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幼馴染と隠しナイフ:原罪  作者: 氷ロ雪
最後の生贄ゲーム
285/319

白イ耳

<白猫:神園エリカ>


 鋭利な金属が背中を撫でる感覚に呼吸が止まる。熱を帯びながら広がっていく痛みよりも私が恐れを抱いたのは、同じ被験者の月島楓に背後から斬りかかられたからだった。


……なぜ?


「楓ちゃん?もういいんだよ?救世主は倒したからゲームは終わったんだよ?」


怯えながら振り向き、確認した楓ちゃんの顔はまるで別人の様に見えた。


「にゃはは・・・・・・終わってないよ?」


 笑顔から反転したその無表情な顔が私を見下ろしている。さっきまで怯え、竦み、何も出来ずに、状況に流されていた愚鈍な少女の面影はどこにもない。何になったの?彼女は?


「楓ちゃん・・・・・・だよね?」


 軽く切り揃えられた黒い前髪から覗く眼が私を見下ろしている。


「違うよ?あの弱くて愚図で情けない女の子は死んだの。今、貴女の目の前にいる女の子はね・・・・・・生まれ変わった別の女の子。とても強くて人に騙されないぐらい賢くて、誰にも流されず、貴女を切り刻む事の出来る、つよーい黒猫ちゃんなの。こんな風にね?」


 頬をナイフの刃が掠め、私の側頭部から生暖かい液体が伝い、私の顎から滴り落ちて私の腿を赤く汚していく。


「右耳を狙います。あっ、間違えちゃった。ごめんね?左耳を突き刺しちゃった」


「あぐ、あぁあ・・・・・・やめて・・・・・・動かさないでぇえ?」


 私の頬を流れる血の量が増え、その痛みがどんどんと増していく。


「あぁ・・・・・・すごい・・・・・・捻るとどんどん血が流れていくよ!見て見て!って、あ、自分の耳は見れないね・・・・・・今、見せてあげるにゃ。切り落とせばお姉さんも見れ」


 背後から事務的な声が聞こえてくる。


「相手の手を掴み、刃と平行にナイフから耳を抜け」


 その抑揚の無い声が逆に私を冷静にさせ、素直に体がその通りに動いてくれた。抜く時の痛みで頭が白みそうになるけど、耳を削がれるよりは増しだ。


 この声は・・・・・・ガスマスクのお兄さんだ。先程までの優しい感じの声色は無くなっていた。嫌な事ばっかり言ってきて少し嫌いになったけど、私の事を助けてくれようとしているのかも知れない。楓ちゃんの右手を掴む左手が震え、上手く力が入らない。


「両手で相手の手を掴め。そのまま右腕の付け根を蹴り上げろ」


 空腹で力が入らない体に鞭打ち必死に楓ちゃんの腕を蹴りあげると、キョトンとした顔で首を傾げ、だらりと垂れ下がる自分の右腕を不思議そうに見つめている。蹴られた右腕が痺れ、力が入らなくなったようだ。折れては無いと思う。


 お兄さんは戦い方を教えてくれているみたいだった。でも、私は、もう動けない。重たいブラウン管を救世主の頭にぶつける時に最後の力は使い果たした。


「もう・・・・・・ガスマスクのお兄さん・・・・・・邪魔しないでよ!これは私と彼女のゲームなんだから・・・・・・左手だと上手く力入らないし、手錠と鎖が邪魔なの!」


 悪態をつきながら痺れた右腕を捨て、ナイフを左手に持ち変えた彼女はそのまま私に切りかかってきた。全然止まらない。


「右目を庇え」


 とっさに構えた右腕にナイフの刃先が突き立てられ、私はあらん限りの声で悲鳴をあげる。


「右目を狙います・・・・・・あれ?防がれた?」


 腕で防がなきゃ、目を貫かれてた?第二ゲームのあの女子みたいに。私の体に痛みと共に傷が増えていく。致命傷は無いけど、このままじゃ私は一方的に刻まれていく。私も、ナイフを拾って反撃しないと・・・・・・。


 救世主が持っていたナイフを思い出し、探す為に周りを見渡した瞬間、相手から目を離すなとガスマスクのお兄さんに怒られたけど、それは手遅れになった。楓ちゃんの凪いだ手が私の胸部を下から斜めに浅く私の皮膚を切り割いた。


 心臓近くを通る紅い傷の線。

 震えが止まらない。


 私は何に怯えているのだろうか。


 彼女が狂う前、ナイフの一撃を彼女から受けても何も感じなかった。けど、今は心臓が締め付けらる程に恐怖を感じている。


 何がこうも違うのだろうか。


 あの時はまだ彼女には戸惑いがあり、やっとの思いで私に付けた傷も浅かったから?


