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幼馴染と隠しナイフ:原罪  作者: 氷ロ雪
最後の生贄ゲーム
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緋ノ泣哭

 山小屋の中、暗がりの影の向こう側で鎖が床を這い、一人の少年の首を絞めあげていく。声無き少年の呻き声と混ざり、無垢な少女の笑い声が時折幻聴の様に聞こえる。


 違う、それは今現実に起きている事だ。


 僕の額の傷跡があの時の痛みを思い出す様に流れ込んでくる。


 流れ落ちる血に左半分の世界は紅く染まり、涙を流す少女は微笑みながら僕を抱き締めた。


 やめろ、やめろ、やめろ!


 右眼が七年後の現在を映し出し、部屋に設置されたモニターの奥で白い衣を紅く染めた少年が鎖で絞めあげられていく。足掻き、鎖を外そうとする指の爪は割れ、喉元に幾多もの擦過創を生み出していく。


 返り血を浴びた黒い悪魔の様な女の子が救世主の少年の首を鎖で締め上げ、命を奪おうとしている。


 白猫少女が救世主に枷を外させ、怪我の治療を始めた。その枷は二人を山小屋に留め置く為の楔。その一つが外されて仕舞えば、もう一人はその楔から解放される。


 充血し、赤くなった顔がモニター越しに僕を捉えた気がした。


 左眼の世界に在る幼い頃の僕が仲の良かった少女の細い首に手をかける。


 その光景の結末は既に変えられない。


 あの時、僕はじっと浅緋ちゃんの目を見つめていた……その時、僕は何を感じていた?


 右眼に映る黒キ少女の様に死の淵に抗い、相手を殺す事に愉悦を見出したのか?お前は?


 少女の声はもう一人の少年の中に閉じ込められている。それを聞けば僕は僕で居られなくなるのかも知れない。


「なんで……なんで僕は……浅緋を殺したんだ……何故、首を絞めた?例え死んだとしても、お前は、僕は!抗うことは出来たはずだろ!」


 紅く染まった世界から目を背ける様に視界を左手で塞いでその場に蹲る。


 まただ……また救えない。


 僕は同じ事を繰り返している。手から溢れていく沢山の命。誰も助けられ無い。救えない。自分の事すら僕は……。


 「人殺し」


 七年前、病院で目覚めた僕に浅緋の姉、佐藤深緋はこう言った。


 僕は浅緋を殺した。

 その事実は、過去は消せない。


 でも浅緋の過去は僕の所為で消えてしまった。天野樹理さんの件があり、壊れた彼女の二の舞にならない様に八ツ森の人達は優しくて残酷な嘘をついた。


 僕は本来裁かれるべき存在の人間だ。


 そんな人間には誰も救えない。ここまで多くの人間に迷惑をかけ、少女二人の命と心すら救えないのか。


「もう無理だ……誰も!僕は救えない!」


 右眼が見せる現実が霞み、モニター越しに声を掛ける江ノ木と鳩羽。背中からは蜂蜜に抱きしめられ、その温もりが僕を辛うじて現実へと繋ぎ止めてくれていた。


「もういいの!充分苦しんだよっ!ろっくんは自分を責めないで!多分、私が悪いの……私が八ツ森に帰って来なければゲームは再開されなかった……ろっくんもあのまま事件の事を忘れて、深緋や青磁、尊さん、皆んなに囲まれて平穏な生活を送れていたはずなの……私が!英国から逃げ出さなければ全部良かったの!」


 蜂蜜の涙が僕の背中を濡らし、震えながら僕の事を抱き締める。確かに彼女と僕が再び出会った事で生贄ゲーム事件は再開された。それは過去の事件に深く関わる僕と蜂蜜が再会したから。霞む視界に黄金に輝く幼馴染を捉えて、語りかける。


