそれが僕のおでこを直撃して涙目になる。僕の憤りに反して笑いが起こって不服だ。


「ろっくん、後でちょっと話があるから覚悟してなさい、まったくもう……」


 ずっと緊張した面持ちだった浅緋ちゃんも誠一おじさん特性のサンドイッチと溶けたチーズを絡ませるチーズフォンデュを口にしてからは笑顔が戻って、一緒に食事を楽しんだ。浅緋は一つ歳下なのに、時々、僕よりも二つぐらい歳上なんじゃ無いかって思わせる時がある。勉強が出来るとかじゃなくて、人間的な知性を感じさせる。それと同じぐらい人懐っこくて優しい性格は誰からも好かれているようで、学校で一個下のクラスで遠巻きから見かけた時、独りぼっちの僕とは違って誰からも慕われる人気者といった感じに見えた。浅緋がどこか遠くを見つめながら僕等にお礼を言う。


「杉村おじさん、ハニーちゃん、ありがとう……そしてごめんね?緑青君……」


 僕だけ謝られた。うん。さっき出来たこの額の痛みは確かに君のせいだね。謝罪を受け入れよう。おじさんが浅緋に今日僕等について来た理由を尋ねると、僕等がどんな風に遊んでいるかを確かめたかった……という事らしい。二年ぐらい前、時々痣を作って帰ってくる僕の背中をお風呂場で見られてから、ハニーに虐められてるんじゃないかって聞かれて、それから疑問を抱いていたらしい。ありえそう?いや、ないない。彼女は僕だけには優しい。お互いに一番の友達だから。あっ、浅緋ちゃんとはお風呂に一緒に入っていた訳じゃないからね。その頃、機会があればハニーとは一緒に入ってたけど。英国ではそれが習わしらしいそれはどうも疑わしい。で、その時の浅緋とはちょっと、その、入れ違ったんだ。うん。その時、何処からか飛んでやってきた深緋に新たな痣を作られたのは言うまでも無い。時々思うけど、黄金銃って呼ばれてるハニーよりも深緋の方がよっぽど怖い。ハニーは訓練中以外は基本的に僕に甘い。彼女の目の届く範囲で僕が虐められると、それに関わった人間は全員病院送りになっている。一人残らずだ。その場に居ない場合は昼夜問わずにターゲットを付け狙い、物理的に制裁を加える。襲われた人間はその黄金の軌跡を目撃するだけに留まり、一応顔は見られていないので問題ないらしい。大有りだけど。


 色々と問題になりそうだけど、何故か周りの大人達はハニーに強く言えないようだった。もしかしたら、ハニーのお母さんが偉い人なのが関係しているのかも知れない。誠一おじさんはハニー曰く最強の兵隊さんらしいけど、その信憑性は僕の中ではかなり低い。誠一おじさんが働いているとこ見た事無いし、いつも僕等と遊んでいるイメージしかない。大丈夫なのかな?将来ホームレスさんとかにならないかな?(後に別の意味(爆発)でおじさんがホームレスになる事を僕はまだ知らない)


 誠一おじさんが浅緋を街まで送ろうと、確認の電話を佐藤夫妻にかけている。おじさんの顔色が変わったのが分かった。どうやら、浅緋は両親には何も言わずに僕等について来たみたいだった。だから顔が強張っていたのかも知れない。


 相手は佐藤桃花褐さんだろうか。


 桃花褐さんは怒ると怖いので、おじさんが凄く心配だ。本来なら森への出入りを佐藤姉妹は禁止されていたみたいで、おじさんが何度も謝りながら電話を切ると、溜息を吐きながら浅緋の方を見る。


 浅緋は胸の前で両手を合わせ、可愛く舌を出して謝ると、僕達にウィンクを送る。


 その仕草が可愛くてぼーっと眺めていると、ハニーに足を掬われていつのまにか砂まみれで地面に転がっていた。遅れて痛みがやってきて僕はその場で転げ回る事しか出来なかった。あれ?あんまり僕に優しくないぞ?


「行くわよ?アオミドロ」


 杉村おじさんにハニーがいつもの集合場所で遊んでいるからと地図を指差し、場所を確認した後、車に積まれた背嚢を僕に渡すと森へ入る様に僕に促す。


「パパは佐藤夫妻がキャンプ場に迎えにやって来るまで此処で待ってるって。私達は先に行って特訓を始めてましょう」


 僕は衛生兵。それに準じる装備を抱えて僕等は森の奥、霊樹の森へと足を踏み入れた。


 迷い、判断を間違えれば死の危険を伴う。


 野生が息づくその森はけれど僕等の庭みたいなもので、安住の地でもあった。八ツ森を囲う森の中の方が僕等は自由だ。


 孤独な僕らを包む、虚ろな安息場所たる霊樹の森。


 この森を街の人々は牢獄だとか結界だとか言ってるけど、孤独な僕等二人にとっては気兼ねなくその羽を伸ばせる広大な家であり、帰るべき故郷の様にも思えた。


 僕等は野営地点として設置したままの拠点の一つに腰を下ろすと、背嚢を下ろし、最低限の装備が入れられたポーチを身に付けて動き易くする。キャンプ場から然程離れていないこの地点は比較的安全で野犬の出る心配も無い。出ても大丈夫だけど。


 一息つくとハニーが地図を広げて今回の演習エリアの範囲を僕と相談する。そのエリアを離れ、応答が無い場合は即座におじさんに知らせた後、捜索を始めるので迷ったとしてた安全だ。