「このゲームはね、相手を殺さないと勝てないの」


 その口元に笑みを含みながら彼女は私に迫る。


「頭を狙います・・・・・・今度こそ外さないからね?まだ私の番でいいよね?私はエリカちゃんの倍以上傷ついたの。大丈夫、次で終わるから。苦しまなくていいように」


 ガスマスクのお兄さんから次の行動を示唆されるけど、もう疲れた。体も限界だし、早く楽になりたい気持ちもあったから、私は諦めて目を瞑った。


「もういいよ・・・・・・痛いのも頑張るのも疲れちゃった・・・・・・どうせ、私を必要とする人なんか」


 画面の向こう側から焦った声が聞こえてくる。


「ちょっと、石竹先輩!どうしたんですか?さっきから様子が変ですよ!心ここにあらずというか……ちょっとガスマスクを外し……」


 誰かが倒れた様な音がして、どうしたんだろ?


「ろっくん!?」


 苦しそうなガスマスクのお兄さんから呻き声が聞こえてくる。何かを繰り返し呟いている様な……?あわひ?たすけなきゃ?


「先輩……唇が青いというか……顔色が悪いですよ!震えてますし。無理しないでそこで天使先輩に膝枕されてて下さい!ここは僕とカナさんで何とかしますから!」


 石竹緑青。それがあのガスマスクのお兄さんの名前。そして同じ生贄ゲームの被験者を経験した一人。あわひ、佐藤浅緋、それはあのお兄さんが生贄ゲームで殺した女の子名前。


 こんな経験を小さい頃にしたともなればトラウマは確実で……きっとガスマスクのお兄さんは、目の前で繰り広げられる私と彼女のゲームに過去を重ね合わしている。でも人が死にそうな時にあの人達は何やってるんだろうか。途絶えたモニター越しの助言を諦め、私の頭にナイフを突き立てようとしていた月島楓ちゃんが、高くナイフを掲げたまま、ヘタリ込む私をじっと見つめていた。一体どうしたのだろう?私の頭にそれを捻じ込めば全ては終わるのに。無表情な顔はそのままだけど、ナイフの切っ先が震え、それを抑える為に痺れている右手を添えて私の目を見つめたまま動かない。


「聞こえますか?白猫さん……聞こえてたら、そのままでいいんで、軽く一回頷いて下さい」


 この少し高めの声は童顔のお兄さんだ。楓ちゃんに聞こえない様に小さな声で語りかけてくる。この人も確か二川亮の第五生贄ゲームの被験者になった人だ。あの時は確か、決着がつく前に二人とも助け出された。私の方は絶望的だ。きっと世間が気付いたのはネットで配信した今。警察が此処に辿り着ける訳もない。私は何を間違えたんだろう。こんなはずじゃ……。


「聞いて下さい、白猫さん。・・・・・・生贄ゲームの本質は殺し合う事じゃない。生きようと足掻く者がその資格を得るんです。だから、第五ゲームで僕とカナさんは足掻き、二人とも生きる資格を得たんです。北白さんが言ってました。君達二人は生きる資格を得たんだって。それは足掻いたからです。生きようと……」


「生きる……為に?」


「こちらの生贄クイズゲームでも触れましたが、あのゲームを通じて当たり前の様に幸せを享受している家庭への妬み、憎悪の拡散が目的だったという可能性が示唆されています。そしてもう一つのメッセージ……弱き者よ、抗え、さすれば道は開かれる……絶望と死の狭間で生きる事を強く望んだ者が助けられます。だから、決して彼等はゲームの勝者を殺さなかった……だからまだ諦めないで下さい。まだその道は閉ざされてません……」