「違う……蜂蜜……それなら僕と蜂蜜を狙えば良かった。今日までで何人の関係無い人が巻き込まれて、怪我を負い、命を失い、心を傷つけられた?全ては僕等の関係の無い所で始まった。十一年前、二人の少年と北白直哉が始めた事だ。僕等は巻き込まれただけだ……蜂蜜は悪くない……」


 緑青色の瞳が僕の右眼を見つめる。


「なら、ろっくんも悪くない!事件に巻き込まれただけだよっ!」


 本当にそうか?僕は僕自身に問い掛ける。


「……僕は、僕の意思で浅緋を殺したんだ……抵抗すらしない少女を一方的に……だから、そこに居る白猫少女を責める資格は本来僕には無いんだ」


 僕の手の中で静かに息を引き取った浅緋の顔は作られた穏やかさだった。苦しみに喘ぎ、苦痛に歪んだ顔を僕に見られまいと、僕の心が罪悪に苛まれない為の幼い少女の精一杯の抗いだった。


 浅緋にも生きる資格はあったはずだ。


「なんで……なんで彼女が死なないといけない!生きる資格は浅緋にもあっただろ!なんで僕だけが生き残って……僕だけが……僕が死ねば良かっ」


 何かが弾け、揺らぐ視界、僕は仰向けに転がっていた。天地が逆さになり、視界の先には仮面を付けた贄達が僕の近くの空を見つめている。何を見つめて?と言うより、何が起こった?


「何言ってるのよ……それなら私も同じよ。第四ゲームの被験者としてあの場に本来居なければいけなかったのは……私よ」


 顔を上げ、見上げた先、太陽の仮面を着けた佐藤深緋が右手を振り抜いた状態で立っていた。その手の痛みを噛み締める様に一度手を閉じた後、腰を下ろし、僕の襟首を掴むと無理矢理上体を起こさせられる。


 その仮面の下の表情は窺い知れないが、怒っている気がする。


「深緋……?」


 緋色の幻視で視界の左側が紅く染まる世界の端で、杉村蜂蜜が困惑しながらあたふたしている姿が見えている。


「何の為に貴方達は最後の生贄クイズゲームを始めたのよ。……いい?貴方達は巻き込まれたの。奇しくも聡明過ぎるウチの妹の作戦に嵌められてね……浅緋なら、それぐらいやり兼ねないから。……しっかりしなさい!緑青!」


 大きく溜息を吐きながら周りを見渡した深緋が何かを確認する様に頷く。


「守るべき約束は効力を失った……保護対象の少年を護るべく作られた八ツ森のルールは、貴方が凶悪な誘拐犯、犯罪者と成り下がった段階で無効となった。君は守るべき存在では無く、八ツ森市民を脅かす犯罪者だから……っていう認識でいいのよね?」


 薄暗い部屋の中、太陽の仮面越しにきっと僕と同じぐらい顔の青白いレポーターの白滝苗さんが頷く。完全に状況に着いてきていない自覚があるのか、彼女自身も周りを見渡し、そしてテレビ局とやりとりを何度かした後に答えた。


「……は、はい。隠者さんが八ツ森高校の生徒を誘拐した時点で約束は反故されたものとして各メディアはこぞって七年前の生贄ゲーム事件と隠者さんの過去を取り立てて報道しています。しかし、まだ……第四ゲームで被害のあった女の子に関しては、遺族への配慮の為、実名共に報道の中には我々はまだ入れてません。他の局は分かりませんが、うちの局は伏せられるか、修正が入ってます。……もちろん、この最後の生贄クイズゲーム内での言及に関しては……リアルタイム放送ですので、止める事は出来ませんし……此処に集められたのは実際の被害者さん達ですし……」


「ならもう発言に気にする事は無いわね……」


 何を言ってるんだ?深緋は?