「いい?今回も目印のマーキングは忘れないように。黄色が私、緑が貴方」


 うん。移動する時、最初のマーキングポイントから目視出来る範囲を超えそうになったら次のマーカー弾を撃つ決まりになっている。移動しなければする必要は無いけど。昼間はあまり目立たないけど、夜光成分の含んだそれは、夜になると光るので迷い易い夜間だと目印になるのだ。


 黄色いレインコートを着ているハニーちゃんは森のどこにいても見つけ易い。本人曰く、それぐらいのハンデがあって丁度いいぐらいなのだそうだけど、暑く無いのかな?雨の日は便利だけど。


 彼女から十五M程離れた地点、茂みの影から彼女を狙い撃とうとしても、何故かいつも避けられてしまうので、結局の所、近付いて白兵戦に持ち込むのだけど、それでも結局は勝てない。素手同士なら引き分けに持ち込む事はやっと出来る様になったけど、ナイフを持った彼女に勝てた試しは無い。


 そうやって僕等は比較的限定されたエリアでおじさんが森に入ってくるまでの時間、休憩を挟みながら時間を潰していた。


 二時間ぐらい経った頃、おじさんの集合を合図する笛の音が森に響き渡り、到着の合図を告げる。


「ろっくーんっ!!一旦戻るよー!!」


 合流地点へはハニーの方が近くて、遠くから彼女の様子を伺うと、周りを見渡した後、直ぐに僕を見つけてこちらに手を振って来る。


「先に行ってるねっ!」


 僕はそれに手を挙げながら返事する。目視出来ない距離だと無線を使って呼びかけ、応答が無い場合のみ探しに来る。迷彩服を着た僕をこの森の中で見つけるのは至難の技なのに、それを彼女はいとも簡単に成し遂げてしまうのは何か不思議な力を使ってるとしか思えない。本人曰くラブパワーらしいけど、僕にはそれがよく分からない。


 そこで呼びかけてきたのは、思いもよらない人物だった。


「緑青君……やっと、見つけた……」


 そこにはお昼頃に帰ったはずの佐藤浅緋が立っていた。息を切らし、片手に膝に手をついて僕を見つめている。幻?いや、服の裾を掴んでるし、本物だ。実態かどうか確かめる為に肩に触れると、その頬が僅かに朱を帯びたので本物だ。桃色のワンピースからでた華奢な両肩には枝葉が擦れて擦り傷を見つける。虫刺されもあるし、被っていた筈のお気に入りの麦藁帽子はどこかに消えていた。しゃがんで足元を確認すると、枝が引っ掻いたのか、赤い線が引かれそこから血が流れている。


「緑青君……?」


 見上げた浅緋の顔は更に赤くなっていて、脚を眺める僕から距離を取るように腰を引かせている。僕はじっとしている様に告げると、更に困惑している様にも見えた。僕は衛生兵、治療係。ポーチから消毒液やガーゼ、絆創膏、包帯を取り出すと、手早く怪我の治療にあたる。その様子を浅緋は不思議そうに眺めていた気がする。僕が治療を終えた事を告げても、体勢を維持する為に添えていた僕の肩から手を離す事は無かった。


「ごめんね……ごめんね、緑青君」


 今日の浅緋はどこか変だ。

 僕に朝から謝ってばかりで……。


「私は……私はそれでも、お姉ちゃんに生きて欲しかった……」


 何を言ってるんだ?深緋は今も生きてるし、今朝は佐藤喫茶の仕込みの準備をしていた。僕が出かける時も店の奥から出て来なかったけど。僕はポーチに道具を片付け、思い出した様にお互いの身体に虫除けスプレーを散布すると、刺激臭で二人とも咽せて笑い合った。僕は空気を読むのが苦手だ。実質主義というか、虫刺されの可能性があるならまずその障害を消す。


 そして獣が現れたのなら、優先してそれを僕は潰す。


 森の茂みから飛び出してきた野犬に向けて手にしていた虫除けスプレーを噴射すると、地面に落ちて鳴きながら踠き苦しむ。僕はぐるりと辺りを見渡して警戒すると、転がる野犬の喉元にブーツの底を押し付けて動けなくする。戦意を喪失した野犬が助けを求める様に泣き叫ぶ中、左右から更に二匹の野犬が飛び出す。近くで怯える浅緋ちゃんには目もくれず僕だけを狙っている。この野犬、飼われているのか?


 ごめん。


 そう一言、断りを入れて足元の飼い犬の首の骨を砕くと、両サイドから同時に飛びかかられた二匹の犬を身体を捻りながら避ける。


 僕の予想外の動作に驚いた二匹の犬が着地すると同時に血を吐きながらその場で倒れ込んで絶命する。


 僕は胴体のベルトに両手に構えたシースナイフを素早く仕舞うと、困惑し、狼狽えている浅緋の腰を抱えて走り出した。


「緑青君?何をしたの……?」


 殺した。可能な限り命は奪わない。

 けど僕は命に優劣をつけて優先順位を決めている。犬よりも浅緋に害が及ぶ事を恐れて殺した。守りながらは戦えない。


「戦う?犬はもう動いてないよ?」


 それは僕が浅緋にあれが猟犬、野良犬では無く、飼われた犬だと告げた瞬間、背後から大きな銃声が響き、僕は木の陰に浅緋を隠すと背後を振り返る。


「おいおいおい!やってくれたなぁ!クソガキども!俺の可愛い愛犬三匹も!」


 緑の茂みから出て来たのは獣の皮を身体に纏い、黒い猟銃をこちらに向ける男だった。


 直感的に感じる。


 こいつ……やばい人だ。

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