 更に小さな声で私だけに語りかけてきたその言葉は意外なものだった。


「まだ、生きたいのなら・・・・・・右手に巻かれた鎖を両手で思い切り引っ張って下さい」


 引っ張る?なんで?……私は楓ちゃんの虚ろな目を眺めながら考える。私はこの生贄ゲームを殺し合うものだと思っていた。そうではないの?ゲームが始まった当初とすっかり立場は逆転。ルールの中で抑圧されていた楓ちゃんの心は恐怖で更に圧縮されていた。何がきっかけでそれが爆発を起こしたのだろうか。私は結局、読み間違えた。


「足掻く為・・・・・・か」


 楓ちゃんが首を傾げながら、手にしたナイフを私に振り下ろす。ナイフの刃が目前に迫る中、私は咄嗟に目を瞑りながら必死に床を這う鎖を勢い良く引っ張った。ただ助かりたいという一心で。体勢が崩れ、私はそのまま床に倒れてしまう。鎖同士が勢いよく擦れ合い、金属音を響かせながらドスンと大きな音が部屋に響き渡った。頭にナイフをねじ込まれる未来を想像しながら開けた瞼。先ほどまで迫っていた楓ちゃんの姿が消えて・・・・・・。


「無事みたいですね?」


 上を見上げると反転したモニターにあの童顔のお兄さんが冷や汗をかきながらもホッとした表情でこちらをのぞき込んでいた。彼は仮面を着けなくても大丈夫なのだろうか。ネットで殆ど個人の特定はされているみたいだけども。


「無事じゃない・・・・・・あっちこっち斬られて凄く痛いです。でも楓ちゃんは何処に行ったの?消えちゃった……」


 床を這う様に垂れていた鎖の一部がジャラジャラと音を立てながら蠢いている。


「離しちゃダメです!そのまま鎖を引っ張り続けて!」


 慌てて鎖を引っ張りながら体勢を起こすと、鎖が空中でピンと張った状態で丸い柱へと続いていた。この角度大丈夫かな?モニターとのこの距離、私の股の間から向こう側が見えてると思うけど、今はそんな事はどうでもいい!とにかくこの鎖が私の命を長らえさせた。


 小さなうめき声が聞こえてきて暗がりの中、目を凝らして確認すると、楓ちゃんの体が丸い柱と壁の間に挟まれて身動き取れなくなっていた。そのナイフは彼女との中間地点付近で転がっている。


「……どういう事?」


 私の右腕に付けられた錠は楓ちゃんの左腕に繋がっていた。


「あっ、そっか。鎖を引っ張れば相手の腕を引っ張れちゃうのか・・・・・・」


「・・・・・・はい。今までの生贄ゲームでは柱に何重にも巻かれるか、固定され、引っ張り合いにならない様にされてましたからね。柱と壁の間を通されてるだけなら、力で負けなければ・・・・・・」


 私は床にお尻をつくと、怪我と空腹で力の入らなくなった私の体が徐々に床を擦りながら引っ張られていく。


「あれ?私より華奢なのに・・・・・・何処にこんな力が・・・・・・?」


 楓ちゃんが鎖を巻き取りながらこちらに近付いてくる。画面の向こう側からハートの仮面を付けたお姉さんから悲鳴が溢れる。


 途中で落としてしまったナイフを拾うためにこちらに少しずつこちらに近付いてくる楓ちゃん。私は右手の鎖に引っ張られる形で体勢を崩し、引きづられていく。


「童顔のお兄さん!無理です!あぁ!ナイフ拾われた!」


「えっと、死ぬ気で頑張って下さい。どちらにしろ。頑張らないと死にます」


「可愛い顔してお兄さん毒舌!」


 このままじゃ無理だ。一体どこにこんな力が・・・・・・何か、つかまるところを・・・・・・あっ。床で気を失う救世主とのすれ違いざま、ズボンのベルトの部分を探して掴むと、二人分の体重が合わさって動きが止まった。


「なんとか助かっ・・・・・・てない!」


 救世主の体がベルトから引っ張られ、体を二つに折りにしながら私と一緒に楓ちゃんとの距離が狭まっていく。引っ張られる右手が真っ赤になって痛い。この人も体重軽かった。童顔のお兄さんが冷静に分析している。