 深緋が仮面越しで僕の顔を覗き込んでいる。表情が伺えないのでどうしたらいいものかと考えあぐねていると、モニターの向こう側で更に悲鳴が上がり、黒猫少女の声が聞こえてくる。


『あは……あはは……殺した…………殺しちゃった』


 無理だ……僕には誰も救えない。救世主は死に、白猫も殺される。そして黒猫の心は壊れ、あの悲劇がまた繰り返される。


「ダメだ……もう、僕の声なんか……届かな……」


 ゴツリと凄い音がして目の前が白んで星が明滅している。深緋に襟首を掴まれ、仮面ごと顔をぶつけられた様だった。地味に痛い。涙目になりながら床に手をついて自分の上半身を支えると、囁く様に僕にその声は語りかけてきた。


「(まだ大丈夫……こっちでも確認してるけど、救世主は死んでない……演技か、もしくは気を失ってるだけ……よく見たら上半身が上下して呼吸をしてるわ。だからまだ……)」


 まだ、黒猫少女は人を殺していない?


「(いくら狂気に飲まれてるとはいえ、中学生の女の子よ……鎖を背後から引っ掛けて、腕力だけで殺しきる事は難しいわ。やるなら背負う形で、鎖を輪っか状に首に回して絞めないと高校生の男の子は殺しきれない。それに彼女は全身と腕にも斬りつけられた跡がある。傷が癒えてない今、そこまで力は出せないはずよ)」


「なら、早く……事実を伝えて止めないと……」


「(ダメ!死んだフリにしろ、昏倒にしろ、生きている事が黒猫にバレたらまた殺される。いいの?彼女に殺人を犯させて……)」


「それは……ダメだ。だから止めないと……でも、もう誰も彼女を止められない……僕は殺人者だ。彼女を止める資格が……無い」


『どこ行くの?エリカちゃん……まだ、ゲームは終わってないよ?さっき、ズルをして、手錠を外して貰ってたよね?私を出し抜いて殺そうとしたよね?』


 モニター越しに少女の声が響く。声色こそ少女のそれだったが、それはまるで闇の底から這い出してきた悪魔の様な圧を伴っていた。


 部屋内にも緊張が走る中、深緋がそっと僕から手を離し、片手を仮面に掛けて素顔を晒す。


 左目に映る紅い記憶の中、浅緋の顔と深緋の顔が重なって見えた。


「浅緋……?」


 深緋のその泣き腫らした様な目はずっと仮面の下で泣いていたのだと思う。このゲームが始まってからずっと。いつも何かに追われた様に切迫した表情を崩さない深緋の初めて見る微笑みに僕は目を逸らさなかった。その微笑みがあまりにも浅緋ちゃんを彷彿とさせたからだ。


 鎖が擦れ合う耳障りな音が聞こえてくる。

 これは今?それとも過去だろうか。


「緑青……私も、前に進もうと思う」


 その言葉は重い。彼女はずっと、妹が死んでからのこの七年間、その影を追い続け、自ら幸せから遠のく様な生き方をしてきた。


 彼女の先程の微笑みは、今はもう消え失せ、歯を食いしばる真剣な眼差しがそこにあった。


「緑青……貴方は、浅緋を殺してないの……」


「何を言ってる?この手で殺したのは僕だ」


「でも貴方はまだ、その記憶を完全には思い出してない……」


「そうだけど……」


「私は生贄クイズゲームで嘘をついた……」


「嘘?」


「今と殆ど同じ状況……をキミは体験した。貴方の身体には北白から受けた暴行の後と、その額の傷からの出血が酷かった。妹の両手と衣服は君の血で赤く染まりきっていた。君も、きっと殺せなかった……殺したと思い込んでいただけ……だって貴方の数少ない友達の一人でもあるのよ?……本人に頼まれたからって、本気で首を絞められる訳ない。ましてや血を失った状態で手に力なんか入らない」