「あっ、これ、滑車の原理ですね。直接引っ張るよりも滑車を使えば必要な力が半分になるあれです……」


「無理無理!助けて!あっ!」


 楓ちゃんが笑顔で振り回すナイフの切っ先がが私の右手を掠めて傷を負う。このままじゃ手首を斬られて死んでしまう。


「何やってんのよ!この役立たず!」


 私は勢いよく一緒に引っ張られている救世主のお尻に踵落として八つ当たりをする。そもそもお前のせいだろ!私の左手の握力が限界に達し、救世主を離すと、楓ちゃんが床を這いずる私の体に背中から馬乗りになり、宣言する。


「心臓狙います……背中からでも刺さるよね?きっと」


 相手に逆に鎖を使って行動を制限される事を利用されてしまった。背中を押さえつけられ、いつ振り降ろされるか分からないナイフとその込められた殺意に私の体が硬直し、彼女に刺された耳、背中、腕の痛みの感覚が麻痺して無くなる。動悸が激しくなって、目眩を起こしそう。彼女の一撃が私を死に至らしめる。それを想像するだけで顎が震え、上手く噛み合わせられない歯がカチカチと音を立て私の声が言葉にならない。


「たずけ、だれが、ダズげてげて……?」許して!もう離してよ!楓ちゃん!」


 感情を一切含まない声が私の頭上から聞こえ、ナイフの腹をペタペタと背中の肌に触れさせられて、生きた心地がしない。 


「ここで止めちゃうの?つまらないなぁ・・・・・・どうせなら、貴女が私につけた傷の数だけ貴女を刻ませてよ。安心して?貴女が私に付けた傷、十六カ所に対して、七カ所は返させてもらったから、あと九箇所刺すね?そしたら許してあげてもいいよ?」


「あっ、あっぁああああぁっ!」


 背中を針が突き刺した様な痛みが走り、その激痛の中で気を失いそうになる。何をされてるの?背中の皮が剥がされてる様に痛い。


「いだいぃいいいい!何をしてるの!?」


「えっとね、背中の血が固まりかけてたから・・・・・・また同じ所を開いてあげてるの。大丈夫だよ?これはノーカウントだから。新しい傷はつけてないよ?もういいよね?」


 激しい痛みで項垂れる私を楓ちゃんがひっくり返すと私のお腹に馬乗りになられて苦しい。空腹じゃなかったら吐いてた。


「あれ?心臓ってどこだっけ?」


 楓ちゃんが私の両腕を押さえつけながら、心臓の位置を探る為に耳を私の胸に当ててその位置を探る。


「凄いね……こんなにバクバクいってたらすぐに分かっちゃう。うーん……真ん中の骨が邪魔だから……肋の隙間から差し込めばいいのかな?」


 顔を上げた楓ちゃんの黒い瞳が私の胸を見下ろしている。その脚が私の両腕を踏みつけ、私の体を固定すると、肋の隙間にナイフの先端を合わせる。


「やめてやめてやめてやめ……」


「此処からなら刺し込めそう……大丈夫、一気にいくよ……」


 モニター越しに弾ける悲鳴の中、近くで少年の叫び声が聞こえ、そして楓ちゃんが驚いた顔で私のお腹から離れていく。


「何が起き……て?」


 私の傍で必死に床の鎖を手繰り寄せる、顔の半分が包帯で巻かれた少年の姿が映る。


「白き救世主?」


 もはや赤い救世主が必死に鎖を手繰り寄せていくと、楓ちゃんが今度は壁際の暗がりへと引っ張られ、まるで闇の中に押し戻されていく悪魔がこちらに手を伸ばしながら封印されていく様だった。鎖がピンと張ると同時に、楓ちゃんの動きが止まる。ナイフは救世主に突き飛ばされた瞬間、何処かに飛ばされたみたいだったけど、どこにいったのだろう。


「くそ、くそ、くそ!なんでこんな事に!」


 必死に鎖を引っ張る救世主の脚から再び血が流れていく。暗がりの中から少女の悲鳴が聞こえてくる。


「もういい!それ以上は引っ張ら無くて良い!」


 その言葉に背後を振り返ると、優しげな声の主はガスマスクを取った石竹緑青のお兄さんだった。その顔は青白いけど、口元を抑えながら此方の様子を伺っている。


「それ以上引っ張ると、黒猫の肩が外れる……」


 闇の中から悲鳴が聞こえ、反射的に鎖を緩める救世主。


「何いってるんだ!お前は!僕等は殺されかけてるんだぞ!僕は脚を怪我して動けない。白猫は空腹で恐らくまともに動けない……このチャンスを逃したら、僕等二人は殺され……」


「ちょっと黙ってろ!!」


 石竹緑青さんに一喝され、言葉を飲み込む私と救世主。苦しそうに胸を押さえながら、石竹緑青さんが画面越しに私達を睨みつける。


「その子に罪は無い。殺されるだけの事を、君達二人はした」


 私はそれに反論する。


「ちょっと待ってよ!なんで私まで?私は被害者よ!」


「ちょっと黙ってろ。僕には分かる。白猫、お前は……相手を傷つける事を楽しんでいた。違うか?」


「なんでそんな……そんな訳無いじゃん!なんで!」


「君は黒猫よりも歳上だろ?」


「それが何?」


「これまでの生贄ゲームとの違和感の一つ、君は進んで相手を傷付けている。それが相手との怪我の差に繋がっている……」


「それは、空腹だと可愛そうだから」

「だから刺したのか?それを彼女が望んでいたからか?」

「ち、違う!それは……彼女が救世主を喜ばせる事を嫌がったから!」

「だから刺したのか?」

「刺さないと食料は与えられない!」

「……なぜ、渡された食料を分けなかった?」

「それは見張られてたからで……」

「君だけなんだよ……ルールに抗おうとしなかった被験者は」

「はぁ?それだけでなんで私が死なないといけないのよ!」


「……黙ってろって言ったろ?僕は今、黒猫と話がしたいんだ。彼女は加害者じゃない、被害者だ。これ以上、苦しむ必要は無いんだ……楓ちゃんでいいんだよね?聞こえるかい?」


 暫くの静寂の後、弱々しい少女の声が闇の中から聞こえてくる。


「うん……聞こえるよ……」


「良かった……どこか痛むとこは無いかい?」


 極限状態の中、かけられた優しい言葉に彼女の啜り泣く声が聞こえてくる。


「全身痛いよ……エリカちゃんにたくさん斬りつけられて痛い……今は肩が外れそうで痛い……」


「そっか辛くて怖かったんだね……救世主、鎖を緩めろ……」


「は、はい!」


 張られていた鎖が緩み、楓ちゃんが小さくお礼の言葉を述べる。


「ありがとう……お兄さん……」


 啜り泣く声にじっと石竹緑青は耳を傾けていた。 何をやっているのだろう。動いていない今がチャンスなのに。あっ、そういえば……。


「出血はあるかい?」

「ううん。今は止まってる……でもなんかずっと心が痛いの……なんでだろう……」

「もういい。もう苦しまなくていいんだ……ゲームは終わったんだ。さっき、そこに居る救世主も第六ゲームの中止を宣言した。だからもう……」


 かチャリと施錠が外れる音がして、私の右腕から垂れていた鎖から解放される。施錠が掛けられていた右手首にはその跡がクッキリと残り、血が滲んでいた。手の甲には赤い線が走り、全身を見渡すと、その筋がいくつも出来ていた。出血は殆ど止まっていたから傷は耳以外は深く無かったのかも知れない。ポタリと、左耳を伝う血が顎先から垂れて床に血の跡を残す。救世主を治療した時の救急箱を見つけ、ガーゼを耳に当てて治療を始めると、石竹緑青が救世主に呼びかける。


「ん?救世主?今の音は?」


 その言葉に驚いた救世主が手にしていた施錠をカランと床に落とす。黒猫と石竹緑青とのやりとりの間に私は救世主に手錠を外して貰っていた。


「え?あぁ……黒猫の彼女が落ち着いたから、白猫の手錠を外して……」


「彼女にとって……脅威なのはお前だけじゃない。白猫もその対象だ。今、枷を外したら……」


 左耳の応急処置を終えて、右腕に包帯を巻いているとその殺気に気付いて顔を上げる。長い鎖の端を握った月島楓が救世主の背後に立っているのが見えた。


「えっ?」


 怯えた声を出した私に彼が振り向いた瞬間、その首に鎖がかけられ、彼の首が締めあげられていく。脚を怪我して彼は動けない。必死に首に掛けられた鎖に指を引っ掛けようとするけど、指が隙間に入らずに自分の首を引っ掻いて血が滲む。救世主の呻き声が段々と小さくなり、バタバタと動かしていた脚が止まると、ゆっくりと床に足が投げ出された。動かなくなってからも彼女がその手の力を緩める事は無く、彼を解放したのは彼の事切れた後だった。