「え、でも、それじゃあ……」


 平静を保っていた深緋の唇から一筋、血が流れ落ちる。食いしばった唇の一部が裂け、血が零れ落ちていく。何かを暫く我慢しながら口を開いたその言葉と共に深緋の顔が崩れ彼女の泣哭(きゅうこく)が部屋に木霊する。


「私は最初から知っていたの……妹の死因は……出血性ショック死……」


 深緋が泣き崩れ、僕はそれを受け止める様に床に倒れる。


「でも、それじゃあ……浅緋は」


「うん……死の間際、お腹を深く切り裂かれ、堪え難い苦しみの中死んでいったかも知れない。司法解剖で生前出来た傷か、死後についた傷かはハッキリしてる。……でも!それでも!浅緋!何かをやり切ったみたいに穏やかな死に顔で……それを認めてしまったら、私、辛くてもう生きる事なんか出来なかった!」


 深緋がこんなにも僕に感情をぶつけてくる事は無かった。それは八ツ森のルールもあったのだろうけど、ぶつけてしまったら最後、止まらない。今の今まで、あの約束が効力を持つ間、じっと我慢してくれていた事になる。


「僕は八ツ森の人達にこの七年間助けられていた……けど、違う、僕はこの七年間、誰よりも辛い深緋がこうして我慢してたくれたから……今の僕があるんだと思う。ありがとな……深緋」


 そっとその唇から流れる血を袖で拭うと止まらない涙と嗚咽の中、首を振ってそれを否定する。


「違う!私!貴方を恨んでた!それを認めたくなくて、貴方を恨む事で何とか命を繋ぎとめてた……謝るのは私の方……ごめんなさい!あの病室で、人殺しなんて言って、私、ずっと後悔してて……謝りたくて、けど、謝ったら最後、妹の事を全部話しちゃう、私は、知ってた!北白直哉には抵抗されてついた傷が幾つもあった。きっと貴方は最後まで北白直哉に、生贄ゲームに抗い続けた……妹を最後まで、守ろうと……」


 僕の戻らない記憶。

 いや、きっと、忘れてなんかいない。


 お前がずっと大事に抱え込んで離さないんだろ?


 僕に跨る深緋は力無く崩れ、僕の胸に顔を埋める。顔を見上げるとモニター前で鳩羽と江ノ木が此方と彼方を行ったり来たり視線を彷徨わせている。鳩羽が小さく僕に毒を吐く。


「先輩は……肝心な時にいつも役に立たないですね」


 すいません。鳩羽が必死に黒猫に呼び掛け、引き留めてくれている。何とか白猫が逃げる時間を稼ぐ為に。


 深緋は落ち着いたのか、呼吸が元に戻っている。その様子を確かめる為に顔を起こすと、どこから取り出したのかは分からないけど、その小さな右手には果物ナイフが握られていた。その刃先のすぐ下には僕の心臓が脈打っている。


「え?」


 あ、もしかして復讐されそう?

 全然許す気は無かったらしい。今度はこっちで悲鳴が巻き起こる。僕はもう一人の幼馴染の隠し果物ナイフに殺される運命なのかも知れない。流石、まな板って言ったら多分殺される。いや、もう殺される感じだけど。


 目の端で蜂蜜が動く気配を感じ取った瞬間、深緋の反対の手に握られた筒状のモノ……えっと、その形状はつまり……閃光筒だ。


 それが不意に瞬間的に弾けて僕等の視界を奪う。僕は何とか先に気付いて目を瞑る事は出来たけど、眩しくて目は開けられない。


 眩い閃光の中「ごめんね、杉村さん」という言葉が聞こえ、僕の胸に痛みが走り、全身に広がっていく。


 あっ、これ、刺された。


 そう思いながら、僕は唇に何か柔らかい感触を感じた。血の味を伴うそれは……どこか懐かしくさえ思えた。


 僕が愛を失った日、二〇〇五年五月八日。


 第四ゲームが行われた場所、あの山小屋での悲しい女の子との約束。


 それは血の味がする口付けだった。

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