「あは……あはは……殺した…………殺しちゃった」


 鎖を緩め、床に腰を降ろすと、首に鎖を掛けられたままの救世主がまるで人形の様に転がる。赤味がかったままの充血した顔に口から舌がだらりと垂れている。


 緊張で硬直した体のまま、右腕を見下ろす。手錠は外されている。今なら、逃げられる筈だ。


 音を立てず、私から近い壁沿いにある扉を目指してゆっくりと彼女から目を離さず、距離を取りながら出口を目指す。此処を出られれば相手はまだ鎖に繋がれている。逃げる速度は私の方が速いはず。


 扉に手をかけ、内側から掛けられていた鍵を外して開けようとした時、何か金属製のものが床に転がる音が聴こえて其方を振り向くと、月島楓ちゃんの左腕に掛けられていた手錠が無くなっていた。


 ゆっくりと立ち上がった彼女の目が見開かれ、私を見つけるとニヤリと微笑んだ。その目に射抜かれた私の体が震え、後は逃げるだけなのに上手く身体が動かない。走れ、走れ、走れ!


「どこ行くの?エリカちゃん……まだ、ゲームは終わってないよ?さっき、ズルをして、手錠を外して貰ってたよね?私を出し抜いて殺そうとしたよね?」


 地獄の底から這い出してきた悪魔の様な瞳で射抜かれた私の魂は、まるで石化した様にその場から動けなくなってしまった。


「このゲームはね……どちらかが死ぬまで終わらないの……引き分けは無いの。だから守らないと、ルールを守らない悪い子は、地獄で永遠に鬼に辱めを受けるの……だから私は貴女を殺します。まだ私の番だから、エリカちゃんは抵抗しちゃダメだよ?ね?私も貴女に切られた時、抵抗しなかったよ?良い子にしてたよ?」


「やだ……ごめん……許して……」


「エリカちゃん……私、知ってるんだ……お姉さんが本当は楽しんで私を傷付けていた事。助かる為に仕方無いって思ってたから痛いの我慢してたのに……怖かったけど逃げなかったのに……」


 私は必死に出口へと繋がる通路へと身体を這わせながら前進する。


「ずるいよ……貴女は逃げるなんてっ!」


 振り返り、見上げると、彼女がナイフを手に床の鎖を踏みながらこちらにゆっくりと歩いて来る。


 錯覚だろうか。


 彼女を中心に暗闇が渦巻いて拡がっている様な気がした。山小屋の天井から暗い霧が靄となって彼女の身体を包み込む。


 死を前にした幻視に私の脳裏に今までの人生がまるで走馬灯の様に流れて行く。家出をする前の私の人生は充分に不幸だった。でも他の可能性を求めて飛び出した世界に待っていたのは何も無い空虚な時間だけだった。幼い身体を売り歩き、辿り着いた森の果てに待っていたのは深淵の闇から這い出た様な悪魔の少女だった。


 けど、多分、それを生み出したのは他の誰でも無い、私自身だ。私の走馬灯の果てに、私を優しく抱いてくれた彼の姿が現れる。


「亮君の言う事、聞いてれば良かった……な」


 あの時の彼の言葉を聞いていればこんな事にはならなかったのかも知れない。私は可能性を求めて家を飛び出したんじゃない。自分の人生から目を逸らし、逃げ出したのかも知れない。


 そんなので勝ち残る事なんて出来ないよね……貴方達の始めた生贄ゲームに……。


 私は間違えた。


 数ある分岐の枝葉の中から、最低なものを選び続けた。その答えが私の今を招き入れた……。彼女はもう迷う素ぶりすら見せない。


「エリカちゃん……殺すね?」


 私はそれに力無く頷くしか無かった。


 因果応報、それが私に与えられる報いなのかも知れない。

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